黒桂
玄関のドアハンドルに手をかけたまま、結は
なにかいたらどうしよう、おそるおそる様子をうかがうと、玄関ドアの硝子ごしに琥珀がみえた。覚悟をきめて扉を押しひらく。小走りに琥珀のもとへむかった。
「おはようございます。きてくださってありがとうございました」
「おはよう。なに、結はうちの大切なアルバイトだからな。不安だったか?」
「……こわかったです」
「安心しろ。もう心配ない」
琥珀の笑みに
「あの……琥珀さん。ちかくに公園があるので、そこでおはなししませんか?」
「かまわんが学校はいいのか?」
「今日は午後からなんです、入学式で」
「ならば場所をかえよう。わざわざここで話すこともない」
すんなり承諾がえられて結は心のなかで胸を
ならんで川ぞいの道をあるく。かつての城下町とはいえ、和装の琥珀は人目をあつめそうなものだが、ときおりすれちがう人たちは見むきもしない。結はかすかに聞こえるきよらかな音色に気づいた。琥珀の帯留めで、いくつかの鈴がゆれている。
石の鳥居をくぐって、ふたりは公園に入った。夏におおきな祭りが開催される神社に隣接した公園で、それなりの広さがあるが、さすがにこの時間は人影もまばらだ。
噴水のちかくにある藤棚で結は歩みをとめた。たったひとりの女性の存在が、飽きるほどみた景色から現実味を消しさっている。
「あの、なんなんですか? あの声って」
「ただの野次馬だ。ひとまずこれを身につけておけ、瑠璃からだ」
琥珀はふところの
「綺麗……」
日の光をうけて放つ輝きに、結は目をほそめる。
「コーヒーフィルターのようなものだ。必要なものだけをとおす。野次馬どもの声もきこえなくなるだろう」
「きこえなくするだけなんですか?」
「充分だ。結にはもともと、たのもしい身辺警護がついているからな」
「……身辺、警護?」
「とはいえ、目にみえるものがあった方が心づよいか。私の部下をつけておこう」
琥珀は帯留めにつけられた鈴のひとつを指ではじいた。昨日のトートバッグの鈴とおなじ、澄みきった音色が空気をつたっていく。結は
「いま、……なにをしたんですか?」
「結にわたした
部下は少々内気なものでな、とつづけた琥珀は、ふかく息を吸いこんで空をあおぐ。
「
つられて空を見あげた結は、彼方の黒点に気づいた。みるまにちかづいてきたそれは、琥珀が差しだした左腕に舞いおりる。結は目を
琥珀の髪とおなじ色のつややかな羽衣をまとった
「紹介しておこう。黒桂だ」
「あ、あの……おはようございます。黒桂……さん」
結を見おろして黒桂はひとこえ鳴く。
「お前と
満足げにうなずいた黒桂は、琥珀の腕をはなれ、ふたたび空にきえていく。
「あの、さっきおっしゃってた野次馬って、どういうことですか?」
「結のことがすこし、
「噂ってなんですか? 一体……なにが起こってるんですか? 本当にわたし、大丈夫なんですか?」
「安心しろ。おそれることはない、なにもな」
琥珀は結の頭をなでる。ふわりと心がかるくなった気がした。
「くわしい説明は店でするとしよう。学校がおわったらよってくれ、たのみたい届けものもある」
琥珀の背中がとおざかっていく。鈴の音に似た清涼な香りが、結の
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