第25話 殺戮 —サツリク— ④

「はぁぁっ!」

 気合のこもった女性の声が響いていた。100円ショップととぐち書店の間の歩行通路からだ。


「えいっ!」、「やっ!」、「はぁぁ!!」


 ドゴッ!


 とぐち書店の本棚に後退りしながら、勢いよく背中をぶつけ怯んだのは兎だ。左手で胸を押さえて、その女性を睨みつけるかのようにじっと顔を向ける。


 その女性は兎に拳一杯の力で上段突きを食らわしたのだ。

 肩幅よりもやや両足を開き、重心を落として構えている。両手のてのひらは空気にそっと添えるかのように優しく開いて兎に向けられている。

 何かの武道の構えのようだ。


 その女性は、細身体型で165㎝くらい。

 艶やかなラベンダーベージュ色の髪を後ろに束ね、茶色のハンズクリップで留めており、前髪は横に流している。

 両腕に白いラインが入った黒いウインドブレーカーに、デニムショートパンツをはいている。


 40cm以上も身長差がある兎を、素手で吹っ飛ばすとは只者ではない。

 そして、女性は兎を睨みつけながら構えを解き、ウインドブレーカーのポケットに両手を入れ首を左右にポキポキと鳴らした。


「うちに勝てるとでも思った?」


 兎は右足をバネにして、左手の鉤爪かぎづめで切り裂こうと飛んで向かってきた。


 シャンッ!!


 その女性は上体を大きくずらしてかわした。


 ピョーン、

 シャンッ!!


 兎は高くジャンプして、両手で鉤爪を振り下ろしてきた。


 メキメキメキッ!


 その鉤爪は床に食い込む。

 女性は後ろへバク転して避けた。動きも身軽でかなりの運動神経の持ち主だ。


 兎が体勢を整える前に、女性は素早く兎の間合いに入り込んだ。

「はぁぁああっ!!」


 ドガッ! ドゴッ!!


 左拳で兎の下っ腹を殴り、怯んだ隙に体を半回転させ、兎の顎に強烈な足刀蹴そくとうげりをさらに食らわした。

 兎は飛ばされ後頭部から倒れたが、そのまま後転して立ち上がった。


「どう? 少しは効いたかしら」

 女性はウインドブレーカーのチャックを全開に開け、重心を落とし、また掌を兎に向けた。


 兎が右手の鉤爪を女性に向けて、今にも飛び掛かろうとしたその時、100円ショップの陳列棚の物影から、兎目掛けて2本の包丁が飛んできた。


 パキンッ、パキンッ


 兎はそれを鉤爪で振り払い、包丁が飛んできた方向に顔を向ける。



「女の子ひとりにそんな物騒なもの振り回しちゃいけませんね」

 女性もその声の主の方に目を向ける。


 八城だ。


 右手に刃渡り20cm以上もある牛刀を握り、グラデーションカラーの長髪をなびかせながらゆっくり歩いてきた。


 フシューーーー……、フシューーーー……、フシューーーー‥‥‥、


 兎の荒い呼吸音がマスクから漏らし、肩も大きく上下に揺れている。


「え、あんたは?」

 女性は急な八城の登場に戸惑いながら言った。


「僕はただの通りすがりです。仲良くしているところ邪魔してすみません」

「いやいや、仲良くなんかしてないし」

 女性は少し顔を引きらせた。


「そうでしたか。ただ、ヤツの精神状態は異常ですね」

 八城はそう言いながら、女性の隣に並んだ。

「あいつだけじゃないけどね。マジで許せない」

 女性は再び構えた。

「へぇー、じゃあ僕はの時間といきましょうかね」

 八城は呟くように言った。

「ん?」女性が八城の顔をチラッと見たその時、


 ピョーーーンッ!!


 兎は大きくジャンプして1階の歩行スペースに着地した。逃げた。


 八城と女性は手摺の柵から身を乗り出して1階を見下ろした。その時には兎の姿はもうどこにも無かった。

「チッ、逃げやがったなー」

 女性は舌打ちして言った。

「はぁ、今は去るもの追わずがベストでしょう」

 八城は小さな溜息をついてそう言った。

「あんた、名前は?」

「僕は八城 伸と申します。あなたのお名前は?」

「うちは阿古谷あこや ゆい。よろしく」

「こちらこそ。お怪我はありませんか?」

 八城は阿古谷の身体を心配した。

「うん、大丈夫だけど」

「よかったです。ところで、あなたの動きは凄いですね。武道家か何かですか?」

「まぁね。剛葉流ごうはりゅうといって、少林拳の古い流派なんだ」

「ゴウハリュウ……、ですか」

 八城は初めて聞く言葉に興味を示した。

「そう。こころざし強くかたくの意であるに、葉っぱのと書いて剛葉流。簡単にいうと、少林拳はまもりの武術でもあるんだけど、うちの流派は攻撃派な古い武術流派なんだ。うちの家系はそれを先祖代々受け継いでるんだよね」

「少林拳ですか。素晴らしいですね。じゃあご両親も同じく少林拳を?」

「そうだよ。父が師範なんだ。阿古谷家は剛葉流の道場を持ってるんだよ。門下生もいるし」

「それはすごいですね」

「剛葉流は、鋭い葉の如く敵を断つ、という精神で修行したうちの先祖の教えが受け継がれているんだ」

「鋭い葉の如く…、ですか」

「そう。手刀拳しゅとうけんってのが剛葉流の元々の根源なんだよ。今は禁術なんだけどね」

 阿古谷は自分の掌を見つめながらそう言った。


「手刀ってあの手で斬るという意味のアレですか?」

「そうそう。極めたら人間をも斬ることができると言われているくらい危険な拳になるの」

「だから今は禁術……ということですか。なるほど。阿古谷さんはそれができちゃうんですか?」


「さぁね。八城さんこそなんか、診察、とかなんとか言ってなかった? あれなに?」

 阿古谷は目を細めながら訊いた。

「あぁ、まー、その…、僕は医者だからね」

 八城はにこっと笑みを零しながら言った。

「えーーー! 医者なの!? その身なりで!? うっそだー!!」

 阿古谷はこの上ないほど目を丸くしてそう言った。

「嘘じゃないですが、まぁいいです。それより周りを見てください」

 八城は周囲を見渡す。

「うちは現実を受け止めるよ。ったく、なんでこう面倒に巻き込まれなきゃいけないかなー。ただ道場の掃除用品買いにきただけなのに」

「この状況、非現実的過ぎますね」

「何がこうさせているのかはわからないけど、今わかっていることはイカれた連中が大量殺人をしているってこと」

 阿古谷はウインドブレーカーのポケットに両手を入れながらそう言った。


「そうですね」

 八城は小さく頷く。

「てかなんでマシンガン持ってるヤツもいるの。銃とか卑怯だしね。日本で銃声聞いたの初めてだわ」

「同感です。今思うことは無限に出てきますが、優先順位を考えましょう。まずはこのフロアの生存者の確認と保護です。恐らく人数は少ないかもですが」

 八城は冷静に言った。

「わかった。行こう」

 阿古谷は八城についていく。


 ふたりはぐちゃぐちゃな100円ショップ内を歩き回った。

 多くの死体が転がっているのを見て目を背けたくなる思いだった。あの鋭い鉤爪で切り裂かれ、あちこちに血が飛び散っている。陳列棚の下敷きになって息絶えている人達、腕や足、頭など体の一部も転がっていたりした。


 『う……うぅっ、いてぇ…』

 『助けてくれ……』

 生存者だ。

 座りながら壁にもたれかかっている人が数人いた。歩きながらおおよそどのくらいの客が生存しているのか目視で確認し把握していった。とぐち書店やゲームコーナーも見て回った。


 結果、この2階フロアでの生存者は5名だけだった。

 八城と阿古谷を入れて7名。5人の生存者は皆怪我をしている。歩けないくらいの怪我をしている客には、八城と阿古谷は肩を貸しながら陳列棚の陰に隠すようにして座らせた。


「一旦はこのままにしておきましょう。状況を見て手当てします」

「またいつヤツらが襲ってくるかわからないからね」

 そう話しているその時、何か足音のような物音と、聞き慣れない変な音が交互に聞こえてきた。

 ふたりはその方向に目を向け驚愕した。


 スタッ、スタッ、スタッ、スタッ、スタッ、スタッ、


 ぐゔぁぁばぁぁぁぁぁぁあ゛ぁぁぁぁぁ‥‥‥


 ぱくっ、ぱくっ‥‥‥、むしゃ、むしゃ、むしゃ、むしゃ、


 スタッ、スタッ、スタッ、スタッ、スタッ、スタッ、スタッ、スタッ、


 ぐゔぁぁばぁぁぁぁぁぁ‥‥‥


 ぱくっ‥‥‥、むしゃ、むしゃ、むしゃ、むしゃ

 ぱくっ、ぱくっ‥‥‥、むしゃ、むしゃ、むしゃ、むしゃ、

  

「え‥‥!?」

 阿古谷はその光景に目が釘付けになった。

「あの腕の長さ、なんだ!?」

 八城は驚きを隠せなかった。

「あの腹なに!? え、口!? 化け物‥‥じゃん」

「その口で死体を食ってるのか。ヤツは羊のマスクか」

 八城は突然現れた羊をよく観察した。


「き、気持ち悪っ……」

 阿古谷は額から変な汗が流れるのを感じた。

「皆さん目を閉じていてください」

 八城は生存者達のいるところに戻り、羊の存在を知られる前にそう指示した。あの羊を見たら混乱を招いて犠牲者が増えると懸念したのだ。


 スタッ、スタッ、スタッ、スタッ、スタッ、スタッ、


 ぐゔぁぁばぁぁぁぁぁぁあ゛ぁぁぁぁぁ‥‥‥


 ぱくっ、ぱくっ‥‥‥、むしゃ、むしゃ、むしゃ、むしゃ、むしゃ、むしゃ、


 羊は最後の一口を咀嚼し終わった後、周囲をきょろきょろと見渡している。そして頭をぐるぐると回し、ぴたっ、と動きを止めた。そして、


 スタッ、スタッ、スタッ、スタッ、スタッ、スタッ、スタッ、スタッ、

 スタッ、スタッ、スタッ、スタッ、スタッ、スタッ‥‥‥‥‥‥


 羊は軽快なステップで歩きだし、どこかへ姿を消した。


 八城と阿古谷は数秒待った後、羊の気配が消えたことを確信し、羊が歩いて来た通路を見に行った。

「さっきまであった死体が全部無くなってる……」

 阿古谷は目を見開いている。


「……確かに。きれいに無くなってますね。血痕だけは残されています」

 さすがの八城も動揺を隠せないでいた。


「あんなのいたっけ!?」

「ずっと1階フロアのどこかにいたんでしょう。恐らく初めて5体が現れた時いちばん奥にいたヤツですね。少なくとも人ではありませんね」

 八城は落ち着いた口調に戻る。

「なんであいつ死体食ってたんだろ」

「…………、ふーん、なるほど。少しづつですがなんとなく見えてきました。ヤツらのことが」

 八城は腕を抱えながら、右手を顎に添えてそう言った。


「見えてきたって何が?」 

 阿古谷は訊く。

「ヤツら5体の行動パターンです」

「行動パターン?」

「そうです。阿古谷さんにお会いする前もヤツらのことは隠れながら観察してきました。その考察の点と点を線で結んだら見えてくるものがあります」

「なに? どんなこと?」

 阿古谷はまじまじと八城を見ながら訊く。

「後で教えますよ。それより合流したい人達がいます。殺されてなければの話ですが」

「合流したい人?」

「はい。阿古谷さんも嫌じゃなければこのまま一緒にきて欲しい」

 八城は阿古谷の目を見ながらそう言った。

「え、うん。うちは別にかまわないけど」

 阿古谷は二つ返事で承諾した。



第26話へ続く・・・。

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