互換性

 トマトは宇宙時代以前から人間に重用されてきた素材だ。


 生食だけでなく料理にも多用されるので人工的なトマトフレーバーというのも多く考案されている。

 グルタミン酸、アスパラギン酸、クエン酸、あたりは基本として、そこからどれだけ凝っていくか、という感じだ。

 あくまで生のトマトではなく最初からトマトソースを再現することに主眼を置く方向で、様々な規格の食料プラントに合わせてコスト重視のものから再現性重視のものまで無数のレシピが考案されている。


 そういう意味では今日のボロネーゼソース――いわゆるミートソース――は、普段使いに最適と銘打って比較的低コストに抑えたレシピという割には、まずまずの再現度と言えた。イミテーション挽肉の食感も良くできている。

 麺類の再現技術に関しては実に枯れており、太さや固さや形とフレーバーを決めれば、大体任意のそれっぽいパスタが出力される。スパゲティもマカロニもニョッキもラザニアも自由自在である。

 トッピングのチーズの出来はあまり本格的とは言えず、雰囲気くらいは楽しめると言ったところか。

 というわけで、珍しくトーマスと二人という形になった今日の夕食、スパゲッティ・ボロネーゼは十分及第点以上の出来だったと言って良いだろう。

 ……客に出すものだというのに、わざわざ低コストと書かれたレシピを出してきたリザには、含みを感じずにはいられなかったが。


 どうあれ、トーマスは不満を言うでもなく、出されたスパゲティを綺麗に平らげてはいた。まあ僕としても味に大きな不満はない程度の出来だった。


「ふむ……これも興味深いものでございました。アストリアにはない食べ物です」

「気に入って貰えたなら良かったです」


 トーマスに軽く船内を案内して、今ちょうど夕食を済ませたわけだが、これまでレイシーやシャーロットの反応を見てきたせいだろうか、微妙に反応が薄いように感じられた。

 流石に、別に飛び上がって感動することを期待していたわけでもないのだが、少々拍子抜けではある。

 船内を見せていた時もそうだ。シミュラント達に取っては珍しいものであろうということで、気になったものがあればスケッチでもなんでもどうぞと勧めたのだが、丁重に遠慮された。

 彼の絵画熱の加減がどこにあるのか、よくわからない。


「どうですか、トーマスさん。エオースには何か興味深いものはありましたか?」

「全てが目新しいものでございますから、何から見ていいものやら」


 案内している間はそっけない反応だったと思ったが、意外と彼なりに感動していたのだろうか?

 エオースの乗員はみんな自分の思ったことを前面に出すタイプばかりだったし、シャーロットもそうだ。レイシーは感情を押し殺すタイプだが彼女は何かを隠していたら隠していること自体は丸わかりである。

 それと比べるとトーマスは何を考えているのか全く分からず、僕にとってはいささか扱いづらい相手だ。

 トーマスは苦笑しつつ少し考えるような仕草で食堂を見回すと、続けた。


「そういえば、この部屋……」

「ん、部屋ですか?」


 この食堂は典型的なコンテナタイプの部屋で、ここ数百年来の地球製宇宙船では標準規格となっているものである。

 部屋そのものが一つのモジュールとなっており、サイズだけでなく、電力、通信、空調、などの接続も全て規格化されており高度な互換性を有している。

 珍しいものではないはずだし、それこそアストリアでも見慣れたものであるはずだ。

 僕が首を傾げているとトーマスが頷いた。


「ええ、サイズが一回り大きいですが、もしや私のアトリエと同じ部屋なのではないか、と」

「ああ、なるほど。そういうことですか」


 逆だった。

 彼はエオースがアストリアと同じであるところに興味を持っていたらしい。


「コンテナモジュールなんて、もう何百年も前から同じものですからね。この部屋だってそのまま取り外してアストリアにくっつけようと思えばできますから」

「ははぁ、便利なものですね」

「ああ、そうそう。もしトーマスさんがエオースに移られるのなら、あのアトリエだって丸ごとこちらに持ち込めますよ」

「ほう。そういえばアイラを持ち込むことも可能だとか?」


 さっきの会合で軽く言っただけのことでもよく覚えているものだ。


「可能ですよ。船舶用の量子頭脳システムも一つのモジュールになっていますからね。トイレやシャワールームから、発電機、食料プラント、工業プラント、廃棄物処理プラント、各種タンク……」


 指折り数えていく。


「……それから量子頭脳システム。他にも色々ありますけど、サイズも大きいものから小さいものまで標準規格ですから。ああ、そうだ」


 僕はポンと手を打つ。


「アイラといえば、アイラがこちらに来るなら彼女にもヒューマノイドボディを用意しましょうか。すぐにとは行きませんが、旅は長いですからね。工業プラントの空き時間を見繕えば余裕ですよ」


 リザのヒューマノイドボディはまとめて細かい不具合も修理しておくように命じて工作室に置いてきたのだが、彼女のパーツ類だって当然不滅ではなく、数年から数十年のスパンで交換が発生している。

 太陽系を出発した時から見れば、内蔵されたリトル・リザの量子頭脳以外は全てのパーツが何らかの形で総取り替えされているとも言って良い。

 言い換えるならば、リザのボディは今やエオースのプラントによって新規に作り直されたものだけでできているのだ。

 つまり、量子頭脳を内蔵せず遠隔操作専用として作るなら、アイラのボディを一式新しく作ることも別段難しいことではない。

 トーマスは僕の名案に感心したように頷く。


「ははぁ、エオースの工業プラントは随分と高性能なようですね」

「元々あったアストリアの工業プラントはずっと大規模なものだったそうですよ。正直残念です。そちらが使えれば何かと捗ったんですけど」


 アストリア側は食料プラントも工業プラントも大多数が失われており、使用可能なものは少ない。食料プラントはあのいかがわしいレーションを作るのがやっとだし、工業プラントはアストリア自身の維持すらおぼつかない有様だ。

 あちらの大規模な工業プラントが健在ならエオースの修理だって今よりずっとハイペースだったに違いない。

 続けてトーマスが訊ねてくる。


「食料プラントにも互換があるということは、我々の食料プラントをこちらに持ち込んだり、こちらの食料プラントをあちらに移したり、ということも可能なのでしょうか?」

「はい。可能でしょう。ああ、なるほど、大丈夫ですよ。無理に食料プラントごと持ち込まなくても、エオースの食料プラントで例のレーションだって作れます。故郷の味が恋しくなったらいつでも言って下さい」


 なるほど、考えてみればそりゃあそうだ。

 僕にとっては思い出したくもないあのレーションも、トーマスにとっては大切な故郷の味なのだ。

 幸い、エオースの食料プラントはアストリアで現在使われているレシピがほぼ完全な上位互換で使用できる。せっかくの高性能プラントでわざわざあんな不味いものを作るのもどうかとは思うが、そこはそれ。食事というのは重要なレクリエーションであり、それは単に味が良ければ良いといういうものではないのだ。

 相伴は御免被るが、彼らのために特別メニューを用立てるのにはやぶさかではないし、その配慮は必要だろう。

 僕の言葉に、トーマスは深く納得したように何度も頷く。


「なる……ほど……それも可能と……」

「何か他にありますか? エオースについて不安や疑問があるなら何でも言って下さい。今リザにはモニタリングさせていませんから、リザに聞かせづらいことでも大丈夫ですよ」


 この際、トーマスの不安点はまとめて解消しておきたい。彼が納得し自主的に協力してくれるようになれば、状況は大きく改善しうるだろう。

 リザの目を気にして言いづらいようなことがあるなら、僕の方から便宜を図ってやってもいいのだ。

 僕の質問に、トーマスはトントンと自らの額を指先で叩きつつ考え込む。


「……生活水準については、ライル様のおっしゃるとおり、エオースは申し分ないと存じます。我々全員を養って余りある船であることも理解いたしました。ですが、ライル様。どうしてもミッションは続けなければならないものなのでしょうか? このままエオースをアストリアに接続しておくという手もあるのではないでしょうか?」

「トーマスさん、何か他に思うところがあるんでしょうか? というか……あるんですよね?」


 どうもトーマスはまだ何か隠している。だいたい初めて会った時から何か含みがあったのだ。

 今のミッションはトーマスの本音を聞き出すことだ。そのためにリザまで追い出したのだから。

 僕はほとんど睨み付けるような勢いでトーマスを見据える。

 トーマスは僕の視線を一歩も引かずに正面から受け止め、それからしばらくして何やら覚悟を決めた様子で嘆息した。


「このようなことを申し上げれば、気が触れたとでも思われるかもしれませんが……」

「聞きます。話して貰えますか?」

「……ええ」


 彼が頷き、テーブルの上に置いたのは、一冊の本だった。

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