断事司(たつことのつかさ)の巻

黄鶺鴒の章

雨の寺院

「……こ、こんにちは、瑠璃琥珀堂です。お届け物をおもちしました」

 少女にしては少しひくく、ややかすれた声だ。つづいた澄清な鈴のは、数日まえからつづく雨のなかでもたしかな輪郭をもってひびき、ちいさな寺院の境内のすみずみにまで染みわたった。声の主がさした傘の水色が、かれた景色にあざやかな色彩をそえている。

 市内にある高校の制服をきた、小柄な少女である。肩にかけた帆布のトートバッグとそろいのエプロンには、閑雅な筆致で瑠璃るり琥珀こはく堂とある。小動物に似た愛らしさのある顔立ちだが、いまはそこに不安の色がうかんでいた。

 おおきな瞳がむけられたさきで、本堂正面の障子戸が音もなくひらく。ふれられそうなほどにこい闇がみちた屋内から、ぬるり、とひとりの人物が歩みでた。恰幅かっぷくがよく、いかめしい顔つきの僧侶だ。少女――綾里あやさとゆいをまっすぐに見すえると、威厳にみちたひくい声を発した。

「お初にお目にかかりますかな。拙僧、木蓮もくれんともうす。瑠璃殿か琥珀殿がこらえるとおもっていたが」

「あの、わたし……アルバイトなんです」

「アルバイト、とな。なるほど。約束のものをお持ちいただけたということでよろしいか?」

「は、はい……」

「拝見できますかな」

 結はトートバッグに手をいれると、はたきに似た道具を取りだした。払子ほっすとよばれる仏具だが、全体的にうすよごれており、純白であったはずの毛の部分も、柄につけられた組紐もくすんでしまっている。

 わずかに目を見ひらいた僧侶は、仏堂の中央のひさしのした、向拝こうはいにある階段をおりてくると、緊張した表情で問いかけた。

白達はくたつ、白達だな……?」

 応じるのは雨音だけであった。僧侶は庇からでるとさらに結へと近づいた。

「たのむ、こたえてくれ。白達なのであろう?」 

 不意に結の手のなかで、払子がひとりでに動きだす。むずがるように逃れでると空中で姿をかえ、ぬれた参道に降りたった。

 ながい白髪をもつ、痩せほそった老人である。降りしきる雨にうたれながら、僧侶に背をむけたまま、うめくようにいった。

「もう勘弁してくれんか、木蓮。……いまさらわしには、お前にあわせる顔などないのじゃ」

「ちがうぞ白達。まちがっていたのは拙僧の方だ。あれから数十年、其方そなたのことをおもわぬ日はなかった」

 ひとあし歩みよった僧侶は居住まいをただすと、その場に正座してふかぶかと頭をさげた。

「すまなかった、白達。このとおりだ」

 振りむいた老人はあわてた様子でしゃがみこむ。

「やめてくれ。お前が頭をさげることはない。儂こそわびねばならん。ゆるしてくれ、木蓮」

「拙僧は、もとより其方をにくんでなどおらぬ。白達、もし其方さえよければ、……帰ってきてはくれぬか、この寺に」

「儂は……、ここにいて……いいのか?」

「なにをいまさら。この寺は拙僧と其方の住処であろう」

 ふたりは抱きあうと声をあげてないた。雨はふるびた寺院をつつみ、彼らにひとしく注ぎつづける。

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