聞いてよサボテンちゃん
エオースにはレイシーやシャーロットのために個室が用意されている。
だが、レイシーの部屋は実に地味だった。インテリアが欲しければ自由にして良いと言われても、彼女は必要最低限のものしか置こうとしない。
唯一の例外は彼女が宝物のように大事にしている小さな鉢植えのサボテンだけだ。
そして、飾り気のないその部屋の壁面には、今は非常に古い地球の映像作品が大写しになっている。
アニメーション作品と言われるジャンルのものだ。
しかし、現代で使われるようなコンピュータで自動生成された映像ではなく、人間が手で描いた大量の絵を連続して映し出すという極めて多大な労力を注いで作られた作品である。
レイシーはテーブルの前の椅子にお行儀よく座って、画面を食い入るように見つめている。
周囲や背後に気を配っている様子は全くない。彼女の目はただ正面だけに向かっている。
「がんばって……」
レイシーが小さく呟いた。彼女の二つの手が胸元でぎゅっと握りしめられた。
画面上では主人公の少年が追い詰められている。少年と対峙しているのは漆黒のマントをまとった長身の男で、どう見ても主人公よりも強そうに見える。あと敵の方がかっこいい。
と、その時――
「ああっ、そんな!」
レイシーが声を殺したまま小さな悲鳴を上げた。
今まさに主人公がとどめを刺されようというところで、一人の少女が横から割り込み、彼を庇ったのだ。ぱっと画面の中で血しぶきが舞い、そして画面が暗転する。
そのまま音もなく数秒が経過する。
すると先ほどのシーンとは打って変わって、妙に明るいエンディングテーマ曲が流れ始めた。
レイシーは十秒くらい息もできないまま固まっていた。
そしてようやく大きく息をつくと、胸元で握りしめていた二つの拳をテーブルの上に力なく落とす。
続いてぽてんと突っ伏すようにテーブルに頬を当て、ごろんと上半身の体重をテーブルに掛けた。
「……マリーはどうなってしまうんでしょう……」
レイシーが小さく呟く。先ほど主人公を庇った少女の名はマリーと言うらしい。
彼女は再び大きくため息をつく。
その視線の先、テーブルの中央にはサボテンの鉢が置かれている。彼女はサボテンに話しかけるように続けた。
「サボテンちゃん、続きは明日見ましょうね……」
レイシーは少々興奮しすぎて疲れてしまったようだ。
ぐったりとした姿勢でサボテンに話しかける。
「マリーはかわいそうです……」
その悄然とした呟きにサボテンは答えない。
「そりゃメインのヒロインはアリスですけれど、クリフは少しくらいマリーの気持ちに報いてあげてもいいと思いませんか。あんなに一生懸命なのに……」
指先でつんつんと鉢をつつく。
「サボテンちゃん。人間の心はよく分からないです。ライル様もです。私達に人間になれって言ったかと思ったら、あれから半月経っても何の話もないですし。はぁ……」
彼女はそのまましばらくサボテンの鉢をつんつんとやっていたが、飽いたようにへなりと指がテーブルに落ちた。
「ライル様にとって私達がロボットとしてお仕えするのは邪魔なのでしょうか。私本当は、ライル様にお仕えできるなら、アストリアじゃなくったっていいんです。ライル様にお仕えできるなら宇宙の果てだっていいんです。でももうお仕えしなくていい、お前なんかいらない、って言われるのだけは、悲しいです……」
「いらないわけないけど……」
「ふえっ?」
がば、とレイシーは身体を起こし、数秒硬直したあと、目の前のサボテンをまじまじと見つめて首を傾げる。
「あの、サボテンちゃん……? サボテンちゃんは言葉を話せたのですか? ライル様みたいな声でしたけど……」
「いや、後ろ後ろ」
「ふあっ?」
そこでようやくレイシーは顔を真っ赤にして背後を見た。
これまで本気で僕がずーっと真後ろに立っていたことに気付いていなかったらしい。
むしろ何故そこでサボテンがしゃべったという発想に至るのかが謎である。
「あ、あ、あ……」
レイシーは半分振り返りかけたようななんだか変なポーズで固まり、口をパクパクさせている。
なんか面白い顔だし、なんか可愛いなぁ……
そんなことを考えつつ、僕は肩をすくめた。
「いやあ、驚かせるつもりはなかったんだけどさ、ロックは掛かってないし一応声は掛けたんだけど、なんかすんごい夢中で見てるから。でも本当にレイシーのこと要らないなんてこれっぽっちも思ってないし、あくまで君の自由意思で……レイシー? 大丈夫?」
「あ、え、う……」
困ったな。レイシーが酸欠の魚みたいになっている。
可愛いのは大変結構なのだが、水でも飲ませた方がいいだろうか?
もしくはいっそ第二原則によって落ち着けと命令するとか?
どうしたものかと僕が思案しているうちに、レイシーはどうにか自分で呼吸困難から立ち直っていた。
「ら、ライル様。一体いつからそこに……?」
「オープニングが流れ始めたあたり?」
「最初からじゃないですか……」
「いやなんか、ものすごい一喜一憂してるのが面白くてつい」
僕がそう言うと、レイシーは泣きそうな顔で下唇を噛んだあと、目を閉じ、首をぶんぶんと振ってから、目を開いた。
そして彼女は自分の頬を両手でぱちんと叩くと、いつものような無表情じみたすまし顔になっている。
「それで、何の御用でしょうか、ライル様。何なりとお申し付け下さい」
「いやぁ、さすがにそのフォローは無理があると思うなぁ」
「……先ほどのことはお忘れ下さい」
「まあ、うん、うん」
懇願してくるレイシーを僕はおざなりに宥める。
まあ、実に面白かったので忘れるつもりはこれっぽっちもないのだが。
それはそれとして、本来の用件だ。彼女達には僕が直接伝えたかったのだ。
「で、本題なんだけど」
「……はい」
「さっきリザから連絡があったんだ。発電機が見つかった。船舶用の核融合炉モジュールが合計四基。といってもまだビーコンを受信しただけで、回収はできてないしどの程度無事かも分からないんだけどさ」
そう。
リザが瓦礫の山をかき分けて、あの小さなボディをボロボロにしながらも探索していたのが、ついに報われたのだ。
発電機から発せられているビーコンは四基全てが事故時に緊急停止していることを伝えている。
もっとも核融合炉の緊急停止なので『停止に成功した』といっても『爆発しなかった』『危険物をぶちまけなかった』程度の意味であり、炉へのダメージはある程度見込んでおく必要がある。現地に行ってスイッチ一つで再起動というわけにはいくまい。
更にそれなりに巨大なモジュールをそのまま丸ごと持ってくることも難しいので、一旦現地である程度のサイズまで解体してくる必要もある。
とはいえ、その辺りは現物が無いことに比べれば些細な問題と言える。
つまり、発電機が見つからなければ、アストリアで今使われている発電機を奪うことになる、というこれまでの問題と比べれば。
「おめでとうございます、ライル様」
「ああ、うん。それでね、回収の前に一度僕が現地に行こうと思ってるんだ」
僕が行く必要は必ずしもないし、回収作業自体は全面的にリザお任せではあるのだが、そこはそれ。一応僕は船長代理なのである。一度現場を目視で確認しておきたい。少なくとも僕の師であるベイカー船長ならそうしていただろうし、リザは渋ったがそこは我が儘を言わせて貰った。
その言葉に、レイシーは自分の胸元に手のひらを当てながら小首を傾げる。
「では私がお供を?」
「いや、今回はシャーロットを連れて行くよ。彼女にも現場に慣れて欲しいし。明日のブリーフィングで決めるけど、レイシーは船で留守番して貰うことになると思う」
「はい。あの、ライル様……発電機が手に入るということは、このエオースの修理は遠からず完了するのですね」
「リザは働き者だからね。状態が良ければ一ヶ月掛からないかもって言ってた」
まあ、順調にいけばの話だが、幸いにして今のところ深刻な問題が発生しそうな気配はない。
エオースのローバーを総動員すれば運搬力はかなりのものである。何ならアイラの保有しているローバーを貸すよう僕が折衝しても良いが、アイラは使えるローバーをあまり持っていないし、どうせゴネるだろうから、無いならないで構わない。エオースの分だけでも十分だろう。
現地で解体しなければならないのも、どうせ後で部品一つ一つチェックするのだから、結局必要な作業である。
つまり見通しは良いと言える。
そして、この最大……から二番目か三番目くらいの懸案が解決するということは……僕も、彼女達も、決断しなければならない時が近づいていることを意味する。
「だから、君達も、そろそろこの先の身の振り方を決めて貰わなくちゃいけない」
「……それは……でも……」
レイシーが揺らぐ瞳で僕を見つめている。
彼女達はニューロチップを解除して人間になることを望むのだろうか。それともこれからもロボットとして生きていきたいのだろうか。
彼女達はエオースで僕と旅路を共にしてくれるのだろうか。それともこのままアストリアと運命を共にすることを選ぶのだろうか。
レイシーは本当のところ僕のことをどう思っているのだろう。彼女は命令すれば何だってする。そこに彼女の意思や欲求はない。
でも、さっき僕がいないと思い込んでいた時に、ぽろっと言った言葉は?
「レイシーは世界の果てまで付いてきてくれるの?」
先ほどレイシーがサボテンに語りかけていた言葉を冗談交じりに蒸し返してみたが、彼女は困惑するように視線を落とした。
あー何かまずいことを言ったっぽいなぁ、とは思ったが今更言葉を引っ込めるのは不可能だ。
「……ライル様のご命令とあれば、どこでも付いていきます」
「命令じゃないなら僕といるのは嫌?」
「ライル様、私は……私は、ライル様がお喜びになることであれば何でもします。おそばに置いて頂きたいです。……私は、ライル様のことが好きです。それではいけませんか?」
レイシーの声色は極めて真剣なものであった。
……彼女が、僕のことを、好きと言ったのは、今この時が初めてだった気がする。
だが……彼女ならそう答えるのだろう。そう答えざるを得ないのだろう。
実際にどう思っていようと、彼女はそう言わなければ僕が傷つくと思い、そう言うのだ。
僕は小さく嘆息する。
「……そういうことを無理に言わせたかったわけじゃないんだ」
「ライル様はどうすれば私のことを信じてくださるのですか?」
皮肉なことである。
彼女は僕のことを好きであっても嫌いであっても、三原則がある限り好きと言うしかない。僕がどれだけ彼女の本音を聞きたいと思っても、三原則がそれを許さない。三原則が常に僕に都合の良い答えだけを返してしまう。
だから、結局その言葉には何の意味もない。
「君が……人間なら誰にでもじゃなくて、三原則抜きで、同じことを言ってくれたら、かなぁ」
「……私は……そんなこと……」
僕は何気なく言ったつもりだったのだが、その言葉はレイシーにとって何か悪い意味で琴線に触れるものだったようだ。
ひどく切ないような、ひどく傷ついたような眼差しが、僕に向けられる。
ダメだ。失敗した。
これでは単に彼女を追い詰めているだけだ。
「まあ……レイシーが一緒に来てくれるならすごく嬉しいよ。僕も、レイシーのことは、好きだからね」
なんだか変なことを口走っている気がする。
レイシーがなんだかきょとんと目を丸くして僕を見つめているが、僕は僕で彼女を直視できない。
困る。
僕は慌てて手を振って話を変えることにした。
「あー、その……ところでさ。えーと、そうそう、さっきの映像は何? ミス・ウィットフォードは活字派だったけど、レイシーはあんなの見るんだね」
「え? あ、その……」
自分でも少々強引だなとは思った。
だが、レイシーがあんな映像作品を楽しむ趣味があったのは実際意外である。
しかも非常に古い、かなりマニアックな作品と思われた。
どこであんなものを見つけてきたのだろうか。
まあ、コンピュータが実用化されて以降、地球の芸術作品はほとんどのものがライブラリ化されているので、こんな作品だってどこかには収録されていたのだろう。
僕がそちらに水を向けると、レイシーは妙に狼狽して視線を右往左往し始めた。
なんだか上手く話がそらせてきたので、調子に乗って僕は続ける。
「それにあのサボテン、すごく気に入って貰えたみたいだね。あんなに大事にして貰えるなら君にあげて良かったよ」
「あ、う、あ……」
何とか話をごまかせたようで、先ほどの傷ついたような表情はどこかに行ったが、代わりにまた酸欠の魚みたいになっている。
可愛い……たまにはこうやっていじめてみるのも一興だな……
何やら悪い考えが頭をもたげてきた。
いやまあしかしあれだ、プライベートに興じたいならレイシーももう少し気をつけるべきではなかっただろうか。
この船の各部屋はロックしていないとドアの前に立つだけで勝手に開いてしまうのだ。だからプライベートを維持したい時はその都度ロックを掛ける必要がある。
そしてそのことはこの船に来たときに最初に注意してあるのだ。
……が、このルールも『人間関係に風通しを!』などと言い出した船長が決めたもので、実のところ乗員の間ではかなり評判が悪かった。
もういっそルールは変えてしまってもいい気もする。
僕がそんなことを考えている間もまだレイシーは口をパクパクさせていた。
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