第67話 被害者の会 【香咲 真理の正体】

 スクリーンには白黒写真が映し出された。

 和服姿で束髪のひとりの女性が座布団に座っている写真だった。いつ撮影されたものなのかは不明。かなり古い写真だ。参加者達は黙ってその写真を眺めていた。


「何あの写真。誰?」

 阿古谷は小声で国府に訊いた。

「いやぁわからないです。随分昔の写真みたいですね。明治か大正頃のじゃないですか?」

 国府も全く誰の写真なのか見当もつかなかった。

「わかった津田梅子?」

「あ、いやぁそれは違うと思いますよ」

 国府は『・・・・』という文字が頭を過った。


 香咲は口を開いた。

「この女性は、兼水かねみ 久子ひさこ、といいます」


 その時、八城は「なっ!?」と声を漏らし目を見張らせた。国府と阿古谷、そして鮫島も八城の様子に違和感を感じた。奥原はまた何やらメモ帳にペンを忙しそうに走らせている。

「おい、どうかしたのか」

 鮫島は明らかに動揺している八城を気にかけた。

「そんな馬鹿な‥‥」

「あの写真の女が誰か知ってんのか?」

「‥‥‥」

 八城は黙り込んだ。

 鮫島はスクリーンに目を戻したとき、香咲が動揺している八城を見てにやりと笑みを浮かべたように見えた気がした。(あの女、今一瞬笑わなかったか?)


 

「兼水 久子は私の遠い遠いおばあちゃんです。なぜこの人の写真をこのように映しているかというとですね、皆様に知ってもらいたいと思ったからです」

 会場内はしーんと静まり、参加者達はスクリーンを凝視している。


「あの女何者なんだ?」

 鮫島は八城に訊いた。

「————信じられない。そんなことって」

 八城はそう呟きながら何かを知っているのか冷や汗をかいており、始めの余裕な表情はすでに消え去っていた。

「おい大丈夫か」

「あぁ‥‥すみません。あとで話しますよ」

 八城はようやく我に返りそう答えた。


 香咲は話を続ける。参加者達は黙って耳を傾ける。

「少し私の先祖の話をしたいと思います。彼女は明治時代に生きた本物の霊能者でした。日本で初めてができる人間として注目され、人々に寄り添いながら人生を全うしました。私の実家はお寺なのですが、今も家宝のひとつとして大切に保管されている『兼水家由緒御録』という書物に兼水 久子の全てが記載されています。私はその血を引いているためか9歳の頃から霊視ができるようになりました。始めはそれを霊視だと思いませんでした。見えるものは全て現実のものだと思っていましたから。それは今でも鮮明に覚えているのですが―――――、


 ――――急に喉が渇いて夜中に目が覚めたある晩のことです。冷蔵庫から麦茶を取り出して飲んでいたら、月明かりに照らされた薄暗いリビングで男性がひとり椅子に座っていました。

『誰?』

 と声をかけると、その男性は『宗次そうじ‥‥‥』と答えました。

 見てすぐにわかりました。私の祖父だと。

 祖父は私が8歳の時に脳梗塞で亡くなり、火葬場でも手を合わせたはずなのになぜかそこにいたんです。

 祖父は空のガラスコップに手を添えて黙って座っていました。

 私も向かいの椅子に座って一緒に麦茶を飲みました。

 『おじいちゃん、生きてたんだね』

 と訊いたら、祖父はにこりと笑って、私は自分のコップに目を移してから顔を上げたら、コップだけ残していなくなっていました。あの不思議な感覚は今でもはっきりと覚えています。

 翌日、朝食の支度をしていた母に『おはよう』と言ったら、

 『真理、コップふたつ使った?』

 と訊かれたので、

 『ひとつは宗次おじいちゃんのだよ。夜中に一緒に飲んだの』

 と言ったら、母は大変驚いた顔をしていました。

 その時、私は少し周りの人とは違うんだと気付かされたのは母から言われた一言でした。

 『うちに来てたのね。お母さんには見えないから』と。

 兼美 久子の書物を母から見せてもらったのはそれからのことです。亡くなった人が見えるようになってから、徐々に対話もできるようになり、お寺に来てくれた方々の相談にも乗ることも多々ありました。なので皆様のお心にも寄り添えるかと思っております」



 ―—兼水 久子―—(『兼水家由緒御録』より)

 1878年(明治11年)生まれ。1925年(大正14年)、脳梗塞にて没。

 12歳のときに霊視ができる目を開眼。日本で初めて霊視ができる霊能者として脚光を浴びた。生まれつきそのような能力があったわけではない。久子が注目される要因となったのは、父親の兼水 宗吉むねきちの死だった。

 宗吉は呉服商を営んでおり、久子が幼少の頃は和服の製造・販売を生業としていたが、徐々に近代化の風潮が強まり、上流階級の男達に洋服の製造・販売をする事業へ転換していき、文明開化の波に乗り事業を拡大していった。

 しかし、久子は宗吉が風呂場で死んでいるのを発見。第一発見者となる。母親の兼水 多恵たえは病弱だったため、2階で眠っていて事の発端には一切気が付かなかったという。

 久子はお隣さんの和菓子屋の主人にそのことを告げ、主人は巡査を呼んでくれた。自殺と思われたが、宗吉の死因は溺死だった。肺に水が溜まっていたとのことである。なぜそのような死に方をしたのかは一切不明だった。よって謎の怪死事件として扱われることとなった。(兼水家怪死事件——事件当時の呼名)


 数日後のある日、記者の岡倉おかくら 義貞よしさだという男は兼水家を訪ねた。

 岡倉はその当時人気だったオカルト雑誌『百鬼夜行』に、この兼水家怪死事件の記事を載せるため、庭でひとりしゃがみながら木の棒で遊んでいた久子に取材を行おうと声をかけた。その時、久子は無言でミミズを突いて遊んでいたそうだ。

 久子は父親が亡くなったことが相当なショックだったのか、岡倉に何を聞かれても俯き何もしゃべらなかった。木の棒でずっとミミズのはらわたが飛び出るまでいじくっていた。その光景は、岡倉の取材したいという気持ちを躊躇させるくらい不気味なものだった。


『なぁお嬢ちゃん、頼んますよぉ。発見したときの状況詳しく教えてくれねぇかな』

『‥‥‥‥』

 久子は手を止めることはなかった。

『亡くなる前の晩とか父っちゃんに何か気になることとか無かったべか。怪しい人影を見たとかさ』

『‥‥‥‥』

 久子は相変わらず何もじゃべらなかったので、岡倉はう~んっと腰を上げ出直そうとした瞬間、

『ねぇ‥‥‥』

 久子は口を開いた。

 岡倉ははっと息を呑み、久子に顔を向けた。

『な、何か思い出したかい!?』

 岡倉は咄嗟にペンとメモ帳を取り出した。すると、

『おじさん、昨日どこ行ってたの?』

『えっ、どこって?』

 岡倉は唐突な質問に狼狽した。

『お墓‥‥』

 たしかに岡倉は昨日墓参りに行っていた。だがそのことは久子がわかるはずもない。今日が初対面だというのに。

『女の人。おじさんに何か言ってる。あそこで‥‥』

 岡倉は久子が指をさした方向に振り向いたが誰もいなかった。

『え、誰もいないけど。その女の人って?』

 岡倉は恐る恐る訊いた。

 すると、久子は立ち上がり岡倉に目をぎろっと向けた。

 両目の瞳孔が蒼く瑠璃色に煌々と光っており、その目を見た岡倉はぞわっと全身に鳥肌が立った。ゆっくりと岡倉に歩み寄り、掌を向けてこう言った。


 ――――『ミサ、コ‥‥‥』


『えっ!? い、今なんて!?』

 岡倉は度肝を抜かれた思いだった。聞き間違いかと思い訊き返した。

『ミサコ‥‥。ミサコさん。亡くなったの、去年。事故‥‥。病気?』

 久子は目を見開きじっと岡倉を見つめて、首を傾げながらそう訊いてきた。

『なぜ、その名を!?』

 岡倉は心臓をぎゅっと握られた気分だった。

 岡倉 美佐子。妻の名前だった。去年乳癌で亡くなった。享年39歳だった。しかし、久子がその名を知るはずがない。

『うん‥‥、うん。そう‥‥』

 久子は岡倉の背後に視線を移し、何かに頷き始めた。

『な、なんだ?』

 岡倉はその様子に寒気がした。状況が理解できなかった。頭の中ではなぜ初めて会った女の子が妻の名前を知っているのか疑問だった。

『ミサコさん‥‥苦しかったね。病気‥‥か』

『なぜだ!? なぜわかる!?』

『なぜって‥‥ミサコさんが今そう教えてくれたよ。だからおじさんから最初お墓が見えた。昨日はお墓参りだったから、だよね?』

『見えてるってことか‥‥。そんな馬鹿な。それとも作り話が偶然当たってバカにしているのか!? 大人を揶揄からかうのも大概に―――』

 岡倉は声を荒げたが、久子はかぶせてこう言った。

『おじさんの大切な人。昨日命日だったんだね。ミサコさん、おじさんに感謝してるって言ってる‥‥』

 岡倉は涙が溢れて、腰から崩れ落ちるように地面にどんと座り込んだ。こぼれた涙は地面を湿らせ、ぐっと土を握った。

『美佐子が見えるんだな?』

『うん』

『まだいるのか?』

『うんいるよ。おじさんの右肩に手を乗せてる。ごめんねって言ってる』

 岡倉は左手で右肩を触れた。俯きながら『ありがとう、美佐子』と言った。

 そして、

『あ』っと声を漏らし、久子は空を見上げた。

『どうした?』

『かえったみたい』

『そうか‥‥』

 岡倉は久子が言い当てた通り、美佐子が乳癌で去年亡くなったこと、昨日が命日で墓参りに行ってたことを話し、自分が何者で、ここに来た目的も全て久子に話した。


『久子ちゃん、霊視って言葉知ってる?』

『ううん。知らない』

『亡くなった人が見えることを言うんだよ。いつから見えるようになったの? 生まれつき?』

『ううん違う‥‥』

『いつからなの?』

『うーん、父っちゃんが死んでからかな』

『まさか霊視ができる人が本当に現れるなんて‥‥』

 岡倉は驚嘆した。霊が見えることはお伽話くらいにしか考えていなかったからだ。恐らく、父親が死んだショックが大きな精神的ストレスとなり、久子に何かしらの影響を与えたのだと仮説を立てた。その影響が偶々霊視能力の開眼だったと。

 そしてこの日を境に、岡倉は兼水 久子の霊視能力について研究することにした。

 『百鬼夜行』の編集の仕事以外は、兼水 久子とは取材と称して側近のような関係を築いていったそうだ。いつかは『霊視の実現』というタイトルで本を出版し、霊視のリアルを世に広める活動も視野に入れようと考えた。


 『兼水家由緒御録』とは岡倉 義貞が執筆したもので、兼水 久子との出会いから、どんな人物か、どんな生活を送ってきたか、霊視能力についての詳細や研究内容、霊視を通して社会へどう貢献したかなど、事細かく記載されたものだった。

 しかし、出版される前に岡倉は永眠した。享年44歳だった。

 久子も岡倉の死を境に積極的に活動することは無くなり、静かに田舎で暮らしながら結婚し子供も産んだ。

 『兼水家由緒御録』は世に出回ることも無く、その一冊だけが代々大切に保管されていき、今の香崎こうさき家(本名:香崎 真理——香咲は活動名)の寺に厳重保管されている。


 同じく明治時代で実在した有名な霊能者、千里眼の御船みふね 千鶴子ちづこや、神通力の長南おさなみ 年恵としえが世間を騒がせたが、霊視の兼水 久子として一部の田舎町では有名だったが、脳梗塞で47歳でこの世を去った。情報が少なすぎたためか存在自体が都市伝説だったと言い伝えられていった。



———のだが、香咲 真理は兼水 久子の玄孫やしゃごである。




 香咲の今の話を聞いていた最前列に座る50代男性が挙手した。

「どうぞ」

 香咲はその男性を当てた。


50代男性:「あなたは今も見えているのですか?」

 その質問で、参加者達の中には、疑いの目を向ける者や、何かやって見せてほしいと期待の目を向ける者もいた。

 それは至極当然のことであろう。

 喋ることはいくら立派なことでも、実際には全員香咲 真理とは初対面だし、実績や能力を知るはずもない。

 『心に寄り添えることができる』という証拠のひとつも無ければ、せっかく何かにすがる思いで一握の期待を胸に参加した被害者達から、『バカにしているのか』、『気持ちを踏みにじりやがって』、と反感を受け兼ねない。


 香咲はステージを降り、参加者達が座るデスクの前に立った。そして、挙手をしたその50代男性にむけて掌を向け始めた。




第68話へ続く・・・。 

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