アルバイト

 結は、よその学校をたずねたような居心地の悪さをこらえながらあるいている。

 瑠璃琥珀堂をでて五分ほど、市内をぬうようにながれる川にそったゆるやかな登り坂だ。建ちならぶ家々の背には緑の稜線りょうせんがひろがる。

 あれだけさがして見つからなかった通行人とすれちがっても、いまはうつむくしかできなかった。

 原因は身につけた帆布のエプロンだ。胸あての部分に袖看板とおなじ書体でさりげなく店名があしらわれたごく普通のデザインだが、着なれない結にしてみれば、どこかがちぐはぐで人目につくのではないかと、気になって仕方がない。

 肩にかけたトートバッグのひもを握りしめた。こちらも帆布でロゴが入っており、持ち手にちいさな鈴がつけられているが、こわれているのかまったく音をたてない。

 ため息まじりに顔をあげた。目的地はここから数分の距離にあるちいさな公園だ。このエプロンさえなければ、たいした道のりではないのに、立ちどまりかける結の足を、さきほど瑠璃たちから提示された条件がうごかしていた。


「実はね、うちもアルバイトを募集してたの」

 綺麗な笑みにつづいたのはそんな言葉だった。

「うち……ってこのお店ですか?」

「そうよ」

「……もしかしてわたしを?」

「ええ。うちで働いてみない?」

「あの、……ここってなんのお店ですか?」

「うちはね、――なんの店?」

 瑠璃は琥珀をみる。結は虚をつかれた。

「届けもの屋、でいいんじゃないか?」

「あ、いいわね。それにしましょう」と手をうった瑠璃は、

「ということで、お届けものを手つだってほしいのだけど……そんな顔しなくても大丈夫よ?」

「……あやしいです、すごく」

「至極まっとうな業務なのだがな」

 この娘、もしや地球が太陽の周囲をまわっているのを知らぬのかという顔で琥珀がいう。

「いえあの、いま決めましたよね? なんのお店か」

「ちょうどいい言葉がなかっただけだ。この店をおとずれるものたちは、どのような場所かわかってきているからな」

「どんなお店なんですか?」

「あるべきものをあるべきところにとどけるのが、この店だ。ピンとこないとはおもうが」

「あるべきものを、あるべきところ、ですか……?」

「まあ、おいおい理解できる。結には適性があるからな」

「適性……ですか?」

 一瞬うれしくなったが、よくある手口だと思いなおす。うなずいて顔をあげると、琥珀の瞳がすぐちかくにあった。あやうく飛びあがりかける。

「いま、簡単に人を信用してはいけないとかんがえたか?」

「そ、そんなこと……」

「かんがえたな?」

「……どうして、わかるんですか?」

うそがつけないとか、隠しごとができないなどといわれた経験はないか?」

「いわれ……、ます。……すごく」

「だろうな。おもったことが全部でている、顔に」

「うそっ?!」

「気づいてなかったのか」と、肩をすくめた琥珀は、

「まあ、私がいったのは本当のことだ。わからないだろうが、結には適性がある、それもたぐいまれな適性がな」

「それにお届けもの自体は簡単なお仕事だし」と瑠璃が人差し指をたてた。

「でもわたし、車の運転なんてできませんよ?」

「お届け先は自転車か歩きでいける範囲にしておくわ。とどけもらうのも、ちいさなものばかりだから」

 しめされたショーケースや飾り棚には、高価そうなものからガラクタにしかみえないものまで、さまざまな小物がならんでいる。

「わたし、……しらない人と話すの、得意じゃないです」

「そう? 結ちゃんはあたしたちと、今さっきあったばかりじゃないかしら?」

 瑠璃が首をかしげる。いまさらながらに、結は名前でよばれていたことに気づいた。そしてそれがいやな気分でなかったことにも。

 とはいえ、二人の出で立ちから行いまで、なにもかもが非常識すぎるのだ。理解が追いついたころにどうなるか、わかったものではない、そう結論づけた結が我にかえると、瑠璃の瞳が間近にあった。今度は飛びあがる。

「なんていうか、本当にわかりやすいわね」

「う、うぅ……」

「じゃあ最終手段ね。うちで働いてくれるならこのくらいは――」

「――ちょっとまて」

 瑠璃がみせかけた電卓を、琥珀がとどめる。視線をぶつけあったふたりは、結に背をむけると小声で口論をはじめた。「いまどきの女子高生ならこのくらい」や「お前の金銭感覚はどうかしている」といった台詞にまじって、はげしく電卓をたたく音が繰りかえされた。

 待ちくたびれた結が声をかけるまでつづいた応酬ののち、瑠璃から提示された時給は、結を思いたたせるのに充分な額であった。


 結は遊歩道の入口で立ちどまった。

 木漏れ日のさす舗装路から、湿気をおびたつめたい空気がおりてきて頬をなでる。中高年に人気のある登山道にもつづく道だが、配達先だと指示された公園まではいくらもない。

 なぜあんなところに届けものをするのだろう、きざした疑問が歩みをとめていた。からかわれているか、事件に巻きこまれているのかもしれない、思考はくらい方向へところがりだす。

 遊歩道のおくから声がきこえた。次第におおきくなり、山歩きをしてきたらしい中年のグループが姿をみせる。はた、と談笑がとまる。あつまった視線に気づいた瞬間、結の呼吸はあさくなった。

 すぐに会話が再開され、一行は歩きだした。ちらちらとむけられる目をこらえるように、うつむいた結は奥歯をみしめる。声がきこえなくなったあともしばらく、体をこわばらせたまま身うごきひとつできなかった。

 その場にしゃがみこむ。複数の視線にさらされることは、恐怖にほかならなかった。やっぱり無理だ、もどってそうつたえよう、ふるえる体を抱きしめながら決心しかけたとき、馴染なじみの感覚がおとずれた。

 靴下が前にひかれるような気配。実際にひっぱっているものなどいないが、ときおりおとずれるこの感覚にしたがって、今までまちがったことはなかった。

 立ちあがった結は、おおきく息をすってうなずく。


 道は幼稚園のころにシスターにつれられてきたときの記憶よりほそく、勾配もゆるやかだった。

 わらってばかりいた思い出がうかんできて、結は足をとめる。まがり道のむこうにひらけた景色がまばゆかった。

 明確にきまっている期限と、備えがこれでただしいのかという漠然とした不安が、心に影をおとす。とにかくアルバイトがきまったのだから、と自分に云いきかせてみても、蜘蛛くもの糸のようにまとわりついて離れない。

 ざあ、と山をわたる風がこずえをならす。坂を駆けおりてきた人の接近に気づきけないほどの音量で。

 にぶい衝撃。誰かにぶつかったと理解するまえに、ころびそうになったところを、背中にまわった腕にささえられた。

 くらくらしながら結はまぶたをひらく。眼前にスポーツメーカーのロゴがあった。

「ごめんね。……大丈夫?」

 頭上からみだれた呼吸音とともに、少年の声が降ってくる。ようやく状況を把握した。思考停止、そのまま硬直する。

「えっと。君、大丈夫かな?」

 至近距離から顔をのぞきこまれて脳が活動を再開した。一気に頬があつくなり、わたわたと手をふる。

「は、はい。平気ですっ。ごめんなさいっ」

「ううん。ごめんね、こっちこそ」と結を解放した少年は、

「無事でよかった」と微笑む。

 意志のつよそうな眉とは対照的に、やさしげな目元と、額をだした清潔感のあるショートヘア。ジャージのうえからでもわかるしなやかな体つきは、よくきたえられた人間のものだ。

「あのっ、……ほ、本当にごめんなさい」

 いきよいよく頭をさげた結は、背中をむけて逃げだした。

「ごめん、ちょっとまって」

「な、なんでしょうか……」

「えーっと、……どうしようかな」

 さびたロボットのような動きで振りかえった結が首をかしげる。

「ごめんね。なんでもない。じゃ」

 あかるくわらうと、少年は山道を駆けくだっていった。

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