瑠璃琥珀堂

「で、気づいたらああなっていたと、そういうことか」

 カウンターの中からたずねられた結は、スツールのうえでますますうつむいた。

「はい……」

「なるほど。さすがだ」

 まぢかで力士をみたような表情で、和装の琥珀こはくがうなずいた。すずしげなかんばせに黒金剛石のごとき瞳がりんとした印象をそえており、ながい黒髪をたかい位置でひとつにまとめ、丁子ちょうじの地色に赤むらさきのあざみ柄の着物に海老茶のはかまをはいている。

 彼女のとなりでは洋装の瑠璃るりがポットからティーコージーをとった。はなやかな目鼻立ちにラピスラズリのごとき瞳が一層の色彩をそえており、ゆたかな金の髪を肩ほどのながさでそろえ、ブラウスにスラックスと背中のあいたカマーベストをあわせてリボンタイをしめた、モノクロームの出で立ちだ。

 紅茶をみっつのカップにぎわけながら、瑠璃はやわらかな声でいった。

「理科の実験みたいね」

「実験か?」と琥珀が応じる。

「磁石で砂場の砂鉄をあつめるあれ」

「砂鉄が磁石にくっついてとれなくなるあれか」

「そうそれ。しゃくにさわるのよね、あれ。――磁石だけに」

 瑠璃、と半眼になった琥珀が、

「いっていてむなしくならないか?」

「いいえ。まったく」

 平然とこたえる瑠璃の視線のさきでは、結がしたをむいたまま、小きざみに肩をふるわせていた。

 結のアルバイト先である瑠璃琥珀堂に、薫香がみちていく。古色蒼然そうぜんとした和洋折衷の店内には今日も客の姿はなく、ショーケースや飾り棚におかれた種々の雑貨たちは、わずかな揺らぎのある窓ガラスのむこうの雨音に、粛然ひっそりと耳をかたむけている。

 ティーカップを結のまえにおくと瑠璃が微笑んだ。

「それはも角、今日もお届けものご苦労様でした」

「ありがとうございます」

 立ちのぼる湯気に表情をゆるめた結は、丁寧に息を吹きかけてから紅茶を口に運ぶ。吐息とともにティーカップがソーサーにおかれたあとで、瑠璃が切りだした。

「いいこと思いついちゃった」

「なんですか?」

「この調子で結ちゃんにあちこち歩きまわってきてもらったら、お客さんの方からどんどんあつまってくるんじゃない?」

「わ、わたし……こまります」

「そう? いつくるかわからないお客さんをまってるより、よっぽどいいとおもうんだけど」

「だだ、駄目です、そんなの絶対っ」

 わたわたと手をふった結は、したをむいて唇をとがらせた。

「ただでさえ最近は、い、いきなり押しかけてくる人がいるんですから。このまえなんて授業中に頭のない人がでてきて……、おかげでわたし、へんな声だしちゃって。……絶対みんなにおかしな子だっておもわれたにきまってますっ」

 耳まであかくそめた結が顔をおおうと、琥珀が手をのばして頭をなでた。

「化生のものたちも人とおなじで、かなわぬ願いをかかえたものはおおい。何かにすがりたくもなるのだ。それが縁をむすぶという稀有けうな力であるならば、なおのことな」

「でもわたし、あんな風にこられたら……」

「連中に悪気はないのだが、人の都合がしらぬものがおおい。お前の学校にあらわれたという胴面どうのつらには、よく云いきかせておこう。連中もじきに姿をあらわすべきときをまなぶ」

 顔をかくしたまま結がうなずくと、琥珀はうすく笑みをうかべる。瑠璃と視線をかわしたあと、そろって窓のそとをみた。

「まあ、差しあたっての問題はあの娘か」

 店の前庭にうえられた花水木の枝に、おさない少女が腰かけている。白地に黒のしま模様の着物にあわせた、友禅の帯の黄色があざやかだ。一直線にそろえられた前髪のしたの好奇心旺盛そうな瞳で、店内の様子を根気づよくうかがっている。結が届けものの帰り道でみかけた少女が、店まで着いてきてしまったのだ。

 結は後ろをむかないようにしてたずねた。

「まだ、いますか……?」

「いるな。見覚えのない化生だが、瑠璃はどうだ?」

「しらない子よ。どこかからながれてきた化生でしょうね」

 ふむ、と応じた琥珀が目をほそめる。

「また随分ともつれているな。くるべくしてきた、といったところか」

「そうね。でも糸がまじわるのは、もうすこしさきになりそう」

「なるほどな。結、お前はどうしたい?」

「うちまでこられてもこまります。……あんなこと、あったばっかりですから」

「では今日のところはまいておくか。瑠璃、結をまかせていいか? 裏口から帰してくれ」

「ええ、わかったわ。結ちゃん、いらっしゃい」

 手まねきする瑠璃について、カウンターわきのドアからバックルームがわりにつかっている部屋に入った。いわれたとおりに結が帰り支度をすませると、彼女はベストのポケットから繊細な細工がほどこされた金属製のカードケースをだし、人の形に切りぬかれた紙を抜きとった。たてに半分におって胸の部分を指さす。

「すこしのあいだ、ここを口にくわえていてくれるかしら」

「こ、こうですか……?」

 不思議そうな顔で指示にしたがう結に微笑みかけたあと、瑠璃は瞳をふせてふかく息を吸いこんだ。その途端、あたりの空気が彼女を中心に肌ざわりをかえた気がして、結は目をみはる。つづいた数度の深呼吸のあいだに、まとった雰囲気も静謐せいひつなものへと変容していく。

 おされたまま立ちつくす結から受けとった紙をそろえた手のひらにのせ、まぶたをとじると聞きなれない言葉でなにごとかを紡ぎはじめた。特有の韻律を有する吟詠、あるいは独自の音階で構成された歌唱は、たしかな質量をもって拡散し、空気を振動させ、見なれた部屋を非日常に染めていく。耳朶じだにひびくうつくしい音色に、いつしか結は時間の感覚さえうしなって聞きいっていた。

「手をそろえてだしてくれるかしら」

 不意にかけられた言葉で我にかえる。瑠璃のあおい瞳がむけられていた。返事をすることもわすれて両手を差しだすと、彼女はそこに紙の人形をのせる。

「その子に息を吹きかけてみて」

 結の息吹で、しろい紙は宙に滑りだす。一度ひるがえったとき、変化がきざした。形をかえ、色彩をおびる。はためくたび、あきらかにそれは、別のものへとかわっていく。床に降りたったときには、おどろく結にうりふたつな姿となっていた。すっかり張りついてしまった喉から、苦労して声を絞りだす。

「こ……れは……?」

「お人形よ。結ちゃんのかわりにお店にいてもらうの」

 さあ、おいきなさい、という指示にうつろな声で応じた人形が店にもどる。片目をとじた瑠璃は、普段とおなじ雰囲気を取りもどしていた。

 瑠璃にみちびかれて、結は迷路のように入りくんだ無数の部屋をぬける。あきらかに店のひろさを上まわる距離をあるいても、いびつな形の部屋がどこまでもつづく。裏口にいくのは二度目とはいえ、不安になりかかったところで不意に行きあたった。

 いくつものドアがならぶ瑠璃琥珀堂の裏口だ。いわれた扉をひらくと、そこは商店街のはずれであった。自宅まで数分ほどの場所である。

「気をつけてかえってね」

「ありがとうございました」

 頭をさげた結に瑠璃が微笑んだ。小降りになった夕方の雨のなかに歩みでる。水色の傘が、小気味いい音をたてた。

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