第4話 藤原 洋臣
9月5日の出来事だった。
プルルルル‥‥。
藤原に一本の電話が入った。SoCoモバイルショップ宮神店店長の松江 俊介からだった。
「はい、藤原です」
「お忙しいところすみません。いつもお世話になっております。藤原さん、今ってお電話大丈夫でしょうか?」
「大丈夫ですよ。どうかしましたか?」
「あのですね、イベント場所の件で折り入ってご相談がございまして」
「場所についてですか」
「そうなんです。いつもイベント場所を仲介して頂いて助かっております。そこで、個人的に無理を承知ではあるんですけど、ある場所でイベントを開催したいと目星をつけている所があるんです。自分なりの案も資料でまとめてみたんですが、それも兼ねて藤原さんに相談をしたいなと‥‥」
松江は慎重に話始めた。
「なるほどですね。その場所はどこをお考えなんですか?」
藤原は聞き返した。
「来月、白別町にグランドオープンするスーパーダイドーです」
「あのダイドーですか! ニュースでも騒がれてますもんね」
藤原は驚嘆した。
なぜなら、新オープンの大型施設等でイベントや催事を行う場合、まずその施設は多くの客で賑わうのが予想される。関係者もスタッフもオペレーション等が不完全の場合もあるし、ある意味オープンしたばかりというのは店全体が緊張状態にある。
そんな中で、『無理やり引き留められた』、『キャッチがしつこい』等の、客からクレームを万が一受けた場合、その施設のスタッフに多大な迷惑がかかり、二度とイベントを打てなくなる可能性もあるからだ。
本来であれば、オープンしたばかりの施設でイベントスペースを貸してもらう交渉をする場合、2~3ヶ月様子を見るのが藤原の中ではルールだった。
「無理を承知で考えてみたんです。ただ、もしそこでPRイベントが打てればチャンスかなと思いまして」
「確かにおっしゃる通りですね。かなりの人が来るだろうし、乗り換えも結構出せるかもしれませんよね」
「ハードルはかなり高いとは思います。単刀直入に申し上げますと、藤原さんにスーパーダイドーでの場所取りの依頼をしたい、というのが正直な気持ちなんです。藤原さんの最強営業力でなんとかなりませんか?」
松江の一気に10月から攻めていきたいという感情がヒシヒシと伝わる。
「わー‥‥かりました。なんとかしましょう。松江さんがまとめたっていう資料も気になりますねー。あ、松江さんって今お店にいらっしゃいます?」
「え、あっはい、おりますが」
「今からお邪魔しても良いですか? ちょうど自分もオフィスにおりまして、仕事が一段落したところだったんで」
藤原がクライアントから絶大なる信頼を掴んでいるのも、このフットワークの軽さである。
藤原はやってもいないのに自分の仕事の限界点を決めてしまうのは嫌いなのだ。
「来て下さるんですか!? 私は大丈夫なのですが、資料はメールで送ろうかと思っていたんです」
「いえ、直接拝見させていただきますよ。直接見るからこそ見えないものも見えるかもしれないですし」
藤原はそう言った。
「わざわざ来て頂けるなんてありがたい。それでは、私も準備しながらお待ちしております。お気をつけてお越しください」
「えぇ。ありがとうございます。それでは後ほど」
藤原は電話を切った。
(大変なことになったな。グランドオープンのダイドーか。落ち着いた頃にアポしようという程度で考えてはいたが。さすが松江さんだ。攻めるねー。最悪あの手を使うか)
電話を切った後、藤原はそうボソボソと呟いた。
「藤原さん、なんか忙しそうですね。またなんか依頼されたんでしょ?」
事務の
——林崎 郁美——
27歳。事務の人間ではあるが、経理の仕事も一緒にこなす敏腕だ。痩せ型で、身長は165cm。茶髪で背中くらいまでの長髪をいつも巻き髪のようにセットアップしている美人さん。紺色のパンツでジャケット姿は如何にも仕事ができるオーラを放つOLだ。オフィスの番人でもある。
「まあちょっとな。今から宮神店行って来るからイクちゃんオフィス頼むわ」
「はいはーい。お気をつけてー。安全運転ですよー」
林崎は軽いノリでそう言った。
「はいよ。行ってきまーす」
藤原は椅子の背もたれにかけていたグレーのジャケットを羽織りオフィスを出た。
♢
藤原は車を20分ほど走らせて、SoCoモバイルショップ宮神店に到着した。
時刻は14時を回っていた。
―――ピンポーン
藤原は裏にあるスタッフ用出入り口の扉のチャイムを鳴らした。
『藤原さん! お待ちしておりました。今開けますね』
松江の声がインターホン越しから聞こえた。カメラで藤原を確認したのだろう。
ガチャ。
扉が開き松江が出迎えた。
「どうぞどうぞ」
「急にすみませんね」
藤原は軽く一礼しながらショップ内に入っていった。
「いえいえ。私がお願いしたことですから」
松江は申し訳なさそうにそう言った。
「先にあちらの会議室でお掛けになってお待ち下さい。コーヒー淹れてきますから。あと先程の資料もテーブルに置いてありますので見てくださっても構いません」
「ありがとうございます。では先に拝見しておりますね」
藤原はバックヤードの奥にある会議室に向かった。
その時、たまたまバックヤードにSIMカードを取りに来た宗宮 歩美が、目を丸くし全力で手を振ってきた。藤原はにこりと会釈をして手を振り返しながら会議室に入っていった。
会議室は奥のホワイトボードを中心に、テーブルがコの字に3つ並べられていた。資料が置かれているテーブルの椅子に腰を下ろした。
(どれどれ~)
藤原は松江の作った『作戦資料』と書かれた5枚ほどホチキス留めされた紙に目を通した。
その資料には、
・イベント開催期間:2〇XX年、10/4~10/7 計4日間
・アドバイザーの必要経費予算と、場所代予算
・スマホ本体の特価割引施策と、SIМのみ乗り換えの方へのキャッシュバック
・イベントブースの配置イメージ図(仮)
・ガラポンの導入の各賞(仮)と、ノベルティの種類
・4日間の獲得目標:『乗り換え16件以上、星名ちゃんネル登録件数○件、‥‥etc』
・投入スタッフと、社用車について
等の詳細が、細かく記載されていた。
かなりの企業秘密な内容だ。
メールで受け取らなくて正解だったと藤原は思った。
そして、松江が入ってきた。
「今日は本当にどうもありがとうございました」
松江は淹れたてのコーヒーを藤原の前に置いた。
「いえいえ。この資料に目を通していたらやはり直接お邪魔して良かったと思いましたよ—――あ、コーヒーありがとうございます。いただきます」
藤原はその資料について確認したいことを考えていた。そこからまた自分の提案と、松江の考えを練り合わせながら作戦を考えよう思った。
「こうして直接藤原さんにお会いして相談したかったんです。ただ、わざわざ呼び出すのもなーって思ったりで」
「こうして2人で打ち合わせっていうのもなんか久々ですね」
「そうですよね。 どうですか? この資料見て」
「凄いですね。いつ考えたんですか?」
「3日前くらいですね」
「素晴らしい内容です。必要経費に関しても、金額は今までと変わりませんからこのお値段で大丈夫です。ノベルティにも力入れましたね」
藤原は感心した。
「そうなんですよ。あとはダイドーでイベントが決まればすぐにでも発注する予定です。運営費にもまだ少し余裕があったので少し豪華にしたいなと」
一般的に携帯電話のイベントでは、声かけして『アンケートにご協力いただければ景品をプレゼント!』だとか、『無料抽選会開催中! だれでも参加無料!』などの謳い文句に客の足を止めるものが多い。
ボックスティッシュやラップ、食器用洗剤等のノベルティをブースに山積みにして豪華に魅せるのだ。
「ノベルティもショボいとブースのインパクトが欠けますし、客目線でガラポンを回す楽しみもありませんからね。ガラポンの導入も大正解だと思いますよ」
「そうです。あの大きなガラポンを置けるスペースのイベント会場はそうありませんからね。ダイドーでイベントを開催するとしたら、広いスペースになることを予想して、そのイメージ図に盛り込みました」
松江は自分の作った資料の経緯を述べた。
その資料には、ブース構えの図が記載されており、ガラポンやバックパネルの置く位置や、使うポスターの種類など事細かく描かれいた。
「獲得目標の数字に関しても、ダイドーでの開催なら無理な数字でもない」
藤原は無理なことは無理とはっきり言うタイプだが肯定する。
「4日間くらいは出来ればやりたいなーと考えています。あくまでも目標ですから、これぐらい獲得出来れば、10月から良いスタートを切れるなと思ってるくらいです」
「あとはダイドーが許可を出すかってことですね」
藤原が腕を組み一呼吸置きながらそう言った。
「はい、そうなんです。なんとかなりませんか?」
松江は藤原の目をじっと見つめながらそう訊いた。
「来月は10月ですから……、第3四表期の初月ですか」
「そうなんですよ。うちも運営費に余裕を持って営業できているのも、もちろん藤原さんや国府さんのお力添えがあってこそです。この勢いで、第3四表期のスタートでこけてしまったら元も子もない。10月から飛ばしていけたら宮神店の威厳を保てるかと。ただ、うちの代理店でいちばん成績が良いショップは東和店です。東和店を超えてみたいというのも私の想いでもあります。藤原さんが東和店に入っていた頃が懐かしいですね」
松江が自店舗に対する想いを具体的に伝えた。
「東和店ねー。確かにあそこは立ち直させたこともあったっけ。あはははは。懐かしいですね。でも松江さんこそ戦略家だから宮神店は安定営業できてるじゃないですか」
「なにをおっしゃる。皆様のおかげです。ありがたいことですよ」
松江は笑みを浮かべながらコーヒーを啜った。
「わかりました。 松江さん、この件一旦私に預けてください。考えがあります」
藤原は思った。『やはりあの手を使うしかないか』、と。
この一件に関してはそれしか方法はない。そう確信に変わった。諸刃の剣に近いかもしれないが、藤原の中で戦うための武器が決まった。
「え? 考えって?」
松江は驚きを隠せずに訊いた。
「今はまだ言えません。もし許可が出て開催が決まればその経緯をお伝えします。だから一旦私に。ただ100%の保障は出来ない事だけご理解ください」
藤原はそう言った。
「わかりました。よろしくお願いします」
松江は深々と頭を下げた。
「では、私はこれから動きます。今日のところは一旦御暇(おいとま)させていただきます」
藤原は残りのコーヒーを全て飲み干した。
「今日は貴重なお時間ありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました」
藤原はスタッフ用出入り口から出た。松江も見送りに顔を出している。
車のエンジンをかけ、時計に目を向けた時、15時を回っていた。
第5話へ続く・・・。
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