結と夏帆はならんで校舎をでた。

 活気にみちた放課後の空気のなかにあっても人目にたつ夏帆と、それとは対照的な結はおたがいに、普段どおりに振るまおうとしている相手に元気がないことを察していながら、かける言葉を見つけあぐねたまま、あたりさわりのない会話をかさねる。ぶつけたばかりの足の様子をたしかめるように。

 話題をさがして結が目をむけたグラウンドでは、サッカー部が色ちがいのビブスをつけて、練習試合をおこなっていた。

 真剣な表情で走り、声をあげる部員たちのなかに、際だって動きのいい選手がいた。魔法のようにボールをコントロールして攻めいり、ひとりかわし、ふたりかわしてシュートを放つ。

 ディフェンダーに阻まれてボールがピッチのそとにでた。ボールを追ってきたその選手は、結に気づくと表情を一変させて、にこやかに手をふった。咄嗟とっさのことになにも反応できなかった結に気をわるくしたようすもなく、試合にもどっていく。

中嶋なかじま先輩と知りあい?」と夏帆がいう。

「このまえ、廊下でぶつかって……」

「なるほどね。有名な選手らしいよ。女子たちによると」

「サッカーのことしらないけど、わかる気がする。猫みたい、すばしっこくって」

「ああ。うん……そうだね」

 夏帆が目をふせる。失言だったと後悔したがどうしようもない。

 彼女がふさぎ気味な理由はわかっていた。猫の惨殺事件を警戒して猫神社にかよう夏帆に、結も可能なかぎり同行していたが、すくなくともここ一週間、リンの姿をみてなかった。

 不安がにじむ夏帆の横顔をみながらかんがえる。本当にリンだったのか確信はもてないけれど、先日みかけたことをおしえれば、気がはれるかもしれないとおもった。

「あ、あのね。このまえの雨の日、アルバイトで団地にいったの」

「団地って?」

「ほら、猫神社のあたりにある」

「あそこか。……たしか先週くらいに、あそこでも猫がころされたらしい。気をつけて、もしまた行くことがあったら」

「そ、そうなんだ……」

 結は言葉につまる。そこまでしっているのであれば、団地のちかくでみかけたと聞かされても、夏帆は気が気ではないだろう。そのうえ実際にリンらしき人物がいたのは、現場のすぐそばなのだ。

「団地がどうしたの?」

「あ、あのね……、そこで、小さな子どもにおどかされて……、すごくびっくりして」

「そんなに?」

「う、うん。木の枝からさかさまにぶらさがってね。いきなり目のまえに、ばあって」

「ああ、それはおどろくね」

 もぞり、と胸のおくで不穏な予感がした。リンがまもっているから安全だと瑠璃にきかされた猫神社は、彼が不在のいま、危険な場所なのではないだろうか。

「どうかしたの? 結」

「な、なんでもない。えっと、……体操服。そう体操服、教室にわすれちゃって」

「なんかごまかしてない? さっきから」

「……そんなこと、ないよ」

 じっと見つめてくる瞳から、つい目をそらす。夏帆はみじかくため息をついた。

「じゃあ一旦教室にもどろうか」

「ううん。ここでまってて」

 結はきびすをかえして校舎に入った。


    ★☆★☆★


 校舎はしずまりかえっていた。

 まっすぐな無人の廊下は、黛におそわれたときのことを思いださせる。

 結が身ぶるいすると、眞白がスクールバッグに飛びついて肩にのってきた。頬にかんじる温もりが、歩みをすすめる勇気をあたえる。廊下をぬけて階段をのぼった。

 教室のまえまで辿たどりつくと、とじた扉のおくから女子たちの話し声がきこえた。人がいることに安堵あんどして、結はドアに手を伸ばしかける。

「――ジドーヨーゴーシセツってさ、なんかやらかしちゃった子がいれられるとこでしょ?」

 耳をうたがう。この学校に施設の人間は自分しかいない。

「じゃさ、結構ヤバイってこと? あの子」

「わかんないもんだね。おとなしそうなのに」

「ちがうって。親と一緒にくらせない子がいくとこ」

「虐待とか借金とか?」

「うわ、おもたいねー」

 絶対にしられたくなかったことが、しられたくなかった風に話されている。急激に指先からうしなわれていく体温をかんじながらも、結は身うごきひとつできなかった。

「結?」

 うしろから声がきこえて、はじかれたように振りむく。階段をのぼってきた夏帆にも気づけなかった。

「なにか、あった?」と彼女は真顔になる。

「……なんでも、ないよ」

 およいだ視線の行くさきをおった夏帆は、教室の様子をうかがった。みる間に表情が抜けおちていく。

「どこにあるの?」

「え?」

「体操服、どこにあるの?」

「あ、えっと……、よこ、机の」

 ここで待っていてくれるかな、と微笑んだ夏帆はいきおいよくドアをひらいた。

 金属のこすれる音が会話を断ちきる。硬直する女子たちなどお構いなしにまっすぐ結の席へむかい、トートバッグをとると踵をかえした。

 扉までもどったところで、安堵の吐息をもらしかけた彼女たちを、振りむいて一瞥いちべつする。

「ボクは友達のことを、そんな風に興味本位で話されるのは好きじゃないな」

 どなったわけではない。普段どおりの声であった。だがそこには、猫が牙をむく瞬間のような、鋭利な感情がふくまれていた。

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