忙太と馬助

「失礼しました」

 英語準備室をでていくゆいに、担任の池永いけなが先生は笑顔で手をふった。

 この日は土曜授業で四時限目に体育館で講演がおこなわれたのだが、その感想の整理を手つだわされていたのだ。こっそりだしてもらったお菓子だけではもちそうもない。人影のない午後の廊下をいそぎ足で教室にむかう。

 結が化生のものたちの存在をしって一週間ほどがすぎた。眞白ましろとの出会いをかわきりに、彼女の世界はおおきく様変わりしつつある。

 ふと足をとめた。突きあたりのかどの、ちょうど日陰になったところに、あおじろい肌をした和服の小男がいる。

 あきらかに異様な風体の男は小柄な結よりさらに背がひくく、着くずした着物の袖からのびたながい手で、かどのむこうの何かを引っぱっているようだ。

 はた、と動きをとめて結をみる。つぎの瞬間、すさまじい速度で走りよってきた。すぐ間近までせまり、いきおいよく頭をさげる。

「どうもっ、結さんこんにちは。眞白さんもおかわりなさそうで」

 顔をあげた男は、目がおおきく鼻は豚のように正面をむき、ながい舌が首まで垂れていた。あきらかに人間の容姿ではないが、おそろしいというよりは、むしろユーモラスである。

「こ、こんにちは。忙太ぼうたさん」

「せっかくの土曜なのに学校だなんてお気の毒ですね。まあ、あたしたち化生には平日も休日もあんまり変わりないんですけど。それでもにぎやかな方がやっぱりたのしいっていうか、退屈しないっていうかで朝から満足してたのに、生徒たちが帰っちまってあんまりしずかになったもんですから、馬助うますけの奴といっちょ町まであそびにでようってことになったんですけどね? あの野郎のんびりしすぎてて、いつまでたってもでかけるようになりゃしねえや。おい、馬助! はやくしなって。日がくれちまうよ」

 その舌でよくもそこまでという滑舌でひといきに云いおえると、呆気あっけにとられる結をのこして、忙太は廊下の突きあたりまで跳ねるように駆けもどった。

 綱引きの要領で渾身こんしんの力をこめて何かをひきよせる。あらわれたのは天井にとどくほどの大男であった。

 馬顔で着物姿の巨漢は、ひっきりなしにせかす忙太を気にも留めず、のんびりとあるく。彼が数歩すすむよりさきに、結が突きあたりまで辿たどりついていた。

「馬助さん、こんにちは」

「こんにちはぁ。これからぁ、おでかけぇ。お町にぃ、いってぇ――」

 うれしそうな声をせっかちな言葉がさえぎる。

「ああああ、もういいから早くしろって。これだからお前さんと行動すんのはいやなんだよ。いいかい? 一日ってのは誰にでも一日しかないんだ。でもな? 倍を詰めこみゃ、倍のことができるんだ。その気になりゃ三倍だっていける。それだってのにお前さんはいつもいつものんびりやって、貴重な時間をどんどんどんどん無駄にしちまってるんだよ。――あ、結さんすみません。あたしたちはこれで失礼しますね。どうかよい休日を。また月曜にお会いいたしましょう」

「は、はい。さようなら」

 頭をさげて二人とわかれる。下りはじめた階段までにぎやかな声がひびいてきて、結はつぶやいた。

「なんか……慣れって、すごい」

 足元からは眞白が、つぶらな瞳で見あげてきている。


 結が忙太や馬助と出会ったのは、リンの元にハンカチをとどけた数日後のことであった。

 その日の夕方、学校をおえた結が瑠璃るり琥珀こはく堂をおとずれると、瑠璃がひとり、本のページをめくっていた。

 カウンターにできた陽だまりが金の髪にきらびやかな光沢をそえる。しろのシャツにくろいベストという出で立ちの彼女が、しずかに本に目をおとす光景は、時の流れすら歩みをゆるめているようにおもえた。

 はじめてきたときを思いだして、つい見いってしまう。彼女が顔をあげた。

「いらっしゃい、結ちゃん。……どうしたの?」

「あ……、な、なんでもないです。こんにちは。琥珀さんはいらっしゃらないんですか?」

「今日はあの子が本業中なの」

「そうなんですね」

 カウンターにむかう。木の床がなる音がまでがあたたかかった。

「今日はどうしますか?」

「お客様がくる予定だから立ちあって欲しいんだけど、まだちょっと時間があるわね。着替えだけすませてきてもらっていい?」

 はい、と返事をしてカウンターのおくにある扉をくぐった。

 四方すべてに扉のある正方形の部屋だ。姿見やドレッサー、ワードローブは寄木張りでつた模様が描きだされたそろいのデザインで、どれもながい年月をすごしてきたことを感じさせた。

 ワードローブをひらき、かばんをしまってエプロンを身につける。店にもどると瑠璃はふたたび本をひらいていた。

「読書ですか?」

「これね、まんがなの」

「あ、なんか意外です」

「そう? あたしってどんなのよんでるイメージ?」

「えっと、文学作品とか詩集とか」

「文学もすきよ。言葉だけで五感どころか心までうごかされてしまうという体験は文学ならではよね。いまよんでいるのは別のジャンルなんだけど、ある意味文学的といえるかもしれないわ」

「なんか、むつかしそうです」

「そんなことないのよ? 結ちゃんはまんがすき?」

「よくわからないです。あんまりよんだことなくって」

「ちょっと読んでみる? お客様がくるまで時間があるし。よければ、だけど」

「あ、はい。じゃあ、ちょっとだけ」

 本を受けとってひらいた。唐草模様のえがかれた布製のブックカバーのさわり心地がやわらかい。

綺麗きれいな絵……」

「そうなの、絵って大切よね」

 数ページめくったあと、結は目をまるくした。おそるおそるという様子でさらに数ページ、今度はまっかになる。

「え? あの、これって……。え? えぇ?」

「どうかした?」

「だ、だって。……おおお、男の子同士で、……キっ、キキキ、キ――」

「男性間の恋愛をあつかう作家は大勢いるけれど、少年同士のみずみずしい関係をえがくことについては、これまでよんだなかで、この作家の右にでるものはいないわね。尊大で自己中心的なタイプが、仮面のしたに冷徹な素顔をかくしたものしずかな男の子に籠絡されていくお話から、恋なのか友情なのかすらはっきりしない、水彩画のようにあわくてやさしい幼馴染おさななじみのお話にいたるまで、多彩な登場人物たちが、恋という未知の感情の芽生えや、大人にちかづきつつある身体といった、手にいれたばかりの羽を持てあまし、翻弄され、戸惑い、苛立ち、そしてそれを享受する甘美な喜びに気づく姿を描きだす筆致は……、そうね、一言で言いあらわすとすればそれは実に、――貴いわ」

 いつの間にか間近にせまっていたあおい瞳から、一歩後ずさりした。琥珀とおなじく瑠璃も女性にしては長身だが、それを差しひいても異様な迫力にみちている。

「そ、そうですか……」

「ええ。貴いのよ、とても」

「……どうして二回いうんですか?」

 大切なことだからよ、とうなずいた瑠璃が、

「かしてあげましょうか?」

「へ?」

 結はふたたび頰が火のようにあつくなるのをかんじて、うつむいた。おずおずと本を差しだす。

「ま、また今度で……」

「そお? よみたくなったら遠慮せずいってね。あたし、結ちゃんとはきっと、わかりあえるとおもうの」

 瑠璃は終始あやしい微笑みをたたえていた。


 ほどなくして琥珀がもどり、三人でまっていると依頼人があらわれた。

 時間を持てあまし、テーブルを拭いてまわっていた結は、背後からきこえたドアチャイムの音に振りむく。店の入り口に、青白い肌をした小男がたっていた。互いに見つめあう。わずかな沈黙がすぎる。二人が表情をゆがませたのと悲鳴をあげたのは、完璧におなじタイミングだった。

「お、おおおおっ、おばけ、おばけっ、おばけーっ!」

「ひえええっ! 雷獣っ! い、命ばかりはっ、命ばかりはお助けをーっ!」

 頭をかかえてしゃがみこみ、指さしあう二人のまんなかにたって、琥珀があきれ顔でいう。

「お前たち、まずは落ちつけ」

 その言葉でおそるおそる顔をあげた結と小男は、お互いの姿を確認してふたたびさけんだ。

「や、ややっ、やっぱりおばけーっ!」

「間違いなく雷獣っ! ひえっ、ひええええーっ!」

 ため息をひとつもらした琥珀は、その場にかがむ。

「わざとやってるんじゃないだろうな」

「でででっ、でっ、でもっ!」

「そうですよっ! 雷獣っ、雷獣がそこにっ!」

 琥珀は手を伸ばし、結と小男の頭を鷲掴わしづかみにした。

「いっておくぞ? 私は、気がみじかい」

 びくり、と二人が硬直した。たたえられた地中で圧力がたかまり、今にも噴きださんとする灼熱の溶岩の気配をかんじさせる声音であった。

「ただちに落ちつけ、そして私の話をきけ。いいな?」

 万力のような力で締めあげられ、みしみしときしみはじめた頭蓋骨の痛みで涙目になりながら、結と小男はまったくおなじタイミングでうなずいた。

 数分後、瑠璃と琥珀に寄りそわれた結は、さきほどの小男とその連れだという大男の二人に、カウンターをはさんで差しむかっていた。

 さきほどは失礼いたしました、と小男が頭をさげた。

「忙太ともうします。このとおりせっかちなもんで、大変お騒がせいたしました。こちらのお店に雷獣をつれたお嬢さんがいると聞いてはいましたが、今日はお休みだというお話だったものですから、つい驚いてしまいまして。いや、あのですね? お嬢さんがこわいというわけではないんですよ? ただその、こちらの眞白さんは温和な性格をなさっているようですが、雷獣は大変な暴れん坊がおおいものですから。普段は大人しいんですけどね? 嵐が近づいてきたら、もう手がつけられやしない。そこいら中に雷を落としてまわるもんですから、やかましいやらあぶないやらで、それはもうひどい騒ぎですよ。実はあたしも――」

「――よし、そこまで」

 手のひらをだしてさえぎった琥珀は、砂時計を忙太のまえにおいた。

「つぎからお前がしゃべっていいのはこの砂がおちるまでだ、わかったか?」

「……は、はい」

「で、馬助の番だ」

 琥珀にうながされて馬面の大男が口をひらく。

「こんにちはぁ。僕はぁ馬助ぇ。忙太のぉ、お友達でぇ、瑠璃さんとぉ、琥珀さんともぉ、お友達ぃ。今日はぁ、瑠璃さんとぉ、琥珀さんにぃ、お願いがぁ、あってぇ、このお店にぃ、きましたぁ。それでぇ――」

「――よし、そこまで」

 さきほどとおなじようにさえぎった琥珀は、馬助のまえにも砂時計をおいた。

「お前もこの砂がおちるまでに用件を伝えおえろ、いいな」

「うわぁ、綺麗ぃ」

 うれしそうに砂時計を日にかざす馬助を一瞥いちべつした彼女は、結に視線をむけた。

「最後は結だ」

「は、はい。こんにちは。あの……わ、わたしは望月結です。一週間くらいまえからこのお店でアルバイトをしています。よろしくお願いします」

 ぺこりと頭をさげた結に、上出来だ、と声をかけて琥珀がつづける。

「さて結、ここにいる忙太と馬助はお前のかよう高校をねぐらにしている。早かれ遅かれ顔をあわせることになるだろうから、はやいうちに会わせておくつもりでいたのだが、馬助が迷いものの依頼があるといってきてな、ちょうどよかったので店によんだというわけだ」

「学校に、……すんでいるんですか?」

 忙太がうなずいた。

「わるさをしたりはいたしません。そういう輩もいますけどね? あたしたちはただ、にぎやかなところが好きなだけなんです。ですから結さんやご学友の邪魔にはなりません。ただ、にぎやかでたのしそうなところに紛れてるとはおもうんですが、そんなときはそっと、みてみぬふりをしていただければと……」

 砂時計を気にしながら話しおえて、彼は安堵のため息をもらす。

「こ、こわいことがなければ、わたしはそれでいいです」

「ありがとうございます。ほら馬助、お前さんからもお礼をいうんだよ」

「結ちゃん、ありがとぉ」

 お前たち、なかよくするように、という琥珀のとなりで、瑠璃が微笑んでいた。

 それから結は、瑠璃と琥珀におそわりながら馬助から話をきいて、以前にみたことがあるちいさなノート、迷いもの帳に彼がさがしているもののことをかいた。ノートには几帳面きちょうめんな字で、これまでに依頼されたほかの迷いもののことが、びっしりとならんでいた。

 言葉をかわすうちに恐怖はうすらいでいき、忙太と馬助が頭をさげて店をでていくころには、いくぶんか自然に話せるようになった。

 その日以来、校舎で二人をみかけるようになった。

 たのしげな場所にあらわれ、自分たちを認識しえない生徒たちと一緒になってはしゃぐ彼らと、結は、人がいないところで次第に言葉をかわすようになっていった。

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