ビーコン

 現代の船外服は、着用して使用可能になるまで十時間以上も掛かった宇宙開拓黎明期のものに比べれば、遙かに高度で完成した設計になっている。

 内部を一気圧に保っていても風船のように膨らんだりしないし、温度や湿度も適切に調整される。重力下で使用しても十分に使えるくらい軽量化もされている。

 だが、それでも着るだけで三十分は掛かるし、相応に動きづらい代物には違いない。


「よし、こんなもんかな。レイシーはどう?」


 僕は何度か腕を曲げ伸ばしして自分の船外服を確認すると、慣れない船外服に苦戦しているレイシーに声を掛けた。

 今日の管理区域外調査には僕とレイシーも同行することになっている。


 一応、仕事の合間に訓練を施すことおよそ一ヶ月、微妙に様になってきているような、いないような……


 とりあえず、二人一度に付いてくると僕が面倒を見きれないので、シャーロットは留守番だ。

 船外服のヘルメットは一見黎明期のものを軽量化しただけのようなデザインであるが、外部のカメラの映像が内面全体に表示されるようになっており視界は非常に広い。装着している当人から見れば透明なヘルメットを被っているように見える。更に映像の上には様々な情報が重ね合わせるように表示されている。

 もちろん通信機能も充実しているし、装着者の体調は常にモニタリングされる。

 しばらくするとレイシーも船外服を着用できたようで、彼女は僕の方に向き直って首を傾げた。


「どうでしょうか?」

「うん、似合ってると思うよ」

「あ、はい、ありがとうございます。いえ、そうではなくて、この服はこれでいいのでしょうか?」

「えっと、そこの……」


 僕は自分自身の腕の手首辺りをとんとんと指で叩き、続けて彼女の腕を指先で示す。


「君の、ここ。自分の腕を見て。黄色い警告表示が出てると思う。それにタッチして」

「はい」


 相変わらず素直なレイシーが僕の言った通りにすると、小さな音を立てて船外服がしぼみ始め、彼女のほっそりとした身体にある程度フィットしたところで止まった。

 身体の線が出るというほどではないが、どこかなまめかしさを感じた。

 ……ともかく、これで自由に動き回れるはずだ。


 通信を介したモニタリングでレイシーの船外服が問題無いことを確認すると、僕は今回の調査に同行するモノ達を見回す。

 まずリザのヒューマノイドボディが同行する。内蔵されたリトル・リザはいざという時の生命線だし、リザ自身も非常に汎用的な作業機械として働ける。そして彼女はもちろん呼吸もしなければ与圧も必要ないので船外服なしである。

 それからローバーが数体。今回は二体の大型ローバーが含まれている。

 六本足の巨大な金属製の蜘蛛のような姿をした大型ローバーは、上部に人や荷物を載せられるようになっている。折り畳み式の簡易座席は素晴らしい乗り心地とは言えないが、僕とレイシーはこれで移動することになる。大型ローバー一つで三人は乗れるサイズだが、今回は一人につき一体だ。

 一応アイラとの回線も開かれていてバックアップして貰うことになっているが、相変わらず彼女は管理区域外に興味がないようだ。アストリアの管理システムとしてそれはどうかと思うのだが、アイラは人間とシミュラントの生活が維持できればそれでいいらしい。


「あの、ライル様。質問してよろしいでしょうか」


 僕が自分用の大型ローバーによじ登っていると、レイシーが僕に向かって小さく手を挙げた。


「なに?」

「私達が分かれて乗る必要はあるのでしょうか。同乗すれば一機で済むと思うのですが」

「ローバーは荷運びにも使えるからね。複数あると便利だし、どうせ複数あるならわざわざ固まって乗る必要はないってだけで、特に深い意味は無いよ」

「何か持ち運ぶものがあるのですか?」

「色々足りないから使えるものがあれば拾いたいって程度だけどね」


 もちろん一番の本命は発電機だ。

 アストリアのきわどい状況を崩さずにエオースを修理したければ、船舶用として使えるレベルの大型発電機を、最低二基ほど手に入れたいところである。まあさすがに船舶用発電機ともなると見つけてすぐにローバーで担いで持って帰ってくるとはいかないので、担いで持ち帰るものはもう少し小さなものにはなるが。

 それに――言葉にはしないが――仕事中にレイシーと身を寄せ合って同じローバーに乗るというのには、何となく気が引けるというか気恥ずかしかったのだ。

 シャーロットが相手であれば友達感覚で気兼ねしなくていいのだが……

 僕はレイシーがローバーに乗ったのを確認すると自分用のローバーに船外服を固定した。


「準備ができたなら行くのです」


 僕達の準備が終わるのをずっと待っていたリザが、彼女の体格ぴったりの小型ローバーに跨がりながら宣言した。

 なんだかリザだけ本物の蜘蛛に乗っかるおとぎ話の小人か妖精か何かみたいで、それが妙に似合っていて、そのせいでかえって場違い感が甚だしい。



 アイラの管理区域とその外はエアロックで隔てられている。

 リザによるとエアロックを出てすぐの区域は既に損傷部位の評価も済んでいるので、硬化樹脂か何かで適当に応急修理すれば空気も入れられるそうだが、復旧したところで別段使い道があるわけでもないので今のところ放置されている。そのため、管理区域から出るともうそこは真空状態だった。

 もっとも電力供給や通信機能はリザのおかげである程度回復されているので、管理区域外と言ってもある程度の管理はできている状態とも言える。

 散乱する瓦礫の中をお化け蜘蛛の親子のようなローバー達がぞろぞろと進んでいく。

 そんな行進がしばらく何事もなく続き少々退屈だなと思い始めたところで、唐突にレイシーが僕の方に通信で話しかけてきた。


「ライル様、今回の目当ては発電機ですか?」

「え、なんで? いや、そうだけど」

「エオースは電源が足りないと思いました」


 珍しくあちらから話しかけてきたものだと思ったが、相変わらずレイシーは微妙に言葉少ななので要点が足りていない。

 が、言いたいことは何となく分かった。彼女はエオースの修理を手伝っている過程で、使用可能な発電機が逼迫していることに気付いたのだろう。

 何らかの手段で無事な発電機を調達しないとエオースのミッションが再開しようもないことにも。


「できれば邪魔とかはしないでくれると嬉しいんだけど」

「はい、しません」


 レイシーは素直に頷き、そして数秒してから今度は怪訝そうに首をかしげる。


「あの、私はそんなに信用ならないでしょうか?」

「そういうわけじゃないんだけど……」


 船の修理を手伝うようになってから、レイシーもシャーロットも非常に協力的だ。

 僕をアストリアに引き留めたいのは相変わらずのようだが、少なくとも僕の邪魔をして不興を買ったとしてもその目的からは遠ざかりこそすれ実現はしない。そのことは分かっているように見える。

 しかし、そもそもエオースがミッションを再開できる水準まで修理しようがないのであれば僕はここに居続けるしかないわけで、レイシー達が腹の中でどう考えているかまでは実のところ分からない。第二原則を盾に命じればシャーロットあたりはありのまま何もかも話しそうではあるが、当面それをやるつもりもない。

 僕がそんなことを何となく考えていると、レイシーは呟くように言葉を続ける。


「使えるものがあるなら、どうせリザが見つけると思います……それに……」

「ん?」

「見つからなくても、ライル様が一言こう言えば良いのです。『寄越せ』と」

「レイシー、君は……」


 どきりとして僕は言葉を詰まらせた。

 もういい加減彼女も気付いていたのだろうか。

 もし僕が発電機を調達できなくても、シミュラント達がアストリアで使う分を奪うという手が存在することに。

 そして、僕がその可能性を考慮していることにも、気付いているのだろうか。

 僕が答えに窮していると、もしくは答えに窮したこと自体が既に答えになっていたのか、レイシーは小さく首を振った。


「今この場でする話ではありませんでした。ですが、ライル様がお望みであれば何でも――」

「……その話はまた今度にしようか」


 僕は曖昧に頷くとそこで話を打ち切り、視線を正面に向けた。

 ……先送りにしてきた問題と、僕はそろそろ向き合わないといけないのだろうか。



 さて、僕らが適当に雑談していようとしていまいと、もしくはいっそ居眠りをしていようと、ローバーは勝手に進む。

 ローバーには汎用の人格型人工知能は搭載されていないが自動運転システムは搭載されており、僕らがいちいち運転するまでもなく粛々とリザについて行ってくれるのだ。

 小一時間ほど進んだところで、僕は奇妙な反応がヘルメットのシールド内に表示されていることに気づいた。電波による信号だ。

 無論気づいたのは僕だけではないはずだ。リザを呼ぶとわざわざ詳細を訊ねるまでもなくこちらに情報を送ってくる。


「ビーコンなのです。これは調べる価値がありそうなのです」


 この時代の機器は、自分の現在位置や状態を知らせるために、定期的に信号を発するようになっているものが多い。信号を発する間隔にもよるが電源次第で数十年から百年以上も持つものもある。

 各ビーコンが何を意味するかは信号に付与された情報を解読すれば分かるようになっている。

 アストリアでも様々なビーコンは飛び交っているが、大抵はどうでもいい機器の残骸だ。

 もしこれが小型プラントだとか工作機械だとか資材タンクだったりすれば当たり、発電機なら大当たりということになる。

 だが今表示された信号はそのようなものではなかった。


「……これ、救難信号?」

「だったもの、なのです」


 僕の呟きをリザが訂正する。

 ビーコンは雑多な機器ではなく人間の携帯端末が発する救難信号だった。しかしリザの言うとおり、端末の主はとっくの昔に死亡しているであろうから、今や遺体の回収を求めるための信号でしかない。

 ヘルメットの内側のディスプレイに視界と重なるようにウィンドウが開き、老人男性の写真と彼のプロフィールらしきものが表示された。


「ドクター・ロジャー・ウォーカー。覚えていますですか?」

「いや……」


 見覚えも聞き覚えもない人物な気がする。だがリザが覚えているかと訊ねているのだから、どこかで僕が見聞きした人物のはずだ。

 僕が首を傾げるのを見て、リザは更にディスプレイの情報を増やした。

 医学博士、そして長期間の冷凍睡眠による肉体的精神的影響の研究を一三〇年ほど前から担当している、そして――


「ライルさんが起きる度に担当者は変わっていたので覚えていないかもですが、ミス・レイシー・ウィットフォードの最後の担当者で、主治医なのです」

「……ミス・ウィットフォードの担当者?」


 意外な名前にどきりとしてレイシーの方を窺ったが彼女は特に口を挟んでこなかった。

 そもそもオリジナルのミス・ウィットフォードはアストリア内で冷凍睡眠の実験を行っていた被験者だ。

 僕がリザの管理下にあるように、ミス・ウィットフォードも基本的にはアイラの管理下にあったはずだが、その研究を担当していた人間の担当者もいたことはいた。その担当者も僕が冷凍睡眠から目覚める度に紹介はされていたような記憶はあるが、毎回変わるので聞き流していた。

 が、なるほど、この老人が彼女の最後の担当者だったのか。


「なるほど。よし、彼を回収したいな。ルートを洗い出して」

「了解なのです」


 すぐに地図上でビーコンの位置が特定され、そこに至るルートの安全性が検討される。

 しばらくして正面を大きく迂回するようなルートが地図上に描かれた。


「行くのです」

「うん」


 ローバー達がガシャンガシャン……というような音はもちろん真空なので立てないが、そんな感じで音もなく行進し始めた。

 そこでようやく僕は、隣の大型ローバーの上でレイシーが何か考え込んでいることに気づく。


「どうしたの、レイシー? 何かあった?」

「……ドクター・ウォーカーという方、知っています。もちろん直接あったわけではなく、映像上でですけれど……」

「ん?」


 唐突な話に僕が困惑していると、彼女は更に少し考えて続ける。


「私達の初等教育プログラムを作ったのは彼です。よく覚えています。何度も教育用の映像に出てきましたから」

「ミス・ウィットフォードの担当者がシミュラントを? どうして?」

「そこまでは分かりませんが……」


 僕の疑問に彼女はそう言って視線を落とした。

 そもそもシミュラントはアストリアの人間が全滅した後にアイラが作り出したもののはずだ。ミス・ウィットフォードの担当者が教育プログラムを作ったというのは時系列が合わないように思える。

 このまま首を傾げていても仕方がない。僕は開きっぱなしになっているはずの回線でアイラを呼び出した。

 この非協力的なアストリアの管理システムも、僕が具体的に質問すれば一応答えてはくれるはずだ。


『何でしょうか、ライル』

「シミュラントはアイラが作ったものと聞いています。でもレイシーの話だとミス・ウィットフォードの担当者であるドクター・ウォーカーが教育プログラムを作ったとのことです。彼とシミュラントにどういう関係が?」

『概念と基礎理論の確立、および法的問題についての考察を行ったのが彼のチームです。元は大幅に減少した人間社会をサポートするために設計されたのですが、彼らの存命中には完成しませんでした。私はそれを引き継いだのです』

「はぁ、なるほど」


 どうもシミュラントには僕の知らない経緯がまだあるように思える。

 アイラは僕が訊ねた分しか答えない。

 リザはリザでシミュラントにあまり良い感情は持っていないので、必要以上にシミュラントの事情に踏み込むような情報は自発的に出してこない。

 今さっき僕が初めて知ったドクター・ウォーカーのことだって、リザは知らなかったにしても何か推測できるような情報はあったはずだ。だが、僕がちらりと視線を向けてもリザは涼しい顔をしている。

 困ったものだ。

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