第76話 急成長

 上蕊津ミライファームの買収から2年が経った。


 ダイドーファーム事業だけで売上高は30億円規模にまで急成長し黒字化。あっという間に時間が過ぎていった。

 坂田は、これほどまでに時間の流れというのは早いものなのか、と身に染みて感じた。それだけこの2年間という歳月は、坂田にとって色濃いもので、人生の分岐点だった。


 ♢


 この2年間のダイドーファームへの取り組みは壮絶たるものだった。


 漆原常務の妨害や嫌がらせ、パワハラもあり、坂田はやりづらさを感じながら対処に手を焼いたが、うまく回避しながらやりきろうと信念を貫き通した。


 開拓を進め、栽培する米、野菜、果物、畜産物などの農産物、キノコなどの林産物の種類を増やし、販売経路も確保していった。

 坂田は、ダイドーの営業マンを駆使し、スーパーや八百屋に営業をかけさせ、北海道内、そして東北、北陸と徐々に取引先を増やしていった。

 また、オンラインを活用し、ダイドーファームネット通販サイトを立ち上げ、全国各地に農産物を届けられるようにした。品質の良さと価格の安さ、全国送料無料の待遇が客の心を鷲掴みにし、またたく間に噂が世間に拡がり、売上は上昇していった。


 また、雇用の拡充も行い生産性を上げていった。

 宍戸の考えから農学部や工学部の学生向けにインターンを設けて新卒採用に着手したり、経験者優遇から中途採用を行っていった。元いたミライファーム時代の従業員達は、入社した者に対して研修や指導を行った。

 この時、坂田は外部の有名企業からの人物をヘッドハンティングし、ダイドーに迎え入れた。

 ———坪井 甲太郎と鵜飼 康友という人物だった。


 ふたりは同じ名門理系大学の出身で、坪井は薬学、鵜飼は生命応用科学の分野に才能が長けており、彼らの活躍ぶりは大きかった。

 坪井は水田やビニールハウス、果樹園の品質維持・向上を図るためのダイドーファーム用オリジナル農薬と家畜用健康サプリメントを開発し、鵜飼は家畜の健康管理・果物や野菜の成長管理プログラムプロットを開発し実行。ふたりは全従業員に落とし込みを行った。

 その結果、農産物の品質の良さ・安全性はダイドーファームブランドとして確立させ特許取得にも成功。


 最後の条件だった地下階を増設するため、1年前から工事着工に取り掛かっていた。建設会社もダイドー傘下の会社である。

 大堂社長は稟議後、坂田のダイドーマーチャンダイジング戦略に前向きな姿勢で、ダイドー急成長の可能性に賭けていたので、ミライファーム買収成立前から、物流会社や建設会社を買収する計画を企て、裏で動いていたのだった。

 大堂 竜之介と坂田 廉治郎は連携を取りながら、裏では密接に太いパイプで繋がっていた。


 地下階を増設する目的の詳細は不明。

 宍戸は坂田からダイドーファームをより発展させるためバイオ分野にも力を入れる必要性がある、ということくらいしか聞いていなかった。その実験・研究のためであると。



 ♢



 地下階がもうすぐ完成に至る頃になったのは、半年後のことだった。

 宍戸は初めて坂田と坪井に連れられて、地下階内部を案内された。


「うわぁ凄いですね。なんかよく映画で見るような研究施設みたいで」

 宍戸は、床から壁、天井までも白を基調とした内装と、各部屋がガラスで仕切られたデザインに圧倒された。

 白銀のデスクの上にはたくさんのPC、壁に取り付けられたモニターの数々、見たことの無い機材や実験用器具が並べられていた。


「もうすぐ完成です。ね、坪井君」

 坂田はくいっと口角を上げた。

「えぇ。あとはコンピューターの設定やシステムの導入、ネット環境の整備くらいですかね」

「研究や実験のためと前に仰ってましたが、具体的にどのようなことをなさるんですか?」

 宍戸はいちばん気になっていた質問をした。


 その質問に対して、坪井はすぐに説明した。

「ここでは牛や豚、馬、羊、山羊などの様々な動物も扱ってるじゃないですか。ダイドーファームの強みは高品質と安全性、そしてダイドーマーチャンダイジング戦略故の安価提供サービスの実現。これらを維持し続けるのは至難の業。最高のバイオテクノロジーとハイスペックなコンピューター性能、そして傘下企業とのチームワークが必要不可欠なのです。ここでは24時間動物や農作物の監視と管理を行いつつ、同時に農薬や新薬の研究や実験も行っていきます。あとは鵜飼と今立ち上げ中の本社内ダイドーラボとの遠隔連携を実施していきます。生命を扱う仕事というのは、常にストイックさが求められますので妥協は許されません。宍戸社長、ミライファームの頃と比べてどうです?」


「こんな環境、私には到底不可能でした。最強、とはまさにこのことを言うんですかね‥‥」

 宍戸は声が震えた。頭の中がまるで沸騰しているかのように興奮していたのだ。


「その通り! 最強です。利益もあの頃と比べて約7倍。宍戸さん、生活もだいぶ落ち着いたんじゃありませんか?」

 坂田はふふんっと鼻を鳴らしてそう言った。隣で坪井も腕を組んでにこっと笑みを浮かべた。


「えぇ。これも全て坂田さんがうちに提案してくれたおかげです。夢を見ているかのようです。従業員達の給料も上がって、『ここで働いてて良かった』なーんて言葉漏らしてたくらいですからね」


「それは良かった。これも宍戸さんがこのビジネスの土台を提供してくれたおかげです。これが恩恵、つまりリターンというやつですよ」

「はいっ」

「宍戸さん、これはまだ始まりですよ。城を改築したに過ぎない。ともに我々の陣を拡大していこうではありませんか。まだまだ先がありますから」

「坂田さん、私は一旦この地下階に籠ります。色々と仕上げてしまいたいので」

 坪井は言った。

「わかった。よろしく頼むよ。鵜飼君は今本社かな?」

「はい。ダイドーラボ立ち上げのため戻っております。来月には完成します。これから鵜飼班と打ち合わせします。ただ‥‥」

 坪井は少し顔を曇らせた。


「ん? なんだね?」


「実は‥‥鵜飼が漆原常務から『ダイドーラボなど不要だ。経費の無駄使いだ』などと、グチグチ文句を受けたりで、やりにくさを感じているようで。し、しかし、順調に計画は遂行中ですのでご安心を」


「あぁそうか。わかった‥‥。まぁ、とにかくそのまま計画通りバイオエコロジー部を正式に立ち上げてしまいなさい。稟議はもう直接大堂社長了承の上、通してあるから。部長には坪井君を推薦しておく。ダイドーラボ室長には鵜飼君を任命する。統括本部長として私が就こう」

 宍戸は今のふたりの会話の時、坂田の表情には、なんとも言えない、何か恐ろしいものを感じ取った。気のせいではないのは確かだった。今までに見たこともないような表情が一瞬、垣間見えたのだ。


「お心強い。ありがたきことです。感謝いたします。あ、そうそう。宍戸社長もこの地下階は出入り自由です」

「え、でも私はコンピューターなど触れませんよ」

「大丈夫です。宍戸社長はこの地下階の警備担当ということで。ですのでコンピューターは触らなくて結構です。デリケートですからむしろお手を触れずにお願いします。関係者以外は中に寄せ付けず、かつ情報は死守してください。もちろん不審人物も、ね。それに宍戸社長は私よりもがたいが良い。強そうですし、なにかやってたんですか?」

 坪井は関心の目を向けてそう訊いた。

「あ、え、まぁ学生の頃と社会人駆け出しの頃にキックボクシングを‥‥」

「ほぉそれは初耳ですね。宍戸さんお強いじゃないですか」

 坂田は感心した。

「あ、いやぁ。まぁ弱くはないと思いますけど、今はもう仕事人間でブランクだってありますから、強いかどうかはなんとも‥‥」

 宍戸は急な話題転換で動揺した。

「謙遜謙遜。あははははは」

 坂田は宍戸の背中をポンポンッと叩いた。

「ではなおさら宍戸社長は地下階警備担当適任ですね」

 坪井は掌をパンッと打ち付けてそう言った。

「わ、わかりました」

「他の従業員の立ち入りも禁止です。宍戸社長だけです。ここは聖域ですので、本当に限られた者しか出入りできません。では、これがここのキーです」

 坪井はそう言ってカードキータイプの鍵を渡した。鉄扉のドアノブの上のパネルににかざすのだ。

「はい。わかりました。厳重に扱います」


「よし。あとは頼んだ。私はこれから本社に行ってくる。急用を思い出した」

 坂田はきびすを返して、出口に向かっていった。


「急用?‥‥ですか?」

 坪井はきょとんとした顔でそう問いかけると、


「あぁ‥‥害虫駆除、をな」

 宍戸は、今坂田がなんと言ったのか、うまく聞き取れなかったが、その坂田の後ろ姿から、どう表現したら良いかわからない真っ黒い積年の遺恨のようなものが滲み出ていたように感じた。


「急用とはお忙しいですね。坂田さん」

 宍戸はそう言うと、

「‥‥そう、ですね‥‥‥」

 坪井は視線を下に向けた。

 



第77話へ続く・・・。 

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