とげ

 日ごとに声量をましつつあるせみの声は、わずかに波うった硝子のはいった扉をしめた瞬間にとおのいた。

 気温や湿度までもが一段さがったような気がして、結は店のなかをみまわす。草花が咲きほこった前庭の、陽ざしに応じてあざやかさをます眺めとは対照的に、優美な曲線をえがく飾り棚やテーブルがおかれた古色こしょく蒼然そうぜんとした瑠璃琥珀堂るりこはくどうの店内は、光がつよければつよいほど、かげの濃さが際だつように感じられた。

 おくのカウンターにたつ女性は、楚然はっきりとした存在感をはなっていた。モノクロームの写真の一部だけに彩色をほどこしたように。

 肩ほどの長さがある華やかな金の髪とえたあおい瞳は、鼻すじのとおった顔だちに彩りを、しろいブラウスにベスト、ボウタイという装いは、やわらかな雰囲気に締まりをそえる。笑みとともに、明瞭で音楽的な響きをおびた声が結へとむけられた。

「結ちゃん、こんにちは」

「こ、こんにちは。瑠璃さん」

 挨拶をかわしながらもう一度を確認する。もうひとりの店主の姿はどこにもなかった。

「……琥珀さんは、いらっしゃらないんですか?」

「ちょっと出かけてるの。もうすこしでかえってくるとおもうけど」

「そ、そうなんですね。じゃあわたし、着がえてきます」

 はい、と応じた瑠璃の視線からのがれるように、結はカウンターのわきにあるバックルームへむかった。扉をしめてから、みじかくため息をもらす。

 じわじわと胸のおくにひろがる後ろめたさにうつむきかけた結は、表情を引きしめると、植物のモチーフの装飾がほどこされたワードローブをひらいた。かばんをおいて学校の制服のうえから洗いざらしの帆布のエプロンを身につけ、ワードローブの扉に据えつけの鏡をのぞきこんで自分の表情をたしかめる。おおきく息をすってバックルームをでた。

 店では、瑠璃がカウンターにならべた数点の品を、店のロゴがはいったクラフト紙の袋におさめていた。くろい背表紙のノートをたしかめてから、宛名がかかれたシールで封をする。

 一連の作業をながめていると、扉のひらく音がした。一瞬だけ音量をました蝉の声が、ふたたび締めだされる。

 いまもどった、とつげた女性の声と佇まいは、無造作なものであったにもかかわらず、たしかな輪郭をもって周囲の空気を一変させた。ないだ湖面をわたる風のように。

 たかい位置でひとつにまとめたながい髪と黒瑪瑙めのうを思わせる瞳は、すずやかな顔立ちに確固たる意志の強さを、白地に花唐草文はなからくさもんの小紋がはいった単衣ひとえに、燕脂えんじはかまをあわせた出でたちは、凛とした雰囲気にたおやかさをそえる。まっすぐにカウンターへむかうと、琥珀は瑠璃にとうのバスケットを指しだした。

「これをたのむ」

「お疲れさま」

「なに、どうということはない。みそいでくる。すこしばかりけがれた」

「行ってらっしゃい」

 琥珀は、結が背にしたドアに近づいてくる。挨拶をかわし、道をゆずって擦れちがった瞬間に、彼女のまとった香がかおった。はなやぎと鋭利さをともなった薫りは、化生の存在を感じるようになったころ、不安をやわらげるために施設を訪ねてきてくれたときの記憶を呼びさました。

「――あ、あの」

 うまく説明のつかない感情に背中をおされて呼びとめた。振りむいた眼ざしは、普段とかわらずやさしい。

「どうした?」

「……い、行ってらっしゃい」

 二回まばたきするほどの時間、結を見つめてから琥珀が微笑む。

「ああ、いってくる」

 きびすをかえした琥珀の姿を、とじられたドアがかくした。

 いつの間にかとまっていた息を、そろそろと吐きだす。今日もぎこちなかった、という後悔が、彼女がいないとつげられたときに感じた安堵あんどに対するうしろめたさのうえに堆積して、心をおおっていく。少女の急変で騒然となる病棟で琥珀に似た女性を見かけて以来、結は、彼女とうまく接することができずにいた。

「結ちゃん?」

「ひゃいっ!?」

 瑠璃から声をかけられて飛びあがる。目をまるくした彼女の表情が笑みにかわっていくのに比例して、頬が熱をもった。

「ちょっとだけお店の番をお願いできるかしら。すぐもどるから」

「わ、わかりました……」

「じゃ、お願いね」

 瑠璃も扉のむこうにきえていった。琥珀からたくされた籠を大事そうにかかえて。

 そこにおさめられた綿花に似た一輪の花とおなじものを、結は、いくたびか見たことがあった。まゆずみという化生におそわれたときと、猫の化生、煌牙こうがによって異界に拉致されたとき、特に記憶にのこっているそれらは、縁をむすぶという結の力を欲した化生によってもたらされた窮地であった。

 外道におちてもなお、さらなる力をもとめた煌牙は、里親になるまえの倉方夫妻から抜きとったというその花で、結を脅迫した。きよらにさくそれらなくしては、彼らはじきにしんでしまうという言葉をそえて。

 そしてきふたりの化生が琥珀にたおされたのちにのこったのが、おなじかたちの花であった。あかぐろい煌牙の花はまたたく間にちってしまったが、わずかに染みのあった黛の花は、琥珀の手でられた。うつくしい花鋏はなばさみによって、いたわるように、いつくしむように。

 本業にでかけるたびに持ちかえってくるということは、琥珀の本業とは、あの花をあつめることではないだろうか。

 では一体、どこから、どのようにしてあつめてくるのか。そもそもこの花は何なのか。なぜ黃羽はあれほどまで琥珀をおそれたのか。それらの疑問はすべて、おさない少女が急変した病棟で彼女を見かけたことへつながっているような気がしてならなかった。

 おだやかな光にみちた病室で、ベッドにねむる少女の花を剪る琥珀を想像しかけ、あわてて頭から追いはらう。ふとした瞬間にむけられるやさしい瞳や、ときおりみせるくだけた調子、危機におちいるたびに駆けつけてくれた頼りになる後ろ姿を、そこにかさねたくはなかった。

 胃のあたりで不快な音をたてる、おもたく、ごつごつした塊から、懸命に意識をそらした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る