おくるもの

 雨のせいか普段より底びかりする瑠璃琥珀堂のカウンターで、結は琥珀をまっている。

 角がとれてまるくなった雨音に耳をかたむけていると、清涼感のある薫りがひろがった。瑠璃が香をたいたのだ。

「いい匂いですね」

「琥珀をむかえる支度」

 瑠璃が片目をとじて微笑む。ほどなくドアチャイムの音ともに琥珀がかえってきた。

 ずぶぬれになった彼女は、結に気づくと胸元をかばいながらカウンターにくる。

「すまないな結。まってくれていたのか」

「いいえ。ちょっと、気になって……」

「あの猫なら心配ない。うらの金木犀きんもくせいのねもとに埋めてきた」

「……琥珀さんが、です」

「そうか。私は大丈夫だ。心配をかけたな」

「よかったです」

「瑠璃、これをたのむ」

 琥珀は綿花に似た花が入った籠を差しだす。

 一瞬みえた着物の胸元は赤くそまっていた。あの猫をだいて帰ってきたのだとおもうと、結は胸がいたんだ。

「おつかれさまでした」と瑠璃が受けとる。

「どうということはない。みそいでくる」

「ええ。あたたかいものを用意しておくわ」

「すまないな。結、そういうわけだから、今度こそ帰ってくれてかまわないぞ?」

「わかりました」

 扉のむこうにきえていく背中を見おくったあと、瑠璃が瞳をふせた。

「やっぱり堪えてるみたいね」

「はい……」

 わずかに波うった窓硝子を、無数の雨粒がつたっていく。

 三十分ほどまえ、琥珀が路地のおくに見つけたのは、惨殺された猫の亡き骸であった。

 また猫がころされていると、てみじかにつたえて琥珀がかばったため、結は惨状をまのあたりにしていないが、さきに店にもどって帰宅するようにつげる声からにじんだ憤りは、彼女の帰りをまちたいとおもわせるには充分であった。

 ため息まじりに瑠璃がいう。

「四月からはじまってこれで十数回目なの、猫がころされるのは」

「……そんなに?」

「ええ。まちがいなく化生のものの仕業でしょうね、状況をかんがえると。この町の猫のことはリンの領分だから、手をださないようにしてきたんだけど――」

「――あっ!」

「どうしたの?」

「ご、ごめんなさい。……さっきのところで見かけた人、誰かに似てるなってずっと気になってて。……それでいまリンさんってきいてつい……」

「さっきのところって、猫がころされていたところ?」

「はい」

「リンが雨のなかをうろついてたの? 猫なのに」

「ああいう格好の人ってあんまりいないからそうおもったんですけど……、絶対かっていうと自信ないです」

 そう、とうつむいてわずかな時間だまった瑠璃が顔をあげる。

「結ちゃんのお友だちって、神社の警護をやめる気はなさそう?」

「はい。夏帆ちゃん、リンさんやあそこの猫たちのこと、とても大切におもってますから」

「あの神社はリンが守護してるから安全だけど……。こんな状況だから黒桂たちに見まもってもらうよう、琥珀にたのんでおくわね」

「ありがとうございます。うれしいです、……ちょっと心ぼそかったので」

「それから結ちゃんも」

「わたしですか?」

「ええ。あたしたちも気をつけておくけれど、結ちゃんも用心すること。……『いかのおすし』ってしってる?」

「小学校でならいました。たしか……しらない人に付いて『いか』ない、しらない人の――」

「――残念ながらちがうわ。これはね、箴言しんげんなの。お寿司をたべるとき、淡白な白身や烏賊いかからにすると最後まで美味しくいただけるっていう」

「え? そ、そうなんですか? 覚えておきますね。……お寿司なんてたべることなさそうですけど」

「結ちゃん」と瑠璃がとおくを見つめる。

「はい」

「ボケを素でかえされるのはつらいわ」

「ご、ごご、ごめんなさい。ボケって、わからなくって……」

 どうやらこの話題は悪戯に傷口をひろげるだけね、と遠くを見つめた瑠璃は表情をひきしめて、

「いい? あぶないとおもったらすぐにげなさい。そして大声であたしたちをよぶこと。わかった?」

「わ、わかりました……」

「はい、よくできました」

 ふたたび普段の顔になった瑠璃に頭をなでられる。その感触は結を安心させた、琥珀の手とおなじように。

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