第63話 世間とダイドー社

『大丈夫ですか!』


 オフィスに警察や救助隊が来たのは、通報してから10分後のことだった。林崎にとって数秒の経過さえも遅く感じた。心の中で何度も(早く! 早く!)と呪文のように唱えていた。

 藤原はすぐに担架に乗せられて、近くの市立病院に運ばれた。その後、林崎は警察からの事情聴取に追われた。見た光景のまま警察に全てを話し、防犯カメラ映像を見せて警察に佐藤という女の情報提供もした。


 佐藤はすぐに逮捕された。警戒巡回中の警察官が職務質問をしたところ、赤い鞄から藤原の血がべっとりと付着したメスが出てきたことによる準現行犯として佐藤の身柄を拘束したそうだ。今は幌平警察署に連行され、取り調べを受けているが黙秘を続けているらしい。



 ♢



 10月19日。あの悲惨かつ残虐なダイドー事件発生から2週間が過ぎた。優秀な医師達や発展した最新医療の甲斐もあって、藤原も国府も無事退院することができ、八城や鮫島達も一命を取り留め回復傾向にあるそうだ。

 この2週間、病院内は非常に慌ただしかった。救助された被害者達全員の身元が判明した後、自分の家族が救助されていない、つまり犠牲になったとわかった被害者遺族達の悲鳴や泣き声、警察関係者やマスコミ関係者の出入りなど、多くの人間が北悠会病院に押し寄せたのだ。病院側もその対応に対して大変そうだった。


 ダイドー事件は、過去にも類を見ないほどの最凶最悪な事件として、大きく世間を震撼させ恐怖の渦に巻き込んだ。

 全国ニュースでは、ダイドー事件で独占されていたし、警察組織もダイドーへの捜査に追われた。警視庁と白別中央警察署内では、相馬達の働きかけもあり特別捜査本部が立ち上げられ、共同して懸命な捜査が行われた。捜査本部は当事件を【スーパーダイドー無差別大虐殺事件】と名付けた。ニュースでもそう報道されている。


 捜査は規模のデカさ故に難航したが、会社のトップの人間達が秘密裏にスーパーダイドー内での監禁かつ大量殺人に関わっていたことが明らかになり、都内本社、白都支社へのガサ入れが行われた。

 藤原が提供したボイスレコーダーの録音音声も捜査をし易くした大きな手掛かりになり、また、北悠会病院にも警察の人間が聞き込みでやってきたとき、国府や海藤、八城・鮫島・奥原・阿古谷にも情報提供を求めた。その情報もまた信憑性があり捜査に有効な情報だと判断された。中でも八城と奥原に関しては、スマホで撮影していた写真や動画を証拠物として提出した。人造人間の容姿の画像や、客達を殺しまくっている惨い動画データだ。証拠物を拝見した警察の人間は、顔が青ざめていたそうだ。

 浅川店長や富田 明海も、国府達、八城や鮫島達の勇気ある行動や、人造人間と命を懸けて対抗し消滅させたことも警察に事細かく説明をしたそうだ。


 しかし、ニュースではその全てが報道されているわけではなかった。人造人間のことは一切言及されていないのだ。ダイドー社のバイオ事業の人間が、ヒトと生物の遺伝子を違法操作していたというクローン技術規制法違反や倫理規定違反に触れていたくらいだった。

 報道では、ダイドーのトップの人間が何かしらの方法でスーパーダイドーに客達を監禁し大量殺人を行ったとして、殺害方法は有耶無耶な報道のされ方をしていた。恐らく、人造人間の話題まで報道されてしまうと社会的にさらなる混乱を生みかねないからだろう。前代未聞の事件が故に報道の仕方が難しいのだ。

 ただ報道されているニュースはダイドー事件の詳細ばかりではなかった。SoCoモバイル宮神店 店長だった松江 俊介の自殺の件や、藤原がオフィスで襲われた殺人未遂や、その犯人である佐藤が逮捕されたことも取り上げられニュースになっていた。警察の捜査からも、これらの事件は全て関係しているのではないかという報道のされ方であった。

 そして、ダイドー事件の最大の謎ともいえる事態が起こった。事件の執行者であるダイドーのトップ陣達が行方をくらましたのだ。警察組織は、どんなに捜索しても見つけることができていない。

 唯一逮捕されたのは、副社長 大堂 秀策と、大堂 竜之介の妻であり秀策の母である 大堂 絹江きぬえのふたりだけだった。共犯の容疑で逮捕された。ふたりに関しては殺人の幇助ほうじょ・教唆の罪に問われた。

 その他ダイドー事件に主として携わった社長の大堂 竜之介、常務の坂田 廉治郎、バイオエコロジー部部長の坪井 甲太郎、ダイドーラボ室長の鵜飼 康友、計画執行責任者の植松 俊樹、神矢 行雄らは行方不明である。警察は逮捕したふたりから情報を聞き出していくそうだ。


 ♢


 相馬は藤原のオフィスでソファに腰を下ろし、藤原が出したコーヒーを啜っていた。藤原が聞いた相馬の情報からすると、今後のダイドー社が課せられる社会的な対応は、営業停止命令かつ上場廃止、株式発行停止、銀行取引停止処分などの行政処分として事実上倒産へと追い込まれることになるそうだ。また、失踪した容疑者計6名の全国指名手配も視野に入れていくとのことだった。

 この話を聞いて、藤原は(あっ!)と相馬に伝え忘れていたことがあったのを思い出した。

「相馬さんすみません。ひとつお伝えし忘れていたことがあります」

 藤原は申し訳なさそうにそう言った。

「なんでしょう」

「佐藤という女が私を殺しにかかる前に話していたんですが‥‥」

「えぇ」

 相馬は真っすぐに藤原の目を見る。

「神矢 行雄はもうとっくに死んでるって」

 藤原は俯いた。

「なんですって!?」

 相馬は驚いた。

「たしかに神矢さんとは今も一切電話が繋がっていない」

「そうなんですか。行方不明という情報しか今はわかっていなかったが‥‥」

「佐藤は神矢を裏切り者だと言っていました」

「裏切り者?」

「はい。恐らく私にダイドーの情報を話したことを指しています」

「神矢は藤原さんに録音されていることは知らなかったんですよね?」

「はい。知るはずがありません」

「佐藤が神矢を殺したんですかね?」

「いいえ。別の人間がやったそうです。その情報を聞いた私も邪魔者だと‥‥」

「だから藤原さんも消されそうになった。うーん、なるほど。そうなると3つの疑問点が出てきますね」

「3つの疑問点?‥‥ですか」

 藤原は少し眉間に皺が寄った。

「ひとつ目は誰が神矢 行雄を殺害したのか、ふたつ目は遺体はどこにあるのか、そして最後は神矢 行雄と藤原さんの会話がなぜ筒抜けだったのか。白都支社では神矢と藤原さんしかオフィスにいなかったんですよね?」

「はい。その通りです。ただ‥‥」

 藤原は言葉を詰まらせた。

「?」

 相馬は顔を少し近づけた。

「もし本当に神矢さんが殺されたのなら、もしかしたらという人物がいます」

「それは誰です?」

「白都支社の受付フロントには、いつもふたりの受付嬢がいました。そのうちのひとりは佐藤なんですが、もうひとりは『九頭竜』という珍しい名字の女性でした。ふたりとも一見普通の受付嬢ではありましたが、佐藤の正体があんな人物だったので、神矢を殺した犯人はもしかたらその九頭竜という受付嬢の可能性も否定できません」

「うーん、先日白都支社にはガサが入ってるんですが、神矢 行雄の遺体らしきものは出てこなかったし、九頭竜という珍しい名字の受付嬢がいたというのは聞いてないなぁ」

「間違いなく九頭竜という女性はいました。私はその女性と会話もしています。神矢さんとは会いに行く前には時間の確認等でアポを取っていまして、何かしらの方法でその電話の会話を盗み聞きされ、さらに神矢のオフィスに盗聴器か何かを仕掛けられていた可能性も考えられませんか?」

「盗聴か」

 相馬は腕を組んだ。

「はい。じゃないと会話が漏れる意味がわかりません」

「あとは遺体がどこにあるのかですね」

「それはまったく見当もつきませんね」

「うーん、わかりました。再度白都支社の情報を洗い出してみます」

 相馬はメモ帳にペンを走らせてそう言った。

「はい。よろしくお願いします」

 藤原は小さく頭を下げた。

 相馬はティーカップに残った冷めたコーヒーをぐいっと飲んでから立ち上がった。

「藤原さん、不審人物だと思ったら絶対オフィスに人を入れないでくださいね。このあたりは幌平署と連携を取りながら厳戒態勢を整えてはいますが、また佐藤みたいなイカれた奴がどこかに潜んでるかもしれませんから」

 相馬は出口に向かいながらそう言った。

「はい、わかりました」

「あ、あと藤原さん、あのスーパーダイドーにはもう近づかないように」

「えぇわかりました」

「まぁ敷地内には規制線張ってますから入れませんけどね」

「なんかあったんですか?」

 藤原はそう訊いたら、

 相馬は顔を近づけてきて、耳元で囁くようにこう言った。



「また閉じたみたいですよ‥‥



「えっ」

 藤原は目を丸くした。


「ありゃもうダメだ。二度と口を開くことはないでしょう。今はまた自動ドアにスモッグのような靄もかかってて中も覗けません」

「そんな! また誰か閉じ込められたりしたんじゃ‥‥?」

「いえ、いないとのことですよ。閉じたのは夜中だったみたいで。ダイドー敷地内警備の警官からの情報だと、夜中にいきなりブザー音がスーパー内から聞こえてきて、その後AIロボットのような音声が店内に響いたそうです。そしてゆっくりと口を閉じたんだそうです」

 それを聞いて藤原は思った。国府や海藤が言っていたのと同じだと。藤原はスーパーダイドーにみんなが閉じ込められた経緯も全て国府や海藤から話を聞いていたのですぐにわかった。

「もう鳥肌もんですよ。不気味にもほどがある。もはやホラー屋敷ですよあれは」

「ですね。やはり神矢さんが言っていた通りドアを割ったり取り壊すことは不可能なんでしょうか?」

 藤原は訊いた。

「念のため試してみたんですよ。でもまったく壊せる気配が無かった。専門家まで呼んで分析してもらったんですが、特殊な素材で造られていてガラス含め破壊するのは不可能だそうです。恐らく永久的にあのバケモノスーパーはあの場所にひっそりと聳え立ち続けるんでしょうね」

「白別町にとっては負の遺産ですね‥‥」

「まったくです」

 相馬は大きく頷く素振りを見せた。

「相馬さん、今日はわざわざご足労いただきありがとうございました」

 藤原は礼を言った。

「いえいえ仕事ですから。しかも藤原さんから貴重な情報をまた聞くことができましたし。じゃないと死人に指名手配をかけるところでしたから」

「良かったです。でも申し訳なかったです。殺されかけたせいで大事な情報を伝え漏れてしまいました」

「いいんです。その頬の傷はまだ痛みますか?」

 相馬は藤原のメスで切られた傷を指差しながら訊いた。

「もう大丈夫です。痕が消えてくれればもっと良いんですが」

 藤原は後頭部をぽりぽりと掻きながら言った。

「まぁ多少は消えるでしょうが、薄っすら残りそうですね」

「やっぱりそう思いますか」

「まぁ命があるだけ良かったですよほんと」

「ははは、ですね」

「それじゃあまた連絡します。では」

 相馬はそう言って、オフィスを出て行った。



第64話へ続く・・・。 

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