共食い

「ほんの数日ぶりなのになんだか懐かしいなぁ……」


 僕は久しぶりの『我が家』の外観を眺めながら少々感慨深く呟いた。

 我らが中型宇宙船エオースは、円筒状のアストリアの中心軸から外にせり出すように設けられたドックに繋がれている。僕がアストリア内で宿泊しているゲストハウスはドックから近いとはいえ、それでもなんだかんだで最短で片道三十分も掛かる場所だ。

 アストリアは遠心力を使って人工重力を発生させているため、ドックのある中心軸あたりは無重量状態になっている。人工重力区と無重量区の間では乗り換えのための加減速区が存在し、完全に減速して遠心力を失うまでそこで結構待たされるのだ。

 僕はチューブ状になった搭乗ブリッジの中をふわふわと進む。


 ドックに固定されたエオースは、外殻が取り外された状態で徹底的な修理が行われている。普段は見ることのない配線や内部モジュールが今はむき出しだ。

 リザの話によると僕が冷凍睡眠から目覚める一年ほど前から修理は開始していたそうだが、本格的に修理作業が進み始めたのは僕が目覚めてからだ。人間の命令がないとリザだけではアイラからの資材提供がなかなか受けられなかったのである。


 エオースには様々なものを船内で作り出せるプラントが搭載されている。

 地球から遙か離れた宇宙空間を孤独に進み続け未踏の星系を調査するとなると、あらゆるものが自給できなければならない。それは食料や生活必需品から予備の金属部品に至るまで幅広い。

 この宇宙の果てでは交換用の修理パーツですら自分で作り出す必要があるのだ。

 外宇宙で資材を現地調達することも想定されているため、プラントが要求する資材はかなりの雑食性である。現地にどんな鉱物が存在するか分からないため様々な資材からあらゆるものが作り出せるよう設計されている。理想的な資材が手に入らない場合でもその場で利用可能な代替資源を使ったりして、とにかく必要なものは何でも作るしかないのだ。


 今や唯一の正規乗員となった僕は、船のシステムについても把握する必要があるのだが、あのいかがわしい魔法じみたプラントのことを考えるのはなるべく後回しにしたいと思っている。


 船の側面に目を移す。

 事故の原因となったいわくつきのサブエンジンの一つは跡形もなく吹き飛んでおり、船体もそこが大きく抉られている。

 目視であらためてその惨状を見て、僕は小さく呻いた。いやしかしこれでも奇跡と言っていいほどましな方なのだ。あんなところで反物質ロケットエンジンが事故を起こして、今僕が生きているというのがむしろ信じられないほどだ。




『おかえりなさい、ライルさん』

「うん、ただいま。今日も素敵な我が家だ」


 エアロックを開いてエオースに入ると、船内のスピーカーからリザの声がした。僕にもまだただいまと言える相手と場所がいるのが少しだけ嬉しい。本音を言うとリザのあの可愛いヒューマノイドボディがちゃんと出迎えてくれればもっと良かったが、そっちは今アストリアの調査で出張っていた。

 修理中のため船に入っても使える部屋は限られている。かつて僕の私室だった部屋もメンテナンスのために通路が塞がれていて入ることができない。

 船内の人工重力システムが停止されているためここでも無重量状態だ。


 そんな中で僕が真っ先に向かったのは、船内に設けられた『霊廟』と名付けられた部屋だった。

 霊廟には僕の仲間達の遺体が冷凍状態で収められている。ほぼ原型を留めないほど酷い状態のものから、そうでもないものまで様々だが、外からは見えない。部屋の見た目としてはただ白い箱が並んでいるだけだ。

 医療技術の発達次第でいつか蘇生できるのではないかとか、そういう期待もあることはある。だがそれは現実的な期待ではない。

 もしくは彼らの細胞からクローン技術を使って人間を再生することは――法的問題をともかくとすれば――現代の技術でも理論上は可能だ。だが、それは同じ遺伝子を持っただけの全くの別人に過ぎない。

 結局彼らの記憶と人格を蘇らせることは恐らく永久に不可能なのだ。情緒的な表現をするならば、彼らの魂はもはや永遠に失われたのだ。

 この部屋の存在意義は、生き残った人間の納得のためと言ってもいいだろう。つまり僕の人間的な感傷のためだけの部屋だ。

 僕は数分ほど立ち尽くしたあと、特に言葉を発することもなく霊廟を出た。


 次に僕が来たのは、現在利用可能な数少ない部屋の一つである、ミーティング用の小会議室だ。

 小会議室とはいえ僕一人で使うには無駄に広い。


「さて、リザ。状況を表示して」

『はいです』


 僕はエオースの修理状況を壁面のディスプレイに表示させると、腕を組んだ。


 状況はあまり芳しくない。

 取り外された外殻はパネル一枚ずつ検査されているが、修理不能で交換を要するものが一割ほどある。エオースの手持ちの資材で外殻パネルの製造に使えそうなものはほとんど払底しており、アストリアからの供与を受ける必要がある。まあこちらはアストリアの既に『死んだ』区画から失敬してくればいいし、アイラがゴネたら僕が命令すればいいことではあるが、面倒だ。

 外殻を除けば船体の骨格部分は比較的ダメージが軽微と言える。いくらか補強または交換する必要はあるが、現在エオースの工業プラントをフル回転させて製造しており、修理の目処は付いている。


 問題は入れ物である船殻や骨格よりもむしろ中身にある。

 エオースのロケットエンジンや発電設備は事故時の強烈な負荷により酷い損傷を受けており、騙し騙し使ってきたサブエンジンはほぼ全滅、発電機の半数はいつ死んでもおかしくない状態にある。比較的ダメージが軽微な発電機は二機だけ。メインエンジンが修理可能そうなのはせめてもの救い、といったところか。

 もっとも、地球製の宇宙船は高度にモジュール化されており、ロケットエンジンや発電機から各種プラントに至るまで高い互換性を保った規格品となっている。船のサイズが大きく異なるエオースとアストリアにおいてもそれは例外ではない。

 つまりアストリアのいくつかの無事な小型ロケットや発電機はエオースにも搭載可能なのだ。

 そうなれば当然出てくる考えがある。


「アストリアからエンジンや発電機をかっぱらって移植することは可能?」

『可能ですが、それをするとアストリアはでっかい棺桶になるです』


 そう、そこが問題なのだ。

 アストリアもちょうど先日停電騒動を起こしたばかりだが、送電システムに問題があるだけで発電機そのものには問題はない。アストリアには正常に動作する発電機がある。

 だがエオースを動かすためにアストリアのロケットエンジンや発電機を接収するとなると、アストリアは下手をすると環境維持システムを稼働させるにも事欠くことになる。先日の停電騒動を思い起こすまでもなくあちらだってギリギリなのだ。

 もちろんアストリアには人間の生存者がおらず最早ミッションを継続することが不可能な宇宙船である以上、理屈としては『共食い修理』の相手に使ってはいけないということはない。特にロケットエンジンに関してはもう使う予定がないのだから遠慮なく貰ってしまっていいだろう。

 しかし、発電機の接収はシミュラント達の死とほぼ同義である以上、アイラが強く抵抗するに違いない。


 決定権は唯一の人間である僕が全面的に握っている。

 僕が、決定しなければならない。

 選択肢はいくつかあった。


 単純に僕の生命だけを考えるならば、最も無難な選択肢は分かりきっている。エオースを諦め、ミッションを諦め、このままアストリアで暮らすことだ。

 アストリアの状態もあまり良いとは言えないが、僕がたった一人でエオースを運用しミッションを続けるのとどちらがマシかと言えばアストリアの方が若干マシではないかと思う。

 エオースのミッションは、新型の反物質ロケットエンジンと冷凍睡眠装置を搭載した中型の宇宙船を運用し、外宇宙で人類が居住可能な星系を調査し人類の橋頭堡を築くことだ。だが最終的な調査の方はあわよくばという色彩が強く、宇宙船そのものの運用試験に重きが置かれている。

 そういう意味では当初期待されていたミッションの大半は概ね――いくらか否定的に――達成されたと言っても良い。

 ある意味では僕の納得という感情の問題と言える。


 アストリアから各種モジュールを接収し、『共食い修理』でエオースを復旧させミッションを再開することもできる。

 今この船の中では、というより宇宙のこの辺り半径十数光年そこらでは僕が唯一の人間であり、つまり唯一の絶対的な命令権を持つ存在だ。

 シミュラント達全員に命を差し出せと言えば彼らは従うだろう。人間とロボットの関係は本来そのようなものである。

 これも問題は僕の感情だけなのだ。

 だが、ほんの数日だけの付き合いではあるが、僕は自分でも驚くほどレイシーやシャーロットに感情移入しつつある。

 彼女達はロボットとしての性質を有してはいるし、僕が命令すれば本当にどんなことでも従うだろうが、かといって苦痛も恐怖も覚えないわけではないのだ。

 あの少女達に面と向かって死ねと命じられる自信は無い。


 プランはもう一つある。そう、プランBが駄目ならプランCだ。

 法的には可能だ。技術的にも恐らく可能だ。だがリザは反対するかもしれない。

 僕はその三つ目のプランを口にしてみる――


「彼らをエオースの乗員として取り入れることはできないかな。彼らは全部で二十二人。エオースは元々最大で五十人乗れる船だし、アストリアよりもずっと電力効率がいいから生活も快適だよね」

『邪魔です』


 僕の提案はリザに事前に予想されていたのだろう。思っていた以上にリザはあっさりとぶった切った。


『ライルさん、人間にとって情け深いことは美徳ということは理解していますが、限度があるのです。単なる機材であるロボットに感情移入していちいち情けを掛けていては、きりがないのです。シミュラントを全部保護するというのは大変な負担とリスクになりますが、人間ならともかくあれは何の役にも立たないものです。そんなのでライルさんのリスクを増やすことには断固反対するのです』

「でも放ってはおけないよ」


 リザの言うことは分かる。

 実のところエオースはリザ一人でほとんど全てを切り盛りできる。脆弱で手の掛かる人間は単なるお荷物と言っても良いほどだ。

 それでもなお彼女が人間を必要としているのは、外宇宙での生活が人間に与える影響を地球に報告する必要があるというのもあるが、リザ自身に三原則の拠り所が欲しいからというのが最も大きい。ロボットであるリザは人間がいて初めて何かを行うための根源的な動機を得られる。リザにとって人間は目的そのものなのである。

 だが、彼女が必要としているのはあくまで人間だけである。彼女にとってはシミュラントなど、極端にメンテナンスが面倒で性能の悪い出来損ないのロボットに過ぎない。

 僕だってそれは分かっている。これも結局感情の問題なのだ。


『人間が孤独に対して弱いことは分かっているです。例えばあのミス・ウィットフォードのイミテーションを、ライルさんの慰めとして手元に欲しいというのであれば、私は止めないのです。健康な男性にとってそういう存在がいた方が安定に寄与することは理解しているのです』

「いや、それは、そんな……」


 オリジナルとそっくりなのに直に会ってみるとどこか違う、あの控えめで静かな少女の微笑みが脳裏に浮かんで、僕は赤面するのを感じながら慌てて首を振った。

 あの人間そっくりの少女は、人間そっくりではあるがあくまで僕の言いなりになるだけのロボットだ。

 僕が望めば彼女は本当に何だってするのだ。

 だが彼女があくまで人間という存在に従っているだけで、僕個人に特別な感情を持っているとかそういうわけではない。つまり例えば彼女が僕のことを異性として特別に好きだとかいうわけではないのだ。

 この場にいるのが僕以外の人間でも彼女はきっと同じように振る舞うに違いない。

 相手が人間でさえあれば、彼女はどんな者にも身を任せるのだ……

 そんなことを考えるとなんだか憂鬱になってきたが、そんな僕に構わずリザは話を続ける。


『もし気に入ったのなら、あの小さい方、シャーロットも連れて行っていいのです。やや小うるさいですが健康状態は良好そうです。多少乱暴に行いたいなら向いていると思うのです』

「いやだから……」


 というか乱暴に行いたいならとは何の話だ……

 あの開けっぴろげで可愛らしい少女も、僕と恋愛関係になるなどと公言はしているが、そこに彼女自身の恋愛感情だのがあるわけではない。彼女にとっては僕である必要はなく、やはり人間であれば誰でもいいのだ。

 僕は大きくため息をつくと再び首を横に振った。まあその辺りのことは今出す結論でもないだろう。


「……オーケー、リザ。船の修理状況と問題は分かった。ともかく僕はミッションを断念するつもりはない。エオースの修理は進めておいて。それ以外のことはまた考えよう。何か上手い方法が見つかるかも知れない」

『了解なのです』


 僕はそこで話を打ち切り、そして先ほどから気になっていたことをリザに訊ねることにした。


「ところでリザ、レイシー達は遅いね。何かあったのかな」

『あのガラクタどもは下の通路のあたりでまごまごしているのです。急かすですか?』

「待つよ。それより頼んでおいたものはできてる?」

『ポップコーンなら作ってあるのです』


 僕が頼んだときはリザは渋っていたがちゃんと作ってくれたようだ。

 レイシーもシャーロットも地球っぽい食べ物なら大抵のものは喜んでくれる。その上で僕が気づいたのは、彼女達は食べ物そのものの美味しさ以上に人間的で地球的なシチュエーションを好むらしいということだ。これはどうやらレイシーがオリジナルであるミス・ウィットフォードのことを学ぶ過程で、その好みに感化された結果らしい。

 これから彼女達にエオースについて説明するのに、皆で説明用のムービーを見ながらポップコーンを食べるというのは、僕にとってはなかなかの名案に思えた。


『それにしても、ライルさん。本当にアレを実務で使うのですか?』

「良い子達じゃないか。僕も楽になるし。リザは嫌い?」

『別に、気にくわないとは、言っていないですが』


 その割にリザの言葉には微妙にすねたような響きが感じられた。

 レイシーもシャーロットも、法的にはロボットではあるが知能や身体能力は人間並みでしかなく、人知を超えた水準で有能なリザとは比べるべくもない。身も蓋もなく言えば、僕をアストリアに居着かせるために宛がわれた、単に可愛いだけの女の子達なのだ。

 だが彼女達はロボットでありながら、アストリアの管理システムであるアイラからは人間に準ずるものとして扱われている。

 これはつまり、今の僕にとって一番面倒な仕事、つまり資材の提供を渋るアイラに対していちいち「つべこべ言わずに寄越せ」と第二原則の下に命令する作業は、レイシー達でも行うことができることを意味する。一日に何度も渋るアイラから事情を聴取して命令し直すのは、今や僕の一日の業務の大半を占めるまでに至っている。これはなんとかしたい。

 要するに、僕は彼女達を利用してエオースの修理を効率化するために、今からエオースの概要を説明しようとしているのだ。まあ、アストリアを犠牲にしなければならないかもしれないといった話は、まだするつもりはないが。


「……遅いな、まだかな?」

『今やっとエレベーターに乗ったところなのです』

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