倉方夫妻とともに背のたかい数奇屋門から出てきた制服姿の結は、玉石を敷きつめた石畳を振りかえった。

 はれた休日の午後である。手いれの行きとどいた庭と同様に、石畳の両脇にも緑がしげっており、盛りをすぎた躑躅つつじと入れかわるように、まっすぐにのびた花菖蒲しょうぶつぼみをほころばせつつあった。

 無精ひげをそって別人のようにさっぱりした智宏が、グレーのスーツにあわせたボルドーのネクタイをゆるめながら、いとをみた。

「おやじさん、元気そうでよかったな」

「ええ。お母さんがいなくなって気おちしてるとおもってたから、安心しちゃった。でも、おもってもみなかったわ、お父さんから連絡がくるなんて。それもいまごろになって」

 レースのボレロに茶色のワンピースという服装の彼女は、こたえたあとで結に微笑みかける。

「結ちゃんありがとう。うちにきてくれるってきめたばかりなのに、こんなことに付きあってくれて」

「ううん。お、おじいちゃん、元気そうでよかった。……それにわたしのこと、養女だってわかってて、よくきてくれたっていってくれたし」

「あなたのおばあちゃんになる人にも、会わせてあげられればよかったんだけど……」

「随分と時間がすぎちまったな、ここにこられるまでに」

 格子戸のむこうにある純和風のたたずまいをしばらく見つめていた三人は、ならんで歩きだす。まんなかに結で道路側が智宏、いとは反対側だ。行くさきに瑠璃と琥珀の姿があった。

 挨拶をかわし、おたがいの紹介がおわったあとで、結がたずねる。

「どうしたんですか? こんなところで」

「お休みの日に申しわけないんだけど、いそぎでお願いしたいお届けものがあるの」

 瑠璃の言葉をきいた結は、智宏といとをみた。

「今からですか? あの……、わたしこのあと用事があって」

「大丈夫、すぐすむから。ごめんなさいね倉方さん、すこしだけ結ちゃんをお借りします」

「わかった。じゃあ車でまってるからな、結ちゃ――じゃなかった結」

 せきばらいをして智宏が云いなおした。

「う、うん。ちょっとまっててね。そ、その……」

「どうした」

「お……」

「お?」と、智宏といとの声がかさなる。

 頬をあかくそめた結はうつむいたまま、

「……お父さん、お母さん」

 智宏がへたりこんだ。いとが首をかしげる。

「どうしたの? 智宏さん」

「やべえ、……やべえぞこりゃ。大変じゃねえか……」

「え? なにが?」

「あん時の親父さんの気持ちがわかった。娘やばい。ぜってえ嫁になんかやれねえわ。……や、もっぺん親父さんにあやまってくる」

「ちょ、ちょっと智宏さん」

 引きかえしていく夫妻を見おくった結のまえに、着物姿の初老の女性があらわれた。

「結ちゃん、こんにちは」

「こんにちは。……よかった、今日はいらっしゃらないのかとおもいました」

「みてましたよ、あなたの挨拶。とても立派だったわ」

「えっと、あの……。ありがとう、……おばあちゃん」

「こちらこそありがとう。あなたがとどけてくれた手紙のおかげで、ようやく主人もふたりに会う勇気がもてたわ。ご縁というのは本当に不思議ね。まさかあのときの女の子が孫になるなんて、おもってもみなかったわ」

「わ、わたしもびっくりした。ここがおじいちゃんの家っていわれて」

 結と微笑みかわした淑乃が、目をほそめた。わずかな、沈黙がすぎる。

「今日は本当にいいお天気。さきにすすむのにもってこいね」

「……え?」

「あの人が智宏さんといとに会えて、かわいい孫までできたわ。もう充分」

「だって……、折角あえたのに」

「大丈夫、また会えるわ。なんといっても私の孫は、ご縁をむすんでくれるですもの」

 淑乃が、空をあおいだ。つられた結の視線のさきでは、ちかづきつつある夏の気配をふくんだ空を、とどまることなく雲がわたっていく。

 おなじころ、幼き救い主の聖女の園では、シスターと彼女につれられた園児たちが、ふるびた団地では、自室でファッション誌を眺めていたみどりと窓のそとでくすのきの枝にすわった緋暮が、猫神社では、石のベンチに腰かけた夏帆と右どなりでまるくなったリンが、いとの実家のそばにある駐車場では、智宏といとが、うつろいゆく蒼穹そうきゅうを眺めていた。

「おばあちゃん……」

 結は、できたばかりの祖母と抱きあう。こぼれた涙と嗚咽を、風がさらっていった。

「それでね、結ちゃん。今日のお届けものなんだけど」

 瑠璃の声でお届けもののことを思いだして、ああそうだったから、どうしようこのあと用事があるのに、までがありありと顔にでた結をみて、瑠璃と琥珀、淑乃が吹きだす。

「大丈夫よ、ほんとにすぐ。これをとどけてほしいの。――綾里結という女の子に」

 手わたされた紙袋をおどろいた顔でみる結を、瑠璃と琥珀がうながす。おそるおそるひらいた袋のなかにあったのは、唐草模様があしらわれた銀の指輪だった。結は首をかしげる。

「綺麗……。ですけど、これ、わたしのじゃないです」

「その指輪はね、その女の子のお母様が結婚するとき、お祖母様からゆずられたものなのよ。つぎはその子におくられるはずだったのだけれど、事故にあって、迷ってしまっていたの。どうかしら、とどけられそう?」

「は、はい。……その子きっと、すごくよろこぶとおもいます」

 笑顔になった結の頭を琥珀がなでた。

「よし、いい顔だ。ではまた明日、瑠璃琥珀堂で会おう。届けものはまだまだあるからな」

 結はふかく息を吸いこんだ。ありふれた、けれども特別な言葉をつむぐために。

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