ポップコーン
「……とまぁ、こんな感じなわけだけど」
我らがリザが監督・製作したエオースの紹介映像を鑑賞するのには、概ね一時間あまりを要した。
内容はあくまでざっくりとしたものだが、船の構造や各種設備を始めとして船で生活するのに必要な最低限の解説になっていた。
この後で船の中を案内するつもりだが、変なところを触ってややこしいことになられるのは困る。宇宙船というものはトイレの使い方一つとっても船ごとに流儀が異なるくらいなのだ。
……トイレの使い方を誤って逆流した『中身』を船内にぶちまけたなんてことだけは御免被りたい。
つまりそういう意味で最低限の予備知識は付けて貰う必要があったわけだ。
そんなこんなを解説した映像を一通り見終わると、レイシーとシャーロットはホワイトアウトした画面から視線を外し、揃って神妙な顔で僕の方に向き直る。
「ねえ、ライル。思うんだけど……」
「どうかした?」
僕に問い返されたシャーロットは、ついと目を逸らすように視線を落とした。その視線の先には先ほどまでポップコーンの入っていた紙製の容器がある。
それを手元で弄りつつ彼女は真剣な声色で続けた。
「あのね、ポップコーンを食べる時は映像の総時間に合わせた適切なペース配分が重要みたい。食べるペースが早すぎると途中で無くなっちゃうし、あまりゆっくりすぎると余っちゃうわ。つまり、素早くポップコーンの総数を概算して、それを総時間で割って最適なペース配分を決定し、そのペースをきちんと保つのが大事ね。今回はちょっと失敗して早く無くなっちゃったけど次からは上手くやれると思うわ」
「いや今回の主旨はポップコーンの食べ方じゃないんだけど」
「えっ?」
彼女の声は心底想像もしなかったことを聞かされたぞと言わんばかりに意外そうなものだった。そしてぱちぱちと数回瞬きしたかと思うと、今度はえらく複雑そうな表情で眉を寄せはじめる。
一体この子は先ほど一時間ほど掛けて見せた映像を何だと思っているのだろう。まさか本気でポップコーン食べながらの映画鑑賞会だと思っていたというのはあるまいが。
相棒がうんうんと唸りはじめたのを横目に、今度はレイシーが小さく手を挙げる。
「ライル様は私達に何をお求めなのでしょうか」
「ああうん、それなんだけどね。君達にお願いしたいことがあるんだ」
「……はぁ……」
レイシーはレイシーでなんだか釈然としない表情だ。
彼女達にとって人間から下るものは第二原則による命令であって、何かを頼まれるというようなふわっとした概念はあまりないのかもしれない。
一方その隣ではシャーロットがまだ紙容器を未練がましく指先で弄っている。
「ねえ、ライル。ポップコーン……」
「はいはい。また今度食べようね。話を戻していいかな」
「あ、うん……で、なんだっけ。あたし達に命令したいことがあるんだっけ?」
「命令じゃなくてお願い、かな。嫌なら断ってくれてもいいけど、お願いを聞いてくれたら僕にできる範囲で君達に何か便宜を図ってもいい。食事とか」
とりあえずシャーロットの注意をポップコーンから引き戻すことはできたようだ。
彼女達シミュラントはどれだけ人間のように見えてもロボット工学三原則の支配下にあることは間違いない。だから僕が何かをさせたいのなら第二原則を盾に命令するのが一番早い。だが可能であれば彼女達が自発的に従ってくれることに越したことはないとも思うのだ。
まあもっとも僕が『お願い』した時点で事実上の命令になってしまうこともあるので、そのあたりは地味に気を遣うところではある。
「ライルのお願いを聞けば、あたしのお願いも聞いて貰えるってこと?」
「まあ、ものによるけどね。それで君達に頼みたいことなんだけど……」
ようやく本題に入れた。
僕は、エオースの修理状況やアイラが非協力的で手こずっていることなどを、アストリア自体を犠牲にしなければならないかもしれないといった点は伏せた上で、二人に説明する。
実際のところ僕一人で全部を切り盛りするのは結構大変なので、彼女達にはアイラを小突く作業や各種調査と報告書作成を手伝って貰いたいのだ。
リザのサポートがあるので細かい知識が必要なわけではないが、作業状況次第ではエオースに泊まり込んで貰う必要も出てくる。
彼女達はアストリアという大型の宇宙船で暮らしていながら宇宙に対しては驚くほどズブの素人であるため、エオースで生活するだけでも様々な訓練も必要になる。訓練にしても何にしてもそれなりに大変だし、その上で彼女達には納得して自発的に協力して貰えないと意味がない。
安直に命令するだけではどうにもならないことは、すぐ第一原則を盾に従わなくなるアイラで実証済みだ。
一通り話をしたところで、レイシーが困惑したように視線を彷徨わせはじめた。
「……船の修理、ですか」
「リザが必要なものをアイラがごねたら第二原則を使って従わせるってだけだけどね。細かい技術的な知識が必要ってわけじゃないよ」
「それは……命令であれば、従いますが」
レイシーは歯切れ悪く言葉を濁す。それはつまり、自由意志で判断するなら従いたくないということなのだろうか。
我ながらうぬぼれた考えであるが、レイシーはあっさり手伝ってくれるだろうと勝手に思っていたので、僕は若干の衝撃を受けていた。
彼女はそんな僕の視線を避けるように目を伏せると、もう一度「ご命令でしたら」と小さく呟く。彼女はとても忠実で献身的なロボットだ。不本意でも命令すれば従うだろう。だがそれでも僕は彼女達をロボットとして従わせるのはどうにも気が進まない。できれば、そう、納得の上で協力して貰いたいのだ。
と、そこで唐突にシャーロットがぱっと両手を挙げた。
「ライル、あたしはお手伝いしてもいいわ」
「シャーロット……?」
あっさりとそう言うシャーロットに、レイシーは驚いた様子で顔を上げる。
提案した当人である僕も、レイシーよりも先にシャーロットの方が協力的になるというのはあまり考えていなかった。僕はやや胡乱げな声色を隠しきれないまま聞き返す。
「いいの?」
「だってお手伝いすればライルが何でもお願い聞いてくれるんでしょ」
「え、いや、何でもとは言ってないからね? とりあえず希望は聞くけど」
「うん、えっと、あのね」
彼女は素晴らしい名案だとでも言いたげに笑顔を浮かべ、ぽんと手を打つと要望を述べた。
「ライルがこのままこのアストリアにずっといてくれるならお手伝いするわ。ね、レイシーもそれならいいでしょ?」
「は?」
「えっ、それは、その……」
シャーロットの『名案』に、僕が間の抜けた声を上げ、レイシーはますます困惑の表情を深めた。
レイシーが僕の方に何か言いたげな視線を送ってくるが、そんな目をされても僕だって困る。
「あのさ、シャーロット。僕がどうしてエオースを修理しようとしてるのかは分かってるのかな?」
「遠くの宇宙を調べるためでしょ、知ってるわよ」
「つまり僕がアストリアに永住したら、外宇宙調査もできなくなるから修理する意味がないよね?」
「うん、それも分かってるわ。でもあたし考えてみたの、ライルだけアストリアに残ってエオースはリザが一人で動かせばいいんじゃない? リザが一人で寂しいならこっちからライルが通信して指示すればいいのよ、レイシーと通信してた時の逆ね。そうすればライルは安全なアストリアにいられるわ」
「さすがにそれは……」
彼女はいたって真剣であり冗談で言っている様子はない。
確かに残りのミッションはリザに任せてしまうということも、理屈の上ではなしとは言えない。人間の同行を前提とする実験はできなくなるが、今となってはそれもミッション全体から見て大きな要素ではない。
……まあ、エオースの修理のためにアストリアを使って共食い修理する必要があるという問題をまるっと忘れる必要があることと、なにより僕自身が意地でもミッションを続けたいというのを度外視すればの話だが。
とはいえ、シャーロットの言い分は外形的にはもっともなので、共食い修理の話を伏せつつうまく説得するのは結構難しい。
僕がどう言ったものか悩んでいると、船内スピーカーを使ってリザが口を挟んできた。
『なんなのですか。聞き捨てならないのです。どうも誤解があるようなのです。予定通り修理が完了すればエオースの安全性はアストリアに劣るものではないのです。むしろ現状のアストリアに残るよりはエオースの方が安全なのです。ふん』
リザは鼻をならすような擬音までわざわざスピーカーから発しつつシャーロットを威嚇する。リザの例のボディは今アストリア内の調査に出ていてここにはいないし、いたとしても彼女はそもそも鼻で呼吸なんてしないので、これはあくまで不愉快なことだという意思表示をするための演出だ。芸が細かい。
彼女がここまで人間臭い不満の表し方をするのは珍しいので、僕としては少々面食らったが、元来リザは自らの任務に対しては誇り高い性格付けが行われている。
対するシャーロットはこちらはこちらで納得がいかないという風に首をかしげている。
「そっかなぁ? エオースは立派な船だと思うけど、それでもエンジントラブル一つで船ごとおシャカになりかねない規模でしょ。その点アストリアは大きいだけあってずっと頑丈だわ。それにライルだってこの先何十年も何百年も独りぼっちで旅するより、あたし達と一緒にアストリアにいる方が心理面でも安心でしょ。ライルがミッションにこだわってるのは知ってるけど、ライルが危険を冒してエオースに乗ってなきゃいけないわけじゃないわよね。人間の身の保護を最優先するっていう第一原則を考えればライルがこのままエオースに乗るなんて考えられないわ」
意外だ。普段から食べることしか考えてなさそうなシャーロットだが、考える時はそれなりに考えるらしい。
だがもちろんその程度で言い負かされるようなリザではない。
『何を言っているのですか。管理システムであるはずのアイラ自身がろくに管理もできていない船で、単にでかいなんて大した自慢ではないのです。管理区域外だらけのアストリアは、安全マージンどころかコントロール不能な潜在的危険に取り囲まれているのです。リソースも限られている以上、全てを正確に管理できるエオースの方が不測の事態は起こりにくいという考え方もできるのです。だいたいつい昨日ライルさんを停電環境に置くという大失態を犯したのをもう忘れたのですか』
「それは……でも何ともなかったじゃない」
『ライルさんに何かあってからでは遅いのです。お前達はどうも物事を惰性で考えているふしがありますが、宇宙をナメているにもほどがあるのです』
「そんなことは……ない……と思う」
シャーロットは唇を尖らせるが言い争いでリザにかなうわけがない。それに実のところ彼女達が宇宙をナメているというリザの評価は、僕から見ても妥当なように思える。
アイラが船内状況を限定的にしか把握できていない以上、アストリアが昨日まで大丈夫だったから明日も大丈夫だろうというのは若干根拠が希薄である。
昨日の停電騒動の後、もうエオースからは一歩も出るなと主張するリザを宥めるのには本当に難儀したのだ。
「で、話を戻すけど、レイシーの気が進まない理由は教えて貰える?」
「それは……」
僕があらためてレイシーに向き直ると、レイシーのグレーの瞳は僕の視線からさっと逃げた。
命令ではないと僕が念を押したというのを踏まえても、どんな理由であれ人間の要望に異議を唱えることは、他のロボットと比べても従順な傾向の強いレイシーには大きなストレスなのだろう。
「……船の修理が終わればライル様は再び危険な任務に旅立ってしまわれるのでしょう……? そして私達が手伝えばそれが早まるのですよね」
「つまり、さっさと修理が済んでしまうのが困る?」
「……はい」
少し意外な答えだったが全く予想しなかったものでもなかった。彼女達にとって、僕が早急に『危険な任務』に向かうことを看過することは、『人間が傷つくことを看過してはならない』という第一原則に反すると認識しているのだ。
だが、実のところその懸念はあまり意味がない。
「修理が早く終わっても元々決まっていた期間は滞在して調査を続ける予定だし、逆に君達の手伝いがないならないで期間に間に合わせるために僕がエオースに付きっきりになるだけだよ。だから僕がアストリアで調査する時間が増えるか減るかだけの問題でしかない。で、このままだと僕がエオースにいる間は君達と会うことすら難しい」
「それは……困ります」
「ずるーい!」
レイシーが言葉通り困ったように呟く横で、シャーロットが唇を尖らせる。
「ライルに考えを変えて貰いたくても、このままじゃあたし達はライルを手伝わなきゃライルに会うことすらできないってことじゃない。ずるいわ」
「僕としてはその辺の不満はアイラに言って欲しいところだけどね。実は僕も困ってる」
「ちょっと考えさせてよ」
「いいよ。レイシーもね。ま、今日は君達はお客様として来て貰ってるし、そろそろ約束通り船の中を案内するよ」
もし彼女達が僕の手伝いを拒否するとなると、明日からは彼女達をエオースに立ち入らせるわけにはいかなくなる。今日は見学扱いのお客様待遇だが、本来ならばエオースに入るだけでも基礎的な訓練は受けてもらう必要があるのだ。これはルールなのでどうしようもない。
彼女達が自発的に僕の仲間になってくれると嬉しいのだが。
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