そこに魔法はない

 あまり納得はして貰えていなかったようだ。

 何の話かってリザのことである。

 ひとまずシミュラント達は居住区に置いてきて、リザと二人でエオースに戻ってきたと思ったら、早速お説教が始まった。


「どうしてライルさんは私にガラクタを入れようとするのですか。理解に苦しむのです。あの二体だけで手一杯なのです。これ以上増えたら船の修理の邪魔なのです。迷惑なのです。とても迷惑なのです」

「ご、ごめん。でもトーマスさんに修理を手伝って貰うつもりはないから。あくまで今日だけの見学だよ」

「それでも十分邪魔なのです」

「ごめんってば……」


 リザがその小さなボディでぷりぷりと肩を怒らせながらエオースの通路を進む。

 先日ようやく仮復旧した船内の人工重力システムのおかげで、リザの足音までガシガシという不満たらたらのものになっている。

 もちろん意識的に僕に見せるためにやっているのである。たいそうなご立腹であった。


「あー、それで、トーマスさんに出す食事なんだけど……」


 睨まれた。

 なんだか今日のリザはいつになく感情的だ。

 いや、シミュラント達と関わっていると忘れがちになるが、真正のロボットであるリザには感情はない。そういう表現で僕を諫めなければならないと、そういう判断があってこその行動なのだ。

 おかんむりのリザに、僕はしどろもどろになりながら言い訳する。


「いやほら、時間的にちょうど夕食どきだし、今日はレイシーもシャーロットも居住区に泊まるらしいから、僕とトーマスさんの分だけでいいし、別にそんなに凝ったものじゃなくていいし、メニューはリザに任せるけど……」

「昨日、地球から新しいボロネーゼソースのレシピが届いたので、夕食はスパゲッティ・ボロネーゼなのです」

「へ、へぇ、それは楽しみだなぁ……」


 つっけんどんにメニューを告げるリザに、僕はちょっとたじろぎながら頷いた。

 限られた資材から食料プラントを駆使して様々な料理を作るのは、宇宙生活において極めて重要な要素だ。食事は最大の娯楽であり乗員のストレスを和らげトラブルを未然に防ぐ特効薬でもある。

 そのため各宇宙船やコロニーなどで考案された新しい『レシピ』は、最優先情報として通信網に乗せられ、まさしく光の速さで――つまり地球から十光年離れているなら片道十年掛けてということだが――共有される。

 新しいボロネーゼソースとやらは、地球で考案されたものなのだろうか、他の外宇宙船で考案されたものなのだろうか。こういうものは一旦地球で取りまとめられてから、宇宙のあちこちに広められるのだ。

 ……そういえば、ここに来て最初にレイシーに出した例のフルーツタルトのレシピも地球に送られたはずだが、地球からの感想は聞けないまま考案者のユーリは死んでしまったな……

 などと徒然に考えていたら、いつの間にかリザの背中はどんどん通路の奥に離れていっている。


「ま、待ってよリザ」

「トーマスが来るまでにまだ時間はあるのです。連絡艇ランチの操作訓練をするのです」

「え、今から?」

「ライルさんがドクタ-のプログラム回収を諦めるというのなら、私は諸手を挙げて大賛成するですが?」

「やるよ、やるやる」


 連絡艇とは要するに作業用の小型有人宇宙船だ。『宇宙のボート』と言い換えても良い。

 例のプログラムが収められているというメディアには、人間の生体認証で解除されるプロテクトが施されているとのことなので、要するに僕が現地まで回収しに行く必要がある。ところが、ドクター・ウォーカーの研究室はアストリアのはずれにあり、そこまでの通路はほぼ完全に破壊されていた。

 そして検討の結果、船外から小型の連絡艇で回り込んだ方が話が早いということになった。

 ところが連絡艇で回り込むとなると問題もある。位置的に通信が通りにくくエオースにいるリザ本体からの支援を受けづらくなるのだ。もちろん中継器を使うことである程度はカバーできるが、万全とは限らない。

 そのため、操船も調査作業も船内にいる者、つまり・リザと僕で行えなければならない。

 そんなわけで僕が今更ながら手動操船の訓練を強いられているわけである。


「でもどうせ操船するのはリザじゃないか……」

「人間を乗船させるなら最低一人は操船可能な人間である必要があるのです。嫌ならいいですが? やめるのですか?」

「嫌とは言ってないよ……」


 リザも他のロボット達と同様にドクター・ウォーカーの計画には消極的だ。トーマスやアイラと違い特に命令しなくても僕の意向には従ってくれるが、ことあるごとに僕に翻意を促してくる。

 僕はため息一つ落とすと、小走りでリザに追いついた。

 と、その時、突然――

 すてーん!

 ――と、


「……は?」


 あまりに不意打ちだったのでひどく間の抜けた声が出てしまう。

 ちょっと今目の前で起こったことがにわかに信じがたかったので、僕は数回瞬きをしてからあらためて通路を見るが、見えるものは変わらなかった。

 通路の床に、足をもつれさせたリザが前のめりに突っ伏している。


「ど、どうしたのリザ。大丈夫?」

「……大丈夫なのです」


 リザはよろよろと立ち上がると、ふんと胸を張ってみせる。

 が、どこかおかしい。心なしか左足の調子が悪いように見える。足を引きずるというほどではないが、どこかバランスが悪そうだ。


「リザ、左の膝がおかしくない?」

「大丈夫なのです」

「左膝」

「……しつこいのです。ほんのちょっとだけ、メンテナンスが遅れているだけなのです。大したことないのです」


 彼女はそう言い張ると、何事もないかのように再びトコトコと歩き始めた。見た目は完全にバランスを取り戻したように見える。

 だがこれは単なる強がりだ。僕だっていい加減リザとの付き合いも長い。単にバランサーで無理矢理それっぽく誤魔化しているだけだろう。

 ……というか、リザは一体どうやってメンテナンスしているのだ? 考えたこともなかった。

 リザのヒューマノイドボディは小型の量子頭脳を内蔵し現場作業を任せられる貴重な機体だ。

 そしてなにより、いくらリザの本体が船体側にあると言っても、地球からずっと僕らの仲間としてそばにいたのはなのだ。そりゃ心配の一つもするというものである。


「リザ、訓練は後。君の修理が先」

「本当に平気なのです」

「ダメ」

「……本格的なメンテナンスは時間が掛かるのです。今やるなら応急修理だけするのです」


 僕が執拗に言うと、リザは観念したように肩を落として頷いた。こちらの口調から引き下がりそうにないことは察したのだろう。

 第二原則でわざわざ命令する事態というのはお互いなるべく避けたい。

 まあ一旦腹が決まれば切り替えも早いのがロボットの美徳である。リザは通路の奥を指さした。


「じゃあ、こっちなのです」


 リザはてくてくと船の奥に進んでいく。

 かくしてたどり着いたのは意外というか何というか、生身の人間が手動で作業や工作を行う時に使う工作室だった。

 自動化された工業プラントはほとんど何でも魔法のように作り出してくれるがそれなりに大仰な代物であり、手動でやった方が早いということは現代でも存在する。

 僕の師でもあるベイカー船長は何かと手作り派であり、その薫陶を受けて育った僕もその影響を多分に受けている。

 まあ『手作り』と言っても、プラントでポンと完成品を作るわけではないというだけで、結局半自動の工作機械は駆使するわけではあるが。

 とにかくそういう意味では、この工作室は僕にとっても割と慣れ親しんだ部屋ではあった。


「リザもこの部屋使うことあるんだね」

「使わない理由もないのです」


 そう言いながらリザは工作室に置かれた作業台に自ら上り、ぺたんと座った。

 と、それと時を同じくして、どこからともなくやってきた小型のローバーが僕の足下で立ち止まった。頭の上に何やら樹脂製の箱を乗せている。


「すみません、ライルさん。それ取って欲しいのです」

「ほい」


 僕はローバーから箱を受け取ると作業台に置いた。

 箱の中身はいくつかの機械部品と工具だ。

 このいびつな球状の金属部品は関節部分だろうか。他にも細かい部品がたくさん。あとは僕も補修用などによく使う合成樹脂のカートリッジらしきものがいくつか。

 そして小型のレーザーナイフ。先端から射程の短いレーザーを照射し、素材を焼き切るための工具だ。まあサイズがサイズなので耐熱セラミックなどを溶断するには力不足なものの、樹脂やある程度の金属くらいまでならバターのように切れる。

 そこまで確認して、僕はナイフを手に取り首を傾げる。


「レーザーナイフ? 何に使うの?」

「修理箇所を切開するのに使うのですが?」


 さも当然のように言われた。どうやらリザはこのレーザーナイフを手術メス代わりに使うつもりらしい。

 だがこのナイフは手で握って使うタイプのものだ。リザはこのご時世に自分の手でナイフを握って手術をするつもりなのか?

 ……手で手術……?

 そりゃあ非常用の応急手当くらいは現代でも行われるが、手に持ったナイフで切開して文字通りの手作業で手術だって?

 原始人の所業じゃあるまいし。

 ちなみに、リザの腕はパワーこそ全くの人外であるが、精度という意味では人間と大差ない。むしろどちらかというと若干不器用な方ですらある。


「なんで医療ポッドを使わないの。もしくは工作用の精密マニピュレーターとか」

「医療ポッドなんて一度使ったら洗浄するのにどれだけ手間が掛かると思っているのですか。精密マニピュレーターだって使ったら再調整が必要になるのです。私の膝はどうせズボンをはけば見えない場所なので、多少雑でも問題無いのです」

「ダメ。マニピュレーター起動するよ」


 僕は即決でリザの意見を却下すると、自分の手首の端末から工作室据え付けの精密マニピュレーターに起動命令を出した。

 命令に従い、壁に収納されていた金属製のアームが四本、わさわさと動き出す。


「結局後で調整する羽目になるのは私なのです……」


 リザが不満げに言うが、抵抗しようというつもりはないようだ。

 観念したように無造作に服を脱ぎ始める。

 脱ぐといってもパンツ一枚になるというわけではなく、作業着の下には黒い半袖のシャツと太ももまでのスパッツを着込んでいるので、安心である。

 ……念のため言っておくが、僕には幼女のヌードを見て興奮する趣味はないので別に残念でもなんでもない。念のため言っておく。本当だ。

 いや、そこではない、僕の目を引いたのはそこではなかった。


「膝が変色してるじゃないか。外から見えなくて気付かなかったけど、これは酷いな」

「摩擦熱で樹脂が焼けちゃったみたいなのです」


 大したことではないとでも言いたげなリザの口調であるが、一目見て症状はかなり悪いと分かる。

 リザが自分で精密マニピュレーターを操作して皮膚を切開し、慎重に膝の金属骨格を露出させる。もちろん血の臭いがしたりはしなかったが、その代わりに樹脂がレーザーで焦げる臭いが鼻をついた。

 思っていた以上にリザの膝関節は損傷している。関節部は大きく歪み、部品のいくつかはほとんど潰れてしまっている。関節部を保護していたはずのゲルも内部で漏れ出していたようだ。

 彼女のこのボディは頻繁に管理区域外の調査に出ている。僕が同行している時はかなり慎重に行動しているが、リザ一人でローバーを率いて出向いている時はそれなりの無理もしていることは知っていた。

 だがどうやら、それなりどころではなく、かなり無理をしていたようだ。

 しかもこの手の修理は今回が初めてではないようで、改めて見てみれば左の足首や右膝にもやや雑なでこぼこの修理痕がある。


「リザ、これまで注意してこなかった僕も悪いんだけどさ。女の子なんだからもうちょっと身体は大事にしないと」

「女の子、ですか」


 淡々と自分の膝から破損した部品を取り出しつつ、リザは僕の言葉を呟くように反芻する。

 それからお互い無言のまま、かちゃり、かちゃり、と精密マニピュレーターがリザの膝関節を分解する音だけが響く。

 しばらくして、リザが小さく首を傾げながら僕に訊ねた。


「ライルさん。私は、女の子なのですか?」


 いきなり妙な質問をされた。

 問題はそこなのか。


「……実は男の子でしたって今更言われても困るんだけど」

「いえ、そうではなく、私はロボットなのです」

「ロボットの女の子だよね」


 一体リザはどうしたのだろう。

 彼女はこう見えて割と典型的な思考パターンを持つロボットだ。

 つまり、人間に忠実で、三原則については頑固、それ以外は論理的。少なくとも僕はそう認識している。

 このようなとりとめのない会話は彼女らしくない。


「あのガラクタどもはどうして人間になるのが嫌なのでしょうか」


 リザが再び首を傾げる。

 僕からするとまた突然話が飛んだ気がしたが、リザとしては話が繋がっているのだろう。

 ガラクタどもとはシミュラント達のことに違いないが、リザはニューロチップ解除に反対だと思っていたので意外だ。


「リザはシミュラントを人間にするのには反対だと思ってたよ」

「軽率にやるのは反対なのです。でもライルさんには人間がそばにいた方がいいことも理解はしているのです。でもそれは、信頼できる人間の仲間であればの話なのです」


 太陽系を出発してから、いや出発する前の訓練段階から、ずっと僕らと一緒にいたのがリザだ。人間のことを、人間と同じくらい、もしくはそれ以上に知っている。

 リザは人間が孤独に弱いことを知っているのだ。

 それでもなお煮え切らないのは、リザにとってシミュラント達がいまいち信頼できていないせいだろう。


「っていうか、あれだよね。リザが人間になれたら話が早かったのにね」

「……私が人間になったらこの船が動かなくなるのです」

「そりゃそうだけどさ。じゃあミッションが全部終わって船が必要なくなったら、とか」

「……あいつらと違って私は人間にはなれないのです」


 冗談で言ったつもりだったがえらく真面目に取られてしまった。

 実はリザは人間になりたかったのだろうか?

 どうもリザの様子がおかしいのは、レイシー達が人間になれるのだと聞いて羨ましくなった?

 いやそんなまさか。

 しかし、これは仮にの話ではあるが、もしもリザが、レイシーやシャーロットのような立場に置かれていたら、どうしていただろう?

 彼女は人間として僕と共に歩むことを選んでいただろうか。僕と一緒に笑ったり泣いたり喜んだり悲しんだりする道を選んでいただろうか。

 リザの作り物の瞳からは感情は窺えない。

 もしも、仮に、リザが人間になることを望んだとしても、どれだけ望んだとしても、人間になれることはない。

 彼女は身体も頭脳も完全な作り物の機械であり、人間とは全く異なる仕組みで動いている。彼女の量子頭脳は三原則と完全に一体化している。


 そこに、ピノッキオを人間にするような魔法は、ない。


 僕がそんなことに思いをはせている間、リザは粛々と自分自身の修理を進めている。

 かちり、と新しい膝関節をはめ込んだ音が部屋に響いた。

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