傘と雨やどり

 繊細な竹の骨ぐみがひろがっていく。小骨をたばねた手元轆轤ろくろをおす結の表情は真剣そのものだ。

 かちり、と音をたててはじきが轆轤をとめた。枯れたあかい地色の蛇の目傘で、しろい円がえがかれた中入りとよばれるデザインだ。

 したにむけてひらいた傘を上向きにして、軒下から一歩でる。化学繊維の傘布とは異なるかわいた雨音がころがった。

「いい音……」

「気にいったか?」と琥珀が微笑む。

「はい。すてきです、とっても」

「つぎのアルバイトのときに持ってきてくれればいい」

「なにか気をつけることってありますか? ……わたし、和傘ってはじめてです」

「そうだな。あまり頑丈ではないから、傘立てには入れないほうがいい。つかったあとは頭をうえにして、るすか立てかけるかして乾かしてくれ」

「普通の傘と反対なんですね」

「形は似ているがいろいろと都合がちがう。人と化生のようなものだな」

 人と化生、とつぶやいた結の言葉に琥珀がうなずいた。

「気をつけてかえってくれ。私は瑠璃の機嫌でも取ってやるとしよう。また来週にな」

「はい、また来週です」

 琥珀とわかれた結は、瑠璃琥珀堂の門をくぐって通りにでた。和紙の傘布がはられた親骨をささえる小骨にほどこされた飾り糸が綺麗で、つい見いってしまう。ふたつほどつじをぬけたところで足をとめた。

 ふるい町並みがのこる区画だ。つづく白壁とひろくとられた軒下が、雨やどりする着物姿の少女を、あまりに自然に景色のなかへ溶けこませていた。不安そうに空を見あげていた彼女は、結に気づくと表情をあかるくしかけ、思いだしたように仏頂面をつくる。なにかで機嫌をそこねただろうかと首をかしげながらも、結は黃羽に話しかけた。

「こんにちは。急にふってきちゃいましたね」

「あ、あたしはちょっと雨やどりしてるだけよ。……別にあんたをまってたわけじゃ、ないわ」

「そうだったんですね。なんだか最近、よくあう気がします」

「たた、たまたまよ、たまたま。なんか……文句ある?」

「いいえ。ないですよ?」

「ならいいわ……」

 頬をやや上気させた黃羽が視線をそらす。こうして彼女と遭遇するのは、週明けからかぞえて片手の指では足りないほどの回数になっていたが、そのたびにつげられる偶然という言葉を、結はまったくうたがってなかった。

「あの、もしよかったらお店にいきませんか? タオルや傘を貸してもらえるとおもいます」

「このくらい平気よ。それにあそこに入る気にはなれないの」

「そうですか……」

 もどかしかった。瑠璃琥珀堂に対する黃羽のかたくなな態度は、なにか思いちがいをしているとかんじた。とはいえどうすれば誤解をあらためられるのかもわからず、言葉を飲みこむ。

「じゃあ入っていきませんか? 傘、いい音がしてたのしいですよ?」

「いいのよ。鳥の姿になればすぐかえれるから」

 そんなことより、と黃羽は咳ばらいする。

「せせ、せっかく、たまたま、結にあったんだから、……すこしお願いしたいことがあるわ」

「あ、もしかして峯岸先生に質問ですか?」

「そ……、そうよ。わるい?」

「わるくなんてないですよ? 何がききたいかおしえてください。明日学校できいておきますね」

「これからじゃだめなの?」

「いまからおうちにいくのは、やめておいた方がいいとおもいます」

「どうして?」

「もう夕方ですから。あんまりおそい時間にお邪魔すると、峯岸先生に迷惑です」

「迷惑?」

 首をかしげる仕草は、彼女のもうひとつの姿をおもわせた。

「お休みの日の夕方くらいは、先生もゆっくりしたいとおもいます。つぎの日からまたお仕事なんですから」

「面倒ね。やめちゃえばいいのに、仕事なんか」

「そう簡単にはいかないです。お仕事しないとお給料がもらえません」

「お給料とやらがもらえないとどうなるの?」

「くらしていけなくなります、お金がなくなって」

「生活するために仕事をしなきゃいけないってこと?」

「ま、まあ、そうなりますね」

「どんなに面倒でも?」

「そうですね」

「どんなにいやでも?」

「は、はい」

 ふかぶかと吐息をもらした黃羽が腕ぐみする。

「なんか……、きけばきくほどつまらないわね、人間って」

「え? ど、どうしてですか?」

「やんなきゃなんないことばっかりじゃない。結は学校、潤一郎は仕事。もっとたのしいことだけすればいいのに」

「が、学校にはたのしいことだってありますから。……お仕事にも、多分」

「すきにすればいいわ、あんたたちが本当にたのしいとおもってるなら」

 肩をすくめた黃羽は結を見あげて、

「じゃあ明日、潤一郎にきいてくれる?」

「はい。なにをきけばいいですか?」

「チェロっていうんだっけ、あの楽器。あれをひくときにさ、棒に毛みたいなのがついたのをつかってるじゃない?」

「たしか弓っていうんだったとおもいます」

「あれってなんの毛なのか、気になるの」

「そ、そうですか……」

「あとね、ときどき茶色のつやつやしたのでこすってるの。あれもなにかしりたい」

「……なるほど」

 それからね、とわずかな躊躇ためらいがつづいた。

「『鳥の歌』、あれひいてるとき、どうしてあんなにかなしそうなのか……しりたい」

「……やっぱり黃羽さんも、そうおもいました?」

「うん。潤一郎、あの曲をひくときはつらそうな顔してる、あの曲がすきっていったのに」

「気になりますか? 峯岸先生のこと」

「え……?」

 相手が突然、未知の言葉で話しだしたような表情で黃羽が硬直する。はじめてみせた反応に結がとまどっていると、またたく間に耳まであかくそまった。

「そ、そそ、そんなことあるわけないでしょ。高貴な化生のあたしが、あんな、さえなくって、なよっちくって、くらーい人間を気にしたりするはずないっ!」

「え? きゅ、急にどうしたんですか?」

「あ、あたしはあの木に巣をつくってるの。だからあの木を管理してる人間が危険じゃないかどうか、きちんと把握しておかなきゃならないのっ。だからだからっ、潤一郎のことなんかどうだっていいのっ!」

 呆気あっけにとられる結に背をむけた黃羽は、黄鶺鴒に姿をかえると降りしきる雨のなかへ飛びさっていった。

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