第40話 狂獣、狂乱



『グウォオオオオオオオーーーーーーッッッ!』



 巨大狼と化したロウガ。

 月明かりの下で吼える姿に、もはや人間らしさなど一切残っていなかった。


 ――これぞ『巫術新星』。

 概念霊を身に宿す霊奏術・巫術の上級奥義。

 霊と完全に融合し、霊力の肉骨格を纏うことで人類を超越する術だ。



『ヒヒヒヒッ……三十八人だァ……!』



 あぎとの奥より、酔ったような声でロウガが告げてきた。



『オレ様とリルは、この力でそれだけの敵を殺してきた……ッ! カナタァ、テメェは何人だぁ!?』


「ほう」



 俺とて真っ白な手ではない。

 一周目での話だが、霊奏師として違法な霊媒師共と戦ってきた。


 それなりの数の屍は、踏み越えてきた。



「さてなぁ。だが」


『ア?』


「今から、二匹追加することになるかもな」


『コロスッッッ!』



 巨大狼の身で駆けてきた。

 速い。

 たった二歩で距離が詰められる。

 爪伸びる前脚が振り上がっていた。



『死ィネヤァアアアーーーーーッッッ!』



 信じられない攻撃速度。これぞ巫術新星、ニンゲンを辞めた力なのか。

 だが。



「安いな」



 身体をほんのわずかに逸らす。

 たったそれだけ。それだけで絶殺の爪がからぶる。

 皮膚の手前、数ミリを駆け、当たった地面が抉られる。

 その衝撃は――ロウガ自身を、数瞬固めた。



『なッ!?』


「隙だ」



 餓狼の鼻先に、そっと拳を当てた。【空砲】を宿した状態で、だ。

 そして、



「八極拳『金剛八式・衝捶』」



 崩拳一閃。その巨体を吹き飛ばした。



『ガッ、アアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!?!?』



 藁屑のようにロウガは乱れ弾けていく。

 風の中で破裂した水風船のようだ。鮮血を噴きながら地を跳ね、転がり、白百合の園を赤く汚した。



「驕るなよ、犬。バケモノになった程度で勝ったつもりか?」



 先ほどの加速度は凄かった。流石は巨獣だ。


 が、しかし。地を蹴るところを見せ、そのまま真っすぐ飛び掛かるなど、芸の欠片もありはしない。



「人を超えるのはいいだろう。だが、人の技術を捨ててどうする」



 性能任せの直接攻撃。そんなものはテレフォンパンチだ。

 反射神経を振り切ろうが、タイミングが読まれてしまえば回避も反撃も容易だろう。



『――グゥウウッ、うルッ、せぇえええーーーッ!』



 刹那、再びロウガは蘇る。

 月光を吸うようにして拉げた巨体が再生し、再びこちらに駆けてきた。

 それだけならば対処も容易だが、



「〝詠唱解放・術式開始〟」



 銀狼の少女、リルの声が天蓋に響いた。



「〝我こいねがうは闇の喘鳴。妖教頌歌の隷獣が求める〟」



 これは『詠唱式』。

 誓約により、技の使用時に口上を必要とすることで、発動威力を上げる技法だ。

 霊に関する語句ワードを述べれば、相手や自分が一時的にその霊を意識し、概念霊の特性からその力が強まる効果もある。



「『詠唱式』を潰すのは容易だ。謳い終える前に、狩る」



 リルは――いた。神殿の柱の影より、こちらに手を突き出している。


 俺はそこへと指を鳴らした。瞬間、彼女は弾き飛ばされる。



『ッ、リル!?』


「距離を取れば安全だと思ったか」



 概念霊【空砲】の応用だ。

 衝撃とは空気の伝播。その方向に指向性を持たせ、中距離で爆ぜる爆弾に変えてみせた。


 これで終わりだ。余計な呻きが混ざってしまえば、詠唱は途切れるが――しかし。



「ッ、〝夜よ、夜よ! 黒き御旗を我にあたえよ!〟」



 リルという少女は耐えてみせた。

 吹き飛びながらも術式を完成させる。



「魔術発動ッ、『眷属創造・血冥狼』!」



 彼女の掌が裂けた。

 鮮血と共に術式陣が現れ、そこから十三体の赤黒い狼が召喚される。



『オォオオオオーーーーーーンッ!』



 吠えながらそいつらが駆けてくる。

 その疾走法は極めて異形。神殿の柱の影から一瞬消えるや、白百合の花の影から影へと、まるでコマ送りのようにブレながら向かってきた。



「なるほど」



 ――全容はわかった。

 詠唱式の内容。そしてリルが最初、ロウガの影から現れた事象より読み解けた。



「そちらの少女は、【人狼】という概念の中でも〝隠れ潜む〟特性が強く出たのか」



 人狼は人間社会に紛れ、周囲を疑心暗鬼にさせる存在だ。

 転じてリルは、『影から影へと移動する能力』を獲得。



「そして自分の血を混ぜた眷属たちも、その特性を発現させたわけか」


『秒で解き明かしてんじゃねェよッ!』



 激怒しながらロウガが襲う。

 先ほどのような微細な回避はしない。次は大きく後退する。

 巨大狼の隙を埋めるように、血冥狼たちが次々と襲い掛かってきたからだ。



「邪魔な犬だ」



 眷属共の攻撃を避け、指を鳴らして爆ぜさせるも――、



『ガァウッ!』



 駄目だな。リルの血が混ぜられているだけあり、再生能力も獲得していた。

 ロウガに比べれば遅いようだが。



『ギハハハハハハァアアーーーーッ! 無駄ァッ、無駄なンだヨォオーーッ! オレ様も妹もッ、そしてアイツが生み出した眷属も死なネェッ! オレ様たちは不滅なんだッ、無敵なんだァッ、ただ敵が死ぬだけナンダァアアアアーーーッ!』



 耳障りな声でロウガが吼えた。


 まるで躁状態のようだ。声が上ずり、発音がところどころ怪しくなりつつある。

 内容も稚拙。そして爛々と輝く眼光は、獣性を増している気がした。



「なるほど……なるほどな」



 こちらの特性もよく分かった。


 この男はわかりやすく、【人狼】の〝怪物性〟だけが強く出ているのだろう。

 すなわち一方的な殺戮者。夜になるたびに村人を次々と殺していく、闇の人外。



「そして今は、その凶暴性に溺れつつあるわけか」



 それに気付いて――ああ。



「なおさら、腹が立ってきたな」



 俺は、後退をやめた。



『ギャハァッ、諦めたかァアアアーーーッ!?』


「違うな」



 避けることがくだらなくなったからだ。


 貴様たちのような、脳の死んだ屑共の攻撃なんぞ、な。



「『震脚・最大出力』」


『ッ!?』



 俺は軽く地を踏んだ。

 

 そして――『震度・七』の大衝撃波が発生し、花園が爆散した。

 直接受ければ人体が液状になるほどの超振動。ズガァアアアアアーーーーーーーンッッッッという音を立て、地面が爆ぜ、全ての白百合が花を散らし、石造りの神殿が木っ端微塵に砕け散った。



『アォオオオーーーンッ!?』



 眷属共が血霧と化す。

 所詮は血で編んだ劣化コピーだ。いずれは蘇るだろうが、ミンチのように粉々にすれば一瞬での再生は出来まい。



『なッ、なんて滅茶苦茶な野郎だ……!?』


「ぁ、兄、あいつ、バケモノ……!」



 ロウガは咄嗟に退避していた。

 リルを咥えて跳ね上がり、崩れて折り重なった神殿の柱の上に着地した。

 そんな二人の表情は、俺という脅威に歪んでいた。



「あぁなるほど。これがこの身体の全力か……!」



 奴らの恐怖などどうでもいい。



「理性の溶けた馬鹿共。貴様たちに感謝してやる」


『!?』



 足に走るわずかな痺れ。

 極大の霊力で身体強化を行い、【空砲】で増強した結果、ようやく身体に反動らしい反動が返ってきた。


 これ以上は自損してしまうような一撃――つまりは先ほどのが、今の俺の全力か。



「天蓋を造ってくれてありがとう。ここは亜空間。『絶園』とも呼ばれる一種の異界だ。おかげで全力を試せた」



 そして。



あにの尊厳を傷付けた上、獣欲に溺れるようなごみで、本当にありがとう。おかげでさらに暴力が振るいやすくなったよ」


『塵だとォッ!?』



 あぁ塵だよ。



「何が〝【人狼】の父を認めない〟だ。戦いの中、その血に溺れて酔い痴れる馬鹿など、畜生以下の存在だろうが」


『なッ、にぃ……!?』


「一人で勝手に理性を沸かせてさかるなよ。今のおまえ、完全に犬だぞ?」


『ッッッ――!』



 ブシュッ、と。奴の口端から血が噴いた。

 悔しさで奥歯を噛み締め過ぎたか。



「兄は違った。アレはカスだが、理性を持って戦術を組み立て、こちらと向き合ってくれていた。ただ感情のままに噛み付いてくるような、駄犬とは違った……」



 なのにこいつは、その全部を台無しにした。

 理性の沸いた畜生の分際で。だから、



「もういいさ。ならばこちらも、楽しみながら狩るだけだ」


『ほざけェーーーッッッ!』



 再度襲ってこようとするロウガ。

 その足が地を踏み、駆け出さんとしたところで――、



「食われろ、リル」


「えっ、あれッッ!?」



 リルが兄の前に飛び掛かった。

 結果、大きく開かれた口に少女が飛び込んだ。



『なぁッ!?』



 咄嗟に止まるロウガ。その動揺の隙を逃さない。



「ほらロウガ、餌だぞ」



 奴が妹を吐き出す前に、下顎をケースで殴り上げた。


 結果、



「いぎぃいいいいーーーーーーッッゥ!? ぁっ、あにぃいいッ!?」


『ぁあああああああーーーーリルァアアアアアアーーーッ!?』



 妹は牙が刺さって悶絶し、兄は禁忌に慄いた。


 そして、ゴクンッ、と。ロウガの喉が鳴った。妹の血を、吞み込んでしまった。



『あっ』



 次瞬――獣欲に染まっていた瞳に、理性が戻った。



『ァアアアアアアアァアアアアアアーーーーーッッッ!?』



 その目は、恐怖に染まっていた。



『オッ、オエェエエエーーッ!?』


「先ほどの『震脚』の瞬間だ。粉塵の中、負術で【人形】を飛ばしておいた。それを妹に憑かせたわけだな」


『リルッ、ぁあぁああああッ、ゲボォオオーーーーッ!?』



 妹の血を飲んだロウガが、リルを吐き出すと共に吐瀉物を吐いた。


 ――よく味わえよ。兄を傷付け、吐かせてくれた礼だ。



『ぉ、おまっ、よく、よくも……!?』


「さぁて! この天蓋はよく出来ているなぁぁ。世界の核は神殿ではなく、おそらく空に浮かぶ月そのものか。破壊がなかなか面倒そうだ」


『なッ、何を、言って』



『!?』



 月明かりがあれば無敵なんだろう? 不滅なんだろう? すごいなぁ!



「じゃあ、遊び放題というわけだ! 次は何をされたい? もう一度カワイイ妹を齧りたいか? どうせ治るなら、もっと酷いことも出来そうだなぁ!?」


『ヒィ!?』



 おまえ犬の分際で良くも兄の覚悟を台無しにしたなおまえ犬の分際で良くも兄の覚悟を台無しにしたなおまえ犬の分際で良くも兄の覚悟を台無しにしたなおまえ犬の分際で良くも兄の覚悟を台無しにしたなおまえ犬の分際で良くも兄の覚悟を台無しにしたなおまえ犬の分際で良くも兄の覚悟を台無しにしたなおまえ犬の分際で良くも兄の覚悟を台無しにしたなおまえ犬の分際で良くも兄の覚悟を台無しにしたなおまえ犬の分際で良くも兄の覚悟を台無しにしたなおまえ犬の分際で良くも兄の覚悟を台無しにしたな。



「ほら、もう一度理性を気持ちよく飛ばせよ。好きなんだろう?」


『ヒッ!?』


「そんな貴様と妹を使って、こちらも勝手に遊ばせてもらうぞ……!」


『アッ、ああぁっ、ああぁぁあぁあ~……!?』



 犬が後ずさりを始めた。なあ、おい、今さらどうしたよ。



「ヒトに、〝殺す〟と」


『ッ!?』


「そう言ったからには、逃げるなよ」


『ッッッ!?』



 その言葉は冗談で言うモノじゃない。


 言ったからには、覚悟を決める言葉だろうが。



『ぁっ、あぁっ、アアアアアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーッッッ!!!』



 そして、ひときわ巨大な咆哮が天蓋に響いた。


 ロウガだ。恐怖に染まっていたヤツの目は、いつしか血色に染まっていた。



『ゴッ――ゴロズゥウウッ!』


「ぁ、あに……?」


『ゼンブゴロズウウウウウウウーーーッ!』



 俺は咄嗟に糸を引く。

 ――遊ぶために、リルに巻き付けていたものだ。



「きゃぁっ!?」



 俺が少女を引き寄せた瞬間、ロウガは彼女がいた場所を、容赦なく巨爪で粉砕した。



「兄っ!?」


「なるほど。アイツ、本当に理性を全部すっ飛ばしたか」


「え……!?」



 恐怖から逃げるために選んだ道か。

 あるいは【人狼】の本能が、弱った奴を無理やりに飲み込んだのか。


 どちらにせよ、アレは完全に人間を辞めた。



『オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーーーーーーーーーンッッッッ!』



 そして怪異は巻き起こる。

 月光の下、ただでさえ巨大だった肉体はさらにぶくぶくと膨れ上がり、やがて小山ほどもあるような――頭に天輪を宿した超巨大狼と化した。



「あ、兄のあれって、『霊光輪ハイロゥ』!?」


「ああ、上級概念霊の証だな」



 ロウガめ。浅いと思った器の底に、とんだ隠し玉を持っていたな。


 腕の中のリル子が完全に絶句してるあたり、彼女も知らないような事態らしいが。



「ま、待ってて兄! いま、天蓋を解くから! 月光がなくなれば、巫術新星も解けてっ」


「いや駄目だ」



 俺はそれを制止する。



「なんで!?」


「あれだけの巨体だ。新星が解けるまでどれほど時間がかかる。――あのバケモノを外に出したら、どれだけの被害が出ると思う?」


「っ!?」



 リルは押し黙り、そして顔を蒼くした。


 こちらはまだ理性がある方なようだ。



『グォオオオオオーーーーーーーッッッ!』



 対する兄貴は唸っていた。

 月を見て吼える姿は、もう狼そのものだな。



「よし」



 超巨大狼を前に――俺は決めた。



「どうやら、ここが使いどころらしい」



 銀に輝くケースを掲げる。


 幻想金属『緋々色金ヒヒイロカネ』。

 それによって完成した、一周目の世界ではなかった武器を――。




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次回、試験編ほぼおわり!

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