第7話 藤原 洋臣 【報告編】

 ガチャッ


 藤原がオフィスに戻ったのは、15時30分を回ったところだった。


 藤原の顔は疲弊していた。それもそのはず。朝早くに起床し、作戦を練り、あの神矢と直接商談をしてきたのだから。

 藤原は今までも様々な相手と直接顔を会わせ商談や打ち合わせをしてきたが、あれほど絶対的緊張下での商談は久しぶりだった。その反面、大きな達成感が藤原の心を支えた。


「あ、お疲れ様です。藤原さん」

 林崎がデスクでコーヒーを片手に持ちながら藤原を迎えた。


「おぉクちゃんおつかれさーん。———ハァァ」

 藤原は、そう言いながらデスクに腰を下ろし、肺いっぱいに吸い込んだ酸素を吐き出すように大きな溜息をついた。

 

「バタバタだったみたいですね。はいどうぞ」

 林崎は、淹れたてのコーヒーを藤原のデスクに置いた。


「サンキューイクちゃん」

 藤原は呼吸を整えようとひと口啜った。


「昨日さー松江さんから電話あったじゃん。来月グランドオープンするスーパーダイドーでイベントを打ちたいという要件のさ。そっからのダイドーの偉い人と直接バトルっしょ。だからもう気力体力ゼロ。HPゼロだよまったく」

 藤原はまるで背骨を抜かれたかのように姿勢を崩し、イスを左右に揺らしていた。


「藤原さん少し顔色悪いですもん。一息ついてください。神矢さん?、でしたっけ。商談自体はいかがでしたか?」

 林崎は昨日、事務の仕事をしながら藤原と神矢の電話内容を聞いていたため、昨日と今日のスケジュールがギチギチだったことはわかっていた。


「ふふふん、商談はねー‥‥大成功だ!!」

 藤原は崩した姿勢を瞬時に整え、軽く笑みを浮かべ親指を立てた。


「えっ取れたんですか!? 藤原さん新店オープンの場所取りは許可が出ないっていつも言ってませんでしたっけ?」

 林崎は驚きながら言った。


「まぁーそうなんだけどさ。俺にかかればお安い御用だね。正直大変だったけど。でもマジで良かった」

 藤原の顔に覇気が戻った。


 そもそもイベントの場所取りは、クライアントがそこでやりたい!、という場所を斡旋するのがベストではある。

 ただ、今回のスーパーダイドーはハードルが高いものだった。

 本来なら、グランドオープンしたばかりの大型商業施設では、外部のイベント開催の許可など出ない。しかし藤原は、神矢との過去の接点を上手く利用し、また藤原の商談力、トーク力こそが今回の結果をもたらしたのだ。藤原じゃなければ不可能だっただろう。


「また松江さんからの信頼度上がっちゃいますね!」

 林崎は満面の笑みをほころばせて言った。


「上げちゃうねー! さすがに今回の件に関しては場所取り代行料も少し高めに請求しようかと思う。宮神店の売り上げも上がるだろうしお互いにウィンウィンだね。おっとそうだ、松江さんに報告しないとっ」

 藤原はデスクにパソコンを開き、携帯を取り出して松江の社用携帯に電話をかけた。


 プルルルル、、プルルルル、、プルルルル、、、、


「藤原さーん! お世話になっておりますー」

 松江は、如何にも待ってました!、と言わんばかりに電話に出た。


「お世話になっております。松江さん今お電話大丈夫でしょうか?」

 藤原も松江が喜ぶ顔が既に頭に浮かんでいた。


「大丈夫ですよ。あの例の件ですね?」


「はい」


「いかがでしたでしょうか?‥‥‥やはり」

 松江は恐る恐る訊いた。


「松江さん、スーパーダイドーでのイベント許可出ましたよ!」


「えーっ! 本当ですか!?」

 松江は驚嘆した。受話器越しから松江の声が漏れていただろう。


「えぇ。責任者の方と直接商談して来ました」


「厚かましいご要望にお応えしていただいて感謝します。責任者の方は直ぐに会ってくださったんですか?」


「たまたまダイドーの現営業部長が、数年前に一緒に仕事をしたことがある方でして。その甲斐もあってうまく事を運べました。もしその方が転勤とかで全く別の部署にいたら難しかったかも知れません」

 藤原は自分から戦略をペラペラと喋るタイプの人間ではないが、既に白黒ついたからと、手の内を明かすかのように松江に話した。


「まさか藤原さんの仰っていた『考え』って、そののことだったんですか?」


「そうです。スーパーダイドーでイベントを打ちたいという松江さんの提案でピンッと来ました。たまたま過去にダイドーと一度取引があったなと。一か八かでしたが、その方にアポしました。ほんと偶然ですよね。はははは」


「そうだったんですか。さすがとしかもう言いようが‥‥」

 松江は言葉が出てこなかった。


「偶然こそチャンスです」


 藤原は実際、そんな容易なことではなかったことは一切話さなかった。

 話したところで意味が無いからだ。もしこのことを苦労話として、鼻高に松江に伝えてしまったら自分の仕事がただの自己満になってしまう。結果が実ればそれでいいのだ。どんな功績を上げようと、周囲に対して優越感を見せるような態度はしないのだ。


「そんな偶然があるとは‥‥」

「私はただいつも通り仕事をしただけですよ。その責任者から今日中に詳細のメールを頂くことになっていますので、松江さんに直ぐメール内容の共有しますね」

「ありがとうございます。ちなみにどのような流れで許可を頂けたんですか?」

 松江は感謝の気持ちで溢れてはいたが、その反面、どんな戦略で場所取りの許可を出してもらったのか気になる所でもあった。


「まぁ、ただ相手の条件を呑んだだけですよ。お気になさらず」

 確かに、神矢との商談はまるで圧迫面接を受けているかのようなものであった。神矢が納得のいかない返答をしてしまえば、商談自体が白紙になり兼ねない状況下だった。

 いくら藤原でも、ストレスという無数の針が体の芯まで突き刺さっていたのは間違いない。

 しかし、藤原はそんなことは気にも留めていなかった。ただクライアントからの要望をクリアできるように、自分なりに仕事しただけという感覚だった。

 弱音を吐いたらそこでゲームオーバー。マネージャーとしての責務を全力で全うすることこそが藤原にとっての正義なのだ。だからこそ藤原は、詳しい経緯は説明しなかった。


「どのような条件を出されたんですか?」


「特に難しい条件ではないですよ。その条件の中に、開催日時は10月3日以降にして欲しいというのがあったので、4日から7日までの4日間をまず押さえました。あとはメールをご確認いただき、不明点や確認したい事があればお電話下さい」


「4日間で決めて下さったんですか!? 本当にありがとうございます。それではメールお待ちしております。よろしくお願いします」

「えぇ、こちらこそよろしくお願いします」

 藤原はスマホの画面を閉じた。


「よっし! 松江さんめちゃくちゃ喜んでたわ」

「良かったですね。藤原さんも肩の荷が下りたんじゃないですかー?」

 林崎はキーボードを叩く指を止めて微笑んだ。


「そうだねー、ドシッとね。はははは———あっ、神矢さんからメール来てる」

 藤原はノートパソコンを凝視した。


 メールの内容は、商談内容の詳細や確認事項、そして、スーパーダイドーの店長の名前が書かれている。

 ―――『浅川あさかわ 大志たいし』、と。

 神矢から浅川に話をしておくという内容も書かれていた。


「神矢さんからFAX届いてますよ。どうぞ」

 林崎は小走り気味で2枚の紙を持って来てくれた。


「おぉサンキュー」

 藤原はFAXに目を通した。

 1枚目は見積書、2枚目は箇条書きで書かれた同意書であった。

 どちらも神矢の存在感が醸し出されているような大きな印鑑がしっかりと押印されている。

 藤原は開催場所・開催日時が間違っていないか、それに伴う場所レンタル代が4万になっているか、そして細々と書かれてある同意書の内容を一通り目を通して確認した。

 (オッケーだな)と思った矢先、

 同意書内容の最後の項目に少し気になる文章が書かれていることに目が留まった。



≪—―—・万が一、事件や事故が発生し命に関わる事態が起きた場合、弊社では一切の責任を追い兼ねます。≫



(命に関わる事態‥‥‥? なんだこれ)


 藤原は、この一番最後の項目の文章が少し気掛かりに感じた。

 なぜなら、ケータイイベントの場所取りの契約を今まで何回もやって来たが、このような内容が書かれている同意書を見たのは初めてだったからだ。

 確かに、今まで開催してきたイベント会場は様々で、スーパーやショッピングモール、温浴施設、市町村施設等があった。管理会社は各々違うので、同意書の内容が異なるのは当然ではある。

 しかし、藤原はケータイイベントの場所貸しの同意書でこのような項目がある事自体不自然に感じた。


 ただ藤原はこうも思った。

 (あの天下のダイドーだ。過去に強盗事件や諸々のトラブルもあったかもしれない。その事も見越してちゃんと書いてあるのかも)、と。


 神矢も忙しい人だ。わざわざ確認の電話をするのもおかしい。せっかく決めた案件だ、FAXも今日中に返信してしまいたい、という思いもあり、藤原はひとり合点した。

 そして、印鑑を押すべき部分に薄く丸印が付けられていたので、その部分に藤原も押印した。

 神矢の支社へFAXを返し、松江にもメールの詳細を共有した。時刻は16時45分を回っていた。


 林崎はパソコンをシャットダウンし、荷物を鞄にしまい始めた。

「ではでは私は少し早いですけど、先にあがりますねー。藤原さんも疲れた顔してるんだから早く帰って休んでくださいねー。お先に失礼します。お疲れ様でーす」


「おう! おつかれさーん」

 林崎は先に仕事を切り上げオフィスを出て行った。

 


 プルルルル、、プルルルル、、


 18時を回ったところで、松江から電話が一本入った。

「はい藤原です」


「お忙しいところ恐れ入ります。松江です」


「お世話になっております」

 藤原は松江からの電話の要件はわかっていた。


「お世話になってます。メール拝見させていただきました。内容は理解しました。条件も確かに難しい内容ではなかったですね。スペースも結構広めに確保できるようで安心しました。ちなみに最後の条件のダイドーカードの加入促進について具体的にどのような内容ですか?」


「声かけしたお客様や、ブースで着座してくれたお客様、またガラポンの景品を渡す際に『ダイドーカードはもう加入されましたか?』みたいな感じで加入促進を一緒に行うということですね。加入希望の方にはそのサポートもブースでやる流れになります」


「なるほどですね。加入のサポートはどのようにやるんですか?」


「パンフレットに載ってるQRコードをスマホで読み取って登録を進めて、クレジットなので最後に口座の登録をして完了というような感じで簡単みたいです。後日一緒に確認しましょう」

 藤原は丁寧に説明した。ダイドーカードの加入のサポートが肝で場所のレンタルが決まったようなものだからこそ、いい加減には出来ない。


「イメージ湧きました。了解です。うちのスタッフにもしっかりと共有しておきますね」

 ダイドーでのPRイベントには多大なチャンスが眠っている。松江は胸を弾ませた。


「はい、棚橋さん達にもお伝えくださいませ」


「藤原さん、最後の頼みなのですが‥‥、国府さん指名って可能ですか? 4日間とも。難しいですかね?」


「大丈夫ですよ。国府に行かせますね。私もそのつもりでした」

 藤原は二つ返事で快諾した。

 仮に指名が無かったとしても国府を行かせるつもりだった。国府は宮神店のPRイベントにはいつも入っているし信頼も厚いからである。


「良かったです! 何から何までありがとうございました。国府さんがイベントに来てくれることも伝えておきますね」


「はい。よろしくお願い致します」


「今回の件、藤原さんに頼んで本当に良かったです」


「私もそのように言っていただけて、やった甲斐がありました。それではまた追ってご連絡致します」

 藤原はそう言って電話を切った。


 このような藤原の行動があり、スーパーダイドーでの初SoCoモバイルPRイベントが開催されるに至ったのだ。


「ふぅ、一服でもするか」

 藤原は誰もいないオフィスの中、ひとり喫煙所に消えていった。



第8話へ続く・・・。

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