祝い

 おだやかな晴天がつづくなか、ゴールデンウイークがおとずれた。

 盛りをむかえた路側帯や生け垣の躑躅つつじのごとく、あかるく活気にみちたちまたとは対照的に、瑠璃琥珀堂の硝子張りの店内にはしずかな時間がながれる。

 今日も客の姿はなく、午後の日ざしが差しこむ窓際のテーブルで、琥珀は道具一式をひろげて刀の手いれにいそしんでいた。

 柄をはずした脇差に打ち粉をつけ、ぬぐい、ためつすがめつ眺める。満足そうにうなずいた彼女に、カウンターから瑠璃が声をかけた。

「それ、たのしい?」

「たのしい」

 邪魔するな、という拒絶を内包した間髪いれぬ返事だった。一瞬だけ表情をけした瑠璃が笑みをうかべる。

「ねえ琥珀、しりとりしましょうか?」

 琥珀は無言のまま、刀身に布で丁子油を塗っていく。

「じゃあいくわよ。し・り・と・り」

「リン」

「ちょっとー? いきなりおわってるんですけどー?」

「面倒だな。リボン。これなら満足か?」

「……ンジャメナ」

「ナン」

「ンガパン」

「ぐ……。ンゲルクタベル島」

鬱金うこん

「……そういえば気づいているか? ここのところ、ころされる猫が以前よりふえている」

「あら、ごまかそうとしてる?」

「そんなはずないだろう。ンゴロンゴロ保全地域」

「もうすこしリンが協力的だといいんだけど。キリシタン」

「猫たちは矜持きょうじをおもんじるからな。他者にかかわってほしくないのだろう。ンサイ・パン国立公園」

「ふうん、そうきたのね。……でもそろそろ放ってはおけないところよね。結ちゃんとお友だちの周囲ではなにもない?」

 こたえるかわりに琥珀が目の動きで窓のそとをしめす。ドアチャイムの音とともに結があらわれた。休みだというのに制服姿である。

「おはようございます」

「どうした? 今日は休みだろう」

 きらびやかな錦の刀袋に脇差をしまいながら琥珀がいった。

「えと、おいそがしかった……ですか?」

「暇を持てあましているところよ、みてのとおり。結ちゃんもやる? しりとり」

  瑠璃の言葉をきいてプールでおよぐ猫たちをみたような顔になりながらも、結は生真面目に応じる。

「じゃ、じゃあ……折角せっかくですから」

「ンナムン」

「え?」

「ンナムン。沖縄の言葉でからっぽ、という意味なの」

 呆気あっけにとられたあと、数十秒ほどさまざまに表情を変化させた結は、最終的に吐息をもらした。

「……まいりました」

「とんだ災難だったな」と立ちあがった琥珀が結の頭に手をおく。

 思いだしたように結はブレザーのポケットから携帯ストラップをふたつ取りだした。

「あ、あの。これ、……なんですけど。どうおもいますか?」

「組みひもか」と一方を手にした琥珀がうなずく。

「ああ、これはいものだな。結があんだのか?」

「わたしに結ぶ力があるってきいたから、こういうことできるのかなって。……その、はじめてなので全然上手じゃないですけど」

「これではじめてか。大したものだ」

 琥珀からもう一方を手わたされた瑠璃は、笑みをうかべた。

「そうね。人をおもう気持ちがこめられていて……。あ、もしかしてこれって」

「はい。これ瑠璃さんと琥珀さんに、です。その、……いつものお礼に」

 顔を見あわせた瑠璃と琥珀が、感謝をつげた。

「よかった」

 笑顔になった結と組み紐を交互にみた琥珀が、感心したようにもらす。

「見ちがえたな、たったの数日で」

「そうね。この組み紐も結ちゃんも、まるで別人みたい。なにかあった?」と瑠璃がうなずいた。

「施設でくらしてること、クラスの子たちにしられちゃったんです。けど夏帆ちゃんが、わるいことじゃないんだから気にすることないし、それもわたしの一部なんだって、……そんなわたしがすきだって、いってくれたんです」

 満ちたりた表情でまぶたをとじた結が、瞳をひらく。

「いまわたし、すごく幸せで、……でもやっぱりあんまり幸せだと、なんだか不安になります」

「人の幸せはこれほどつよくねがえるのに、自身にそうできないというのは、なんとも結らしいな」

 琥珀は、結にむけた目を、彼方をみるようにほそめた。自身のおくを見つめられているような感覚と、彼女がまとった静謐せいひつな空気に、結は身体をこわばらせる。

「十四年前のある嵐の夜、ひとくみの夫婦が不幸な事故に遭遇した。視界のわるいカーブだ。タイヤをすべらせておおきくふくらんだ対向車が目前にせまったとき、夫妻はねがった。

――わが身にかえても娘をまもりたい、と。

 父親の祈りは娘が健やかであること。その祝福は、その場におちた一匹の雷獣を、娘の守護獣にかえた。

 そして母親の祈りは娘に幸おおからんこと。娘には結ぶという、ありふれたようで特別な力がそなわった」

 なにを話しているか察した結に、琥珀が微笑みかける。

「雷獣は、もともと渡りの性質を有している。嵐の時期になると空にのぼり、群れをなして雲とともにわたっていく。そのころは手がつけられないほど気性があらくなるが、眞白にはどちらも起こらないばかりか、夏毛に換毛もしない。それはなぜか。父上から祝福をうけたからだ」

 カウンターからでてきた瑠璃が話を引きついだ。

「結び、ほどき、また結ぶ。何度も繰りかえせて、強さも間隔も自由に調節することができるうえに、結び目をうつくしくかざることもできる。結ぶ、という行為は、古来から神事や呪術の一環とされた特別なものなのよ」

「はじめて会ったときのことをおぼえているか?」と琥珀が尋ねる。

「あの日、自らをしばって、あたえられた力を発揮できなくなったうえに、どこにいきたいかすらわからない結をみて、こんがらがっている、と私はいった。それらをひとつひとつほどき、ここまできたのは結の意思だ。御両親がねがったのは、結が幸せであることだ。その願いにこたえられるだけの強さを、もうもっているのではないか?」

「でもわたし、どうしたら幸せになれるかなんて、かんがえたこともなくって……」

「むつかしくかんがえることはないんじゃないかしら。たとえば結ちゃんがあたしたちにつくってくれたこの組み紐は、あたしたちをしあわせな気持ちにした。そしてあたしたちから生まれた感謝の言葉は、結ちゃんを幸せにした。――あたえ、あたえられるとうれしい、多分それだけよ」

 カウンターのまえにならんだ瑠璃と琥珀が、結に微笑みかける。綺麗きれいな笑みだった。あの日とおなじく。

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