瑠璃琥珀堂綺譚

望月結友

猫の巻

桜の君の章

瑠璃琥珀堂

 綾里あやさとゆいは、なんどめかの回れ右をした。

 そのまま数歩すすんだのちに、立ちどまってため息をもらす。袖からのぞくちいさな手を握りしめると、のこり二枚になったババ抜きのカードをたしかめるように振りかえった。

 おおきな瞳が印象的だ。ボブの髪やひくい身長とあいまって小動物に似た愛らしさがある。ネイビーのブレザーとタータンチェックのリボン、そろいの柄のスカートはこの町にある高校の制服だ。

 不安そうな視線のさきには一軒の建物があった。

 春の花が咲きそろったひろびろとした前庭があり、瓦の屋根もつ漆喰しっくい壁の平屋で、軒下に歩廊をめぐらせたコロニアル風の建築である。硝子張りの正面と左右の部屋が多角形になった和洋折衷の外観は、煉瓦と鉄柵の塀の時代がかった風合い以上に、その店をちかづきがたいものにしていた。

 結はもう一度あたりを見まわす。閑静な住宅街をぬける通りに行人はなく、あわい色合いの空から午後のうららかな陽射しがそそぐのみであった。

 おおきく息をすってうなずくと、表情を引きしめて歩きだす。くぐった鋳物の門柱は唐草模様をなしており、そこからのびた袖看板には閑雅な筆致で「瑠璃るり琥珀こはくどう」としるされていた。


「あの……、ごめんください」

 結はうすくひらいた扉のそとに体をのこして呼びかける。少女にしてはややひくく、あまくかすれた音色だ。

 日がかげったせいで仄暗ほのぐらい店内に人の気配はなかった。落ちついた風合いの木の床には数卓のテーブルと椅子、ショーケースや飾り棚があり、アンティークショップとカフェをかねたような構えだ。

「お留守ですか……?」

 後ろ手にドアをしめたとき、ドアチャイムがなった。こたえるように日がさし、わずかに波うった硝子と白い木の組子をとおってまるくなった陽光がみちる。さまよう結の視線は優美な曲線をえがくカウンターでとまり、楚然そぜんと浮かびあがった女性の姿にくぎづけになった。

 白いシャツに黒のベスト、クロスタイとソムリエエプロンという出で立ちで、この店の従業員だとわかったが、ただひとつ結にとって想定外であったのは、端正な顔だちをいろどる瞳はあおく、肩あたりでそろえられたゆるやかに波うつ髪は華やかな金色をしていたことだ。

 外国の人って目が合うと本当に微笑むんだ、と感心したもの束の間、彼女と会話しなければならないのだと気づいて困惑し、どういえばいいか悩みはじめるところまでがありありと表情にでる。

 見知らぬ、それも異国の人に話しかけるなど、普段の結にはできない選択であったが、やむにやまれぬ事情が背中をおした。散々思案した結果、ひらめいた、とばかりあかるい顔になって口をひらく。

「え、……えくすきゅーず・みー?」

「Yes?」

 完璧な発音であった。なんでもどうぞ、という笑顔をむけられた結は、さらなる語学力が要求されると思いあたった。だがつづく言葉などでてこない。決断と躊躇ちゅうちょを数回くりかえしたのちに、碧眼へきがんの女性と入り口を見比べ、もう逃げだしてしまおうと決めかけたとき、やわらかな笑い声がひびいた。

「ごめんなさい。あんまりいろいろな顔をするものだから、つぎはどうなるのか気になって」

 完璧な日本語であった。結は頰どころか、耳まであつくなるのがわかった。

「あ……あの、わたし――」

「――迷ったのだろう? 道に」

 声のきこえた飾り棚のあたりをみると、べつの女性の姿があった。

 碧眼の女性を日向にさく花とすれば、こちらは夜の底にひらく花だ。たかい位置でひとつにまとめた色の髪と切れ長の瞳がうつくしく、夜桜をおもわせる小紋に京紫のぼかしのはかまを胸高に穿き、前かけをしめている。

「どうして、わかるんですか?」

「ここはそういう店だからな。ちがったか?」

「いえ、あってます。……はい」

 そういう店、ということは道にまよう人がおおいのだろうか、だが断言されてしまうとすこしかなしい、方向音痴なのは自分でもよくわかっていたとしても。結はちいさくため息をもらす。

「ならよし。それで、名はなんという?」

「え? 綾里……ですけど」

「いや、苗字ではなく名前だ」

「結です。綾里結」

「なるほど、迷子の綾里結か」

 ありがたくない修飾語を頂戴した気がする、と鼻白む結を気にする様子もなく、かろやかにちかづいてきた女性は目をほそめた。

 背がたかい。うしろめたいことがあるときにシスターからむけられるまなざしを思いだして、結は落ちつかなくなった。

「結はあまり、病気や怪我をしないな?」

「はい。まあそうです……けど」

 それがどうかしましたか、というまえに黒髪の女性は言葉をつぐ。

「だが随分とこんがらがっている。よくここまでこられたな」

「いえあの、ほかに道がきけそうなところ、ありませんでしたから」

「そうか。どうおもう? 瑠璃。まちがいなさそうだが」

「ええ、あなたとおなじ意見よ」

 瑠璃、とよばれた碧眼の女性が首肯する。はれて迷子とみとめられたようだ。道をたずねたかったのでよかったのだが、訳がわからない、結の表情は複雑だ。

 壁の時計がなった。結は我にかえる。迷子認定をうけている場合ではなかった。

「あの、わたし、……ここにいきたいんです」

 黒髪の女性は結から受けとったメモに目をおとした。

「サンストアか。もうすこしさきだな」

「ねえ琥珀。それ、みせてくれる?」

 メモは琥珀とよばれた黒髪の女性から、瑠璃の手にうつる。

「二時に小宮山さん……。アルバイトの面接かなにか?」

「そうです」

「あらそう。……アルバイトをさがしてるなんて好都合ね」

「え?」

 なんでもないわ、と微笑んだ瑠璃は、

「でもちょっと時間ギリギリねえ」

「はい。ですからわたしいそいでて。それで道を」

「これ、お店の番号よね? 電話してみたら?」

「わたし携帯もってないんです」

「そうなの。よかったらお店の電話つかって?」

「あ……、ありがとうございます」

 へんな人たちだとおもったことを心のなかであやまりながら頭をさげた結だったが、瑠璃がしめしたものをみて唖然あぜんとした。施設にあるものとは随分とちがう、よくいえば優美な、わるくいえば古色こしょく蒼然そうぜんとした、金属と木でできたアンティークであった。

「これって、つかえる……んですか?」

「もちろんよ」

「あの、どうやって……?」

「もしかして、使い方しらない?」

「はい。……その、ごめんなさい」

「あやまることじゃないわ。かわりにダイアルしてあげましょうか」

「ありがとうございます。たすかります」

 ふたりのやりとりをきいていた琥珀が、感心したような声をもらした。

「綾里結は、迷子で、アルバイトをさがしていて、瑠璃に電話をたのむしかない。できすぎだな」

「え?」

 気にするな、と首をよこにふった琥珀は、瑠璃をうながした。

 受話器を持ちあげて耳にあてた瑠璃は、本体についた円盤に指をいれ、まわしては離してを繰りかえす。つぎはなにをするんだろう、期待しながらみていた結に、一連の動作をおえた瑠璃が微笑みかける。黒い、笑みだった。

「もしもし。本日面接の約束をさせていただいていた、綾里結の姉ですけれども」

「――え? ちょ、ちょっと!?」

「実は結が急に熱をだしてしまいまして。大変申しわけないのですが、また機会があればということで。……ええ、ええ。ご迷惑をおかけいたしました」

「まってください、勝手に――」

 手をのばした結の目前で無情にも受話器はおかれ、澄んだベルの音がなる。

 実際のところサンストアは、春休みからアルバイトを探しはじめて、通算五軒目の応募だった。引っ込み思案が邪魔をして、ことごとく採用にいたらなかったため、最後の望みをたくした面接だったのだ。

 がっくりと膝をついた結をみた琥珀が腕ぐみして、

「姉、は無理があるだろう。いくらなんでも」

「全然うたがわれなかったわよ?」

「……そうじゃない。そういうことじゃないとおもうんです」

 顔をあげた結は完全に涙目だった。

「まあ、起こってしまったことは仕方がないわ」と、瑠璃はせきばらいをひとつ。

「ではここで、瑠璃琥珀堂から提案です」

 カウンターから出てきた瑠璃が琥珀とならび、結に微笑みかける。綺麗きれいな、笑みだった。

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