化生をみるもの
反対の腕の肘に指をそえるようにしてかるく腕をくんだ夏帆のたたずまいは、未知のものに遭遇した猫をおもわせた。
「話がさっぱりみえないんだけど、すこし質問させてもらっていいかな」
普段とかわらぬ
化生のものたちについて、いつか話すことができればとはおもっていたが、あまりに唐突だった。気持ちの準備すらできていないところに事実だけをしられてしまい、一体どのように対処すべきなのか、かんがえればかんがえるほど、焦りや戸惑い、そしてなにより、気味わるがられてしまうのではないかという恐れが湧きあがり、心は千々にみだれた。
なんとか声を絞りだそうとしているうちに、気楽な調子の忙太の声が先行した。
「どうぞどうぞ。なんなりとお
「ありがとう。じゃあ、まずひとつめ。君は、なに?」
「あたしですか? あたしはですね、忙殺の忙に太陽の太とかきまして、忙太、ともうします。名前のとおり、せわしないなどとよくいわれますが、あたしからしてみたらそうおっしゃるかたの方がのんびりしすぎているように思えてなりません。でもまあ、そこはひろい心をもって接していくのが一番、余計な波風をたてないのも
本日は結さんのお友だちの夏帆さん、琴音さんへのお目通りがかない、
ぺこりと頭をさげた忙太に、夏帆はうすく微笑みかける。
「こちらこそよろしくね。忙太、ってよべばいいのかな?」
「ええ。そう呼んでいただけると
「じゃあボクのことも名前でよんでいいよ」
「ありがとうございます、夏帆さん。これであたしたちもお友だちですね」
「うん、ボクたちは友だちだ。それから、さっきのは質問がよくなかったみたいだから、聞きかたをかえるよ。忙太は、人間なの?」
「いいえ。あたしは人じゃあございませんよ? ご覧のとおり」
「人じゃないとしたら、一体なんだろう」
「化生です。あたしの一族は特に『いそがし』、なんてよばれたりもしますね、人から」
「け、しょう?」
「『いそがし』って、……あたし知ってる」
つぶやいた琴音は夏帆と視線をかわす。
「熊本の松井文庫が蔵書してる百鬼夜行絵巻にたしか……」
「よくご存じですね。さすがは愛書家の琴音さん。実はあれ、親父の忙左衛門なんです。人の絵師から描かせてほしいって頭をさげてたのまれたんだって、酒のせきになるといつもいつも自慢げに話しておりましたねえ。懐かしゅうございます」
「じゃああなたは、本物の、妖怪……ってこと?」
「妖怪、という呼びかたは止めていただけるとうれしいです。あたしたちは別に、妖しいものでも怪異でもございませんから」
「ごめんなさい。じ、じゃあ、……忙太、さん」
「丁寧にありがとうございます。分かってくださればそれだけで十分ですよ、琴音さん」
かばうように琴音をうしろにさがらせた夏帆は、忙太にむけて慎重に言葉をつむいだ。
「ふたつめの質問いいかな。化生というのは、この本にかかれた存在なの?」
「いえいえ。あたしは普段、夏帆さんたちとおなじ
「どうして忙太は、ボクたちをしってるんだろう」
「あたしたちは夏帆さんたちの学校にすんでおりますから。皆様がたのことは、受験にこられたときから存じあげておりますよ。あのころはまだ、皆様あどけない感じがしたものでございますが、たったの半年ほどで随分と立派になられました。人はあっという間にかわっていきますね」
「ボクは忙太を学校でみかけたことがないな」
「そうでしょうとも。大抵の人は、あたしたち化生をみることができませんから。」
「みることが、できない?」
「ええ。なんでも、微妙にずれた位置にいるからだと、まえに琥珀さんたちからきかされたことがございます。あたしにもわかるように話してくだすったんでしょうが、なにぶんあの方たちのお話はむつかしくって。はずかしながらよくわかりませんでした。それにあたしたち化生のほとんどが、そんなことは気にしておりませんし」
「気にならないの? 目のまえの人が自分をみてなくても」
「はい。水はたかいところからひくいところにながれるように、お天道さまはまぶしいように、人はあたしたちにきづきません」
「なら、どうしていまは見えてるの?」
「どうしてでしょうね、よくわかりません。ただ、こちらにくるときに琥珀さんから、本のなかでは夏帆さんたちにもあたしたちがみえるので、おどろかせたりしないよう、きちんと
「なるほど。じゃあつぎの質問。化生はたくさんいるの? 忙太のほかにも」
「人ほどじゃありませんが、いろんな化生がおりますよ。さきほどおはなしした馬助や骨蔵も化生で、一緒に学校に住んでおります」
「そっか。最後にもうひとつ。君たち化生は、ボクたちに危害をくわえるのかな」
「とんでもございません。あたしや仲間たちは人に害をなすようなことはいたしません。ですが、いろんな人がいるように、化生にもさまざまな考えのものがおります。わずかではありますが、なかには人をにくみ、敵視するものがいるというのもまた事実でございます、かなしいことでございますが」
ふむ、と応じた夏帆は琴音をみた。忙太を学校でみたことがあるかたずね、首をふった彼女に礼をいうとふたたび忙太に向きなおる。
「話を整理するよ? 君は今日、琥珀さんにたのまれて、本のなかに迷いこんだボクたちを、仲間と一緒にさがしにきてくれた。君たち化生は、みぢかなところにたくさんいるけど、ボクや泉さんをふくめて大抵の人にはみることができない。でも、本のなかではボクたちも君たち化生をみることができるらしい。こういうことかな」
「はい。そのとおりです。さすがは夏帆さん、頭脳明晰でございますね」
「ありがとう。よくわかったよ」
うつむいたまま三人の遣りとりをきいていた結は、自分へとむけられる夏帆の視線を感じた。真夏のひざしをうけたのような刺激とともに。
「ねえ結。君は忙太と友だちなんだよね?」
「え? う、……うん」
おそるおそる顔をあげる。夏帆や琴音と目をあわせることができなかった。
「ということは、結は化生たちをみてたってこと? ……本のそとでも」
「そ……、れは……」
手を握りしめる。彼女たちとのあいだのたった数歩の距離が、いやにとおく感じた。
「あの……、ね」
ふたたびうつむく。心臓が、おおきな音で鼓動しながら、体のなかを跳ねまわっていた。
いきなりこのような状況に追いこまれたことに対する動揺や隠しごとをしてきたことに対する罪悪感、本当のことをいわなければという義務感やきらわれたくないという恐れ。さまざまな感情が、たかいところから飛びおりたときのようなするどい浮遊感をともなって、胸のおくでさかまく。しびれて判断力をうしないかけた頭を懸命にめぐらせ、最良の決断を選びぬこうとするほどに、思考はもつれた。
極限まで張りつめた緊張を、不意に夏帆がやぶった。予想もしてなかったおだやかな声で。
「いいよ」
「……え?」
「いいたくないなら、無理していわなくってもいい。いいたくないことくらい、誰にだってあるから」
顔をあげる。あまり表情をださない夏帆が、しずかな笑みをたたえていた。嵐は一瞬のうちに
「あ、あのね、……わたし最近、急に化生が、みえるようになって。それで、すごくこわくって、どうしていいかわからなくて……。でもね、瑠璃さんや琥珀さんがたすけてくれて、ようやくなれてきてね、ちょっとずつわかってきたの。ときどき、あぶないのも、いるけど、……化生たちはこわくないんだって」
「いいよ。無理しなくっても」
「ちがうの。ほんとはね。わたし、……ずっと、いいたかったの」
「……そっか」
「でも、わたしにしかみえないものの話をしても、しんじてもらえるかなんて、わかんないし。……それにね、もし気味がわるいって、おもわれて、それで……、きらわれちゃったら、どうしようって。……だからずっと、いえなかったの」
「わかるよ、すこし」
「え?」
「ボクだっていま、結にきらわれるのがこわいから、無理しなくていいっていったから。本当はおしえてほしかったのに」
「おんなじ、だね」
「そうだね、おんなじ。教えてくれてありがとう」
「わたしの方こそ、聞いてくれてありがと」
「結がときどき、とおいところをみてるような気がしたのは、こういうことだったのかな」
「……気味がわるい、って、おもった?」
「あんまり。結とおんなじ風に世界がみられて、よかったっておもった」
「よかった……」
「でも、ちょっと大変だね、普段から忙太みたいな化生がみえてたら」
「さっきはね、なれてきたっていったけど、ほんとは、まだ、……びっくりしてばかりなの」
ぎこちなく笑みをかわすふたりをみて、琴音がうなづいた。
「よかった。ね、忙太さん、あたしとも友だちになってくれるの?」
「そりゃもちろん。琴音さんさえよろしければ」
「ほんと? やった!」
「琴音さんはあたしたちがこわくはないんで?」
「あたしが物語をすきなのはね。物語のなかなら現実にはありえないようなことがおこるからよ。化生がみえるお友だちや『いそがし』のお友だちができるなんて、ねがったりかなったりだわ。それにあたし、ホラーなんかもだいすきだし」
「ホラー枠ですか、あたしゃ……」
「どうかしら、人間がかいたホラーはもっとこわいわよ?」
「そ、そうですか。――あ」
はた、と手をうった忙太をみて、琴音が首をかしげる。
「どうかした?」
「こりゃいけない。肝心なことをわすれておりました。結さんたちをみつけたら、すぐ連絡するようにいわれてたんです」
「誰に連絡するの?」
「琥珀さんですよ。瑠璃琥珀堂の」
「ああ、あの格好いい人」
「はい、おの
「素敵よね」
「ええ。素敵な方です。皆様がたを助けにこられるのだとおもいます」
「ここから出してくれるってこと?」
「そのおつもりかと。……なのですが」
「どうしたの?」
「……い、いいえ。なんでもございません」
「そう? ならいいけど」
綾里さん、水上さん、と呼びかけた琴音は顔をあげた二人にいう。
「瑠璃琥珀堂の琥珀さんが助けにきてくれるって」
結は、不意につげられた名前に、やわらかくふくらんでいた心がかたく張りつめるのがわかった。
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