友だち
おだやかな日ざしのした、結は夏帆につづいて石段をのぼっていた。猫神社でたべるところまでが昼食のプランなんだ、という言葉にしたがってのことである。
まえにきたときより、猫がふえたようにかんじた。階段にもひなたぼっこをする姿がある。
夏帆は一匹一匹に声をかけてあるく。こたえた猫たちがあとをついていく。ハーメルンの笛ふきみたい、とおもいながら結も列にくわわる。
まずは挨拶、という夏帆にならい、手をあらって参拝をしたあと、ふたりは付近の町並みを見わたせる石のベンチに腰をおろした。
右側はリンの場所だと説明されたので、結は左にすわる。あとをついてきた猫たちは当然のように、夏帆の膝にのぼったり、足元で落ちついたりして彼女を取りまいた。
期待して猫たちの行動をうかがった結だったが、遠まきにされただけであった。ため息をもらすと眞白が膝にのってきた。夏帆にわからないようになでる。猫たちが眞白を目でおっていることに気づいた。
「さあ、たべよう。さすがにお腹がすいたよ」
茶色い紙袋をひろげながら夏帆がいった。
「この子たちにもあげるの?」
「いや。食事をあげる人間にはなりたくないんだ。ささやかな
「矜持ってなに?」
「プライド。対等でいたいんだ、野良の彼らと。だからこれはボクの獲物、ほしければそれなりの覚悟が必要になる。まあ、そういう猫ももういないけどね、ちっちゃいころ散々やりあったし」
「や、やりあったって……?」
「あまりふかくかんがえなくていいとおもう。綾里さんの分は大丈夫だよ、ボクがみてるから」
傘があるんだから雨にはぬれないよ、という笑顔をむけられたけれど、猛獣にかこまれているような気分になった。
いただきます、と手をあわせて食べはじめる。
すこし落ちつかなかったが、夏帆がたべさせたかったというバケットは、おどろくほど美味しかった。
香ばしい小麦の味が
食べおわったころに拝殿の屋根のうえにあらわれたリンは、地面に降りたつとまっすぐ歩いてきて、夏帆の右でまるくなった。
「やあ、リン。今日も会えてうれしいよ」
親しい友人にするように、夏帆が話しかける。顔をあげてちらりと彼女をみたリンは、興味なさそうにそっぽをむいた。
「今日もって、毎日きてるの?」
「うん。リンのことがあって足が遠のいていたけれど、いまはこない理由がない」
それにね、と彼方を見つめた表情に影がさす。
「心配なんだ、よくない
「よくない、噂……?」
「猫がころされているらしい。……あちこちで何匹も」
夏帆は、かすかに身体をふるわせたリンに視線をおとす。
「余計なお世話かもしれないけれど、君たちが心配だ。だからなるべくここですごそうとおもう。こんなボクでもいないよりはましはなずだ」
「水上さん。それって、あぶないんじゃ……」
「ここの猫たちはみんな、ボクにとってとても大切な存在なんだ。それにボクは、少々のことには遅れをとらない自信がある」
夏帆はかなり運動神経がいい。そこに端麗な容姿とさっぱりした人柄、さらには独特の口調がくわわり、男子のみならず一部の女子たちにも絶大な人気がある。
「もし相手が大勢だったりしたら……」
「大丈夫だよ。人の目があるってことが大切なんだ。念のため、こういうものも用意してあるしね」
ブレザーのボケットから卵型の防犯ブザーをだした夏帆は、スクールバッグをあけてちいさな黒いスプレーをしめした。
「でも、やっぱり……」
「これはきめたことなんだ」
「……じゃあ、わたしも一緒にくる」
「そこまでしてもらうわけにはいかないよ、知りあってまだ日もあさい綾里さんに」
「安全だとおもう、……ひとりよりふたりいた方が」
まばたきした夏帆は、
「綾里さんはかわらないね。はじめて会ったときからやさしい」
「え? ……わたし、なにかした?」
「やっぱりおぼえてないか。あのとき、いちども目を合わせてくれなかったし」
「なんのこと?」
「高校入試の日のことおぼえてる? うんと寒かったせいか、教室はかなりきつめに暖房がかかってたんだ」
「うん。あんなに雪がふったの、久しぶりだったね」
「ボクは暑さによわくてね。寝不足気味だったせいもあって、ぼんやりしていていたら筆入れをおとして中身が全部ちらばってしまった、それも開始直前に」
「――あ、それって」
「慌ててひろってたら、まえの席にすわってた子が手つだってくれて。芯がおれてるからって鉛筆までかしてくれたんだよ」
「あの人、水上さん、……だったんだね」
「いちども顔をあげないから、よっぽど恥ずかしがりなんだろうなっておもってたけど、けっこう頑固なところもあるんだって、いまわかったよ」
夏帆が笑みをうかべる。はじめてみせた親密な表情は、日だまりの猫をおもわせた。
「ああ、そうだった」
食事のあと、瑠璃琥珀堂にむかう結を石段のしたまでおくってきた夏帆がいった。
「綾里さん。よかったらボクの友だちになってくれないかな、いまさらなんだけど」
「え? あ、うん。……もちろん」
「よかった。これからよろしく、結」
「……いきなり、呼びすて?」
「名前で呼びあうものじゃないかな、友だちって」
「そうなるまでにはいろいろと……」
「どういった過程が必要なんだろう。おしえてほしい。さっさとこなしておきたいんだ」
「い、いえ。……いいとおもいます、呼びすてで」
「敬語もなしだよ?」
「わ、わかった。その……夏帆、ちゃん……」
「うん。いいね。とてもいいとおもう」
夏帆はうなずくと右手を差しだした。友だちってこんな風になるものだっけ、心のなかで首をかしげながら、つられて手を握りかえした結は、そのやわらかさにおどろいて気づく。こんな風に人と触れあうのは、はじめてだった。
ふたりはどこかぎこちなく、あたたかな挨拶をしてわかれた。
結は自転車を
山と海にかこまれた町の国道ぞいをぬけて、アーケードのある商店街の坂道をくだる。ブレーキから手を放す。加速していくのにまかせた。
肩にのった眞白が頬ずりしてくる。心がふくらんでいく、日向にほした布団のように。自然と笑みがもれた。
ふとおもう。こんな気分をなんといったろう。うれしい、たのしい。いや、それよりもっとふさわしい言葉があったはずだ。
答えが見つかったのと、ショーウィンドウの
――幸せって、こんなときにつかう言葉だった。
ずるり、と古い記憶が引きずりだされる。
世界がとてもひろくておおきかったおさないころ、わらってばかりいた毎日が、唐突に終わりをつげた思い出だった。
なぜ、わすれてしまうのだろう。なくすくらいなら、はじめからない方がらくなのに。結は、奥歯を噛みしめた。
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