タイムリミット
――とはいえ、ずっと先送りにしてきた問題なので、いざ切り出すとなると少なからぬ思い切りを要した。
僕はゆっくりと息を吸い、そして吐き出す。
もういっそ僕の代わりにリザに話させようかという考えも、脳裏にほんの少しだけ浮かんだりはしたが、それは力一杯封印して思いつかなかったことにした。
今ここにある二つの宇宙船の責任者は両方とも僕だ。誰も僕を責めないとしても、向き合うのは僕でなければならないのだ。
「トーマスさん、ドクター・ウォーカーのプログラムの話は一旦棚上げするとして、もう一つ相談しなければならないことがあります」
「はい、何でしょうか、ライル様?」
「まず、僕はエオースのミッションを中断するつもりはありません。一人でもやり遂げるつもりでいます」
最初にはっきりとそのことを告げておく。
初日にシャーロットがあっさり口を割ったことだが、どうやらシミュラントの総意として僕をこのアストリアに永住させようと考えているふしがある。
しかし僕は彼らの希望には添えない。そのことは最初に明確にしておく必要がある。
そして本題だ。
「その上で、もしシミュラントの皆さんが良ければ、エオースのミッションを手伝って欲しいと思っています。実はエオースには、シミュラント全員とついでにアイラの量子頭脳システムを丸ごと積んでも十分に足りるだけのペイロードがあるんです」
「それは第二原則に基づく命令と理解すべきでしょうか?」
トーマスの受け答えには迷いがなかった。相変わらずの微笑を浮かべたまま聞き返してくる。
つまり彼は言外に、命令でなければ従いたくない、と言っている。
もういっそ、その通りだ命令だ従え、と言って済むのならもういっそそうしたいくらいだ。だがどうせそう上手くは行かないことも、今や僕は理解していた。
もしも彼らのニューロチップを解除して、人間として参加して貰うならなおさらだ。
僕は小さく首を横に振ってトーマスの問いに答える。
「トーマスさん達に自主的に納得して協力して頂けるなら、それに越したことはありません。率直に言いますが僕はあまり第二原則を信用していません」
「ライル様は我々の考えをご存じかと。エオースよりもアストリアの方が安全です。我々はロボットとして、第一原則にかけて、ライル様が危険なミッションに向かうことを看過しかねます」
トーマスの反論は予想通りのものだった。
だが本当にそうなのだろうか?
これまで何となくで流してきたことであるが、彼らが僕をアストリアに引き留めようとしている根拠がそれなのだ。
まずそこをきちんと洗い直す必要があるように思えた。
ずっと無言で僕の斜め後ろに立っていたリザに軽く目配せしつつ、天井に声をかける。
「そこなんだよね……さて、アイラ、この際ざっくばらんに行きましょう。リザも話に加わって」
『はい』
「はいなのです」
宇宙のここいら辺り半径十数光年で最も明晰な頭脳を持つであろう二人が応える。
少なくとも技術的な見積もりに関しては彼女達は完璧だ。いや完璧と言うと若干の語弊はあるのだが、彼女達が間違うようであればどうせ僕が頭をひねってもどうしようもない。問題はむしろ僕が彼女達に適切な質問を行えるかにある。
僕は頷きつつ質問する。
「ぶっちゃけた話、エオースもアストリアも安全じゃないでしょう。だいたい、僕らの既知の宇宙で、事故一回で全滅したりはしないだろうなんて期待ができる乗り物は、まあ強いて挙げたって『地球』くらいのものです。要するにエオースかアストリアかなんて安全性では程度問題なんです。アイラ、僕の認識は間違っていますか?」
『厳密に言うならば、地球を一瞬で破壊することも技術的には可能ですが、ライルが言いたいことは理解できます』
別に僕だって地球を破壊することに興味はないので、そんな話の枕に食いつかなくていい……
僕は内心ため息をつきながら本題に入る。
「ではアイラ、率直に訊ねます。アストリアはエオースより安全だと考えますか?」
『ライルがこのままアストリアに永住した場合と、エオースのミッションを継続した場合を比較すると、ライルが自然死ではなく事故により死亡する確率はエオースの方がおよそ七倍高くなります』
「……そんなにですか?」
厳密な三原則に縛られているアイラが僕に嘘をつくことは考えられない。
つまりアイラは誤差レベルではなくエオースの方が大幅に危険だと考えていることになる。
さてアイラの見積もりはそうとして、対して危険呼ばわりされたエオースのリザはどうだろうか?
僕はリザの方に視線を送り小さく首を傾げてみせると、彼女はわざわざあからさまな渋面を浮かべつつ口を開く。
「条件の設定が作為的なのです。アストリアが安全そうに見えるのは、ライルさんが老衰で死ぬまでもう冷凍睡眠を使わない前提で比較しているのです。船の居住可能な状態が期待できる時間そのものは、エオースの方が遙かに長いのです」
『ライルが主観時間で最も生存できるのは、アストリアで冷凍睡眠を使わないケースです。エオースのミッションを続ける場合、ライルが天寿を全うできる可能性は低いでしょう。そのことはR・エリザベスとも認識が一致しているはずですが?』
「それはそうなのですが、そもそも――」
「待って! 話がよく分からない」
二人が口論を始めそうになったので僕は慌てて制止する。
聞き手の僕を無視して喧嘩を始めないで欲しい。
つまりこういうことか?
今後一切冷凍睡眠を使わずに生活するのならアストリアの方が安全。
一方、船そのものはエオースの方が長持ちする可能性が高い。
どうやら口ぶりからするとリザとアイラの間ではその認識自体は一致しており、かつ意見が食い違っているらしい。
何故だ?
「えーと、分けて聞きます。まず、アイラ。冷凍睡眠を使わない場合、何故アストリアの方が安全なんですか?」
『最も大きいのは、アストリアが既に反物質燃料タンクをパージ済みなことです。反物質タンクを抱えたまま航行するエオースと比べて、一つの事故で船全体が破壊されるような事態にはなりません。また船のサイズそのものが大きいため、ブロック単位で事故が起きても待避する余裕が期待できます』
「なるほど、反物質……」
――現代の外宇宙航行船で使用される推進方法は反物質を利用した反物質ロケットが一般的だ。
これは旧来の核融合ロケットと比べても格段に効率が良く、人類が実用的な反物質生産技術を手にして以来、外宇宙船のほぼ全てでこれが使用されている。
そんな理想的とも言うべき反物質燃料にも少なからぬ欠点がある。
まず最新の反物質生産技術をもってしてもなお極めて高価というのが大問題なのだが、これはどうせ出発時に必要量を全部積み込んでいる。つまり出発前に地球の連中が頑張って解決済みの問題であり、一旦出発してしまったら僕らにとってはどうでも良い。
しかしこの反物質、ほんのちょっぴり漏れるだけであらゆる物質と激しく『反応』し、一グラムで黎明期の核兵器に匹敵するほどのエネルギーを発するとんでもない物質だ。それがトン単位で載っている。
つまり取り扱い注意どころではないのである。
実際、例の忌々しいロケットエンジンの爆発事故ではマイクログラム単位の反物質漏れであれだけの大惨事を起こしている。
むしろ吹き飛んだのがエンジンだけで済んだのは奇跡的なまでの僥倖と言って良いほどで、燃料タンクにまでダメージが行っていたら、瞬時に船が丸ごと蒸発してただのプラズマと化していただろう。
「つまり、アストリアが航行を諦めて反物質燃料を船外遺棄したのに比べて、エオースは反物質を保有し続けているため船ごと吹っ飛ぶリスクが高い。そういうことですか?」
『そうです。それからサイズの問題も重要です』
「なるほど。まあ、リスク見積もりに関しては疑問も感じますが、リザが同意しているのであればそうなのでしょうね。では――」
僕は続けてリザに向き直った。アイラの言い分はまあ何となく分かった。次はリザの言い分である。
「リザ。船自体の存続性に差があるのはどうして?」
「アストリア自体の寿命が近いのです。残ったプラントでこれだけの規模のシステムを維持し続けるのに限界が来ているのです。船全体が生命活動に支障を来すレベルに達するのも遠くないのです」
「……具体的にはどのくらい持ちそうなのかな?」
「楽観的な見積もりでも二〇〇年。悲観的な見積もりなら一二〇年なのです。ちなみに、エオースは完全な修理が施されれば、一〇〇〇年後でも五分五分で健在なのです」
……これもアイラが同意しているのなら正しい数字なのだろう。
なるほど、話をまとめてみよう。
何らかの事故が発生した時に、船ごと瞬時に僕が死亡するリスクはエオースの方が高い。
一方、アストリアは早ければ一二〇年、遅くとも二〇〇年で船そのものが劣化に耐えきれずおシャカになり、人間が生存できる環境ではなくなる。
つまり、この先一〇〇年そこらの話ならアストリアの方がマシで、それ以上ならエオースの方がマシ。
だから天寿を全うしたいなら冷凍睡眠を使わずにアストリアで暮らすのがベスト、というわけか。
細かいことを聞いていけばもっと他にも色々ありそうだが、どうやらリザとアイラでその辺の議論は既に済ませているようなので、僕としては結論だけ丸呑みにすることにする。
その上で疑問がある。
「あー、その、アイラに訊ねます。仮に、エオースに可能な限りの修理を施し、アイラとシミュラントの全面的な協力が得られたとしましょう。それで、当初の予定通り目的星系に到達し……そうですね、地上に小型のコロニーを設営して生活ができるようになったら成功として、成功率はどのくらいと見積もりますか?」
『お答えします。現地基地の設営までにライルが死亡することを失敗と定義した場合、私の見積もりでは成功率は四六パーセントです。この数字はR・エリザベスとも一致した見解です』
「それは僕の認識からも大きく外れていない数字です。その数字は頂きましょう。ところで僕が地球出発時点で聞かされた成功率は、だいたい七〇パーセントだったと記憶していますが」
『正確には出発段階でのミッション成功率はおよそ七八パーセントです、ライル』
そんな細かい数字はどうでもいい。
「僕が言いたいのはですね、アイラ、まだ成功率は半分残っているじゃないですか、これはまだかなり勝算が高いのではないか、ということです」
『既に半分を切っています』
「最初から四回に一回は死ぬミッションに志願した僕達が、今更その程度で尻込みする程度の覚悟でやっていると思いますか?」
『いいえ、思いません。ですが私にはライルの生命の危機を看過しない義務があります』
まったく、物分かりががいいのか分からず屋なのか。少なくとも僕が引き下がるつもりがないことは理解してくれているらしい。
ここ一ヶ月で分かったことだが、アイラはエオースのミッション継続に関して絶対に拒否というわけではない。
例えばエオースの修理だって、危険があるからなどと言って第一原則に基づいて渋りはするが、第二原則に基づいて命令すれば協力する。
本当に確実に第一原則に抵触すると確信している場合は、第二原則に基づくものであろうと命令に従わないはずなのだ。
これはつまり、渋っていても命ずれば従う時点で、たかだかその程度の問題でしかないということを意味する。
「……アイラ。もしシミュラント全員とあなたをエオースに乗せたいと言ったら、どうしますか?」
『私が判断して良いのであれば反対します。ですが、ご命令であれば従います』
「つまり第一原則には必ずしも抵触するわけではない、と?」
『不本意な表現ですがその通りです』
「なるほど。ありがとう、アイラ」
それだけ確認できればとりあえずは十分だ。アイラに関しては思っていたよりも見通しが付きそうな気がする。
――とすると、だ。
僕はあらためてトーマスの方に向き直った。
「トーマスさん、えーと、それで、第一原則についてなんですが」
「え、ええ、ええ……おっしゃりたいことは理解しております。もちろん、その、我々も、ライル様のご要望には、全力でお応えしたいと、ええ……」
エオースのミッション継続が必ずしも第一原則に反しないことをアイラが述べたにも関わらず、トーマスの口ぶりはどうにも歯切れが悪い。
そう、恐らく、問題は彼なのだ。
彼が何か引っかかっていて乗り気でないことが問題なのだ。引っかかっていたのはアイラではない。
僕が説得すべきはトーマスなのだ。
ここが思い切った押しどころなのかもしれない。
「トーマスさん、一度エオースを見学に来ませんか? もしかするとあなたの不安がそれで解消するかもしれません」
「……私が……でございますか?」
これはどうやら彼にとってかなり予想外の提案だったようだ。
彼はかなり困惑した様子で眉をひそめて考え込む。ここ一ヶ月で彼がこんな表情を浮かべたのは初めて見た。
エオースにまた新しいシミュラントを入れることにリザが反発するかも、という懸念も若干浮かんだのだが、彼女は黙って僕の後ろに立っている。幸い彼女は僕の意図を汲んでくれているようだ。そう信じることにしよう。
「……承知致しました、ライル様。伺わせて頂きます」
「歓迎しますよ、トーマスさん」
いつもより更にぎこちなくなったトーマスの微笑みに、僕は頷いて返した。
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