第2話 もう修行するしかねぇ……!




『予定日まであと三か月。どうか、元気に生まれてきてね』



 死と目覚めから数日。

 やたらと襲い掛かる眠気の中、様子を伺い続けて……確信した。


 俺は、胎児の頃に戻ってしまったようだ。


 つまりこの水の中は、羊水の中だったってことだ。



「うぼぉ……(はぁ、まさか〝二周目〟の人生を送ることになるとは)」



 考えられる理由は一つ。俺をブッ殺しやがった肉天使の力だな。


 たぶん、あいつは【回帰】を司る最上級の概念霊だったんだろう。

 他の霊奏師らの首が蛇のように細くされていたのは、【回帰】に含まれる退化の現象で、そこだけ胎児にされたってことか。

 彼らの霊的攻撃が消されたのも、発生したエネルギーを霊力の状態に戻されてしまったからか。

 これ、人類勝てなくない?


 そして、



「ぶくぶくぶくぶく……!(今から二十三年後、再びあの肉天使が現れるってことだよなぁ……!?)」



 やーばいわ。

 俺を過去に飛ばしたように、因果や時間さえも操作できる存在だ。

 

 もしかしたら俺が殺された後、〝一周目〟の渋谷は……それどころか日本を滅ぼしてしまっていても、おかしくはない。



「ぶくぶくぶくぶくぶく……ッ!(あーーー産まれたくねぇ……! あんなバケモノが現れる世界、嫌すぎる~!)」



 と、俺が赤ちゃん部屋で引きこもり宣言をかまそうとしていた時だ。



『いま帰ったぞぉ』



 と、酔いどれた父の声が響いた。



『あらアナタ、おかえりなさい。ずいぶんと飲まされたようですね』


『ははは……従三位の家の悲しいところだよ。付き合いくらいはよくしないと、イヤな任務を振られちゃうからねぇ。【性病】の概念霊狩ってこいとか』


「だー……(それは確かに嫌すぎるな……)」



 父はかなり苦労していたらしい。


 空鳴家五代当主、空鳴ミチタカ。霊奏師としての階級は弐號級。


 パッとしない俺の父にふさわしく、どうにも気弱でパッとしない男性だったことは覚えている。



『ふふ、大丈夫ですよ。上の二人は優秀ですから。初等部クラスでずっと主席なんですもん』



 そう笑う母さんの名は、空鳴ヒナコ。一般家庭出の肆號級霊奏師だ。


 上位の家となれば政略結婚が基本だが、ウチは貴族でいえば男爵以下のぺーぺーだったりするので、普通に恋愛結婚したらしい。


 で、生まれるのが俺ってワケ。



『そうだなぁ。ヒナミとミチオは優秀だもんな。きっと、家を大きくしてくれるだろう』



 それ正解。ヒナミ姉さんもミチオ兄貴も無双しまくって壱號級になります。


 夫婦の遺伝子、仕事してないねぇ。



『ええ。それに、お腹のカナタもきっと立派になりますよ』



 それ不正解!!!


 夫婦の遺伝子が仕事しまくって、どこに出しても埋もれるモブになります!



『信じましょう、愛し合う私たちの子供を……』


『ヒナコ……!』


『ミチタカさん……!』



 イチャイチャし始める二人。間に俺がいるからマジでやめてほしい。



「ぁ~、ふっ、ふぅ……(まぁ、夫婦仲が良くて結構だ。だが)」



 今から十年後。父は、強大な概念霊との戦いに行かされて死ぬことになる。

 また俺を出産した母も、二年後には現場に復帰しなければならない。


 どちらも仕方ないことだ。なにせ、霊力を持って生まれた者は、霊奏師として戦うことを義務付けられるのだから。


 従わなければ『霊媒師』扱いで、全国手配だよ。やってられんな。



「ふ、わちぁ……(ふっ、詰みか)」



 俺が才能なく生まれたとしても、前世と同じく戦場に出されることは変わらない。

 その時に俺は生き残れるだろうか?

 ひやひやとした場面を味わったのは何度かある。反射で咄嗟に攻撃を避けた回数は数知れない。


 前世の記憶を知っていたとして、スーパープレイを二度できるとは限らないだろう。そして、



「にく、てん、し(あのクソ野郎)」



 肉天使――推定、【回帰】の最上級概念霊が、二十三年後には世界に現れる。


 前世と同じように過ごしたら、俺は渋谷に配属されてアレとバトルだ。

 渋谷配属だけは逃れたとしても、アレが渋谷を壊滅させたら、応援として呼ばれるだろう。霊奏師は死亡率が高いため、山ほど数がいるわけじゃないからな。

 そうしたら俺は……。



『産まれたら、この子のためにもいっぱい教育してあげるわ~』



 と、俺が絶望しかけていた時だ。母がお腹を撫でているのか、背中にぬくもりを感じた。



『魂から肉体に伸びる霊奏経絡。アレは、未熟な幼年期の内が、一番張り巡らせやすいもの』



 !



『羽化登仙の理論曰く、昆虫のカタチがサナギの内に決まってしまうように、未熟なうちにこそ霊的修業はさせろと言うわ。そうしたら肉体は、霊力を操るのに最も適した状態になるって』


「ぅぁぁ……!(そうか、そうだよな……!)」



 その理論でいえば、胎児の俺は、まさにサナギそのものだ。

 その頃から鍛え続けたらどうなる?

 完全に人間になる前に、歩くよりも前に霊的修業を始めたら、どうなる?


 そうしたら……一般モブの俺でも、少しは強くなれるんじゃないか?



「ぉし(よし……!)」



 やってみるか。


 絶望してたって三か月後には俺は産まれる。

 そして、どうせ霊奏師になる運命からは逃げられないんだ。

 だったら強くなることが一番の自衛手段だ。やれることは、やっておこう。



『はは……でもヒナコ。霊的修業を始めるには、まず魂を知覚しなきゃなんだよ? そんなに小さい内からわかるかなぁ。私なんて三歳から修行を始めさせられて、七歳でようやく輪郭を掴んだのに』



 気弱そうな父の声が響く。


 ああ、それな。俺なんて八歳までかかったよ。魂なんてよくわからんし。


 だが、



「お、れ、は(俺は、既に)」



 自身の魂の在り処を、把握している。



「ぁぁ(じゃあ、基礎修行と行こうか)」



 短い指で剣指を結び、心臓の上にあてがった。

 感じる鼓動。そこより命の血潮を把握。さらに血流に神経を尖らせ、巡る赤血球を捉える。血管の中に意識を落とし込み、赤血球の軌道を理解し、冥府に堕ちるオルフェウスのように血流を逆行。

 赤血球細胞……さらに細かなヘモグロビンの発生元を追いかけ、追いかけ、肝臓を、脾臓を逆走し、やがて骨髄へと到達。その造血幹細胞を捉え、さらに……さらに……と、自分の根源へと、意識を追いやっていく。

 そして、



「みつ、けた」



 闇を抜けた先、『青白い炎』に辿り着く。


 それこそが魂。魂魄。自分の命に熱を与える溶鉱炉。肉体に指示を出し、俺という存在を形作るコントロールルームだ。


 じゃあ行くか。俺はさらに意識を集中させて、魂の中へと飛び込んだ。


 これより、肉体を改造するために。




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【Tips】


霊奏師の階級:肆號・参號・準弐號・弐號級・準壱號・壱號・特號の七階級が存在。

一般的な天才が成り上がれるのは壱號霊奏師まで。特號級となるには、常人を超えた異質さが必要になるとされる。


概念霊の階級:最下級・下級・中級・上級・最上級の五階級が存在。

上の階級になるほど、周囲に与える概念的効力が大きく激しくなる。

最下級の【鋏】の霊なら髪を切って満足するのがせいぜいだが、最上級の【鋏】の霊が顕現した場合、刃渡り・距離・硬度を無視して、ただ挟み合わせるという動作だけでビルを切断するのも容易となる。

また、上位の霊ほど知性を獲得する。

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