第78話 排除

 坂田が新羽田空港に到着したのは17時25分だった。

 そのまま真っすぐ本社近くにとったビジネスホテルに向かい、チェックインを済ませた。

 白都支社を留守にする3日間だけは、課長で部下の神矢 行雄に支店長代理を任せた。


 部屋に入り、坂田はデスクにPCを出し起動させた。カタカタカタ、とタイピングの音が薄暗い部屋に響く。


 ―――の準備を始めた。


 そして、銀色のペンケースのようなものをバッグから取り出し、中身をチェックした。坪井から渡されたものだった。

 うん、と頷いてからケースを閉じて鞄にしまい、またPCの画面に顔を戻した。

 その日の夜は、何かの準備で作業に没頭した。何も飲まず食わずに。一言もしゃべることなく。


 その表情は、不敵な笑みが溢れ出ていた。



 ♢



 翌日、19時30分を過ぎた頃ホテルを出た。タクシーに乗り込み本社に向かう。薄めのビジネスバックを横に置いた。中には昨日の操作していたノートパソコンが入っている。


 車窓からは『大堂N1ビル』の文字が、徐々に高層ビルの狭間をかき分け見えてきた。

 ビジネス街故の街頭や高層ビルから漏れる明かり、賑やかな飲食店街の活気が街全体を照らし、夜でも周囲は明るく、帰宅するサラリーマン達をも包み込んでいる。

 坂田はそんな風景を見てもなんとも思わなかった。


 ―――頭の中はのことだけであった。



 時刻は19時50分。本社前到着。坂田はネクタイをくいっと整え、首を小さくぐるっと回した。

 乗車賃は1540円だったが、坂田は1万円札をトレーに置いて、「釣りはいい」そう言って、無言でタクシーを降車した。


 本社に入ると、正面に大きな受付フロントがある。壁には大きな『DFE』のロゴ。

 本社自体、21時には完全閉鎖。人気はほとんどない。受付嬢ももういない。退社している。これもまた坂田にとっては好都合である。警備室に繋がっている監視カメラだけは作動しているだろう。ひとりの警備員に遭遇したが、社員証をちらっと見せたら一礼された。



 32階に漆原常務のオフィスがある。エレベーターに乗り込んで向かっていく。この時間だからこそ、スムーズに32階まで運んでくれる。これもまた好都合である。


 ピーン‥‥。到着。


 時刻は19時57分。オフィスの扉前まできた。


 コン、コン、コン、、


「入れ」

 中から漆原常務の不愛想で低音な声が聞こえた。


「失礼します」


 オフィス内は、黒と茶を基調とした空間で、清潔感に溢れていた。

 黒塗りのシックな棚には小さなインテリア用造花やビジネス本などが並べられており、ガラステーブルは茶色い本革のソファに挟まれている。

 窓のブラインドは半分開いており、夜景が隙間から周囲のビル群の光や車のヘッドライトがイルミネーションのようにちらちらと垣間見えていた。

 その傍に、漆原常務のデスクがどしっと構えており、大きなデスクトップのPCが置かれていた。

 だが坂田は、初めてきた『常務』という役職の人間のこのオフィスを目の当たりにしても、何も思わなかった。何も感じなかった。


「よく来たな。ご苦労ご苦労。まぁ座れや」

 漆原常務は茶色い本革のソファに誘導した。

「はい」

「よっこらせっと」

 漆原常務も全ての体重をソファにあずけるかのように、ズシッと向かいに座り込んだ。


 ―――とうとう坂田は、あの漆原常務と初めて直接、しかもふたりきりで対面したのだ。


「話してみ。お前の言ってたプレゼンとやらを」

 漆原常務は腕を組んだ。

「プレゼンの前に、ひとつ漆原常務に確認したいことがございます」

 坂田は話を進め始めた。

「なんだ?」

「今私がすすめている新規事業についてです」

「あぁ、あのくだらん事業のことか。決算書は目を通しているし、お前が連れてきたわけのわからん奴らからも直接話を聞いたりしてるから大体はな」

「そうですか。貢献できている売上高や今後のビジョンも把握されておりますか?」


「当たり前だ。てかお前さぁ、稟議書に俺は判を押してねぇってのに勝手にどんどん進めやがって。大堂社長の後ろ盾が無かったら、とっくに強制執行くらわせてるところだぞ」


「どういう意味でしょうか?」


「アホかお前。強制的にやめさせてるってことだよ。こんな危なっかしー事業なんてな。ったく、農場なんて買収しやがって。八百屋でも始めるつもりだったのかよ」


「この事業を始めて2年以上が経ちましたが、赤字はほんの最初だけでした。だがしかし、今は黒字化できております。今はダイドー社にしっかりと貢献できると言える柱になっていると思いませんか?」


「ふんっ、たかが30億ぽっちの規模帯でのぼせやがって。俺が言ってるのは、そんな新規事業に取り組む暇があったら、一本の大きな柱をもっと大きくしていけと言ってるんだ。『100円ショップダイドー』という太く大きな柱をな。こっちは4桁規模だぞ。今後はもっと海外に打って出ていかにゃならんし、ゆくゆくは宇宙にだって‥‥。はぁ、まぁいい。お前が以前の会社で何をやってたか詳しくは知らんが、そんな労力あるならもっとこっちに力を注いでくれよ」


「たかが? 漆原常務はこの30億の価値をわかっていないようですね。今後のビジョンを進めていけば、売上高3桁も見えてくる事業内容ですよ。ダイドーの未来を考えると、柱一本じゃリスクがあると考えます。どのビジネスもずっと鰻登りとはいかない。停滞期ってものがつきものです。その壁にぶち当たった時に、ダイドーを支えられる柱として別に持っておくべきです」


「お前の言いたいことはわかるが、俺はな、お前がペーペーだった頃からずっとダイドーを前進させてきたんだ。海外に初めて斬り込みを入れたのも俺だ。100円ショップ業界の先陣斬ってここまで大きくしてきたんだ。全く別の事業なんて考えたことも無かった。お前の事業は、得体のしれない設備投資が掛かり過ぎる不安定かつ危険なビジネスだ。今は奇跡的に黒字化できているから良いものの、そのうち地盤が崩れていくぞ。将来ダイドーを停滞させるきっかけがとなるの、嫌だろう?」


「ここまで話しても理解できませんか?」


「ならお前はその事業を今後どうしていきたいんだ?」


「次は白別町にモール型スーパーの建設を考えています」


「はぁ!? スーパーだぁ!? バカなのか!? どこまで俺らに迷惑かければ気が済むんだお前は。大堂社長にそのこと言ってないだろうな?」

「えぇ、まだです」


「話にならん。そうなった時はさすがに容赦しねぇぞ。俺は今後企画経営部や財務部の奴らにも遠慮なく『無駄をなくせ』って斬り込んでいこうと考えていたところだ。俺もおとなしくし過ぎていたようだ。大堂社長がなんと言おうと、その稟議は通さねえ。先に釘を刺しておくぞ。いいな」


「いずれ必要になる。その先のビジョンは漆原常務にわかるはずもない」

 坂田は口だけを動かす。


「わからんよ。八百屋だけに留めておけ。本社に変な研究施設までつくりやがって。鵜飼とかいうお前が連れてきた新参者が言ってたぞ。でもするんだって? はぁ‥‥、まぁここまではもうやってしまってるし、一応黒字化できてるから何も言わんが、もうこの先はねぇ。何がスーパー建てるだバカ野郎。帰れ」


 とその時、坂田は両手にビニール手袋をぴしっとはめた。


「何をやってる?」

 漆原常務は坂田の行動を不思議そうな顔で見つめた。

「‥‥‥‥‥」

 坂田は無言で、ジャケットの胸ポケットから銀色のペンケースのような入れ物を漆原常務の目の前に置いた。

「ん? なんだこれは」


「サンプルです」


「はぁ? サンプル? なんのだよ。野菜でも入ってるってか?」


 坂田はそのケースを開けて見せた。

 パカッ‥‥‥


 漆原常務は、前のめりになり中を覗き込んだ。

「なんだ? 空っぽじゃないか」と口を開いた、次の瞬間、


 ガバッ!!

 坂田は漆原常務の胸ぐらを思いきり掴み掛かり、


 プツリ‥‥‥ッ


――――「ぅっ!」


 坂田は、瞬時に無駄のない動きで、漆原常務の左首に細い注射器を刺した。透明な液体がみるみる注入されていく。

 その漆原常務が見たケースは、元々注射器が入っていたものだったのだ。


「あ‥‥、あぁ、坂田、貴様ァ‥‥何を」

 漆原常務は左手で首を抑え込み、ソファにもたれ掛かった。坂田は表情ひとつ変えない。冷酷な、残虐な、そして無心な表情である。


「これね、ヒョウモンダコの唾液とヤドクガエルの皮膚液を混合させてできた液体だそうです。坪井がつくってくれました。神経毒だとか‥‥」

「な、なんだと!?」

「坪井君には即死じゃなく、じわじわ蝕むようにって注文付けたらオリジナルにしてくれたようで。彼は天才だね。でももって5分かな」

「な、なんのために‥‥こんな」

 漆原常務の顔色は徐々に悪くなってくる。

「即死だと困るんです。プレゼン、聞いてもらわないとですから。『漆原常務がこのダイドーに不要な人間である』、というプレゼンをな。最後まで付き合ってもらいますよ」

「ふ、ふざけやがって。事業の‥‥プレゼンじゃ、なかった‥‥ってのかァ」

 漆原常務が少しづつ痙攣を起こし始め、呼吸も乱れ始めた。


「ロバに何言っても無駄だからな」

「く‥‥ぅ」


「俺がお前の立場を引き継ぐ。お前はダイドーの癌だ。敷かれたレールの上でしか仕事ができない無能野郎だ。お前みたいな器の小さな人間が、このダイドー帝国の常務は務まらんよ。邪魔するな」


「ウ‥‥うァァァ」


「死ね」


「あぁ、ヒギァ‥‥ォマ、エ‥‥ァガアァァァァァァ!!」

 漆原常務は舌、唇が痙攣し、もう呂律が回っていない。口から泡のようなものが溢れ出し、両手で首を抑えながら叫び、白目をむいた。


 坂田は腕時計に目を向けて、

「ちょうど5分か。プレゼンにしては短かったかな」


 漆原常務の息はもうなく、二度と動くことはなかった。坂田はこの状況で初めて表情を動かした。不敵な笑みが零れていた。


「俺はお前の三手先をいく」

 オフィスは沈黙に包まれた。

 



第79話へ続く・・・。  

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