オーガニック

 僕が思いつきを口にする前に部屋のドアが突然開き、やたらと元気な声が飛び込んできた。

 腕を組んで胸を張ったシャーロットが、頬を膨らませたまま唇を尖らせるというなにやら器用な顔で僕を睨んでいる。

 シャーワールームから戻ってきた彼女はエオースにあった予備の制服に着替えている。リザが用立てたのだから間違いもあろうはずがないが、サイズはちゃんと調整の利く範囲内だったようだ。実用一点張りの作業着だがなかなか似合っている。

 エオースの仲間だったマリーナがいつもこのタイプの作業着を着ていたことを思い起こすが、上背のあったマリーナと比べるとかなり印象が違う。

 見たところ特に問題なさそうに見えるのだが、何か問題があったのだろうか。


「おかえり、シャーロット。どうかしたの?」

「なんでよ!」

「何がさ……」


 彼女は何やらぷりぷりとご立腹のようだが、僕には彼女が何に対して怒っているのかさっぱり分からない。

 そのあたりでようやく言葉が全然足りていないことに気付いたのか、シャーロットは大きく息をついてから僕の方にぴっと指さした。


「なんで覗きに来ないのよ!」

「ごめん、何言ってるのかやっぱり分からない」

「だって地球の風習なんかではこういう時って大体アレでしょ! 可愛い女の子がシャワー浴びてる時とか、うっかり踏み込んで来ちゃったりして、これはあくまで不慮の事故なんだー、みたいな言い訳するとこでしょ!」

「そんな風習聞いたこともないよ……」


 シャーロットが何を言っているのかさっぱり分からない。

 シャワールームなどの特別にプライベートなエリアは、リザによってセキュリティが厳格に守られている。よほどの緊急事態でない限り第三者が踏み込んだりすることはない。

 だいたいシャワールームと言っても、高圧の霧状になった洗浄水を自動制御されたノズルで身体に吹き付けられる一人用のカプセルといった作りなので、シャワールームというより人間洗浄機という方が近い。つまりそもそも二人で入れるような代物ではない。

 というようなことを説明した上で、一体どこでそんな知識を得てきたのかと訊ねると、僕に突きつけられた指はくるくると数秒空中を彷徨った後、そのままレイシーの方に向いた。


「んーっと、レイシーお勧めの地球の映像作品は大体そんな感じだったわ? らっきーすけべとかいうそうよ?」

「あの、シャーロット……」


 どうも何やら不都合な話だったらしく、レイシーがぱたぱたと手を振ってシャーロットの話を止めようとしている。

 一体何の話だ? 地球の映像作品? らっきーすけべ?

 ……まあいいか。

 僕は改めて片手で二人の話を制した。


「まあ……なんかそういう風習は聞いたこともないよ」

「ほんとに? つまんない」


 僕が改めて否定するとシャーロットはそれ以上突っ込んでくることはなく、いかにも残念至極であるとでも言いたげにため息をつき、そして今度は僕の手元の方に指先を向けてきた。落ち着きのない子だ。


「ところで、それなに?」

「サボテン。生きた本物だよ」

「すごーい! 見せて!」


 先ほどまでの様子は今やどこへやら、シャーロットは満面の笑顔で手を伸ばしてくる。

 そして僕が手元の鉢をシャーロットに渡そうとすると、隣から「あっ」と小さく寂しげな声がした。声の方を見やるとレイシーが半分ほど手を伸ばしかけたまま何ともいえない悲しげな表情でサボテンを見つめている。

 ……まあ確かに、先に目を付けたのはレイシーの方だ。


「はい、先着順」

「あ……」


 レイシーの手元にサボテンを浮かべてやると、彼女は小さな声を上げて恐る恐るその鉢を手の中に納める。


「あたしにも見せてよ」


 ひどく緊張した面持ちで手にしたサボテンを見つめるレイシーと比べて、シャーロットは興味津々の様子でのぞき込みつつ指先で軽くつんつんとつついてたりしている。サボテンは概ね球形に近いが表面はデコボコとしており、トゲはほとんど生えていない。

 しばらくそうしているとシャーロットはひとしきり満足したようで、今度は僕に訊ねてくる。


「っていうか、なんで本物のサボテンがこんなとこにあるの?」

「インテリア、みたいな? 大会議室に代々置かれてたんだけど、もう大会議室も閉鎖しちゃうから行き場なくてさ」

「生きた本物の植物をインテリアとして使うなんて地球人は贅沢なことするのね」

「種自体は農業用に積み込まれたものだよ。そのサボテンも食べられる品種だからね。このままだとどうせ廃棄だし、勿体ないから食べちゃおうって今レイシーと話してたんだ」

「そうなんだ。いいなー、あたしも食べたい」


 まあ彼女ならそういう反応だろうなとは思っていた。

 だが、僕が頷こうとしたところで――


「えっ?」


 僕とシャーロットのやりとりの横からレイシーが唐突に心底驚いたとばかりの声を上げ、目を見開きながら僕を見上げた。

 そしてサボテンの鉢を少しだけ胸元に引き寄せると視線を僕とシャーロットの間で彷徨わせる。


「あの、ライル様? 食べるというのは今初めて聞いたのですが……?」

「あれ? そうだっけ。まあそれ元々食べるためのものだからね」

「しかし、その、もしかして、食べるとこの植物は……死んでしまうのではないでしょうか」

「そりゃそうだと思うけど。農作物ってそんなものだし」

「それは、そうですけれど……でも、この植物は、まだ生きていて、その……だって……殺すなんて……そんな……」


 しどろもどろで言葉を絞り出す彼女は、一言で表すなら今にも泣きそうな顔だった。

 彼女のグレーの瞳が必死に何かを訴えようとしていて、しかしそれは言葉にならないまま彼女の目の中をぐるぐると回っている。

 これは予想していなかった反応だ。これまで彼女がこんな風に抵抗したことは何であれ一度もない。

 だが、まあ、何となく言いたいことが分からないわけではない。

 だから、僕は彼女が言いたいであろうと思われる言葉を、代わりに言ってやることにする。


「かわいそう、ってこと?」

「……ええと、その、あの、でも、ライル様が……どうしてもと……命じられるならば……」


 どうも彼女の中では、この小さなサボテンに対する哀れみと、僕に従わなければならないというロボットの本能がせめぎ合っているらしい。

 僕自身は特別に冷酷な方でもないと思うが、だからといってさすがに食用の植物一つ一つに慈悲をかけるほどの博愛主義者でもない。

 エオースでは食べ物といえば合成品のイミテーションばかりだが、太陽系では地球のみならず僕が育った小惑星帯のコロニーでも農業は行われており、オーガニックな野菜を食べる機会だって少なくなかったのだ。気にしていてはきりがない。

 とはいえ、この真面目と従順を絵に描いたようなレイシーが、このようなワガママを言い出したというのは興味深い。もちろん僕が強く言えば従うのだろうが、僕だって別段このサボテンを食べることに固執しているわけでもない。

 なにより、レイシーが――オリジナルのミス・ウィットフォードと同じように――植物に興味を持ったというのも気になる。

 そんなわけで僕が「じゃああげるよ」と言うとしたところで、納得しがたい様子のシャーロットが口を挟んできた。


「ねえレイシー、あたし達のいつもの食事だって元は生きた酵母とかじゃない? サボテンがかわいそうで酵母がかわいそうじゃないのってどうして?」

「それは……」

「どうして? 合理的じゃないわ」


 口ごもるレイシーにシャーロットが更に詰め寄る。

 シャーロットには別段悪気があるわけではないのだろう。彼女は幼児が大人に答えにくい質問を投げつけるように、ただ素朴に思いついた疑問をぶつけているだけなのだ。

 そして恐らく、レイシーの方にもその疑問に対する合理的な答えは存在していないのだろう。


「……分かりません、何故か嫌だったんです……何故でしょうか……」

「やっぱり合理的じゃないわ」

「まあほら、自分でもよく分からない気まぐれってのはあるんじゃないかな。何となくでいいと思うよ」


 納得いかなさそうなシャーロットの横から、僕は小さく肩をすくめつつそうフォローする。

 人間ならそんなものだ。何故かと言われても困る。何となくだ。そこに合理性はない。

 レイシーは人間ではないが、人間と同じように何となく目の前の生き物をかわいそうだとかそういうことを思うことがあっておかしくはない。別にいいじゃないか。この小さなサボテン一つをどうするかなんてどちらでも実害はないのだから、何となくで判断したって良いのだ。


「レイシー。このサボテンは君にあげる。世話の仕方はリザから教わって。このまま生かそうが、枯らそうが、食べようが、君の自由だし僕は関知しない」

「それは……でも……」


 僕が手元の端末を使って鉢から廃棄タグを剥がす様子を見つめつつ、レイシーは困惑の声を上げている。

 シャーロットはどうだろうかとそちらを伺うと、彼女は彼女で食い下がるつもりは特にないらしい。


「……食べ物の話となるとシャーロットが食い下がるかと思った」

「どういう意味よ。ライルが決めたならそれでいいわよ。レイシーに根に持たれたくないし」

「そう? それならいいけどさ。あ、はい水。で、君達はこれからどうする?」

「これから?」


 僕が投げた飲料水のボトルをキャッチしながらシャーロットが聞き返してくる。


「あ、一緒にシャワールームって話? いいわよ?」

「全然違う。僕の仕事を手伝ってくれると嬉しいなぁって話。というか一応基礎訓練くらいは受けといて貰わないと、明日からはこの船に立ち入るのにも制限があるんだけど」

「それ、あたし達の選択肢ってあんまりなくない?」


 シャーロットははぁーっとわざとらしくため息をつくと、やれやれとばかりに首を横に振った。

 まあ実のところ断られたら断られたで僕としてもどうしても困るというわけではないのだが、ここで突っぱねたところで彼女達にもあまりメリットはないだろう。


「いいわよ。手伝ってあげる。といっても何するのかよくわかんないんだけど」

「当面は手伝いはともかく訓練を受けてもらう必要があるね。特に船外活動するとなると」

「そういうのはちょっと楽しそうよね」


 シャーロットの中では既に結論は出ていたらしい。この腹芸のない割り切りの良さは彼女の美徳なのだろう。話が早いのは僕としても助かる。

 続いて僕は隣で複雑な表情を浮かべ続けているレイシーに水を向けることにする。


「レイシーはどうする?」

「私は……」


 レイシーはサボテンに向けていた視線を上げたが、その目にはいまだ強い逡巡の色が窺えた。

 そこでまだ迷っているらしいレイシーの横からシャーロットが唇を尖らせる。


「何言ってんのよー。今まさにご褒美を前払いで受け取っておいてイヤですってのはなくない?」

「それは……」


 シャーロットの指摘にレイシーは困惑するように口ごもった。手元のサボテンを数秒見つめた後、すがるような目で僕を見る。

 そんな目をされても僕は僕で困る。

 まあ正直なところシャーロットの糾弾はそれはそれでもっともなものではあったのだが――


「無理はしなくていいよ。ただその、さっきの話も考えてくれると嬉しいんだけどな。訓練を受けておいてくれれば、色々と選択肢が増るわけだからさ?」


 つまり、エオースを修理した後に彼女も付いてこないか、というやつだ。


「さっきの、ですか……」


 レイシーが小さく呟き、それから眉を寄せて口をつぐみ僕が待つという状態がそれは永遠かというほど長く続いたが、実際には三十秒とかそんなところだったろうと思う。しびれを切らした僕が「結論はまた今度でも良いよ」と言おうとした矢先に、彼女はようやく重い口を開いた。


「……私でお役に立てるのであれば」

「うん、もちろん、助かるよ」


 そう答えてから僕とレイシーは揃ってふーっと大きく息をつく。なんだかこんな簡単な話をまとめるだけのはずなのに、随分と神経を使った気がする。

 顔を上げるとちょうどレイシーも僕と同じようにこちらに視線をよこしたところで、お互いにぎこちない笑顔を浮かべることになった。



 それからしばらく毎日、僕は彼女達の訓練に付き合いつつ、船の修理を監督するという形になった。

 僕の仕事が増えたように見えるが、しばらくすると船外に出ない範囲であれば修理の監督はレイシーやシャーロットに任せられるようになってきた。

 特にレイシーは運動能力ではあまり良いところが無い代わりに物覚えはよく、既にアイラを小突く仕事は半分ほどを彼女が行っている。おかげで随分と楽になった。地球に送る日報についても彼女達に手伝って貰うことで僕が考える分量がかなり減らせた。

 彼女達にエオースで暮らしたりメンテナンスをしたりするための訓練を施しているのは、最終的には彼女達を乗員として使えるようにすることが念頭にある。そして今のところ彼女達は人間でないという問題にさえ目を瞑れば十分優秀と言える。

 だが、アストリアを犠牲にしなければならないかもしれないという話は、彼女達にはまだしていない。船の修理状況の管理を手伝っているレイシーは既に気づいているかもしれないが、今のところは何も言ってこない。

 今後アストリアの調査を進めていく上で打開策が出てくる可能性もあるので、その辺りはできればもう少し結論を先送りしたいところだが……


 僕達の日々は微妙で奇妙な均衡を保ったまま、一日また一日と過ぎていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る