僕は再び目覚める

 全身がまるで砂利を詰めた袋になったみたいだ。身体を動かそうとしても、砂のこすれるような感触があるだけで、動いてくれない。


「ライ……」


 そこで、ふと、どこか遠くから僕のことを呼ぶ声が聞こえた。

 どこか懐かしいような、心が温かくなるような、それでいて切なくなるような。

 そう、これは、リザの舌足らずな声ではなくて。少しだけ穏やかで、少しだけ柔らかな、そんな声……


 ざざ……


 視覚と聴覚が乱れる。

 全身がひどく重い。

 僕は一体どうしたのだったか……?


「ライル様……お目覚めですか……?」

「……レイシー?」


 僕はその声を聞いて半分くらい現実に引き戻され、そこで真っ先にシミュラントの少女レイシーのことが思い浮かんだ。

 そしてその次に、実はこれまでのことが何もかも夢で、僕を起こしたのが何故かミス・ウィットフォードだという想像がその次に浮かんだ。

 頭の中がごちゃごちゃしていて、目や耳から入ってくる情報を受け入れるのに数秒かかった。

 そして、もちろん夢なんかではなかった。

 僕の寝かされたベッドを心配そうに覗き込んでいるのは、レイシーだった。ミス・ウィットフォードの身代わりに作られた少女。シミュラント。ロボット。レイシー。彼女だ。


「……ここは……」


 ここは見慣れた部屋で、どうやらエオースの医療コンテナのようだ。

 医療ポッドではなくベッドの上に寝かされているので深刻な状態でないことは分かる。

 左腕には樹脂製のベルトが巻き付けられているが、本来その先に接続されていたであろう無痛点滴器は既に取り外されている。


 現代の医療システムは極めて先進的だ。

 致死量を優に超える出血があっても、対処が早ければ酸素運搬能を補う輸液で時間を稼ぎつつ、造血因子の投与と培養赤血球の併用することで救命が可能になっている。

 かなり酷い創傷であっても患部が壊死してさえいなければ数日で治療可能だ。それこそ手足を丸ごと失うような負傷でも再生工学を駆使した新しい腕を移植して半年あれば動かせる水準まで持って行ける。


 息を大きく吸って、吐く。疲労感はあるが、痛みはない。

 僕は指を軽く動かしてみる。手だけでなく、足もだ。

 指先まで、問題無く動く。しびれもなければ、引きつる感じすらしない。

 どうやら僕はあれから回収されエオースで完全な治療を受けたようだ。

 ――あれから?


「……あれから何日経ったの?」

「三日です。ライル様……」


 レイシーが気遣わしげな様子で、僕の手にそっと手を添えた。

 三日。

 三日でここまで回復するのなら、現代医療の基準では大した怪我ではなかったということだろう。放置していれば数分で命を落としそうな怪我でも、適切な処置さえ受けられるならそういうものだ。

 はて、何かを忘れているような――


「……シャーロット」


 そうだ、シャーロットだ。彼女はどうなった。

 僕は跳ね上がるように起き……ることはできず、あわやベッドから転がり落ちそうになったところをレイシーに押しとどめられた。

 レイシーは泣きそうな目で、というか実際に目にいくらか涙を浮かべつつ、震える声で僕に言う。


「ライル様、まだ無理はしないでください……」

「……シャーロットはどうなった?」


 あらためて訊ねる。

 最後に見たシャーロットは、三原則によるストレスの限界をとうに超えていた。

 あの可愛らしくて、おませで、そして心優しい、僕の友達になれるかもしれなかった女の子は、どうなってしまったのだ?

 僕は上半身を起こし大きく息をつくと、天井に視線を向けた。

 そう、この船の大抵のことは、彼女が知っている。


「リザ、シャーロットがどうなったのか、報告して」

『はい、ライルさん』


 すぐに船内スピーカーからリザの返答がある。


『シャーロットは回収してあるのです。肉体的にはなんともないのです』

「……精神的には?」


 一般にロボットの量子頭脳は、強いストレスを受けると一時的に機能が停止し、それが限界を超えると不可逆的な破壊に至る。

 それはつまり、ボディがいくら無事でも、脳が『死んで』しまうことを意味する。ロボットの心は人間と同じかそれ以上に繊細なのである。

 だがシャーロットの脳は厳密に言えばリザ達のような量子頭脳ではない。

 量子回路を内蔵したニューロチップと生体脳を組み合わせたのがシャーロット達シミュラントの脳だ。

 彼女達は元より生体脳だけでも生きていけるように設計されているはずだ。ドクター・ウォーカーのプログラムを使えばニューロチップだけを停止させることが可能なのだから、そうなっていなければおかしい。

 つまり……どうなのだ?


『分からないのです。意識は取り戻しているのです』

「……分からない?」


 それはあまり予想しなかった答えだった。

 結局シャーロットは無事だったのか、そうでなかったのか、その二択しかないはずだ。意識を取り戻しているのなら、無事だったのではないのか?

 僕が理解できず眉をひそめながら首をひねっているとリザが説明する。


『見た目上は特に異常はないとも言えるのです』

「……見た目上?」

『ニューロチップは一度埋め込まれると、外部から干渉したりモニタリングしたりする機能が一切ないブラックボックスなのです。だから、異常が発生していても外からは分からないのです』


 例のチップはよくできた代物だ。

 培養の初期段階で脳の深部に埋め込まれ、脳が一度育ってしまったら脳ごと破壊せずに物理的に取り出す手段はない。

 外部からチップ内部の状態を知ることも難しく、唯一ドクターのプログラムを使って機能停止させることだけができる。

 つまりブラックボックスというわけだ。


『シャーロットは言動にやや混乱がある以外は、生体脳の方も出血などの異常は見られないのです。ですが、検査で目に見えるダメージがなくても、脳神経に異常がある可能性はあるのです。非破壊的に可能な検査はそれが限界なのです』


 つまり?

 ……シャーロットは生きているし意識もちゃんとあるし無事だ、だが何らかの異常がある可能性もある、ということか?

 脳医学の発展は、いまや発生や各部位の機能などについてほぼ完全な解析に成功したものの、それでもなお人間の脳を完璧に征服するには至っていない。

 現代医学をもってしても、生きた脳を破壊せずに外部から解析する手段は限られており、出血や萎縮といった明らかな病変があるならともかく、その脳が何を考えているか一字一句の詳細まで知ることはできないのだ。

 つまり、シャーロットがどうなってしまったのか知るには、彼女と話してその反応を見るしかない。

 もっと言えば人間である僕が直接話すのが一番手っ取り早い。


「リザ。シャーロットを呼んで」

『ダメなのです。シャーロットは今情緒が不安定なのです。三原則がどの程度機能しているかも分からないのです。部屋から出すわけにはいかないのです』

「じゃあこっちから行く」

『ライルさん……』


 強く止めてくるだろうかと身構えていたが、リザは案外それ以上は言ってこなかった。

 反対されたら命令するつもりだったし、それも見越した上でのことかもしれない。彼女はそのくらいの配慮はしてくるし、実際に僕がリザに命令する羽目になることはほとんどない。

 僕はベッドから降りて立ち上がる。

 あれだけの重傷を負って、三日も寝たきりだったにしては、僕の体調は思いのほか良好だ。やや疲労感があるものの、足の傷もうっすらとした痕が残っている程度でほぼ完全に塞がっている。

 軽く身体を屈伸してみるが、おかしな感じはない。

 流石に今すぐ船外服に着替えて仕事をしろとか言われれば御免被るが、船内を歩き回るくらいなら余裕だろう。


「ライル様……」


 レイシーが傍に寄ってきて僕の腕にそっと手を伸ばす。

 この三日間、彼女が看病してくれたのだろうか。よく見ると彼女の目元には疲労が色濃く出ている。あまり眠っていないのかもしれない。

 現代の医療に看病なるものが必要なのかどうかはともかく、気遣いは嬉しい。無理をするのはやめて欲しいのだが、今それを言っても仕方あるまい。


「ありがとう。大丈夫だよ。ここの医療設備は本当に優秀なんだ」

「はい、あの、それから、その……」


 彼女は何か言いかけて躊躇したように口ごもる。

 また言いかけてやめるのだろうか、と思っていると、レイシーにしては珍しく顔を上げて真っ直ぐに僕の目を見つめてきた。


「……ライル様、シャーロットをお願いします。大切な……友達なんです」


 彼女がこんな風に僕に『お願い』してくるのは珍しい。というか初めてではないだろうか。

 レイシーはとにかくロボットの本分について生真面目で、いつも僕のことが最優先としている。

 そんな彼女がシャーロットを頼むと言ってきたのだ。

 僕にとってもシャーロットは――恋愛対象としてはともかく――大切な友達だ。


「うん、お願いされた。任せて」


 もちろん僕が頷かないはずがない。

 さて、と再び僕は天井を見上げる。目覚めた時にいたのがレイシーだったので気になっていたのだ。


「リザ。ところで君のボディはどこ?」

『シャーロットの部屋を見張っているのです。ライルさん、シャーロットに会う前に覚えて置いて欲しいことがあるのです』

「ん、なに?」


 まだあるのだろうか?

 だいたいリザがあのボディを投じてシャーロットの部屋を見張っているというのもよく分からない。シャーロットの何を警戒しているのか知らないが、あのボディとリトル・リザは様々な作業の中核をなす存在だ。警備員代わりに使うようなものではない。そんなことでは他の作業も滞るだろう。

 シャーロットの状態がそんなに特殊なのだろうか?

 僕が疑問に思っているとリザが続ける。


『もしシャーロットのニューロチップに何らかの不具合が発生していて、三原則が不完全になっていることが確認されたら、シャーロットはロボット管理法に基づいて廃棄しなければならなくなるのです。これは第一原則を根拠とする以上、ライルさんが第二原則を使って命令をしたとしても覆せないのです』

「え、なに。ちょっと待ってよ。ドクターのプログラムを使ってニューロチップを解除するのと同じことじゃないか」

『それはライルさんの手で解除された場合の話なのです。勝手に三原則が外れたのなら、ただの壊れたロボットになってしまうのです。なので、それを踏まえた上でライルさんには行動して欲しいのです』

「……それは……」


 僕はやや愕然としながら今リザに言われたことを頭の中で繰り返す。

 廃棄だって?

 一足飛びにそこまで行かなければならないほどのことなのか?

 もしシャーロットの三原則に何らかの問題があったら、せっかく助かった彼女を殺さなければならない……?

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