第49話 死闘~ 国府・棚橋・宗宮・海藤 VS 羊【後編】
「な、なんだっ!?」
「耳痛いっ、アイツ生きてたの!?」
「しぶといですね‥‥」
3人は両耳を手で塞いだ。鼓膜を突き刺すような羊の甲高い声が響き渡った。
そして、羊は鳩やのテナントの方に顔を向けて、よろめきながら突然走り出したのだ。
スタッスタッ、スタッ‥‥‥スタッ、スタッ、スタタタ‥‥‥、スタッスタッ、、
両腕をばたばたと振り回している。手先からは鷹の爪ような鋭い爪が伸びているのが見えた。あれで切り裂かれたらひとたまりもないだろう。
「え、アイツ何で鳩やの方に!?」
「‥‥もしかして棚橋さんを! アイツは死体を食って処理する掃除係だって八城さんが言ってた」
海藤は新しいガスボンベをセットしながらそう言った。
「えぇ、ヤツは棚橋さんを食うつもりです」
国府は転がっていたイスを持ち、そのイスの脚を羊に向けて走り出した。海藤も火炎放射器を構えて国府に続いた。
「何で棚橋さんの遺体があることがわかったんだ!?」
海藤は走りながらそう言った。
「恐らく、ヤツはわずかな死臭さえも感知できる嗅覚を持っているのかもしれません」
「絶対にそんなことさせない!」と海藤。
「うおぉぉぉぉ」
国府は受け渡しカウンターを乗り越えようとしていた羊の身体に、全速力で突っ込みイスで押し込みながら羊の行く手を阻んだ。
ぼぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ! 海藤も横から追撃する。
「メエェェェェェェェェェェェッ!!」
羊は鳴き喚き、背中から倒れた。
ぐゔぁぁばぁぁぁぁぁぁあ゛ぁぁぁぁぁ!
羊の上半身が横に裂けて口が大きく開いた。みるみるうちに国府が押し当てているイスが溶けていく。しかし、国府は羊の大きな口が開くのを待ち構えていたのだ。袋に詰まったカプセルを、袋ごと胸の口の中に突っ込んだ。
すぐに酸で溶かされ、異臭が漂ってきた。殺鼠剤の不快臭だろうか。鼻を突くような臭いに、国府は「うっ」と吐きそうになった。
羊は殺鼠剤が効いているのか、暴れ狂ったかのように長い両腕をばたつかせ、国府の右脇腹に爪がめり込んだ。
「うぁあっ」
国府は吹っ飛ばされてしまった。ガタガターンッと散乱しているテーブルやイスにぶつかりそのままうつ伏せで倒れた。爪がめり込んだところからは出血し、ワイシャツも血で染まっていった。
「国府さんっ!!」
海藤は、吹っ飛んだ国府を目で追うことしか出来なかった。国府はそのまま意識を失った。
羊がゆらりと立ち上がり両腕をばたばたさせる。
「メエェェェェェェェェェェェ」
「くそっこの化け物!!」
ぼぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!
羊は炎を腕で振り払った。
そして、ばたつかせる腕が海藤にぶつかり、受け渡しカウンターまで吹っ飛ばされて激突した。
「ぐはっ」
海藤は背中を強打し、尻もちをついた。
羊は海藤を無視して、両腕をぶんぶん振って宗宮の方へ向かって走り出した。ジグザグによろけながらも足は速い。
「メエェェェェェェェェェ、メエェェェェェェェェェ!!」
スタッ、スタッ、スタタッ、、、スタッ、スタッ、スタタッ、、、スタッ、スタッ、
「‥‥宗宮っ! 逃げろぉぉぉお!!」
海藤は叫んだ。背中の痛みを堪えながら何とか立ち上がり、全速力で羊を追い駆けた。
「あっ‥‥、あぁ、来ないで‥‥」
宗宮は向かってくる羊の姿に恐怖で足が竦み動けなかった。海藤が何か叫んでいたが、なんと言っているのかは聞こえない。
「メエェェェェェェェェェェェェェェェェェ!!」
羊は爪を振り下ろしてきた。宗宮は反射的に火炎放射器を向けた。
「宗宮! 何してる! 早く逃げろって!!」
海藤は走りながら喉が潰れるくらい叫んだ。
しかし、もう手遅れだった。
—―————シュパッ‥‥‥‥‥
宗宮の火炎放射器は破壊され、胸から腹にかけて切り裂かれてしまった。
「あ、ぁ‥‥‥」
宗宮は血を吹き出しながら倒れた。床には血飛沫が散った。
「宗宮ぁぁぁぁぁぁあ!!」
スタッ、スタッ、スタタッ、、、スタッ、スタッ、スタタッ、、、
ドォォォォンッ!!
羊は、宗宮を切り裂いた後そのまま通り過ぎていき、真っすぐ壁に突進して激突し、その反動で倒れた。まるで裏返った亀のように仰向けになりながら手足をばたつかせもがいている。
「くそぉぉおーーーー!!」
海藤は怒り狂ったかのように火炎放射器を羊に向けた。
「うぅ、ん‥‥、海藤さん‥‥‥」
国府は海藤の叫び声で目が覚めた。痛みを我慢してうつ伏せのまま顔を上げた。海藤が羊に火炎放射器を向けているのが見えた。
(海藤さん、いけ‥‥、倒せ‥‥)
そう心の中で呟いて肺いっぱいに空気を吸い込み腹に力を入れた。
羊は上体を反転させ、四つん這いになり身体を大きく反らした。
「メエェェェェェェェェェェェェェェェェェッ!」っと叫びながら、
ぐぅゔぁぁばぁぁぁぁぁぁあ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!
胸が裂けるほど口を大きく開いて威嚇してきた。
「くたばれぇぇぇぇぇえーーーーー!!」
「いけぇぇぇぇぇぇぇえーーーーー!!」
国府は肺に溜めこんだ空気を一気に吐き出すように、声帯が壊れるくらいの声量で叫んだ。
(国府さん!? 意識が戻ったんだ)
ぼぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおっ!!!
海藤は国府の声援に後押しされるかのように、ガスボンベのガスが無くなり切るまでありったけの炎を放射した。
「メェェェェギャァァァァああああァァァァァァァァァ————あ」
—―バァァァァァァァァァァン!!!
羊は鳴き叫びながら、風船が破裂したかのような爆発を起こして上半身が四方八方に吹き飛んだ。海藤の目の前には見るも無残な羊の下半身だけが残っていた。肉片が血の雨とともにぼたぼたと落ちてきた。口の中で多量に充満した有毒ガスに引火して大爆発を起こしたのだ。
♢
羊が消滅した事よりも、宗宮の身が心配で気が気ではなかった。
「はぁ‥‥、はぁ‥‥、宗宮!」
海藤は火炎放射器を床に落とし、すぐさま宗宮のところへ駆け寄った。
宗宮はSoCoモバイルのシャツをズタズタに引き裂かれ、胸と腹から血を流して横向きに倒れていた。海藤はしゃがんで、宗宮の上体を仰向けにして抱きかかえた。
「そ‥‥宗宮! 大丈夫か!」
宗宮は辛うじて息があった。
「宗宮! 返事をしてくれ」
「う、うぅ‥‥、かい、どう‥‥君‥‥‥」
宗宮は薄っすら目を開けた。
「良かった! そのままだ。そのまま俺を見てろ! 目は閉じるなよ!」
海藤は宗宮の血で染まった手をぎゅっと握った。
「ふふ‥‥。海藤君の手‥‥あったかいね」
宗宮は小さな力で海藤の手を握り返した。
「なに言ってるんだよこんな時に。どうして逃げなかったんだよ」
「ごめん‥‥ね。怖くて‥‥うご、け‥‥なかったの」
「くっ‥‥。傷痛いよな。ちょっと待ってろ。今から止血してやるからな」
海藤は、周りを見渡しながら、何か止血できるものが無いか探した。
「ふふ、海藤君って‥‥、大きな声、出せるんだね」
「今そんなこといいから! そうだっドラッグストアで止血剤とか探して持って来てやる。ここでちょっと待っててくれ」
海藤が抱きかかえた腕を解こうとした時、宗宮はぐっと力を込めて海藤の手を握り引き留めた。
「おいなんだよ! 早く止血しないと」
「行かないで‥‥」
宗宮は海藤の目を見つめ、そう言った。
「ど、どうして!? 俺は宗宮のことが心配で‥‥」
「いいから」
「なっ」
宗宮は海藤の手を自分の胸に当てた。
「これでいい‥‥」
「おい! バカ言うなって。こんなんで血が止まるわけ———」
「あたしね、海藤君と‥‥今まで一緒に、働けて‥‥ほんと良かった」
宗宮は海藤の言葉を遮るように重ねて口を開いた。
「お、おい」
「あたしが、入社した時の‥‥こと、覚え‥‥てる?」
「当たり前だろ。俺がずっと後ろについて教えてたんだし」
「ふふ‥‥。だから‥‥かな。今まで安心して、働けたし‥‥、なによりも、楽しく働けた‥‥。イベントも去年から始まってさぁ‥‥、担当が海藤君と一緒ってなった時、家でね、ずっとにやけてたんだよー」
宗宮はにこっと笑みを浮かべた。
「わかった。わかったから、もうそれ以上しゃべらない方がいい」
「あたし、ドジだし、失敗ばっかだし‥‥、お客様を怒らせちゃったりとかさ‥‥。その度に海藤君‥‥いっぱいいっぱい助けてくれたよね。このダイドーの大惨事も、海藤君が一緒だったから‥‥頑張って乗り越えようって思えたの。とっても心強かった。だからね、感謝してる。海藤君‥‥ほんとに、ありがとう‥‥」
宗宮は海藤の言葉を無視して話し続けた。
「なに言ってんだ。宗宮はチーフとしてショップを支えてきたじゃん! 俺だって助けられたこといっぱいあるよ。俺なんかマイナス思考だし、失敗したら引きづるし、でも宗宮の前向きな性格に何度も励まされてさ‥‥」
海藤は早口でそう言った。
「ふふふ‥‥。海藤‥‥君、初めて‥‥じゃない? あたしに、そうやって言ってくれたの」
「そ、そうだっけ‥‥」
海藤は宗宮から視線を逸らす。
「そうだよぉ‥‥海藤君って、どっちかというと無口な方だからさぁ‥‥。ちゃんと言葉にしてくれないと‥‥あたしわからないもん」
「わかったよ。ごめん。今度からちゃんと言葉にするから! まず止血させてくれ。俺が戻るまで安静にしててくれ!」
「————たかったなぁ‥‥」
「え?」
「タコパ‥‥、ここから出たら海藤君と、したかったなぁ。お疲れ様会‥‥」
宗宮は天井を見つめながら言った。
「したかったって、おい。お別れみたい言うなよ。やろうよ! お疲れ様会やろう! 約束だ。だからもう少し耐えてくれ!」
しかし、宗宮は頭を小さく左右に振った。海藤はその意味がわからなかった。
「あのね、かい‥‥どう君‥‥。これだけは‥‥‥い、わせて」
宗宮はゆっくりと目を閉じていく。
「なんだよ!? おい、目を閉じちゃダメだ。頼むからしっかりしてくれ!」
「海藤‥‥‥君‥‥」
「ん!?」
「————すきだよ」
宗宮は、そう言い残し涙を一粒流した。
海藤は、何か透き通ったモノが胸を通過して行ったような感覚になった。それは何かはわからない。宗宮の今の4文字の言葉の意味もすぐには理解が追い付かなかった。
「え‥‥。お、おい! 宗宮!!」
宗宮は目を開けることはなかった。海藤の手を握っていたその手は、するっと紐がほどけたかのように、床についた。
「あぁぁぁ、死ぬな‥‥。死ぬな死ぬな死ぬな宗宮ぁー!! 目を覚ましてくれぇ‥‥‥」
いくら呼びかけても、海藤の声はもう宗宮に届くことはなかった。
「う、う‥‥、うわぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあぁあぁあぁあぁ!!」
海藤は慟哭した。
涙が一気に溢れた。宗宮を思いきり抱き寄せた。力いっぱい抱き寄せた。
「‥‥ウソだ。ウソだウソだウソだ。さっきまで一緒に話していたじゃないか。棚橋さんとも約束しただろ。一緒に生きてここから出るって。うっ‥‥ううう‥‥‥」
海藤の泣き声は嗚咽に変わった。
脳内では宗宮と出会った時から昨日までの記憶が、まるで巻き戻されたビデオテープが再生されたかのようにフラッシュバックした。
(俺は宗宮を守ることができなかった‥‥。先輩として失格だ‥‥。それ以前に男として失格だ‥‥。どうして俺は尻もちなんてついたんだ‥‥。どうしてもっと速く走れなかったんだ‥‥。そもそも『やるよ』って言い出したのは俺だ。棚橋さんは反対してたじゃないか‥‥。宗宮はあんなに怖がっていたじゃないか‥‥。国府さんだって奥さんがいるのに‥‥。みんなを巻き込んだのは俺だ‥‥。悔やんでも悔やみきれない。時間を巻き戻せるなら巻き戻したい‥‥。棚橋さんは必死に俺たちを守り通したというのに‥‥。宗宮を失うって思ってなかった。一緒にここから脱出できるって思ってた。明日も宗宮に会えるって当たり前のように思ってた。ごめん‥‥。ごめんよ‥‥。本当に、ごめん‥‥。
俺は、最後の最後まで素直になれなかった。俺も宗宮とお疲れ様会やるの楽しみだったんだ。昨日の夜中布団かぶって寝ながら話してた時にそう言ってくれたね。照れ臭かったけど嬉しかった。ここから無事脱出して宗宮ん家でタコパをしてるところイメージしてるくらいだから。
はぁ‥‥宗宮。君はずるいよ。俺がさっき『思ったことはちゃんと言葉にする』って約束したばかりなのにさ、先に自分の想いを言葉にするなんて。せめてその言葉だけは、俺が先に伝えるべきだろ。なのにさぁ‥‥、もう宗宮に気持ち伝えられないじゃないか。
もう、本当に君に会えないのかな。なんか信じられないや。また笑顔で
『俺と出会ってくれて、ありがとう』
———はは。やっぱり自分の気持ちを素直に伝えるってちょっと恥ずかしいな‥‥‥)
海藤は、宗宮を抱き寄せたまま涙を流し続けた。
第50話へ続く・・・。
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