自由意志

 ワサワサと親子蜘蛛の群れみたいなローバーの列が、薄暗い真空の通路を進んでいく。

 相変わらず先頭は小型ローバーにちょこんと乗っかったリザで、あとは大型のローバーが一機、小型が三機、といった編成だ。

 今回は完全な下見で特に何か回収してくる予定もないので、大型ローバーに僕とシャーロットが同乗している。


 ビーコンを出していた発電機まで向かい始めて三〇分ほど、まだ道のりは長いようだ。いつもと比べるとリザの誘導は慎重で、移動速度もその分だけ遅い。

 と――


「きゃー、ゆれるー」

「……何その棒読み」


 シャーロットが何やらわざとらしい声を上げながら、僕にしがみついてきた。

 僕の腕にぎゅっと身体をくっつけた状態で、何やら言いたげにチラッチラッと僕の顔を伺ってくる。

 ああ、どうやら、胸を押し当ててると言いたいらしい……

 何となくやりたいことは分からなくもなかったが、丁重に無視して僕は彼女の後ろの固定具を指さすことにした。


「ちゃんとベルトで固定した方がいいよ」

「言うこと他にあるでしょ⁉」

「ヘルメットが当たって邪魔」

「あ、ごめんなさい」


 ごつんごつんと当たるヘルメットを指さすと、割と素直に引き下がってくれた。

 僕がアストリアに来て一ヶ月半。最近のシャーロットは何を焦りだしたのか、僕に対して妙に積極的にスキンシップを図ってくるようになった。まあそりゃ年下の可愛い女の子に懐かれること自体はまんざらではないが、時々ちょっとウザい。

 彼女はベルトでローバーに身体を固定し直すと、再び僕の傍までやってきて肘が当たるくらいの距離に居座る。


「ライル、ところでさ」

「ん、なに?」

「レイシーのこといじめたでしょ」

「えっ?」


 先ほどまでわざとらしく僕に甘えようとしていたシャーロットが、今は何やらジト目でこちらを睨んでいる。

 いじめた?

 ちょっと心当たりが無……多いな……

 いやあれから、ミス・ウィットフォードになかったレイシーの趣味というものが気になって、あの映像作品はどういうものかとか、サボテンに話しかけるのはどのような意義があるのかとか、そういうのを訊ねてみたのだ。

 結果は何故か非常につらそうな顔をされた。

 だが何やら答えづらそうだったのを見た時点で、僕はそれ以上追求するのをやめたし、いつか気が向いた時に話してくれればいいとも言ってある。つまりセーフのはずだ。


「えーと、その、ど、どの件かな……?」

「ライルのことが好きなんじゃなくて、人間が好きなだけだろうとか」

「あー……」


 そっちかぁ。

 やはり上手くフォローしきれていなかったか。

 いや、だがしかし、残念ながらそれは間違いではないはずだ。

 彼女達はあたかも僕に好意を持っているかのように振る舞っているが、それはあくまで三原則に強要されたものに過ぎない。無理矢理僕のことを好きだと言わされているのだ。

 逆に考えて、彼女達の内心が本当に言葉通りのものであるなら、ニューロチップを解除し三原則を無くしたとしても問題はないはずなのだから。


「三原則が満たせるなら誰でもいいんだろうとか、人間が相手なら誰とでも寝る女だとか、これだからロボットの女はダメだ人間の女がいいとか」

「いやそこまでは言ってないよ!」

「言ったも同然じゃない!」


 シャーロットは不満げに唇を尖らせると、ローバーの上部を数回かかとで軽く蹴った。

 いや本当にそこまで言ったつもりはない。だいたいレイシーが、誰とでも……誰とでも……?

 なんだか心の中に黒いものが湧き上がってくるものを感じ首を振る。

 そんな僕をよそにシャーロットが続ける。


「まあそりゃね、あたし達にとって三原則はすごく大切だわ。でももしここにライル以外の人間が現れたとしても誰でもオッケーなわけないじゃない?」

「あ、そうなんだ」

「そうよ。第二原則には優先度があるのよ。ライルが命令するか、船長代理が交替でもしない限り、そんなことしないわ」

「……なるほどそういう意味で」


 つまるところ、シャーロットがベタベタと僕にくっついてくるのも、要するにそういうことなのだろう。命令。任務。

 彼女達はやはり三原則によって無理矢理僕に従わされているに過ぎないのだ。そこに恋愛感情などもあろうはずがない。


「ていうか、なんでそんなこと気にするのよ。まだキス一つしないくせに、いもしない他の人間に浮気するかもなんて心配するとか、順序がおかしくない?」

「いや、そうじゃなくてさ。例えばなんだけど――」

「なに?」

「もし例えば、シャーロットの三原則が解除されたとして、僕とその、そういうアレな関係に、なりたいと思う?」

「えぇー……?」


 少し思い切ったことを訊ねてみたが、なんだかものすごくめんどくさそうな声が返ってきた。

 いや即答されても困るといえば困るのだが。

 しばらくそのままシャーロットは考え込んでしまう。

 物音一つしない真空でローバーの振動だけが響く中、彼女はこてんこてんと数回首をひねり、そして僕の方を見上げる。


「うーん……そうね……ライルはここで一番偉いわけだから、ライルの恋人になっとけば色々と得しそう……?」

「いや、そういうんじゃなくて……」


 何故そこで好き嫌いじゃなくて損得で勘定し始めるんだ……

 僕がややがっくりと肩を落としているとシャーロットはもう一度首を傾げた。


「あーでも、やっぱ分かんないや。っていうか、逆にライルに聞きたいんだけどさ」

「うん?」

「三原則を解除するってことは、あたしがライル嫌いキモい触らないでとか言い出す可能性だってあるわけじゃない? そうなってもいいわけ?」

「ミッションの邪魔をされるのだけは困るけど……それ以外ならまあ仕方ないとは思ってるよ」


 それも含めて自由意志というものだ。

 エオースの乗員達だって全員が全員と固い絆で結ばれていたというわけではなかった。お互い多少なりと思うところはありながらも、ミッションのために守るところは守る、というスタンスだった。

 もしシャーロットが内心僕のことを嫌いだというのなら仕方ないし、むしろそんな本音を隠したまま僕に身を任せることを強要されている方が、よほど酷い話だ。

 ミッションに支障を来さない範囲であれば、それは尊重されるべきだと思う。


「えー、それだけ? 勿体なくない? 身も心もライルにジャストフィットするように作られた、ライル専用の女の子なのよ? それはもう獣のよーに、あたしのことしか考えられなくなるっていうアイラの自信作よ? たっぷり楽しんでおかないと人生損するわよ?」

「そっちはどうでもいいよ。まあでも、もし嫌われてても、そこからあらためて友達になってもいいんじゃないかな」

「どうでもよくないわよ⁉」


 ……実際どうでも良いのだ。

 そこには現代医学の勝利と敗北がある。

 つまり、現代においてなお社会的な動物である人間の孤独を解決する安定した方法論は確立していない。

 だが、その一方で、身も蓋もない話ではあるが……性欲なんて必要があれば薬でいくらでも抑えられるのだ。

 だからシャーロットのことを性欲のはけ口として使う必要なんて全くない。僕に必要なのは、友達のシャーロットなのだ。


「ま、後でレイシーの方はフォローしとくよ」

「今のあたしにフォローが必要よ!」


 ギャンギャン騒いでいるシャーロットをおざなりに宥めつつ、周囲を確認する。

 僕らがバカ話をしている間もリザ率いるローバー軍団は粛々と進軍している。僕らの乗る大型と併走する小型ローバーが、また一つ――フンでもするみたいに――小型の無線中継器を路上に置いた。

 今のところ順調で、特に問題は起こっていないように見える。


「で、リザ。状況はどう?」

「足場があまり良くないのと、そこのやかましいガラクタをその辺に放り出したいという以外は、問題無いのです」

「またそういう……」


 相変わらずリザのシャーロットへの対応は辛辣だ。

 床の状態は確かにあまり良くないようで、リザの誘導に従ってローバーの列はうねうねと曲線コースを取っている。

 だがリザが先行して状況を把握しているということは、十分に安全が確保されていると考えてもいいだろう。危険を避けながら移動しているということは、危険が認知されているということでもある。

 と――


「……ねえライル」

「うん?」


 さっきまで騒いでたかと思うと今度は妙に神妙な声色になったシャーロットである。

 どうしたの、と僕が促すと、彼女は少し言いづらそうに声を落としながら言う。


「さっきの質問だけど……もし三原則とかぜーんぶ抜きで、とにかく理屈抜きでライルのこと大好き、そばにいたい、独り占めしたい、ってあたしが言ったらどうするの? あたしのことライルのお嫁さんにしてくれる?」

「いややっぱそれは難しいかな」

「その即答はひどくない⁉」


 ちょっと神妙にしていたかと思ったら、またぎゃいぎゃいと騒ぎ出した。そろそろ本当にリザに放り出されるんじゃないかと心配になる。

 それから、件の発電機のビーコンが僕のヘルメットのシールドに表示されるまで、しばらく掛かった。

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