結
倉方夫妻とともに背のたかい数奇屋門から出てきた制服姿の結は、玉石を敷きつめた石畳を振りかえった。
はれた休日の午後である。手いれの行きとどいた庭と同様に、石畳の両脇にも緑がしげっており、盛りをすぎた
無精
「おやじさん、元気そうでよかったな」
「ええ。お母さんがいなくなって気おちしてるとおもってたから、安心しちゃった。でも、おもってもみなかったわ、お父さんから連絡がくるなんて。それもいまごろになって」
レースのボレロに茶色のワンピースという服装の彼女は、こたえたあとで結に微笑みかける。
「結ちゃんありがとう。うちにきてくれるってきめたばかりなのに、こんなことに付きあってくれて」
「ううん。お、おじいちゃん、元気そうでよかった。……それにわたしのこと、養女だってわかってて、よくきてくれたっていってくれたし」
「あなたのおばあちゃんになる人にも、会わせてあげられればよかったんだけど……」
「随分と時間がすぎちまったな、ここにこられるまでに」
格子戸のむこうにある純和風の
挨拶をかわし、おたがいの紹介がおわったあとで、結がたずねる。
「どうしたんですか? こんなところで」
「お休みの日に申しわけないんだけど、いそぎでお願いしたいお届けものがあるの」
瑠璃の言葉をきいた結は、智宏といとをみた。
「今からですか? あの……、わたしこのあと用事があって」
「大丈夫、すぐすむから。ごめんなさいね倉方さん、すこしだけ結ちゃんをお借りします」
「わかった。じゃあ車でまってるからな、結ちゃ――じゃなかった結」
「う、うん。ちょっとまっててね。そ、その……」
「どうした」
「お……」
「お?」と、智宏といとの声がかさなる。
頬をあかくそめた結はうつむいたまま、
「……お父さん、お母さん」
智宏がへたりこんだ。いとが首をかしげる。
「どうしたの? 智宏さん」
「やべえ、……やべえぞこりゃ。大変じゃねえか……」
「え? なにが?」
「あん時の親父さんの気持ちがわかった。娘やばい。ぜってえ嫁になんかやれねえわ。……や、もっぺん親父さんにあやまってくる」
「ちょ、ちょっと智宏さん」
引きかえしていく夫妻を見おくった結のまえに、着物姿の初老の女性があらわれた。
「結ちゃん、こんにちは」
「こんにちは。……よかった、今日はいらっしゃらないのかとおもいました」
「みてましたよ、あなたの挨拶。とても立派だったわ」
「えっと、あの……。ありがとう、……おばあちゃん」
「こちらこそありがとう。あなたがとどけてくれた手紙のおかげで、ようやく主人もふたりに会う勇気がもてたわ。ご縁というのは本当に不思議ね。まさかあのときの女の子が孫になるなんて、おもってもみなかったわ」
「わ、わたしもびっくりした。ここがおじいちゃんの家っていわれて」
結と微笑みかわした淑乃が、目をほそめた。わずかな、沈黙がすぎる。
「今日は本当にいいお天気。さきにすすむのにもってこいね」
「……え?」
「あの人が智宏さんといとに会えて、かわいい孫までできたわ。もう充分」
「だって……、折角あえたのに」
「大丈夫、また会えるわ。なんといっても私の孫は、ご縁をむすんでくれるですもの」
淑乃が、空をあおいだ。つられた結の視線のさきでは、ちかづきつつある夏の気配をふくんだ空を、とどまることなく雲がわたっていく。
おなじころ、幼き救い主の聖女の園では、シスターと彼女につれられた園児たちが、ふるびた団地では、自室でファッション誌を眺めていたみどりと窓のそとで
「おばあちゃん……」
結は、できたばかりの祖母と抱きあう。こぼれた涙と嗚咽を、風がさらっていった。
「それでね、結ちゃん。今日のお届けものなんだけど」
瑠璃の声でお届けもののことを思いだして、ああそうだったから、どうしようこのあと用事があるのに、までがありありと顔にでた結をみて、瑠璃と琥珀、淑乃が吹きだす。
「大丈夫よ、ほんとにすぐ。これをとどけてほしいの。――綾里結という女の子に」
手わたされた紙袋をおどろいた顔でみる結を、瑠璃と琥珀がうながす。おそるおそるひらいた袋のなかにあったのは、唐草模様があしらわれた銀の指輪だった。結は首をかしげる。
「綺麗……。ですけど、これ、わたしのじゃないです」
「その指輪はね、その女の子のお母様が結婚するとき、お祖母様からゆずられたものなのよ。つぎはその子におくられるはずだったのだけれど、事故にあって、迷ってしまっていたの。どうかしら、とどけられそう?」
「は、はい。……その子きっと、すごくよろこぶとおもいます」
笑顔になった結の頭を琥珀がなでた。
「よし、いい顔だ。ではまた明日、瑠璃琥珀堂で会おう。届けものはまだまだあるからな」
結はふかく息を吸いこんだ。ありふれた、けれども特別な言葉をつむぐために。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます