破棄処分
「うん……そうなの……だから……」
シャーロットがまだ何か言っているがとりあえず無視する。僕にとってはもはやそんなことはどうでも良かった。
――そういうことだったのだ。
リザは優秀かつ柔軟なロボットではあるが、極めて高い遵法性を持つ。つまり、よほどのことがない限り法律を破ることは強く忌諱する。
だからもしシャーロットの三原則が確実に失われたと認識しているなら、リザが見逃すはずがない。
だが、そう、あくまで理屈の上という意味でなら、ニューロチップの一部機能に障害が発生しているとしても、三原則がまだ保たれている可能性は、理論上、ある。
シャーロットの三原則が
そしてその判断にはリザにはできないのだ。リザだけでは決してできないのだ。その違反は常に
更に、言うまでもないことだが、リザは僕がシャーロットの死を望まないであろうことも、僕のせいでシャーロットが死ねば強いショックを受けるであろうことも、知っているだろう。
だからリザは
「よし、シャーロット。分かった」
「……うん……いいよ……最後だから……ぎゅってして……」
「何言ってんの、ほら、立って」
「……え?」
何やら潤んだ目で僕を見上げるシャーロットの額をぺちんと叩き、手を引いてベッドから下ろして立ち上がらせた。
「ちょっと? なに? え? なんで?」
「大丈夫、僕がなんとかする」
シャーロットは何やらえらく混乱したように、目を丸くして視線を右往左往させている。
リザは見ていないのだから無理はしなくていいのに。
まあ、彼女の小芝居はどうでもいいのだが、その小芝居にも意義があったことは認めざるを得ない。
「ほら、行くよ」
「え、やだ……ライル、待って……お願い……」
「大丈夫だから。任せて」
何故かまだ涙目で僕の腕にしがみついてこようとするシャーロットを適当に引っぺがすと、僕は彼女に背を向けてドアに向かう。
ドアには一応ロックが掛けられているが、僕が手をかざすだけで簡単に解除される。
無造作にドアを開くと、そこにはリザとレイシーが立ったまま待機していた。
僕の姿にリザは小さく首を傾げ、レイシーは驚愕したように目を見開いている。何が意外だったのかは分からない。
「ああ、リザ。ちょうど良かった」
「……ライルさん、もういいのですか?」
「うん。ほら、シャーロット、おいで」
僕が頷きながら振り向くと、シャーロットは俯き加減になりながらふらふらと歩き出してくる。まるで映画に出てくる亡者か何かのようだ。
レイシーがそんなシャーロットに慌てて駆け寄り、頭を抱えるように抱きしめる。抱きしめられたシャーロットはそのまま小さく嗚咽のような声を漏らし始めた。
……何だろう。小芝居とかそういうものではなく、もしや何か本当にまずいことがあったのだろうか。大丈夫な……はずだ。
リザはというと、シャーロット達の様子を気にした風もなく告げる。
「ではシャーロット。ロボット工学の三原則に関する重大な障害の発生により、お前は廃棄処分となるのです。廃棄物処理プラントの用意はできているのです」
「……はい」
リザの死刑宣告に、シャーロットはレイシーの腕の中に顔を埋めたまま小さく頷いた。
シャーロットの表情は分からないが、代わりとばかりにレイシーがちらりと僕の方に視線を向けてくる。その目には何故か僅かな非難がこもっているような気がした。
……そんな目で見られなければならない謂われはないと思うのだが。
僕は小さく嘆息すると、軽く手を振りながらリザの話に割り込むことにする。
さて、ここからだ。
「待って、リザ。僕はシャーロットの三原則に障害が発生したところを確認していない」
「ライルさん?」
「リザだって確認していないはずだよね」
「ニューロチップに重大な不具合が発生していることは、シャーロット自身が報告しているのです」
リザが僕の考えている通りのことを考えているなら、ここまでは問題無い。予想通りだ。
それにしても、何故かレイシーとシャーロットは今から本当に葬式でもするような顔をしているが、そこまで熱心にやるような小芝居なのだろうか。
これからのやりとりは本当に茶番である。だが、リザだって分かっていて僕にそういうネタを振っているのだ。そのはずだ。
「ニューロチップの問題報告はあくまで三原則以外の周辺機能に関するものに限られている。三原則にまで機能障害が及んでいることは確認されていない。現時点でシャーロットを直ちに廃棄処分しなければならないと判断する材料は揃っていない」
「……それで?」
リザが続きを促してくる。よし、ここまでは上手く持って行っているはずだ。
……本当に?
一抹の不安とともに、バラバラの肉塊になった哀れな少女が、ぽちゃぽちゃと分解槽に放り込まれるビジョンが脳裏に浮かぶ。
ダメだダメだ。慌ててそのグロテスクな思考の隅っこに追いやる。
落ち着いて……
僕はつとめて毅然とリザに向き合い、言葉を続けた。
「性急な判断は適切ではないと思う」
「……シャーロット自身が廃棄処分の必要性を認識しているのです」
「それはおかしいじゃないか」
何もかも茶番で、詭弁だ。
そのはずだ。
だが本当に大丈夫なのか、僕がドジを踏めばシャーロットは……と思うと喉がすくむ。
僕は口の中がカラカラに乾くのを感じながら唾液を飲み込み、どきどきと脈打つ心臓を押さえ込みつつ、無理矢理に言葉を継いだ。
「シャーロットが廃棄を覚悟しているということは、むしろシャーロットの三原則が正常に働いていることを示唆する傍証じゃないか。彼女は三原則が破綻したかもしれないという可能性に基づいて行動している。でもこれ自体が三原則を前提とした行動だよ」
もちろんそうではない。
彼女が生き残るための最後の手段として、僕がそう言うことを期待した賭けに出た、ということも当然ありえる。というか実際のところ、そうなのだろう。
だが一方で、元より『模範的な人間』と『正常なロボット』は、
他人を傷つけることを避け、正当な命令には従い、自棄にもならない、そのような人間を、外形的な受け答えだけでロボットと区別することは容易ではない。
三原則の大元となる量子回路が本質的にブラックボックスである以上、最終的に必ずこの問題にぶち当たる。
もっと言えば、僕はシャーロットの三原則は既に失われたと推測してはいるものの、実際に断定できるかと言われれば
本当に彼女の三原則が今も保たれている可能性も、全くないわけではない。
リザは作り物の瞳でじっと僕を見つめている。
彼女がその圧倒的な知性で何を考えているのかは分からない。その気になれば僕を言い負かすことだって簡単にできるはずだ。
だが彼女は折れてくれると僕は信じている。最初から、きっと、そういうことだったのだ。
「ライルさん、私の判断ではリスクがあるというだけでも容認はできないのです」
……あれ?
何か予定と違う答えが返ってきたぞ……?
まずいことになっている気がする……
待て、待て、待て……
僕は慌てて脳内で軌道修正を試みる。
シャーロットの三原則に障害があるという確証はないが、三原則に問題がないという確証もない。
そして蓋然性という意味では三原則にも問題がある可能性の方がそりゃあ高い。
つまり、このままではリザは納得しない。
どうすればいい?
あくまで状況はグレーゾーンだ。確実にクロというわけではないし、確実にシロというわけでもない。
ここからどうやって『ゴネ』ればいい?
――とここまで考えて、僕はようやく解決策らしきものに思い至った。
「……リザ。現時刻をもってアストリア保有の機材であるロボット、識別名シャーロットをエオースに接収する」
リザには悪いが、どうやらこの問題に関する裁量権をリザに与えていては僕に勝ち筋はない。
「またそれと同時に、当該機材を僕個人に所有権登録することを申請する。これはエオースの現存する全乗員の七割の賛成により成立するものであるが、僕はこれに賛成票を投ずる」
「……現時点で全乗員が賛成したことを確認したのです」
僕の言葉に、リザがやや渋々気味に頷いた。
当然ながら乗員が僕一人しかいないのだから、この船のあらゆる資産を一方的に僕の私物にすることが可能だ。
少々強引ではあるが、これで法的にはシャーロットは僕の私物ということになる。
人道性という意味では思うところもなくはないがやむを得まい。
シャーロットの身分としては、アストリアやエオースの備品であるよりも、僕の所有物である方が
「さて、リザ。君がシャーロットの廃棄処分を決定することは僕の財産権を侵害している。僕は彼女を廃棄しなければならないとは考えていないし、彼女を廃棄しなければならない法的な根拠も十分に示されていない。僕の私物である彼女をどうしても廃棄するというのであれば、法的に有効な令状を提示することを要求する。地球が発行した奴をね」
僕がそこまで一気に言い切るのを、リザはじっと見つめていた。
そして僕が言い終わった後も十秒以上そのまま見つめて、しかる後に数秒ほど目をつぶって、小さく頷き、目を開いた。
「……では地球に令状の発行を申請しておくのです」
よし……
リザのその返答は事実上僕の無理を容認してくれたことを意味していた。
僕は笑顔でリザに頷く。
「よろしく頼むよ」
……これで解決のはずだ。
何故かって?
地球にシャーロットの廃棄処分の強制執行令状の発行を要求して仮にそれが許可されて送り返されるとして、光の速さで通信しても往復六〇年も掛かるのだ。
シャーロットには三原則が失われた
彼女は今や僕の財産権に属しているため、疑惑だけで強制執行するには法的根拠が必要になる。リザが超法規的にシャーロットの廃棄を強行するほど喫緊の危険があるわけでもない。
つまり、地球から正式な強制執行の令状が届くまでは、シャーロットの立場を宙ぶらりんにしておけるということだ。
僕は令状が届くまでにドクターのプログラムを回収してシャーロットに適用――したふりを――すれば良い。そうすれば問題の『ロボットのシャーロット』なるものは存在しなくなり、いるのは『人間の女の子』でしかなくなる。
そもそも『ドクターのプログラムを適用したシミュラントを、
「これで一応何とかなったかな……」
リザはこれ以上食い下がってくる様子は見られない。
そして、彼女はそれで話は終わりだとばかりに、シャーロットの方に肩をすくめて見せる。
「ではシャーロット、廃棄処分は延期なのです。これからはライルさんの所有物として奉仕に勤しむのです」
その言葉でようやく僕はほっとした。
リザの意図を読み違えているのではないかとハラハラしっぱなしであったが、どうやら僕はリザの設置したであろう細い橋をどうにか渡りきったようだ。リザには少々悪役を演じて貰う羽目になってしまったが、そこは致し方ないとして許して欲しい。
当のシャーロットはというと、レイシーの腕の間からぴょこんと顔を出して、僕とリザの間で視線を行ったり来たりさせている。
よく見ると目元が赤くなっている。芸が細かいな……
などと思っていると、彼女はリザで視点を止めた。そしてややぽかんとしながら口を開く。
「え?」
「え、じゃないのです」
変な声をあげて首を傾げるシャーロットを、リザはあっさりと切って捨てる。
いやいや、まさかシャーロットは、これまでのやりとりを一貫して何一つ理解していなかったのだろうか。
となると、もしかして僕も、先ほどまでのシャーロットの言動は何一つ理解していなかった……?
そんなまさか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます