第二原則は第三原則に優先されるので

 ゲストハウスの一角に用意された客用の寝室はあまり大きな部屋ではなかったが、かなり大きめのベッドと小さなテーブルが置かれており、壁にはクローゼットが据え付けられている。一応僕の荷物は輸送用のローバーで運び込まれているが、元々大した量がある方でもない。

 これからは唯一の人間である僕が船長代理として、様々なものを取り仕切ったり地球への報告書を作ったりしなければならない。

 しかもエオースの船長代理であるだけでなくアストリアの臨時船長でもある。当面はこの部屋が僕の執務室も兼ねるわけだ。装飾性が全く無いので実に殺風景な部屋ではあるが、まあ仕方ないし僕もそういうことを気にする方ではない。


 そして、僕の目の前には今シミュラントの少女シャーロットがひどく緊張した面持ちで立っている。


「あ、あの、あたし、一体……?」


 与えられた部屋を整理した僕は、まず最初にシャーロットを呼びつけた。

 リザにもアイラにも部屋のモニタリングを禁じたため、今この部屋は本当に僕と彼女の二人っきりだ。

 ついさっきまで快活な笑顔で話していた彼女は、部屋に入ってから一分ほどで僅かな恐怖すらにじませながら、困惑の表情で落ち着きなく視線を動かしていた。

 まるで教師に叱られそうになっている子供のようだ。


「あまり怖がらなくていいよ。一人ずつ話を聞こうと思ってね。あ、そこ座って」

「は、はい……」


 僕はシャーロットを座らせるとテーブルに小さく切られたアップルパイを置いた。先ほどリザにエオースから持ってこさせたもので、保温ケースから出したばかりなのでまだ暖かい。

 アップルパイと言ってももちろんエオースの船内に小麦畑があったりリンゴの木が生えたりしているわけではない。全て遺伝子組み換えされた酵母や藍藻などから作られたイミテーションだ。

 歯触りや口当たりは本物っぽいが繊細な匂いと味が再現しきれておらず、リンゴだかレモンだかオレンジだか分からない微妙に怪しい味がする。シナモンの風味だけは妙に再現度が高くそれがかえって白々しさを増していたりもする。それでもエオースの食料プラントで作れるおやつとしては人気だったものの一つだ。

 ここアストリアにはアップルパイはあるのだろうか。シャーロットが目の前のパイを興味津々で眺め始めたあたり、彼女達にとって珍しい食べ物だと良いのだが。


 次いで僕は純水の入ったボトルを軽く振って側面のボタンを押した。

 すると瞬く間にボトルの水が沸騰し、シューという小さな音と共にうっすらととした湯気が噴き出す。

 僕は怪しげな白い粉をティーカップに入れると、そこに湯を注いだ。たちまち紅茶っぽい匂いが漂ってくる。紅茶っぽいというか僕らとしてはこれが紅茶ということになっている。本当のところ何からできているのかは知らないし知ろうとも思わない。


 シャーロットはパイから視線を外し、不思議そうに僕の方を見つめてきた。


「これは何?」

「地球の食べ物だよ。口に合うかは分からないけど。暖かいうちに食べて」

「それは命令?」


 彼女は小さく首を傾げた。小動物のような仕草だが彼女の目は真剣だ。

 なるほど、僕の言葉がロボット工学の第二原則による命令なのかどうかは、彼女にとって非常に重要だ。僕が美味しそうに食べろと命令すれば、第一原則への抵触つまり僕への危害がない限り、彼女は命令に従ってどんないかがわしい物でもさも美味しそうに食べなければならない。

 たとえそれが彼女にとって致死的なことであっても、第三原則による彼女自身の保護よりも第二原則による僕の命令が優先されるのだ。


「命令じゃないよ。口に合わなければ食べなくてもいい。っていうかあまり無理はしないで。君が地球の食べ物に対してどんな反応をするのか、地球の食べ物を食べても大丈夫なのか、そういうのが知りたい」

「うん、分かったわ」


 彼女は恐る恐るパイのひとかけらをフォークで突き刺し、数秒それをじっと見つめた後、思い切ったように口に入れた。

 可愛らしい唇がもぐもぐと小さく動くのが見える。

 その表情は真剣そのもので一口目を咀嚼し続けている。

 僕がパイを食べるシャーロットの様子を観察していると、ようやく彼女がごくりと口の中のものを喉に飲み込み、そして不意にこちらに視線をよこしてきた。

 その何か言いたげな表情に僕は訊ねる。


「口に合わなかった?」

「……」


 彼女は少しだけぽかんとして、続けて僕に向かって数回ぱちぱちを瞬きしたあと、ぶんぶんと慌てて首を横に振る。


「……びっくりした。すごく美味しいわ。こんな素敵なものを食べたのは初めてかも。これが地球の食べ物?」

「イミテーションだけどね。気に入ってくれて良かった。全部食べていいよ」


 その言葉にシャーロットは小さく頷き、パイの二口目を大事そうに口に運ぶ。

 僕がそっとティーカップを差し出すと、彼女は無言で紅茶もどきを口に含み、そして再び目を丸くした。


 どうやら、地球の食べ物の第一印象はまずまず上首尾のようだ。

 あの何というか微妙としか言いようのない夕食は人間とシミュラントの種族的な味覚の差異によるものではなく、単に彼女達の食生活が貧困であることに起因するのだろう、と暫定的に判断しておく。アストリアの食料プラントには何か問題があるのかもしれない。


 夕食の時もそうだったのだが、このシミュラントの少女はものを食べる時に本当に幸せそうな顔をする。

 彼女が普通のロボットであれば、それは間違いなく僕の気分を害さないための演技と考えて良かっただろう。だが、彼女が本当に人間と同等の水準と言えるだけの感情を有しているのではないかと、僕は今や真面目に信じ始めていた。

 リザも良くできたロボットではあったが彼女とは明らかに何か違うのだ。少なくとも普通のロボットは食事を自らの娯楽として楽しむようなことはしない。


 僕はシャーロットと向き合うように座り、テーブルに頬杖を付いてそれを見ている。

 可愛い女の子が美味しそうにものを食べているというのは、見ていて気分が良かった。相手が得体の知れない人間型の何かであったとしても、だ。

 そんな風にシャーロットがパイを食べるのを眺めていると、半分ほど食べたところで彼女は突然手を止めた。

 パイをじっと見つめて何か考えたあと、彼女はそっとフォークを置く。


「どうしたの? 何か問題があった? それとも量が多かった?」

「ううん、とっても美味しいし、本当はもっと欲しいんだけど、えっと、その……」


 僕の問いに対してシャーロットは何か迷うように言いよどんでいる。何か言ってしまうと僕の気分を害しそうな問題でもあったのだろうか。

 彼女はどうも人間臭いところとロボット的なところとで、奇妙な二面性がある。それがいけないというわけではないが、今はあまり僕の顔色ばかり窺われるのも考え物だ。

 僕は小さくため息をつくと一つ命令しておくことにする。


「じゃあ、第二原則によって命令します。君は今からこの部屋を出るまで、思ったことは包み隠さず僕に話して下さい。で、どうかした?」

「うっ……」


 その命令に、シャーロットは少し眉を寄せて呻いた。

 厳密に言えば第一原則に従って僕を『傷つける』と考えた場合には第二法則による命令に優越する。そのためロボット達は実際には人間の命令を無視する可能性はあるし、実のところ第一原則に抵触するので命令には従えないなどと言ってくることも珍しくない。

 だが、今回の場合は効果があったようだ。

 彼女は観念するように口を開く。


「……レイシーがね、よく地球のことを話すの。地球はとっても綺麗なところで、食べ物は美味しくて、素晴らしい音楽や文学があって、沢山の人間がいて、沢山のロボットが人間に仕えている、素敵な場所なんだって。地球なんて行ったことも見たこともないのにそう言うのよ。これ、あの子もすっごく食べたいと思う。だからね、分けてあげちゃ駄目かなって……」


 シャーロットは目の前のパイを名残惜しそうに見ながら答えた。

 どうやら彼女にはレイシーに対して仲間意識があるらしい。このことに僕は再度驚かされた。そして氷のように無表情に見えるあの少女型のロボットであるレイシーも、仲間の前では打ち解けておしゃべりしたりするのだということも。

 ロボットは通常このような仲間意識は持たない。彼女達にとって他のロボットはあくまで人間を守り命令を遂行するための要素の一つに過ぎないはずだ。任務に必要な物資などを融通することはあっても、このような娯楽を分かち合うようなことはない。

 だいたい本来ならロボットは自分個人のための娯楽というものを持たないのだから。


「いいよ、全部食べて。これは君の分なんだ。レイシーの分は別で用意させるよ」

「……本当? 良かった、本当はこっそり独り占めするかどうかとっても迷ったの。あの子こういう時って泣いたり怒ったりはしないんだけど、すっごく恨めしそうな顔するんだもの。レイシーがずっとライルのことを素敵な人だって言い張ってたのも、ちょっとだけ信じてもいいかなって気がしてきたわ。ああでも、どうしよう、もう残り半分しかないじゃない。こんな素敵なものが食べられるのなんて最初で最後かもしれないのに」


 シャーロットはもの凄い勢いで内心をぶちまけ続ける。どうも歯止めが利かなくなっているようだ。

 なんだろう、ちょっと面白いことになっているような気がする……

 僕に『思ったことを包み隠さず話せ』と命じられたシャーロットは、先ほどからなすすべなく考えたことを何もかもを言葉にして垂れ流している。これはなんというか、なかなかに酷い有様かもしれない。僕のことを素敵な云々というはとりあえず横に置くとしてだ。

 それはそれとして、彼女がパイを見つめながら悲しそうな顔をし始めたので、僕は軽くフォローしておくことにした。


「エオースの食料プラントには余裕があるし、気に入ったのならまたご馳走するよ」

「……いいの? どうしよう、ちょっとほんとに素敵な人に思えてきちゃった。でもでも、駄目よあたし。地球人はチョロい女はすぐ飽きるって聞いたわ。食べ物で簡単に釣れるなんて思われるのも絶対駄目。あたしは人間に気に入られて、あわよくばここにずっといて貰うっていう重大な使命のために作られたんだもん」

「気に入られる?」


 僕が横から差し込んだ疑問の声も彼女には届いていないようだ。


「うーん、男の子を誘惑するのってどうするんだろ。恋愛とかよく分かんないけど、地球では二人で苦難を乗り越えながら少しずつ進むものって聞いたわ。うん多分そんな感じよね。彼がここを調査するっていうなら苦難なんて掃いて捨てるほどあるんだもん。ここは慎重に行くのよあたし。で、でもどうしよう、そういえば今って彼の部屋で二人っきりなんだった。いきなり最終局面じゃない、気が早すぎじゃない? 男の子ってそういうものなのかな。あたしそういうのってやり方よく知らないし、きちんと調べておけば良かったわ。彼任せでもいいのかな、乱暴なのとか痛いのとかはやだし、できれば優しくってあああああああっ! 待って、なにこれ、やだ、ちょっと、お願い、止めて、忘れて――」

「……さっきの命令は取り消しで。とりあえずそれ食べてからでいいから」


 あの命令は危険かもしれない。少女の尊厳的な意味で。


「いっそ殺して……」


 本当に今にも死にそうな声で呻く少女の声に、なるべく第二原則の濫用は控えた方がよさそうだなと僕は反省した。

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