木苺とお弁当と

 ばさり、と音をたててひろがったレジャーシートは、木陰の芝生のうえに舞いおりた。

 さえた青空のした、山の斜面にそってひろがる公園には、おもいおもいのグループにわかれて昼食をかこむ生徒たちのおしゃべりがみちている。ついさきほどまでのレクリエーションのゲームでの盛りあがりは落ちつきつつあった。焼きあがったあとに粗熱がさめるまで棚におかれるパンのように。

 人のすくないすみのあたりでベンチにすわった結は、昼食をたべる場所づくりをすすめる夏帆を、うしろめたい気持ちでながめている。化生の少女にさらわれかけたときのことを、急にふらついてしまったと誤魔化したため、心配した彼女が付きっきりでずっと世話をしてくれているのだ。どうしてもっとうまくいえなかったかのかと頭をかかえた。

「大丈夫? 頭いたい?」

 うえからふってきた声に弾かれるように顔をあげ、必死に首をふってこたえる。

「う、ううううんっ。全然っ、いたくないよ」

「ならよかった。あ、レジャーシートしいちゃったけど、ベンチの方がらくだったかな」

「う、ううん。そっちがいい。……夏帆ちゃん、ありがと」

「どうってことないよ、このくらい。ご飯はたべられそう?」

「うん……」

「よし、じゃあお昼にしようか」

 ならんでレジャーシートにすわり、夏帆の分だといわれたちいさなタッパーをわたした。せえの、と声をそろえて蓋をあける。しずんでいた気持ちは、またたく間にふくらんだ。リクエストしたとおり、バケットと食パンのサンドイッチだ。赤や緑、黄色にピンク、さまざまな具材が行儀よくパンのあいだにおさまった姿があいらしくて、二人で笑みをかわした。

 いただきます、と手をあわせかけたとき、夏帆が目をすがめる。

「ごめん。ちょっと待ってもらっていいかな」

「どうしたの?」

 なにかおちてる、と立ちあがった夏帆は芝生からなにかをひろった。自転車や自宅のものとおもわれる鍵がつけられた、毛足のながい熊のマスコットだ。

「うちの学校の子のかもしれないね。池永先生にとどけてくるよ」

「じゃ、じゃあわたしも一緒に」

「無理しなくていいからここにいて。さきにたべてていいからね」

 夏帆が遠ざかっていく。背中がみえなくなったところで吐息をもらした結は、ずっとむけられていた視線のぬしの方へと振りかえった。すぐうしろにある木のかげに、あわてて逃げこむ気配がある。ランチボックスを手にしたままちかづくと、顔の半分だけがのぞいた。涙目である。

「……鬼、悪魔、人でなし」

「だ、だって、いきなり連れていこうとするから……」

「だからって普通、雷獣をけしかけたりする? しんじらんない」

「……ご、ごめんなさい」

「まあいいわ。許してあげる。あたし、心がひろいの」

 声をあかるくすると少女は幹のうしろからでてきた。屈託のない、そして、理不尽だという結の気持ちなど歯牙にもかけぬ笑顔だ。つり気味の瞳には、おなじ背丈の人間の子どもとはあきらかに異なる理知の光がやどっており、ぷっくりした唇にうかんだ笑みとあわさって気のつよさを演出している。

「わ、わたしになにか、ご用ですか?」

「そうよ。あんたにたのみたいことがあるの。一緒にきて」

 少女は結の腕をつかんで歩きだした。あわててあらがう。

「ちょ、ちょっと待ってください」

「なによ。すぐすむから早くしてくれない?」

「駄目です。わ、わたしにも都合があるんですから」

「都合って?」

 振りむいた少女の顔が不機嫌そうにゆがんだ。気おされながらもこたえる。

「い、いまは学校の時間なんです。勝手なことをしちゃいけないんです」

「どうして?」

「……み、みんなに迷惑が、かかるから……とか」

「どうしてあたしと一緒にきたら迷惑がかかるの?」

「急に誰かがいなくなったら、……心配するでしょう?」

「あたしによばれたっていえばいいじゃない」

「そんな理由じゃ駄目なんです」

「面倒ねえ。なんならいいわけ?」

「た、体調がわるいとか」

「じゃあそれにしましょう。はい、おしまい」

 ふたたび少女が歩きはじめる。力をこめて踏みとどまった。

「もうっ、いい加減にしてください」

「いい加減にしてほしいのはこっちよ。あたしも暇じゃないの。さっさときて!」

 つよく手をひかれる。反射的に力がこもった。声にも体にも。

「とにかく、いまは一緒にいけな――あっ!」

 右手にもっていたランチボックスが宙をまった。もともとの運動神経のにぶさにくわえて片腕をとられた状態では、物理の法則にしたがってえがかれる放物線を、なすすべもなくみているしかできなかった。みどりの芝生のうえに、パンや野菜、ゆで卵やハムのカラフルな花がさく。しん、と頭のなかがひえた。あかるい色あいとは対照的に。

「ご、ごめん。でもあんたが――」

「――これは、お父さんとお母さんがつくってくれた大切なお弁当なんです」

 自分のものとはおもえないほどにつめたく、抑揚のない声だった。

「わざとじゃ――」

「――そんなことどうでもいいです。とにかく、もうわたしに話しかけないでください」

 おさない少女を見すえる。その申しわけなさそうな表情すら、心をうごかすことはなかった。


     ★☆★☆★


 最初の一音を発するまえに、手をのばしてだまらせる。午前五時四十五分、結の目ざましは今日もその役割をはたすことがなかった。

 布団のなかでまぶたをとじたまま最初の朝の習慣を実行した結は、つぎの手順に取りりかかる。同室の美晴みはるをおこしていないか耳をすましたが、一向に寝息がきこえなかった。しばらくの時間を要してから、ようやくここは施設ではないと思いあたると同時に、おどろいたような、傷ついたようなおさない少女のまなざしがうかんだ。

 のろのろとベッドのうえで体をおこす。人とかかわらないようにしてきた結にとって、誰かに声をあらげたのは、はじめてといっていい体験であった。その相手がたとえ、化生のものであったとしても。

 ゆがんでしまったクッキーの缶の蓋のように収まりのわるい感情が、昨日からずっと、ふとした拍子にかたことと音をたてる。時間がたつほどゆがみがひどくなっている気がしてため息をもらしたとき、ことり、と物音がした。

 部屋は二階にあるため、窓のすぐむこうで音がすることはありえない。悪意のある化生のものに危害をくわえられたときのことが、なかば反射的に思いだされた。表情をかたくして眞白をみる。警戒をうながす様子はなかった。おそるおそるカーテンに隙間をつくってのぞきみる。

 山の稜線りょうせんをこえた陽光がそそぎ、背のひくい町並みは刻々と色あいをかえながら、目ざめへとむかいつつあった。普段とかわらない眺めに安堵あんどの吐息をもらしたとき、サッシの外側の窓枠におかれたものに気づく。木の葉でなにかをくるみ、わらでむすんだものらしい。

 腕をつたってガラスごしにそれをみた眞白が、振りかえってみじかい鳴きごえをあげた。うなずいてこたえてから、おとさないように気をつけて窓をあけ、手をのばす。想像よりおもいような、かるいような、不思議な手ごたえだった。

 机のうえで藁をほどく。慎重にほおの葉をひらいていくと、こつぶの紅玉ルビーが寄りあつまったような形の果実が、たくさん入っていた。木苺きいちごだ。みずみずしくもあざやかな色あいとあいらしい形に、結は表情をゆるめる。

「昨日のあの子かな、やっぱり……」

 つぶやいた言葉に眞白がおうじた。やわらかな気持ちで窓のそとをみる。グラデーションのかかった空は、ほとんどが昼間のいろにかわっていた。

 顔をあらって学校の制服に着がえると階段をおりた。パン屋の朝は早い。厨房ちゅうぼうにはすでに香ばしいパンの匂いが立ちこめ、智宏といとに坂元をくわえた三人がかりで朝の仕込みがおこなわれていた。朝の挨拶をすませた結は自宅のキッチンで四人分の朝食の支度にかかる。ざるにあけて水あらいした木苺は、宝石のようにつややかな光をまとった。

 朝食と片づけをすませた結が玄関をでたとき、肩にのった眞白がみじかくないた。振りむくとおさない化生の少女の姿があった。昨日のことをあやまらなければ、とかんがえた結は、直後に木苺のお礼をいいたいことも思いだし、どの順でつたえればいいのかと悩みはじめたところまでが、ありありと顔にでる。堪えきれずに噴きだした少女は、かろやかな笑い声をひびかせた。

「昨日はごめん。あんなことしたかったわけじゃないのよ。ほんとはあたし……。まあかくごめん。あたしがわるかったわ」

「もういいです。それにわたしの方こそごめんなさい、あんなおおきな声、だしたりして」

「あんたがあやまることないわ。も、もともとあたしが、……わるかったんだし?」

「あ、それから木苺。ありがとうございました。おいしかったです、すごく」

 表情をあかるくしかけた少女は思いだしたようにむくれた顔をつくり、目をそらしてつぶやいた。

黃羽きはねよ」

「へ……?」

「黃羽。あたしの名前。どんくさいわね。あんたは?」

「え? あ、ゆ、結です、綾里結」

 結、と黃羽はたしかめるように一音ずつ発音した。

「それで、わたしになんのご用ですか? まよったもののことなら、お店にいった方がいいとおもうんですけど」

「なんの話? あたし探しものもしてないし、迷子でもないわ」

「瑠璃琥珀堂にご用じゃないんですか?」

「……なんかきいたことある名前ね。あんたそこの人?」

「はい。アルバイトですけど」

「ふうん。でもたのみたいのはそんなことじゃないの」

「も、もしかして縁をむすぶ方ですか? あの、わたし……どうやったらそうできるのか、わからなくって。ですからお力にはなれないとおもうんです……」

「縁をむすぶって、……あんたそんなことできるの?」

「え? そ、そのことでもないんですか?」

「ちがうわ。それにあたし、縁なんかにたよらなくっても、本当に必要なものなら、自分の力でちゃんとつかんでみせるわ。あたしがたのみたいのはあんたにしかできないこと、化生と人の声がきける結にしかね」

 結より頭ひとつ分ちいさい黃羽の顔に、昨日以来の気のつよそうな笑みがうかんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る