縁を結うものの章
雨
雨につつまれた午後の街を、ふたつの傘がならんであるく。
水色の洋傘は高校の制服に
ちいさなころから雨の日は、結を安心させた。雨と傘は、二重のとばりとなって自分をかくしてくれる気がした。
だがいまは、やわらかな水音のなかにあっても表情はうかない。それを察してか琥珀も口をつぐんだまま歩みをすすめる。
★☆★☆★
落ちつかない思いで自室にいた結が、ノックの音でかすかに体をふるわせたのは、午前のことであった。
同室の
「安心なさい。いい方たちですよ、とても」
滅多に感情をおもてにしない彼女の笑顔があった。すぐに歩みを再開したシスターのあとにつづく結の気持ちは、不思議とかるくなっている。
子どもたちのちょっとした変化にすぐ気づくシスターを、魔法使いなのかもしれないとおもったちいさなころから、自分たちをよく見ているからだと気づいた現在にいたるまで、見まもられているという安心感は結をささえた。
とはいえ今日ばかりはすべてを拭いさるにはいたらなかった。結はこれから、自身の里親となるかもしれない夫婦と対面することになっていたのだ。
――あなたくらいの歳の子どもを養子にと希望されているご夫婦がいます。
一週間ほどまえにシスターからきかされた話は、青天の
養子縁組を前提とせず一定期間の養育をおこなう養育家庭や、被虐待児などを対象とする専門養育家庭、さらには養子縁組里親など、里親にはいくつかの種類があるが、結のようにある程度の年齢までそだった子どもに対する里子、特に養子の申し入れはすくない。これまで一度としてなかった状況に、結はとまどっていた。
聞きなれたノックのリズムで結は我にかえる。シスターにつづいて応接室に入った。
親との面会にもつかわれるため、ずっときたかった場所にもかかわらず、はじめて入室した喜びを
部屋の中央、向かいあわせにおかれたソファーには、担当の児童福祉司のほかにひとくみの夫婦の姿があった。視線をむける勇気をもてずに不自然な角度でかたまった結に、児童福祉司が声をかける。
「こんにちは、結さん。こちらが
「あ……の、こ、こんにちは」
うつむいたまま、かくれるようにお辞儀をして椅子にすわった。
「倉方さん、
「綾里、結さん。……あの、もしかして」
聞きおぼえのある声だった。はじかれたように顔をあげる。ふたつのおどろいた顔があった。女性がつぶやく。くもりの日の夕暮れに一番星を見つけたように。
「あなただったのね……」
夏帆のお気に入りのパン屋、シェ・カの夫婦だった。
「面識がおありでした?」
「ええ。何度かお店にきてくださったので」
「そうでしたか。ではあらたまった挨拶も必要ないでしょうか?」
「いえ。まだおたがい名前もしらないものですから。結ちゃん、私は倉方いと、というの。よろしくね」
「おじさんは倉方智宏だ。いつも店にきてくれてありがとな」
「わ、わたしは……綾里結、です」
さきほどまでとはちがう鼓動をきざむ心臓にとまどいながら、結はおおきく息を吸いこんだ。
いとと智宏がおもに自分たちのことをはなし、ときおりむけられる質問にこたえる程度ではあったが、結にしては落ちついて話をするうちに、面会時間の終わりがちかづいていた。
「ご縁というものは不思議ですね、智宏さん」
聞き役に徹していたシスターがはじめて口をひらいた。
「わからんものです、ほんとに」
「こんなに立派になって、帰ってきてくださるなんて」
「いやいや。佐賀野さんにそういわれると、もうなんというか」
シスターはまぶしそうに目をほそめたあと、結をみた。
「結さん。智宏さんはこの施設にいたことがあるんです」
「残念ながら、あんまりほめられた先輩じゃないんだけどな。でも、そういうわけだから、いろいろと遠慮はいらないぞ?」
「いろいろってなあに?」と、わらったいとが結をみる。
「おばさん、結ちゃんとならきっとうまくやっていける気がするわ」
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