第66話 被害者の会 【八城達の懐疑】

 八城達5人は開かれた扉へ向かい最後尾に並んだ。


「お好きなお席へどうぞ」

 白いスーツの女性は小さくお辞儀をしながら参加者達を迎え入れていく。

 会場内はまるで大学の講義室のようだった。ふたり掛けの横長のデスクが並べられ、いちばん前には登壇用ステージと講演台、端には司会者用テーブルがあり、スクリーンとプロジェクターが設置されていた。


 最後列のデスクに八城と鮫島、阿古谷と国府で着席し、奥原はひとりで着席した。参加者は国府達含め30名弱。

 両端の通路には、さきほどドアを開けた女性と全く同じ格好をした女性が4名づつ、一定の間隔をあけて直立していた。


 参加者達はこの慣れない空間にソワソワしていた。無理もない。心に大きな傷を負った者達ばかりなのだから。

 だからこそ、同じ境遇の者同士で仲間意識が生まれ、慰め合い、共感し合い、心に入ったヒビを消そうとしている。

 —————後ろの5人を除いて。


 ガチャン‥‥‥。扉は閉じられた。


 司会者用テーブルにひとり女性が立ち、マイクに口を近づけた。

「皆様、この度はお心苦しい中、勇気をもってこの会に足を運んでいただき誠にありがとうございます。今日この日はきっと皆様の心に一筋の光をもたらすことを信じております。それではこれから、この会の代表を務めます先生をお呼びいたします」


 会場内はシーンッと静まり返った。


 司会者の女性は掌の先をステージ側にある扉に向けた。

「香咲 真理先生です!」


 ガチャッ‥‥‥。扉がゆっくりと開いた。会場にいる全員が扉に目を向ける。


 コツッコツッコツッコツッコツッコツッ―――——


 ――――—綺麗な長い黒髪をゆるく巻き、臙脂えんじ色のジャケットの中は朱鷺とき色のブラウス、首元に巻いた柄物のシルクスカーフに白いタイトスカートを身に纏った派手目な格好の女性。


(あの人が、香咲 真理‥‥)

 国府は目が釘付けになった。独特な雰囲気を漂わせている。見た感じ推定40代から50代くらいか。だが、色白で年齢を感じさせない美しい女性だった。

 両端に直立している8人の女性は、香咲 真理の登場にパチパチパチと手を叩き始めたので、参加者達も釣られて拍手をした。

 

 香咲はステージに登壇し講演台に立った。拍手が鳴りやみ、会場がまた静寂に包まれた。


「皆様、初めまして。NPO法人 慰心の会代表の香咲 真理と申します。この度、お忙しい中お集まりいただき誠にありがとうございます。それでは、被害者の会を始めさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします」

 香咲は丁寧に深々と一礼した。


「まず今ここにいる皆様に共通していることは、ダイドー事件の被害者であるということです。あの事件で心に深い傷を負ってしまった方は大勢おられます。なかなか前を向くことが精神的に難しいと感じている方は多いことでしょう。少なくともこの被害者の会に参加することを決意されたということは、そういうことだと私は理解します。ですが、そんな皆様の不安や恐怖から解放するため手を差し伸べ、救いたい、そんな思いから今回このような会を開かせていただきました。心のセラピーだと思っていただけたら幸いです」


 会場はまた拍手喝采に包まれた。


「おい八城、あの女どう見る?」

 鮫島は声をひそめて訊いた。

「ふっ胡散臭さ満載ですよ。PTSDの話をただしているだけです」

 八城は鼻で笑いながら言った。

「心理の話なんてお前にとっては釈迦に説法だな」

「まぁ聞いてみましょ。香咲 真理さんの救いの話とやらを」



 香咲は続ける。

「あなた達はダイドー事件に巻き込まれてしまった。避けようのない運命かのように。神は時に我々人間に試練を与えるときがあります。その試練は様々で選ぶことはできない神のみぞ知るもの。神が与えた試練を乗り越えられたとき、人間は一段階進化するのです。ダイドー事件もその試練のひとつです。偶然あなた達はその試練を与えられてしまった。とは言え、あのような悲惨な事件はもう二度と起こってはなりません。私はダイドー事件の当事者ではありませんが、皆様の心の復活を手助けすることはできます。私が皆様の心の道しるべとなることこそ、慰心の会代表を務める私の使命なのです」


 とその時、メガネをかけた中年男性がいきなり挙手した。

「香咲先生! ひとつよろしいでしょうか!?」


「えぇどうぞ」

 香咲はにんまりした表情で優しく返事をした。

「どうして香咲先生は我々被害者の心の手助けができるのですか?」

「はい。それは後ほど証明できるでことでしょう。今は私を信じてください。きっと私の存在があなたのためになるかと思いますよ」

 香咲は表情ひとつ変えなかった。

「え、あぁ、はい‥‥。わかりました」

 香咲の話し方や声色は、その男性の不安な心を温かく包み込むようだった。


「それでは皆様、ご起立ください」

 香咲の唐突な掛け声で、参加者達は戸惑いながらも指示に従って立ち上がった。


「え、なになに!?」

 阿古谷は国府に顔を向けた。国府は「さぁ~」と首を傾げた。

 八城はすっと立ち上がり、鮫島はだるそうにゆっくりと立った。奥原はメモ帳にすらすらと何かを書き込みながら立ち上がった。


「今からあなた達の心の不安や恐怖、わだかまりといった毒素を払いのけましょう。誰からでもいいです。ひとりづつ今の心の中を言葉にして吐き出してください」

 香咲は目の前にいる参加者全員を見渡した。参加者達は互いの顔色を窺うようにきょろきょろしていた。


「自分自身の思いをまず言葉にすることで、心にまとわりついた黒い影は去っていきます。言葉とは言霊なのです。あなた達の思いをしっかり言葉にすることで、きっと楽になりますよ」

 香咲は参加者達の背中をぽんっと押すかのようにそう言った。


 すると、さきほどのメガネの中年男性が最初に言葉を発した。

「私の妻と娘はあの日買い物に行ったっきり未だに家に帰ってなくて、行方も分かりません。警察には捜索願を出していますが、きっとどこかで生きていて家に帰ってきてくれると信じています」


 40代夫婦:「私も両親が行方不明です。4日に買い物に行ったっきりでした。その夜は主人と子供と一緒に家で食事をする予定でした。両親はその日張り切っていて買い出しに行ってくれました。でも‥‥殺されたかもっていう噂が‥‥」

 隣に座っていた夫は俯きながら妻の背中をさする。


 ふたりに続いて、同じように次から次へと自分の思いを言葉にする人が出てきた。『身内が帰って来ない』、『未だ行方不明だ』ということや、さらには『ニュースの内容に納得がいかない』、『何か隠しているんじゃないか』、『警察は何をしているんだ。早く首謀者を捕まえろよ』という怒りの声も出てきた。恐らく、参加者は被害者遺族の割合が多いようだった。

 国府は参加者達の言葉を聞いて悲しくなった。被害者遺族の人達は帰って来ない家族が行方不明になっている、いつか帰ってくる、と信じているからだ。自分達のことをもはや遺族であるとも気付けていない。

―――――客達はほとんど殺されているのだ。目の前で次々と無残にも殺されていったのだ。生き残った人はほんの数えられる程度だ。国府の心内は複雑な気持ちだった。

(本当のことをここにいる全員にはっきりと伝えるべきなのか。たしかにニュースで報じられている内容はほんの一部に過ぎない。人造人間のことは今も報道されていない。しかしなぜなのか。少なくとも八城さん達は病院で警察の人間が聞き込みにやって来たときに、真実を話しているはずだ。奥原さん自身も捜査しているし、八城さんも含め大量殺人の証拠として人造人間のデータは提出いるはず。何かがおかしい。腑に落ちない)

 


 その時、

 30代男性(元ダイドー社員):「僕は‥‥もう退職していますがダイドーの社員でした。僕もあのスーパーダイドーに閉じ込められた被害者です」

 参加者達の視線がその元社員という男に集中した。

「緊急措置で自動ドアの取り壊しのときにはシールドを持っていました。しかし自動ドアを壊すことができず閉じ込められたまま一夜を明かしました。そしたら翌日、朝にヤツラが現れてて‥‥」


メガネの中年男性:「ヤツラってなんなんです!?」


30代男性(元ダイドー社員):「殺人鬼ですよ。しかも5人も。あれは人間じゃなかった。銃や刃物のような凶器で客達に襲いかかった‥‥」


50代女性:「殺人鬼って!? え、銃!? え! そんなことニュースじゃ一言も報道されてなかったじゃない!」

 周りはざわつき始めた。


30代男性(元ダイドー社員):「はい。殺人鬼の存在はニュースで報道されていません。例えばあなた達は『ゾンビがスーパーに現れました』って話を聞いてもすぐに信じますか? 信じませんよね。それと一緒ですよ。でも僕はこの目ではっきりと見た。殺人鬼達が無差別に殺しを始めたときバックヤードの従業員更衣室に店長や他の社員数名、あとは何人かのお客さんと一緒に避難していました。ただ、僕が助かったのは‥‥‥、あの方のおかげなんです」

 後ろにいる鮫島が指をさされ、鮫島が注目を浴びた。


30代女性:「そうそう! あの男の人が大声で避難を呼びかけてくれたので、私もバックヤードに避難できたからこうやって生き残ることができました」

 この女性も同じくダイドーに閉じ込められ、鮫島の呼びかけに応じ、人造人間の殺戮から避難していた当事者だった。元ダイドー社員の男性は、「あなたもあそこで避難を!?」と驚いていた。


「今の話はすべて本当ですか?」

 香咲は鮫島に訊いた。

「あぁそうだ」

 腕を組んでいた鮫島は口を開いた。

「ならあなたはヒーローということですね」

 香咲がにこっとした表情でそう言うと、

「そんな生温い言い方はやめてくれ。あんたはなんにもわかっちゃいねぇ」

 鮫島はトゲのある言い方でそう言った。国府と阿古谷は鮫島の台詞にどきっとした。

「どういうことでしょう?」

「あんたさっき自分は当事者じゃないと言ったな。ダイドーで5体のイカれた殺人鬼が現れて、大量殺人行為をしたのは知ってたか?」

「‥‥‥‥」

 香咲は黙った。

「知らねぇよな!? なのにどうやってこいつらの心を救うんだよ。あんたの話を聞いていると非常に不愉快だ。何も知らねぇクセにわかったような口きいてんじゃねぇよ」

 鮫島は怒りの双眸を香咲に向け単刀直入に切り込んだ。八城も奥原もうんうんと小さく頷いていた。


「ちょっとあなた! 香咲先生に失礼ですよ! そのような態度なら出てい―――」

 司会者の女性がそう言うと、香咲は掌を司会者女性に向けた。

「失礼しました。続けてください」

 香咲は鮫島に発言を促した。


「そこの司会者さんよぉ、今は何の時間だ? 思いを自由に言霊にする時間なんだろ? 邪魔すんなよ」

 鮫島に睨まれた司会者の女性は、恐縮してしまい目を下に逸らし黙り込んだ。

 鮫島は続ける。

「いいか? あんたらにも希望を持たせておくことは何の得にもなんねぇからはっきり言わせてもらうぞ。閉鎖されたスーパーダイドーで5体の殺人鬼が大量殺人を行った。中にいた人間の9割が殺された。だから行方不明者はいない。みんな殺されたんだ。戻ってはこねぇ」

 鮫島の言葉で現実を知った参加者の中で、鼻をすすり泣き始める人や、「そんなぁ!」叫び始める人、「もっと詳しく教えてくれ」と言う人が出てきて、会場の空気が一変した。


50代男性:「じゃあなぜニュースでは人が消えたっていう報道の仕方になる!? 殺されたのなら遺体が大量にあったはずだ。なぜ無かったんだ!? あるならあいつが安置されている病院を知りたい。せめてあいつの最期の顔くらい‥‥見てやりたい‥‥‥」


「混乱を避けるためにわかりやすく話すぞ。大量の遺体は処理された。跡形もなくな」

 鮫島は羊の話はあえて伏せて説明した。話したところでパニックになるだけだと思った。

50代男性:「処理されたって‥‥ど、どうやって!?」


「話しても信じられない内容だから言わねぇが、はっきり言えることは遺体はもうどこにも無いということだ」


60代女性:「で、でもニュースでは2体の遺体が発見されたって言ってたわよね!?」


「逆に2体しか遺体が出てこなかったのはおかしいと思わないか? スーパーダイドーは多くの客達で賑わっていたその9割が殺されたっていうのに」


60代女性:「え、えぇたしかに不自然だわね‥‥」


「そのふたりの遺体は俺らの仲間だった。そこにいる国府と言う男がヤツラからの死体処理の手を妨げたから、唯一俺らの仲間の遺体だけが残ったんだ。真相を詳しく知りたいなら早く逃走している首謀者共を見つけださねぇとな。俺も知りたいことがたくさんある」


60代女性:「今その5体の殺人鬼はどうしてるの!? ダイドーが開放されて逃げ出したわけじゃないわよね!?」


「ここにいる俺らはダイドーが閉鎖されてから手を組んだ。作戦を立ててヤツラを殺した。あんたらの仇はもう打ってるんだよ。あとは首謀者達だけだ。恐らく逮捕されたあのふたりは首謀者じゃねぇ。氷山の一角にすぎない」

 鮫島は八城達と共闘したことを打ち明かしたが、鮫島の話を聞いた参加者達は騒然とし始めた。


 香咲はもう笑みを浮かべていなかった。八城達5人に目を向けてじっと見つめていた。



「はい。では一旦ご着席ください」

 香咲は騒然となった会場内をわざと黙らせるかのようにそう言った。

 参加者達は着席し始めたが、参加者達の香咲を見る目は不安そうな面持ちだった。この人は大丈夫なのかと。


「あなた達の心の中の思いはよーくわかりました。よく勇気をもって口に出してくれましたね。今この会場の空気はあなた達5人が握り始めているようです。ですが、あなた達の道しるべは私なのです。仕方ありませんね。これからどうして私があなた達の心の救うことができるのか証明してさしあげましょう」

 香咲の雰囲気が何か変わった。目だ。目つきが変わったのだ。さっきまでにんまりしていた顔はもうどこにもない。

 香咲は表情司会者の女性に目で何かの合図を送った。会場内は徐々に薄暗くなり、ステージ前にあるプロジェクターが起動し始めた。


「あの人、いったい‥‥」

 香咲のあの目からは何も感じとることができなかった。八城は何か嫌な予感がした。




第67話へ続く・・・。 

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