ウィリアムズ先生

 夏帆は結と琴音の口をすばやくふさいだ。目をしろくろさせるふたりに顔をよせると、平坦へいたんな口調でつげる。

「まわり、みて」

 自転車にのった中年の男性や着物姿の女性たちは振りむいて、子どもたちはぽかんと口をあけて結たちをみていた。みる間に頬をそめていくふたりをたたせると、夏帆はあしばやに公園から連れだす。ベンチのしたにたたずんでいた眞白が、すばやくあとをおった。

 ふたりとならんで、結は土の道をあるく。ローファーの底がつたえる感触にとまどいながら。

 眞白をさがして足元をみると、自身にも異変がおこっていることにきづいた。彼女たちが身にまとっているのは、ようやく着なれてきた夏服の制服ではなく、しろいタイでスカートの丈がながい、デザインのことなる別のセーラー服だった。

 理解できない状況に眉をくもらせる。あしもとにいる眞白にふれたかった。けれども夏帆たちにみえない眞白のことで立ちどまるわけにもいかず、ゆくあてのない不安は結露してこぼれた。

「どうして、こんなことに……」

「なんだかすごく変なことがおこってるね」

 みじかく応じた夏帆は、迷いのない足取りで歩みをすすめている。

「どこに、いくの……?」

「たしかめにいくんだ。ここがどこなのか」

 結にこたえた夏帆は、正面をむいて目をほそめた。そのさきには、みなれたかたちの山としろい建築物がある。視線をおった結がつぶやいた。

「お城だよね、あれ……やっぱり」

「だね」

「……でも、ここって」

 結は口をつぐむ。彼女たちと城山のあいだにあるはずの商店街のアーケードがなかった。ふたりとならんで歩みをすすめながら、琴音は左見右見してはうなずいている。その顔は、夏帆とおなじく真剣だ。

 おおきな通りにでる。ならんでいるのは、間口いっぱいにたてられた町屋とよばれる木造の店舗兼住宅だ。隙間のせまい竪格子のつけられた窓や戸が印象的で、一軒ごとに趣のことなった看板をかかげているが、瓦葺かわらぶきひさしのたかさがそろえられており、通り全体に一体感がある。女性はみな着物姿で、男性は洋装と和装が半々くらいだが、ほぼ誰もが中折れ帽子や鳥打ち帽子といった帽子をかぶっていた。

 そして、結たちがみしった商店街と何よりことなるのは、その雰囲気だった。行きかう人がおおく、呼びこみの声はにぎやかで、街全体がちからづよい活気にみちている。

 勢いに圧倒されながらあるいた。町屋にまざって、蔵造りの重厚な醤油しょうゆ店や洋風建築の時計店があり、今まさに建てかえられている建物がある。町並みを代謝させていく人々の営みとあかるい笑顔は、こわばっていた彼女たちの表情をやわらげた。

 通りをぬけた一角で、夏帆は足をとめる。そこには結もみおぼえのある二階建ての壮麗な洋風の建物があった。

 玄関ポーチのうえにベランダをかまえ、しろい壁をもつ軽快な設計だが、そこで働く職員たちが正反対の雰囲気を醸しだしていた。徽章きしょうのついた制帽と詰襟の制服姿で、腰におびたサーベルが否応なしに目をひく。

「夏帆ちゃん、この建物って……」

「歴史資料館だね、ボクたちの町では」

「で、でも、……この人たち」

「警察官だよ。どうやらボクのかんがえたこと、間違ってなかったみたい」

「どういうこと……?」

「歴史資料館はね、もともと警察署だったんだ。たしか五十年くらいまえまで」

「ご、じゅう、……ねん?」

「そう。つまりここは、五十年以上まえのボクたちの町らしいってことになるね」

「……だ、だってそんなこと」

「ありえないよ。でもこれは、どうみても現実だ」

「――こんにちは、みなさん」

 背後からきこえた声に三人が振りむくと、そこには一人の女性の姿があった。

 二十代なかばほどで、ほっそりと背がたかく、パフスリーブのブラウスにかっちりとした仕立てのスカートをあわせており、和服の女性ばかりの町ではめずらしい洋装だが、卵型の輪郭に鼻筋のとおった顔立ちをいろどる金色の髪と緑の瞳は、それ以上に目にあざやかだ。シニヨンで上品にまとめられた髪とあいまって、優美な雌鹿をおもわせるたたずまいに、結たちはたしかな覚えがあった。

「ミス・ウィリアムズ……?」

 これまでずっと沈黙をたもっていた琴音が、一歩まえにでた。

「ええ、そうですが。どうしましたか?」

「本物のミス・ウィリアムズ!」

 瞳をかがやかせると、彼女は異国の女性の両手をとった。

「本当にどうしたんですか? 泉さん。貴女がたとは今日も授業でお会いしたばかりですよ?」

「あたし、先生とあえたのがうれしいんです、すごくすごく!」

「そうですか。私も泉さんとあえてうれしいです」

「おんなじですね!」

 ええ、おなじですね、と微笑みながら、やんわりと琴音の手をおさえた女性は、

「ですが、我が校の生徒が放課後に街中をぶらついているのは感心できません。はやくおうちにかえりなさい。よろしいですか? 水上さん綾里さんも」

 女性は結たちの返事をきくと品のよい笑みをうかべ、その場を立ちさった。遠ざかっていく背中を呆然ぼうぜんとみおくった彼女たちは、確かめあうようにおたがいの顔をみる。

「い、いまのって、……ほんとに、ミス・ウィリアムズ?」

 はばたいて空をとぶ本を目撃したような結の声に、琴音が笑みで応じた。

「そうみたいね。だってそういってたし」

「つまり五十年どころか、九十年ちかくまえってことになるのか」

 夏帆の言葉につづいて、三人は琴音が手にした本を一斉にみる。

 市内の高等女学校につとめる米国人の英語教員マーガレット・ウィリアムズ先生が、仕事をおえて図書館へむかう途中、自身の受けもつ女学生たちにであって帰宅をうながす。それはまさに、すこしまえまで琴音が朗読していた小説のでだしの場面にほかならなかった。

 息をすうだけの間があいた。両手を胸のまえで組みあわせた琴音が喜色満面で、頭をかかえた結は目をみひらいて、夏帆はどこまでも平坦へいたんな表情でいう。

「ここ、本のなかってこと?」

 ひびいた三者三様の声に、警官たちが一斉に結たちをみた。

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