第46話 死闘~ 八城 伸 VS 山羊【後編】

(この症状は出血毒の類か‥‥。神経毒ではないな。ヤツの大鎌にそんな仕込みが施されているとは気が付かなかった)


 たしかに八城は第一波で5体の人造人間の観察をしてきた。山羊の動向も探っていたが、大鎌で切られた客達はほとんどが即死だったので、毒の症状で死んだ人間がいることまでは判断できなかったのだ。


 出血毒は、主に蛇や蜘蛛がもつ毒液である。神経毒に比べて死に至る過程は遅いが、じわじわと体を蝕む怖ろしい毒だ。この毒に侵された場合、血液凝固を阻害し出血が止まらなくなることで、血圧低下、内臓不全、呼吸不全、意識障害、視力低下等を引き起こす。日本でもマムシやヤマカガシに咬まれ、蛇咬症による出血毒で死亡する例は少なくない。


「随分と面倒なこと、してくれましたね‥‥」

(もしこれが出血毒ならプロテアーゼの作用で出血は止まらなくなる。血液循環が阻害され様々な障害も出てくるだろう。現に出始めている。さらに腹部の出血も追打ちとなっている。山羊は間違いなく出血性ショック死を狙っている‥‥。なんてヤツだ。もはや時間の問題か‥‥‥)

 八城はそう分析し、腹部に刺さったナイフは抜かなかった。出血がひどくなることを避けたのだ。しかし、この闘いと閉鎖が長引けば自分の命が尽きることを悟った。刻一刻と死が近づいてくる恐怖。じわじわと追いつめる山羊の殺し方は残虐の極みである。

 かすんだ視界で山羊に目を向けると、山羊は体を小刻みに揺らしていた。不可解な様子を目の当たりにしたその時、、、



 バァサァァァァ!!



 かさるような音が聞こえたのと同時に、山羊は立ち上がったのだ。


「な‥‥、なぜだ。なぜ立ち上がれる!? はぁ、はぁ‥‥」

(!? いや、違う! こいつは‥‥‥浮いている!?)

 八城は自分の目を疑った。毒の影響での幻覚かとも思い目をこすった。


「フフ‥‥‥、フ フ フ フ フ フ フ、、」

 山羊は笑っている。八城がひざまづいて苦しんでいる姿を見下ろしながらあざ笑っているのだ。

 背中から黒く不気味なコウモリの翼のようなものが生え、数十センチほど浮いているのだ。


 バァサァァ、バァサァァ、バァサァァ、バァサァァ、、、、


 山羊は両翼を上下に揺らしながら空中浮揚している。

 そして、黒いレインコートを引きちぎり筋肉質な上半身が露になった。胸にはサバイバルナイフが突き刺さったままで、床にはぽたぽたと血が滴っている。

 八城はそれを見て山羊の飛び方にぎこちなさを感じた。あの翼を動かすとなれば背筋の運動量も大きいだろう。八城が突き刺した2カ所の急所の傷がじわじわと効いておりフラフラと浮遊している。

 しかし、山羊は痛みに悶えることはなく嘲笑いながら大鎌を向けた。

「フフフフフフフ、フフフフフフ、フフフ‥‥」


「悪魔め‥‥」

 八城は唇を嚙んだ。(ヤツの第2形態ってところか)

 意識が朦朧とする中で周囲を見渡した。を思いつき、力を振り絞り立ち上がった。

(このままではあの毒鎌にバッサリやられてゲームオーバーだ。一か八か‥‥、賭けですね)

 そう思い、腹を押さえながら走り出した。


「フフフフ‥‥、フフ フフフフ‥‥」

 山羊は不気味な笑い声をあげながら、バサァ、バサァと翼を動かしながら追ってきた。


 八城は走りながら目を閉じた。

(はぁ‥‥、はぁ‥‥、僕はここで死ぬわけにはいかない。ここで死んだらみんなに顔向けできない。どんな顔して死ねばいいんだ。山羊は僕が絶対に食い止める。抹殺する。そう決めたじゃないか。僕はずっと精神医学の研究を積み重ね、多くの患者を相手に治療をしてきた。自分の受け持つ患者に対して独自の研究から見出した治療法がある。その治療法を自分に施術したらどうだ? リスクは高いが良い機会だ。自分の体で実験しよう。そうすれば一時的ではあるがこの痛みは和らぐだろう。ほんの命繋ぎだ。僕の体がもつかはわからないけど、それしか方法は無い‥‥。そして、あの扉のところに辿り着くまででいい。己の精神の限界を超えろ‥‥‥)


(—―—―—メンタルブレイク‥‥)


「フフ フフフフ‥‥」バァサァァ、バァサァァ、

 山羊は大鎌を大きく後ろへ引き、走る八城に振りかざした。


 シュパッ


「ンンン‥‥?」

 山羊の攻撃はかわされた。確実に捉えたはずだった。しかし、まるで影でも切ったかのように肉を断った感触がなかったのだ。


 八城は山羊の数歩先で背中を向けて立っている。体を左右に少し揺らして、髪がゆらゆらとなびいている。


「‥‥‥‥‥‥‥」

 八城の様子がどこか変だ。いつの間にそこにいたのか、どうやってかわしたのか、山羊にはわからなかった。


 その時、八城が急に振り返り、ニタ~ッと不適な笑みを浮かべた。

 人間の心を持ち合わせていない山羊でも、八城の異様な雰囲気を感じとった。

 そして突然、

「‥‥‥ぎゃあぁははははははははははははっ!! 俺はここで死ぬのか!? そうなのか!? 無視するなよクソ山羊がっ! もう何もかもぶっ壊れればいい! お前がその気なら、お前を先にぶっ殺す! お前は完全体になんかなれねぇよバァカが!! 己の無力さに落胆しろ」

 八城の穏やかな口調から一変した。雰囲気も、表情も性格も全て。まるで全くの別人格へと変貌したのだ。


 —―——『メンタルブレイク』————

 それは、八城が独自の研究から、重いうつ病、統合失調症、解離性障害、自閉症などの患者に対して処置する特別な治療法のことである。

 これらの精神疾患の中で、極度の精神的ストレスや恐怖心が原因から、ステージ4に達してしまう患者がいる。自分の殻に閉じこもり、幻覚や幻聴を感じたり、自ら社会との関係や人とのコミュニケーションを完全に遮断したりする傾向にある。最悪の場合、自殺にまで発展する可能性もあるのだ。

 ステージ4に達した精神病患者には、普通の治療法では回復の兆しを見出す事は困難とされる。そこで八城式暗示術により、社会との繋がりを閉ざしている分厚い殻を破壊し、もうひとつの別人格を形成させる。どんな人格が生まれるかはわからない。どんな人格であれ、その別人格を育て上げ本来の人格に戻していくという術である。それがメンタルブレイクという八城しか扱うことのできない禁断の暗示術なのだ。しかし、まだ未完成な治療法で実験の最中でもあった。

 八城は、そのメンタルブレイクを自分にかけたのだ。『死』という恐怖と、自分はここで死ぬわけにはいかない、という極度の精神的ストレスを材料にして。


 メンタルブレイクを自分にかけることで、別人格を形成し、脳から分泌されるアドレナリンの作用によって痛みの緩和と、強制的に血液循環を促進し血圧低下や意識障害の緩和を図ろうとしたのだ。八城に関しては、偶々攻撃的な別人格が形成されたのだった。

 また、肉体的には大きなリスクが伴う。出血や毒が回る事に拍車がかかる可能性が大きい。今の八城の状態だと、メンタルブレイクを自分の肉体に対して発動し続けられる時間は、もって5分が限界だろう。そのたった5分間で、山羊を倒さなければならない強引な判断であり、一時的な気休め程度にしかならないかもしれない。

 —―——八城の思いついた『あること』とはこのことだったのだ。自分の肉体と精神を犠牲にして、山羊を殺すという苦肉の策であった。

 


 山羊は翼を動かしながら、大鎌を振り下ろしてきた。


 バァサァァ、バァサァァ、 ガシャアァァァァンッ!


 しかし、また八城は目の前から消え捉えることができなかった。


 ダンッ!

 八城は商品棚を蹴り上げ、その反動で飛び上がり山羊の首元を柳刃包丁で切り裂いた。

「コノヤロォッ!! 死ねぇーーー」


 プシャーーッ 山羊は首から出血し、翼を動かしながらよろけた。

「ウゥゥゥ‥‥」


「ちくしょうがっ! てめぇがゆらゆら動くから動脈切り損ねたじゃねぇかよぉっ」

 八城の目は完全にイっている。焦点が定まっていない。両目が充血し真っ赤に染まっている。


 タッタッタッタッタッタッタッタッ 

 八城は総菜コーナーの横にあるバックヤード入口に目を向けて真っ先に走り出した。

「おい、こっちだボケェ」


「フフフフ フフ フ フ」

 

 フォンフォンフォンフォンフォン  シャンッ! シャンッ!

 山羊は大鎌を回しながら、左右から振るってきた。


 八城は大きく飛び跳ね、バク宙しながら攻撃をかわした。その動きは阿古谷の運動神経をも超えているかもしれない。

「そんなノロい攻撃が当たるとでも思ってんのかよっ、カスッ」

 山羊はどんどん八城から引き離されていく。


 バサァー、バサァー、 山羊はしつこく追ってくる。


 プシュッ! 

 左腕の切り傷から血が噴き出した。

「ゲホッ‥‥」 八城は吐血した。全身に毒が回ってきているのだ。しかし何事も無かったかのように走り続ける。吐血しようが何も気にしていない。


 そして、バックヤードの扉の前まで到達した。山羊もひたすら追ってくる。

「ぎゃはははははははっーーーーーーーー」

 八城は扉を蹴っ飛ばて豪快に開けた。

 バックヤードに入り、すぐ右手にある出入り口の扉をこじ開けて中に入っていった。そこは総菜を作るキッチンだった。


「ぎゃはははははははははははぁ!! 壊しちまえっ」


 ダンッ、ダンッ、 バンッ、バンッ、


 八城はガスの元栓に繋がったチューブを柳刃包丁で乱雑に切断していった。


 スゥーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、、、、


 ガスが漏れる音とともに、一気にガスが充満してきた。

「はぁぁぁ、いい匂いだなぁぁぁ。ぎゃははははははは!!」

(うぇっ‥‥‥)

 八城は吐き気を催しながら、目からは涙が流れるような血が流れた。眼球の毛細血管が破裂したのだ。

「くそっ、見えづれぇ‥‥」


 バァサァァ、バァサァァ、  バアァァンッ

 山羊もそのままキッチンに入ってきた。大鎌を後ろに大きく引いている。


 八城は逆方向にあるもうひとつの出入り口の扉の方へ走っていき、ポケットからジッポーライターを取り出した。


 ジュポッ‥‥


 ライターを点火させて放り投げた。

「吹っ飛べ、雑魚がっ」


「フフフフ フフ フ フ フ」

 山羊も大鎌をブーメランのように投げてきた。


 フォンフォンフォンフォンフォンフォンフォンフォンフォン‥‥!!


 

 ボォォォォォォォォォォォォォォォォオオオオッ!!

 あたり一面青い炎が燃え拡がり、


 ズドガァァァァァァァアアアアーーーーーーンンン!!


 爆発した。


 八城は、その爆風で勢いよく出入り口の扉を突き破り、キッチンの外へと吹っ飛ばされ壁に激突した。

「がはっ!」そのまま気を失った。


 フォンフォンフォンフォンフォン、 ガアァンッ!!

 山羊の投げてきた大鎌は、八城の頭上に突き刺さった。もし倒れていなかったら頭に突き刺さっていたかもしれない。


 山羊は爆発で木っ端微塵になり即死した。


 キッチン内の壁は山羊の飛び血で染まった。キッチンはぐちゃぐちゃになったが、壁は傷ひとつ付いていなかった。恐らく、壁も自動ドアのガラス素材のように何か特殊な加工が成されていたのだろう。

 

 それから数分が経過し、

「ゲホ、ゲホッ‥‥、ゲホォ‥‥、うっ、うぅ」

 八城はむせながら目を覚ました。

 頭や口、目、ナイフが刺さっている腹部から血が流れ、左腕の切り傷もさらに紫色に腫れあがり出血が止まらない。もはや左腕の感覚が無い。出血が多く顔色が蒼白している。


「はぁ‥‥はぁ‥‥、ぼ、僕は‥‥まだ生きて‥‥いる、のか?」

 壁に激突したせいか、体のダメージが蓄積したせいかはわからないが、八城の人格は元に戻っていた。


「あぁそうか、ゲホッゲホッ‥‥、殺ったん‥‥だな。僕はもう、動けそうにありま‥‥せんね。あとは‥‥任せます。みんなは‥‥絶対に、生きてここから‥‥出てくだ、さい、ね‥‥‥」


 八城はそう言い残し胸を強く押さえてから動かなくなった。



第47話へ続く・・・。

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