想い人
梅雨の晴れ間にひろがった空は色こく、ちかづく夏の気配をかんじさせた。
あかるい日差しとともに、いたいほどの視線をあびながら、結は真剣な顔でドアフォンにむかっている。
視線の方を見あげる。
ほどなくして聞きなれた男性の声が応じて通されたリビングルームは、前回きたときと様子がちがっていた。掃きだし窓は開けはなたれており、庭には脚立に似た作業台がひろげられ、周囲に工具や木材がおかれている。
「日曜大工ですか?」
「もしかして、にあっていません?」
「……えっと、あの……、ご、ごめんなさい」
結が頭をさげると潤一郎はうなずく。
「やっぱりそうですよね。実は初めてなんです、こういうことをするのは」
「あ、そ、そうなんですか……」
「餌台をつくってみようかな、とおもいまして。あの鳥がまたきてくれましたから」
潤一郎は窓のそとをながめた。結は、自分には少女にしかみえない黃羽を、潤一郎は鳥として認識しているのだと、あらためて気づかされる。
「せ、先生は、その……、あの鳥がおうちにくると、……うれしいですか?」
「ええ。うれしいですよ」
枝にこしかけた黃羽と視線をあわせて、結は頷きかわす。今日一番の質問を口にした。むかしすきだった魔法少女の姿を思いうかべながら。
「あの……、先生はどうして、あの鳥と似たもの同士って、……いったんですか?」
「夏のあいだは
「でも黃羽さ――じゃなかったあの鳥は……」
「あの鳥には連れあいがいないみたいなんですよ。あそこに巣をつくってから二週間ほどになりますが、二羽でいるところをみたことがありません。なんだかそこが、僕と似ているような気がして」
「え……?」
結は潤一郎の目が、庭の木よりずっと遠くをみていることに気づく。転がりだした話が、のぞんだのとはちがう方向へむかっていることに気づいた。軌道修正もできないほどの、たしかな重みをもって。
「何年かまえ、商店街のちかくで死亡事故があったのをおぼえていますか?」
「は、はい……。人が亡くなるような事故なんて滅多にありませんから」
「……あの事故で亡くなったのが、僕の婚約者だったんです。彼女とくらすはずだったこの家にひとりですんでいる僕と、一羽で巣をつくったあの鳥は……、とてもよく似ているように、おもえます」
開けはなたれた窓から吹きこんだ風が、部屋のなかを通りすぎていく。
「彼女――玲菜は高校の同級生で、生まれつき体のよわい僕とは正反対で、よくわらうとても活発な女の子でした。陸上部に所属していて走り高跳びの選手だったんです。玲菜のフォームはとても
「――ねね、そのおっきな荷物、なに?」
チェロのレッスンにむかう途中、不意にかけられた言葉に振りむいた潤一郎はとまどった。一度も言葉をかわしたことのない少女から、したしげな瞳をむけられていたからである
「あれ? ……峯岸くんだよね? おんなじクラスの」
「……そう、だけど」
「よかった。不安になっちゃったよ、もしかして人ちがいだったのかなって」
そういって玲菜はもう一度わらう。ひどく落ちつかない思いで潤一郎は目をそらした。おさないころから入退院を繰りかえし、
好奇心旺盛で人怖じしないそのクラスメイトが、県大会で上位に名をつらねるような陸上の選手であることを潤一郎がしったのは、しばらくあとになってからのことであった。ほんの好奇心から、偶然をよそおって玲菜の練習を
あるとき潤一郎は、生まれてはじめて誰かのためにチェロを演奏した。異国の香りのする『鳥の歌』というタイトルのクリスマスキャロルをきいた玲菜はまばゆい笑顔をうかべ、以来その曲は、ひとりの女性のためだけにかなでられることになった。その演奏から何年かがすぎたあと、潤一郎は玲菜に指輪をおくった。
「――僕たちが結婚式をあげるはずだったその日、玲菜は式場にあらわれませんでした。病院からかかってきた電話で、彼女が車にひかれそうになったちいさな子どもをたすけて、かわりに命をおとしたことをしらされたんです。最後の最後まで彼女はとてもまっすぐで、そしてついに僕には手のとどかない、たかいたかいところまでとんでいってしまいました」
ひどくながい時間が経過したような気がした。舌が上あごに張りついて言葉を発することができない結に、潤一郎はこまった顔で微笑む。
「すみません。こんな話をされてもこまってしまいますね」
「……そ、そんなこと、ないです」
懸命に声を振りしぼりながらも、結は黃羽のいる方をみることができなかった。
★☆★☆★
「おやすみの日なのにありがとうございました」
「いいえ。ちいさなお友だちが音楽に興味をもってくれているようでうれしいです」
笑顔で応じた潤一郎に頭をさげてから、結は玄関の扉をしめた。
門をでて塀にそって歩きだすと、黃羽がかろやかに楓の枝から舞いおりる。そこまでおくってく、とつげるなり、くるりと半回転して歩きだした背中を、あわてて追いかけた。
背のひくい町並みにそそぐ日差しは、おだやかだが力にみちており、移ろいゆく季節の足音をかんじさせる。
結がそっとうかがった黃羽の横顔は、彼女がこぼす鼻歌とおなじくあかるかった。人の気持ちにうとい結なりに想像をめぐらせる。もし自分が気になる人がいると仮定して、その人が亡くなった婚約者を想いつづけているとしったとき、うまれるであろう気持ちは、この弾むような歌声とは、どうしても結びつかなかった。
「なんでくらい顔してるの?」
はれた日に傘をさした人にかけるような声に顔をあげる。
「あ、あの……どんな風にいったらいいのかわからないんですけど――」
「――もしかして潤一郎にすきな人がいるってきいてショックとか?」
「ショックっていうか、その……」
「あたしなら心配いらないよ?」
「そ、そうなんですか?」
「潤一郎に興味はあるけど、別にすきとかきらいとかそういうんじゃないし。そもそも潤一郎はあたしの姿をみることも、声をきくこともできないんだからさ」
「……それは、そうかもしれませんですけど」
「大丈夫だよ。潤一郎がかなしそうな理由もわかったけど、あたしにはどうしてあげることもできないし」
「そう、ですね……」
なにをいえばいいかかんがえているあいだに、バス停の付近まで
「じゃ、あたしはかえるね」
「は、はい。送ってくれてありがとうございました」
「ううん。あたしの方こそいつもありがと」
手をふってわかれた黃羽はきた道を引きかえす。八割以上の確信で振りかえると、心配そうな結の視線があった。身ぶりで早くアルバイトにいくよう指示すると、ようやく背中をみせる。
肩をつくめて苦笑したあと、ふたたび歩きだす。数歩すすんだところで違和感をおぼえた。頰に手をあてて、ぬれた感触におどろく。自分がないていると気づいた瞬間、立っていられないほどの痛みが、胸のおくに走った。
堪えきれずにしゃがみこみ、息をもらす。何がどうなっているのかもわらないまま、とめどなくあふれるあつい
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