第75話 悪魔の交渉

 ♢

 

 坂田は事務所に通され、宍戸と対面してソファに腰を下ろした。

「いやぁ宍戸さん、まだお気持ちは変わりませんか?」


「ミライファームは父が残してくれた大切な財産です。誰にも譲る気はない」


「ほぉ。お気持ちはお固いようで」


「坂田さん、もしこのようなお話が目的なら今後はもう来ないでいただきたいのですが」


「わかりました。ではこうしましょう。最後に私の提案をひとつ聞いていただき、それでもご納得いただけないのであれば、二度とあなたの前に姿を現さないとお約束しましょう。ただ、今からご提案する内容はミライファームにとって、いや…御父様にとっても、あなたにとってもメリットのある内容となるかもしれません。聞くだけタダです。いかがです?」

 坂田は目を細めて口角を少し上げた。宍戸から断固拒否されながらも余裕の表情を浮かべていた。


「んん‥‥」

 宍戸の表情は困惑一色に染まった。早くお引き取り願いたいんだけどな、と内心思いながらも、まぁでも聞くだけなら、という気持ちが交錯した。聞いてから「ノー」と答えを出し、この男との関係は終わりにしよう、そう思った。


「あなたの前に二度と姿を現さないという前提でお話しますので、一度しか話しません。よろしいですね?」

「え、えぇはい。わかりました」


「私はだらだらと商談を続けるのは実は嫌いでね。宍戸さんを訪ねるのは今日で4度目だ。単刀直入に申し上げましょう。ミライファームの経営状況は今、火の車なんじゃありませんか?」


「なっ」

 宍戸は両手をぐっと拳にして力が入った。


「図星‥‥でしたかな?」

 坂田は余裕の表情を一切崩さない。


「い、いえ。そんなことはありません。確かに以前と比べると仕入れなどの物価上昇で苦しい時はありますが、カフェだってうまくいっている。最近はミライファームは観光名所とまでSNSで騒がれてるくらいです。円安の今だからこそ外国人観光客が今後も増えてくる見込みです。問題ない」


「確かに。今は円安で外国人にとっては都合がいいかもしれませんね。しかし、今は、の話です。経営というのは常に先を見通していかなくてはなりません」


「そんなこと、わかってますよ」


「にしても、ミライファームは本当に素晴らしい農場だと思いますよ。使っている機械だって海外メーカーが多いようですし、宍戸さんの農業に対してのこだわり?っていうんですかね、すごく伝わってきます。とくにあの大きなトラクターのメーカー。あれなんでしたっけ? あぁそうそうリヴァだ、リヴァ。アメリカのメーカーですよね。コンバインもそうですね」

 坂田は大袈裟な身振りを交えながら話した。


「えぇまぁそうですけど。父の好きなメーカーでしたし、この広い土地には適しておりますので」


「なるほど。ですがもし故障したり、部品の交換や機械の発注の際には円安のこのご時世、色々と面倒そうですね」


「えぇまぁ。海外から取り寄せたり‥‥、て、あの。何が聞きたいんですか? 話の趣旨が逸脱してませんか? 特に提案なんて無いんでしょ? 雑談混ぜて私の機嫌をとってどうにかなるとでも思ってるんじゃありませんか?」

 宍戸のいらいらは頂点に達した。だらだら商談するのが嫌いと言っておきながら、だらだら商談ではないか、と感じたからだ。しかも大して胸を打つような提案がある気配もその時は感じられなかった。


「まぁまぁ落ち着いて。私は幸い人の機嫌をとるのが苦手でね。変わらずミライファームの経営状況は火の車だって話をしてるんですよ。首の皮一枚の経営だ、とね」


「だからそれに対しては大丈夫だと―――」


「甘いんですよっ」

 坂田は宍戸の言葉を強い口調で遮って言った。「えっ‥‥」と宍戸は声が漏れる。


「宍戸さん。先々月くらいでしたか? カフェのパートさんへの給料の支払いが滞ったことがあったようですね」

「なっなぜそれを!?」

「なにも知らないで4度も足を運んだとお思いですか?」

「‥‥‥」

 宍戸は顔を引きつらせた。

「おかしな話だ。カフェはうまくいっていると仰っていたのに、パートさんへのお給金を払えなかったなんて。カフェの売り上げ‥‥‥まわしたんですよね? ファームの経営に」

「く‥‥」

 宍戸は目を少し上に逸らした。

「厳しいのでしょう? 今も」

 坂田は宍戸を問い詰めていく。


「一度だけです。遅れたのは。あの時は少し遅れてしまったが、すぐにきちんとお支払いしました。少し色もつけてね。その後はもちろん遅れてなどいない」


「そもそも給料の支払いは一回でも遅れてはダメなんですよ。経営者として信用を無くしますから。まぁパートさん達はあなたのことを慕ってるみたいですから、一度くらいなら仕方ないと思ったみたいでしたけどね」

「えっ彼らから直接聞いたんですか?」

「企業調査ってもんは数字を見るだけじゃなく、直接従業員に対して今の職場への意見や思いも聞き込みした方が良いと、私は思ってるタチなんでね。まぁ幸福度アンケート調査みたいなもんです。その時にちらっとね」

「くっ」

 宍戸は唇を嚙んだ。


「今後さらなる物価上昇と円安は進んでいきますよ。冬場はさらに電気代や暖房費の高騰から、しわ寄せも襲ってくるでしょうな。私の知り合いの経済学者もそう分析していますしね。宍戸さん、耐えられます? また大切な従業員の給料を先延ばしにでもしますか? 少なくとも御父様の代ではそんな愚行は無かったと思いますがね」


「父までも話に出して私をおちょくるつもりですか? もうそんなことしませんよ。このミライファームと従業員を守るためならなんだってやってやるさ。借金してでもね」


「ほう。なんだってやる‥‥ですか。素晴らしい心意気だ。ですが、そんな考えでは時間の問題ですよ。お破産してミライファームを畳んでいるのが目に見える。それだと経営者としては頼りなさすぎですな」


「なっ、じゃあどうすりゃいいと言うんですか!? 確かに坂田さんの言う通り、経営は火の車状態ですよ。これ以上物価が上昇すれば苦しくなるのは必至ですし、うちの機械の半分は海外メーカーだ。メンテナンス費用もバカにならないし、部品の取り寄せは海外に頼っている現状‥‥。さらに円安の加速ともなればもう‥‥。でもミライファームは買収させない。させてたまるか! どこの馬の骨だか知らん奴らに経営を任せることになるんだろう? それこそミライファームはお釈迦だよ! もういい。帰ってくれ!!」

 

「宍戸さん、まだ話は終わっていませんよ」

「いいです。この話はノーだ! 帰ってくれ!!」

「そうですか。宍戸さんは約束を破る経営者、ということでよろしいですね?」

 坂田は仕事に対して真面目な宍戸の性格を理解した上で、そのような言い方をしたのだ。

「はぁ? どういう意味ですか!」

「私の提案をひとつ聞くって約束したじゃないですか。私は今御社の現状しか話していない。まだ提案をしていませんよ? それでも帰れと仰るんですか?」

 坂田は宍戸の目をまっすぐ見てそう言った。

「約束破りのレッテルを張られるのは男としても気にくわないな。わかりました。確かに坂田さんの仰るとおり、まだその提案とやらを聞いていませんでしたね。少し落ち着きます」

 宍戸と小さく深呼吸した。


「さすが宍戸さんご理解がお早い。今のままいけば、間違いなくミライファームの未来は閉ざされてしまいますが、ここからは、宍戸さんとミライファームの復活劇を成し遂げるためのメリットある話を致しましょう」

「‥‥どんな話ですか。詐欺まがいはごめんですよ」

 宍戸は警戒の目を向けた。

「まさか。そもそも『買収』というワードを使うから良く聞こえないんですよ。すみませんね、困惑させてしまったようで。提案内容ですが、買収というより、我々ダイドーの仲間になってほしい、と言ったらどうです?」


「仲間?‥‥ですか」

「そうです。宍戸さんやここで働く従業員も含めて全員ダイドーの仲間となるのです」

「どういうことですか? 我々は排除されないということですか?」


「もちろんです。そのようなことは始めから考えておりませんよ。むしろ我々に力を貸していただきたい。農業や酪農の知識や知恵は、あなた達の方がプロなんですから。このままプロにお任せしますよ」


「お任せすると言われましても、うちはカネが無いんですよ? どうやって」


「カネは我々ダイドーが援助します。宍戸さんのやりたいことをもっとやるといい。もちろん宍戸さんのポストはミライファームの代表取締役でお願いしたいのです」

 坂田はにこっと笑みを零した。


「えっそんなうまい話がありますか!? これは買収とどう違うんですか? なにか条件があるはずです。包み隠さず仰ってください。私はまだちゃんと坂田さんの言うことを信用できていない」

 宍戸はまだなお警戒する。人生農業畑をずっと歩んできた宍戸にとって、他社との提携や、ましてや買収されることなど無縁だった。


「いいんですよ。条件が無いと言ったら嘘になりますな。んー、まぁ条件は4つです。一つ目:ミライファームは我社ダイドーの傘下に入り商号の変更を行うこと、二つ目:栽培する品を増やすため開拓を惜しまないこと、三つ目:この私をミライファームの統括責任者として置くこと、そして最後は‥‥地下階をつくることに了承すること。以上です。特に無理難題は無いでしょう?」


「な、るほど。まぁ確かにダイドーの傘下に入るのなら、坂田さんが統括になるのは至極当然のこと。ただ‥‥地下をつくるんですか? なぜです?」


「あなた達は気にしなくていいんです。いずれダイドーの事業で使うかもしれないからなんで。工事も開拓資金も気にしなくていいですよ。うちが出すんですから。どうです? 我々と手を組みませんか? そしたら生き残れるはずだ」


「もうひとつ聞いていいですか?」

「えぇもちろんです」

「なぜうちなんですか? なぜ100円ショップ帝国を築いたダイドーが、農場を欲するんですか?」

「端的に言うと、儲かるシステムをつくれるからですよ」

「儲かる、システム‥‥?」


「そう。我々は慈善活動家じゃない。根っからの営利団体です。カネのためにやるんです。ミライファームを選んだのは、せっかくの広大な敷地で、かつ設備も整っているのに潰れかけてしまっているからですよ。今のご時世どうです? どこのスーパーに行っても値上げ値上げ値上げ。卵パックですら一時期300円を超えた。なのに世間の労働者の給料はいっこうに上がらない負のスパイラル。これは異常です。さっきも話した通り、今後はもっと物価上昇していきます。そんな中弊社の独自システムを導入し、安い値段でたくさん売ることができる。聞いたことないですか? マーチャンダイジング、という言葉」


「まさか! 生産から販売まで自社一括で行い、その分コスト削減できるというあれですか?」


「その通りです。ダイドーマーチャンダイジング戦略をこのミライファームに導入させます。そしたらどうですか。どこの八百屋もスーパーもうちから仕入れるに決まってるでしょう。私はいくらダイドーが100円ショップの柱を確固たるものにしたとは言え危機感を感じてた。常に世の中もマーケットも絶えず変化しているこの時代、ダイドーにはもうひとつ強い柱を確立させるべきなのです。生産から販売まで全てがダイドー。つまり、最強の六次産業化を武器とするのです」


「六次産業を‥‥武器に」

「はい。我々ダイドーの子会社には物流会社も持ってますし、私も元貿易会社である程度の地位にいた仕入れのプロです。色々伝手もある。だからこそ宍戸さんの扱っている海外メーカーの機械の部品や消耗品などの仕入れも裏ルートで安く仕入れてあげますよ」

 そう言って、坂田は前にいた貿易会社の名刺を渡した。

 それを見て宍戸は目を丸くした。

(———株式会社GIМAジーマ、営業本部長!? GIМAジーマって、あのGIМAジーマかっ!? えっ)


 GIМAジーマは、日本屈指の有名貿易企業である。本社はシンガポール。

 坂田は大堂社長にヘッドハンティングされる以前、東京支社に所属。カリスマ的な営業力と巧みな話術で成果を上げ、営業部全てを統括する営業本部長の地位にまで登りつめていた経歴がある。取引相手国も多岐にわたる。

 大堂 竜之介との取引はずっと担当していたので、本部長になっても付き合いがあった。


「あ、あなた、何者ですか? ただの支店長ではないですよね」

「いいえ。ただの支店長ですよ。ね。ですが、私は常に三手先を読んでいる。この六次産業事業にはもっと先がある。宍戸さんにもいずれご助力願うことになるかもしれません」

「お、驚きました。あなたのような人が味方になってくださるなんて心強い。私とは器が違い過ぎる。私は今、虎の威を借る狐となろうとしているのか‥‥」


「今はキツネのままで良い。いずれオオカミになれば良いのです」

「オ‥‥オオカミに。この私が」

 宍戸の手がぷるぷると震えた。恐怖心からではない。坂田 廉治郎という男との出会いと、生き残れるという歓喜故に、その感情が脳を興奮させたのだ。

「そう。宍戸さん、この話を飲めば御父様のご意思、ミライファームの未来、大切な従業員達の生活、これら全てを守り通したことになるんです。そろそろ決断の時です。今この時間が宍戸さんの人生の分岐点です。もうこの話はしませんよ? いかがします?」

 坂田はこの商談に終止符を打とうと畳みかけた。絶対に『ノー』と言わせない状況をつくってからの完全なるトドメのクローズトークだった。


「ぜ、是非ともよろしくお願い致します」

 宍戸は深々と頭を下げた。もちろん宍戸には断る理由がなかったし、断れなかった。

「それは良かった。さすが宍戸さん。一歩間違えればあなた、、に成り下がるところでしたよ。危ない危ない。選択とは運命をも変えますから」

 坂田は宍戸の肩をぽんっと叩き、ふたりは握手を交わした。

「えぇ、こんな展開になるなんて」

「正しい選択です。今日からダイドーの仲間ですね。共にダイドー帝国を築き上げましょう」

「ありがとうございます」

「では、こちらで準備を進めます。形上は買収という形になりますが、今まで通りお仕事を続けてかまいません。資金面でお困りの時は私に報告してください。我々のサポート体制は手厚いのでお気軽に」

「はい。坂田さん、本当にありがとうございます」

「いえいえ。あ、そうそう。ここの社名なのですが、ミライファームからダイドーファームに商号変更してもよろしいですかな?」

「あ、はい。お任せします。もうダイドーの傘下ですので方針に従います」

「では私は一旦支社に戻ります。またご連絡しますので」



 坂田が帰ったあと宍戸は思った。

(坂田 廉治郎。あの男は悪魔だ。このミライファーム全てを飲み込んだ。俺の弱みに最大限漬け込み、自分のフィールドを有利にする巧みな話術‥‥。恐ろしい人だ。でも、あの恐ろしい悪魔が味方となれば怖いもの無しだ。父さんが生きていたら猛反対されただろうな。殴られたかもしれない。仕方なかったんだ。生き残る道はこれしかなかった。父さんの時代と俺の時代は違うんだ。俺は俺なりにこのミライファームを守ったつもりだ。わかってくれ、父さん)



 その後、坂田の手により、ミライファームはダイドーに買収され子会社として傘下に入り、株式会社ダイドーファームに商号変更が完了。代表取締役社長に宍戸 武人が就任し、ダイドーファーム誕生の瞬間だった。




第76話へ続く・・・。 

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