第77話 漆原常務と坂田 廉治郎
時刻は14時を回ったところだった。
坂田は白都支社に到着し、自分のオフィスに真っ先に戻り東京本社に向かう準備を始めた。
2泊の予定で組んでおり、目的は決まっていたので持ち物を必要最低限に抑えていた。
この出張には、キャリーケースは不都合だった。ボストンバッグに予め荷物をまとめており、鍵付きロッカーにすでに入れておくという用意周到さ。飛行機やホテルもすでに手配済みだ。
腕時計に目を向け、まだ時間に余裕があることを確認し、ある人物に電話をかけた。
————漆原常務にだった。
プルルルルルルルル‥‥、プルルルルルルルル‥‥、
「はい」
出た。漆原の不愛想な声色が坂田の鼓膜を震わせた。
「漆原常務、お疲れ様です。坂田です。今お電話大丈夫でしょうか」
坂田は冷静に話しだす。
「あぁ、どうした? お前から俺に直接電話をよこすなんてな」
漆原の不愛想な声のトーンは変わらない。
「お話したいことがございます。明日、ふたりきりでお会いできませんか?」
坂田の冷静な口調振りも変わらない。
「明日? 急用か? 俺も暇ではないのでな」
「はい。急用です」
「お前を優先しないといけないほどの内容なのか?」
「はい。そう受け取って頂きたく存じます」
「用件は?」
「漆原常務にしっかりとプレゼンをしたいのです。直接に」
「はぁはぁなるほど、そういうことか。
―――「耳、お持ちでないんですね‥‥漆原常務って」
「ん、はぁ? 耳だ?」
「はい。漆原常務とあろうお方が、人の耳ではなく、馬ならまだしも、ロバの耳だったとは。まことに残念です」
「ロバ‥‥だと? どういう意味だ。坂田お前、この俺を愚弄する気か? 随分と偉くなったもんだな、あぁっ!?」
漆原常務は一気に頭に血が上り声を荒げた。
「尊敬する漆原常務に対して愚弄なんかできませんよ。しかし、あなたがただのロバなら話は別ですが‥‥」
「この俺を
坂田は漆原常務の性格を利用した。意地っ張りで負けず嫌いの性格を。
わざと失礼極まりなく漆原常務を刺激し、思考を撹乱させたのだ。
「ありがとうございます。漆原常務がロバじゃなくて安心しました。私の思い違いだったようです。器が違いますね」
「勘違いするなよ。俺がお前から直接プレゼンを受けるってことは、俺に拒否権も正式に生まれるということだ。黙って大堂社長のバックでうまくやってた方が良かったかもしれんぞ」
「私のプレゼンを聞いてからご判断願います」
「いつこっちに来るんだ?」
「これから夕方の便で向かおうと思っております」
「そうか。今日こっちには来てるんだな」
「はい。なるべく夜の時間帯がよろしいのですが、いかがでしょうか?」
「夜? 午前中じゃダメなのか?」
「申し訳ございません。明日の午前中は打ち合わせが入っておりまして」
「ったく、仕方ねぇな。午後からは予定がびっしり詰まってるからなぁ‥‥‥、なら、少し遅くなってしまうが20時に私のオフィスに来なさい」
「かしこまりました。貴重なお時間を割いて頂きありがとうございます」
「明日な」
漆原常務は言葉を吐き捨てるかのようにブツッと電話を切った。(奴の心を直接この手でぼっきり折ってやる。余計なマネはこのダイドー社にはいらねぇんだよ。俺を愚弄したこと後悔させてやる。覚悟しとけ)
♢
坂田は、ここまで全てが計画通りだった。
漆原常務に会う時間帯は、本社内に人がいなくなる頃だろう。遅ければ遅いほど好都合だった。
『20時に来い』と言われた時はにやけてしまったくらいだ。ほとんどの社員が退勤済みとなる時間帯だからだ。
(働き方改革ってやつに感謝しないとな‥‥)
坂田は、漆原常務の明日午後の時間帯が予定でびっしり埋まっていることはすでにリサーチ済みだった。必然的に夜の時間帯で会えると踏んでいた。
そして、もう一本電話をかけた。
プルルルルルルルル‥‥、プルルルルルルルル‥‥、、
―――「お疲れ様です。鵜飼です」
「鵜飼君、今電話大丈夫かな?」
「えぇ大丈夫ですよ、えへへへへ。どうしたんですか? 坂田支店長」
「漆原常務に会うことが決まったよ。明日の夜だ。時刻は20時決行する」
「プレゼン決まったんですね。てっきりあの人なら会ってくれないかと思いましたよ」
「あいつからなんか色々と妨害されてるんだって? 坪井君から聞いたよ」
「そうなんですよ。まぁちょっと厄介で」
「もう少しでやりやすくなるから待っていなさい」
「はい。承知しました。えへへへへ。今日こちらに来られるんですよね?」
「あぁ、今から空港に向かうよ」
「わかりました。待ってます」
「鵜飼君、明日20時にダイドーラボ内にてひとり待機しててくれ。君に協力してもらいたいことが恐らく出てくるから。他の研究員は早めにひとり残らず帰らせなさい。いいかな? ひとり残らずだ」
坂田は冷徹な口調でそう言った。言葉にどこか血が通っていない。
「はい了解です。念のためあれの準備はしておきますかね。状態めちゃくちゃいいですよ。えへへへへへへ」
「そうか。頼むよ。それまでは引き続きダイドーラボ開設準備を進めておいてくれ」
「了解です」
「では明日‥‥」
坂田は電話を切りチッと舌打ちをした。すぐさま黙ってボストンバッグを背負い、空港へ向かっていった。
第78話へ続く・・・。
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