第79話 ダイドーラボ
坂田は漆原常務の遺体を30秒間眺めた。
ゾンビのような顔色でもがき苦しみ、ピクッ、ピクッと神経だけが痙攣を止めようとしない無残な姿。
だが、坂田の感情にはなんの響きも無かった。
ノートパソコンを鞄から取り出し、ガラステーブルに置いて起動させ、素早く操作した。
そして鵜飼に電話をかけた。
プルルルルルルルル‥‥、プルルルルルルルル‥‥、
「お疲れ様です。坂田支店長。事後ですか?」
「プレゼンは成功した。よこせ」
「えへへへへ。おめでとうございます。電話が鳴ったと同時にもう向かわせております」
「仕事が早いな。準備は整った」
「ありがとうございます。えへへへへへへ」
1分後、ガチャッと扉が開き、白衣を纏ったふたりの研究員が道具を抱えて入ってきた。鵜飼にダイドーラボ内別室に待機するよう指示されていた者である。この者達に任せた方が時間が短縮できると坂田に提案していたのだった。
(研究員A)「対象確認」
(研究員B)「始めるぞ」
坂田は言葉を交わさない。無言。こういう場では無駄な会話は一切しないと相場を決めているようだ。
ふたりの研究員は手際よく、黒いビニール袋に漆原常務の遺体を入れ包み、台車に乗せて速やかにオフィスを出て行った。要した時間はたったの2分。当初の計画よりも十二分に時間短縮できた。
だからこそ、坂田も別の準備に手を回せた。ホテルにチェックインしてからずっと。その準備とは、
それは、———ハッキングだった。
28階ではダイドーラボの準備を進めている最中だ。
エレベーター内、32階通路、28階通路の監視カメラを無人に映るよう仕組んだ。坂田の手にかかれば簡単なことだった。
坂田のスマホには実際の監視カメラの映像が流れている。
この設定も昨日、夜な夜なホテル内で完了させたものだった。
これは坂田にしか扱えないシンガポール製監視アプリだ。
アプリには、坂田のスマホの製造番号を登録かつ独自に設定した暗号化されたログイン方法で通過させ、ハッキング済み監視カメラと同期させないと見ることができない鉄壁のセキュリティシステムを搭載している。
―――このアプリの開発会社は
それに比べ、ノートパソコンには無人の映像が流れ続けている。この映像は本社の警備室と自動連動するよう書き換えプログラムされている。用意周到過ぎるレベルである。
スマホの映像では、ちょうどふたりの研究員が漆原常務の遺体をなんのトラブルもなく、ダイドーラボ内に運び終わったところだった。
「ふっ‥‥」
そして坂田は、鞄からハンドサイズのスプレーボトルを取り出した。中には透明の液体が入っている。
これも昨日ホテル内で準備したものだ。坪井に注文を付けていた薬剤である。これは、ある粉末状の薬剤と水道水で調合した液体だった。
坂田は漆原常務殺害計画の前に、坪井に相談していたことがあった。
『証拠隠滅用の薬剤を生成できないか‥‥』、と。
坪井はダイドーファーム地下階建設最中に、秘密裏に籠って薬剤を開発した。
粉末状の薬にして渡したのは、液体状で渡してしまうと、いざ飛行機に乗る際に検査場で怪しまれてしまうことを懸念したためであった。
粉末状であれば、あとのカモフラージュに関しては坂田にとってはお手の物であろうと踏んだ。
―――『坂田さん。これが例のブツです。水道水を混ぜるだけで簡単に生成できるよう調合してあります。ミミール液という私オリジナルの薬剤です。少し吹きかけるだけで付着したDNAや指紋が蒸発します。スプレータイプの容器が適切かと。噴霧後はもちろんミミール液は跡形もなく残りませんし、拭き取る必要もございません。ではお試しください』
坂田はそのミミール液をソファ、床、テーブルに噴霧した。
そして、速やかにノートパソコンとスプレーをスッと鞄にしまい、28階ダイドーラボへ向かった。
♢
ダイドーラボはほとんど完成していた。
28階フロアの4分の1を改築した広い内装。道具や設備、実験室も整っている。
来月には、採用済み社員=研究員を迎え入れる段取りとなっている。さきほどの白衣のふたりの研究員は、いち早く入社した第1会生というところだろう。鵜飼の息が体の芯までかかっている。
この28階フロア全てが、坂田筆頭の新規部署『バイオエコロジー部』となる。
ここまで進めることができたのも、坂田は大堂社長に新設すべき明確な理由をプレゼンし、さらにダイドーファーム成功の功績も含め大きく評価され、『存分にやってみよ』、と稟議内容に太鼓判が押されたからである。
坂田は、今まで以上に大堂社長の心を鷲掴みにしていったのだ。
奥の大きな白銀の実験台には、黒い大きなビニール袋が置かれていた。
「ご苦労様です。坂田支店長」
鵜飼は深々と頭を下げた。
「あぁ。鵜飼君も坪井君も優秀だ」
「坪井先輩は天才ですよ。大学も主席卒業ですし、薬学なら右に出るものはそうはいないでしょう。えへへへへへ」
「君も天才だ」
「恐れ多いことです。坂田支店長がバックについていることがこんなにも安心して仕事できるとは」
「まだまだやるべきことがある。このまま遂行しよう」
「えへへへへ。これで新常務誕生ですね」
「まぁ段取りを踏んでからだ。誰にも邪魔はさせない。やっちまおうか」
「はい。こちらのマスクを」
鵜飼は、自分が装着しているものと同じ目から口まで覆えるシールドマスクを坂田に渡した。坂田は無言でそれを装着した。
さらに鵜飼はメスでビニールを開封し、足元にあるレバーを右足で踏んだ。実験台は徐々に下がっていき、ちょうど良い高さにまで調整して足を外し止めた。
左サイドの棚には、ピンクっぽい透明の液体が入ったビーカーが準備されていた。鵜飼はそれを手に取る。
「これが、例の状態の良いあれですよ」
「ふん」
坂田は鼻を鳴らす。
「いきますよ。えへへへへへ」
鵜飼はその得体も知れないピンクの液体を、漆原常務の遺体にゆっくりとかけていった。
ジュワァァァアァァーーーーーーーーーー
みるみる水蒸気のような煙を上げて、遺体は瞬時に溶けていった。
骨も皮膚も内臓も何もかも残ることは無く、雪が熱湯にかけられたように一瞬だった。
実験台には変な色の液体だけが残っている。
「あとはサーッと水で流すだけ。———はいっ跡形もなく終了です」
「ほぉ」
「私が独自開発したオリジナルの超酸性分解液です。実験成功です。えへへへへへへへ」
「素晴らしい。これは今後の私の計画に使える代物だな」
「必要であれば生成しますよ」
「ちなみにどうするんです? 漆原常務さん、いなくなっちゃいましたけど」
「失踪したことにする」
「失踪‥‥ですか? 大丈夫なんですよね」
「あぁ。そうなるよう裏で手回しするから安心しなさい」
「あぁ‥‥は、はい」
「いいかね」
「はい!」
鵜飼はこの時寒気が襲ってきた。
今の坂田の表情は鬼よりも恐ろしい目をしていたと感じた。こんな冷酷非道な目をできる人間は見たことがなかった。
この男は悪魔の生まれ変わりなのかもしれない、絶対に敵に回してはいけない人間だ、と心の底から思った。しかし、味方なのだ。漆原常務がいなくなった今、新たな力を手に入れるであろう味方なのだ。坪井と共に確固たる忠誠を心奥底までに刻み込んだ。
「にしても鵜飼君‥‥」
「は、はい!?」
「野菜の遺伝子研究は笑えたよ」
「へ?」
「漆原が言ってたよ? ここの目的」
「え、へ、、、えへへへへへへへへ。すみません。漆原常務さんがしつこくラボの利用目的を聞いてくるものでしたので、つい‥‥」
鵜飼はあたふたしながらそう言った。
「適当か」
「はい。まさに適当、でございます」
「天才だな」
「えへへへへへへへへ」
「長居は無用。撤収だ。急げ」
「はい。おーい君達!」
鵜飼の掛け声で、さきほどの白衣の研究員ふたりがすっと駆け付けた。
(研究員A)「対象確認」
(研究員B)「始めるぞ」
そして、さきほどと同様に手際よく速やかに後片付けを終わらせた。ものの2分だった。
「君達も良い仕事ご苦労。部署立ち上げ後は良い待遇をつけてあげよう」
坂田はふたりにも言葉をかけた。
(研究員A)「感謝します」
(研究員B)「感謝します」
「いくぞ」
ダイドーラボの電気は消えた。
第80話へ続く・・・。
閉鎖スーパー、「ダイドー」 格沢 糸 @yopipi47
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