探しもの

 日没後の時間をしめす黄昏時たそがれどきは、かつては「たそかれどき」と発音して誰そ彼時とつづり、日の出まえをさすには、誰時たれどきという言葉がもちいられた。それらがいずれも誰何すいかが必要な時であることをあらわすように、人は古来より、光と闇が溶けあう時間を特別なものとみなしてきた。

 誰そ彼、あるいは彼は誰、どちらの時間ともとれる仄暗ほのぐらい砂浜にぽつねんとたたずむ結は、無数の漂着物を見まわしてつぶやく。

「こんなの、絶対無茶だとおもうんです……」

 こぼれた声を、湿気をおびた風がさらっていった。


 黃羽がかえったあと、一斉に結をみた瑠璃と琥珀は、いわくありげな笑みをうかべると、彼女を瑠璃琥珀堂のおくへといざなった。あきらかに以前とはちがう構成になっている部屋をいくつも通りぬけてみちびかれたのは、夜明けまえとも日暮れあとともとれる、彼女たちが迷い浜とよぶ海岸である。

 ふたりにしたがって波打際までおりた。あたたかな海辺をぼんやりと見わたしていると、琥珀が肩かけのひもがつけられた小ぶりな魔法瓶を差しだした。蔓草つるくさ模様がえがかれたそれを受けとって、首をかしげる。

「これは……?」

「すこし濃い目にいれたコーヒーがいれてある」

「コーヒー、ですか?」

「そうだ」

「あたしからはこれ」

 瑠璃からは小わけになったあめをいくつか手わたされた。首の傾斜がどんどんおおきくなっていく。

「えっと、あの、……ありがとうございます?」

「どういたしまして?」

 まったく状況が把握できずにいる結に、瑠璃が茶目っ気にあふれた笑みをかえした。

「じゃあ、がんばってね」

「なにをですか?」

「迷いもの探し」

「……へ?」

「ほら黃羽ちゃんの」

「なにをさがせばいいんですか?」

「さあ」

「そ、そんな適当な」

「大丈夫大丈夫。結ちゃんがぴんときたものがあったら、きっとそれよ」

 片目をとじた瑠璃のとなりで、腕ぐみした瑠璃もおおきくうなずく。

「その判断で間違いない」

「え? ちょ、ちょっと……」

「さあ、思う存分さがせ。時間は気にしなくていい。ここは時の流れがちがうからな」

「そ、そういうことじゃなくって」

「よし、では褒美になにかいいものを用意しておこう。期待してくれていいぞ」

 ちからづよく宣言すると二人はきびすをかえした。呆気あっけにとられる結と、つぶらな瞳で彼女を見あげる眞白をのこして。


 それから一時間とすこし、結はうすあかりのなか、果てしない砂浜をさまよっている。ゆるやかな坂を登りおえて振りかえると、自分と真白ののこした足跡が、蛇行しながら彼方からつづいているのがみえた。歩きつかれてしゃがみこむ。瞳をとじると、有機的な間隔で繰りかえす波の音が、じんわりとまぶたのおくでにじんでいく気がした。

 指先にやわらかな感触があった。目をひらくと眞白が頬を擦りよせている。

「なんかもう、つかれちゃった……」

 こぼれた言葉にみじかい鳴き声でこたえた真白は、結に近づくと肩にかけていた魔法瓶を引っかいた。

 琥珀にもたされたものの存在を思いだし、蓋をあけてみる。ぽん、と小気味いい音につづいて、ゆたかな香りがただよった。どのくらいあついかわからないので、慎重に口元へ運ぶ。しっかりとした苦味をともなった熱は、通りすぎた場所から体をあたためるようにかんじた。

 甘いものがほしくなって、ポケットから瑠璃にもらった飴をだす。透明な包みにはいった、なつかしい鼈甲べっこう色の飴だ。両側から引っぱって包みをあける。一方がほそくなった多角柱を口にいれると、舌の付け根あたりでつよい甘みを感じた。

「元気、でてくるね」

 つぶやいた結は、飴がなくなるまでのあいだ、眞白とならんで彼方の水平線をながめた。

 体がやすまると心もゆるんだ。その隙間から、黃羽とであってからの日々が浮かびあがってくる。

 最悪の部類に入る初めての会話とその後の仲直り、無茶な頼みごとやそれがかなったときの笑顔、そして潤一郎が玲菜という婚約者を亡くしているとしったときの涙を思いだした。雨のなかにたたずむちいさな後ろ姿や、こわれてしまいそうな表情をみたときの切なさが、あざやかによみがえった。つよく瞼をとじる。つよくねがった。笑っていてほしいと。

 瞳をひらいたとき、視界のすみに見なれないものがうつった。右手あたりに糸のようなものがある。裾がほつれたのかと持ちあげてみて、首をかしげた。

「なに、これ……」

 みぎの手首に巻きついた十数本のそれは、糸のようにみえるが、内側からかすかな光をはなっている。むらさきがかったあざやかな青や透明感のある黄褐色、みる角度によって色相をかえるヘーゼル色にやわらかなだいだい色、一本ごとに異なるそれぞれの色あいが綺麗きれいで見いってしまう。

 糸は地面をつたい、さまざまな方向へのびているが、そのうちの一本、白地に黒が散りばめられたものの端はすぐに見つかった。眞白だ。結と同じように右手首に巻きついている。

「眞白、それなあに?」

 糸を指さした結の問いかけに、眞白は首をかしげた。自分の手首をしめしてもおなじ反応だ。もしやみえていないのかと引っぱってみる。なんの抵抗もなく光の糸がのびた。ちかづけるとみじかくなる。

「もしかして、琥珀さんたちがもつれてるっていってるもの……?」

 それならと探してみると、それはおもったより簡単にみつかった。あおみがかった灰色と白、そしてやわらかな黄色だ。手首から二方向にのびる糸のうち、瑠璃琥珀堂にむかってない方を辿たどりはじめた。眞白があとをついてくる。

 あわい輝きをたぐりながら、さきほどよりかるい足取りでうすあかりの砂浜をあるいた。最短距離でむすばれているわけではないらしく、糸はあちこちに寄り道しながらのびていた。湿気をおびたあたたかな風が、何事かをささやいて通りすぎる。光の筋は、ゆるやかな坂道をふたつほどこえたところでとぎれていた。しゃがんで慎重に砂をはらう。端にむすばれていたものをそっと取りあげる。みじかい吐息がもれた。ずっとわからなかった問題がとけたときのような。旅をおえて自分の家に帰りついたときのような。

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