第8章 被害者の会

第64話 日常

 ♢


 10月20日、時刻は8時30分。国府が退院してから自宅で迎えた最初の朝だった。


「おはよう」

 国府はソファに座って朝のニュースを見ていた。

「おはよう、ゆっくり眠れた?」

「うん眠れたよ」

「よかった。ダイドーのニュース見てたんだ?」

 友里恵もテレビに目を向けた。

「まぁね、気になってさ。いまだ事件の首謀者は捕まってないって」

 ニュースには大堂 竜之介の顔の他に、事件に携わったであろう人物の顔と名前が出ていた。ただひとり、坂田 廉治郎に関しては名前だけで顔は出ていなかった。

「家族ぐるみの犯行だったわけでしょ?」

 友里恵は呆れた顔をしていた。

「そういうことだね。もはやテロリスト集団だわ」

「ほんとね。捕まったの息子と母親だけなんて」

「俺はもう二度と関わりたくないな」

「関わる必要ないよ。あとは警察や司法に任せよう」

「そうだな」

 友里恵はキッチンに向かっていった。国府は手伝おうとしたが、友里恵から「いいから安静にしてて」と、手伝うことを拒絶され、「そ、そう?」っと、しぶしぶソファに戻り、またテレビの画面に目をうつした。



 食卓テーブルには、きつね色にこんがり焼いたチーズのせトースト、パセリ入りコーンスープ、ミニトマト添えグリーンサラダにオニオンドレッシング、ハムエッグが並べられた。

「わぁ! うまそっ。友里恵の朝食なんて何年ぶりだよ」

 国府は朝食を見下ろしながら冗談交じりにそう言った。ただ国府にとってここ最近はずっと病院食だったし、あの悪夢の2日間を入れると相当長い月日が経ったかのように感じていた。

「何年ぶりって大袈裟ね。さぁ早く席について食べよー」

 友里恵は口角が上がる。国府の向かいの席に腰を下ろした。

 国府はトーストにがぶりとかじりつき、オニオンドレッシングを適量をかけてサラダを頬張った。友里恵はそんな国府の様子を黙ってみつめる。

「もぉーゆっくり食べなよー」

 早食い気味の国府を心配して友里恵はそう言った。そして友里恵もパンをひと口かじる。



「藤原さんも大変だったよね」

 友里恵はコーンスープを啜り、マグカップを置きながらそう言った。

「う、うん。事務の林崎さんから連絡を受けた時は驚いたね。まさか襲われるなんて」

「ダイドー事件と繋がってるって言われてるよね」

「うん、俺もそれは間違いないと思う。藤原さんを襲った犯人は白都支社の受付嬢だったし」

「宮神店は今後どうなるの? 巧よくお店にも入ってたよね」

「まぁ当分の間は営業できないと思う。まさか松江さんが自殺するなんて思いもしなかった‥‥」

 国府は入院中も社長や林崎、仲間の社員から電話をもらい、励ましの言葉に加え色々と情報も得ていた。今となっては落胆や恐怖よりも、怒りが込み上げてくるくらいだった。どうして死ぬ必要の無い人達が命を落とさなきゃいけないんだ、どうして関係の無い人達が事件に巻き込まれなきゃならないんだ、と。

 しかし、その怒りを誰に向けていいのかわからなかった。


「私はね、巧が戻って来てくれたことは奇跡だと思ってる」

「え」

 国府は友里恵に顔を向けた。

「あんな事態に巻き込まれてさ」

「まぁいつ死んでもおかしくはなかった‥‥」

「よく帰って来てくれたね、巧」

「あぁ、ほんと心配かけた」

「ううん、おかえりなさい。もうどこにも行かないでね」

 友里恵は首を横に小さく振ってから、にこっと笑みを零してそう言った。

 国府は、フンッと鼻を鳴らして、「当たり前だろ」と言った。

「傷の具合はどう?」

「この通り調子いいよ」

 国府は両腕をぐるんと回してみせた。

「ならいいけど」

 友里恵はほっと安心した表情を見せた。

「う、うん」

 国府は少し照れ臭くなって、最後のひと口のトーストを喉の奥まで押し込んだ。

「あーそうだそうだ。無理ならいいんだけどさ、今日久しぶりにふたりで外に出ない?」

 友里恵はそう提案した。

「ん? 外? どっか行きたいところでもあるの?」

「まぁね。付き合ってよ」

「あ、うん。そうだなぁ」

 たしかにダイドー事件に巻き込まれてから、まともに外の空気を吸えていないと国府は思った。ダイドー事件に巻き込まれる前も、仕事付けで友里恵とどこかに出かけることもしていなかった。

「どう?」

 友里恵は国府の顔を覗き込むように見た。

「うん、ナイスアイデア」

 国府は親指を立てた。

「よかったー! 決まりね」

「いいけど、どこに行くんだ?」

「あのね、駅前の商業施設に大きな水族館が完成したんだよ」

「えっ、あの土地開発中的なところだよね。もう完成したんだ!? ずっとなんか工事してたもんね」

「そうなのー」

「俺がスーパーに閉じ込められてたとき幌平町は大盛り上がりだったってわけね」

 国府は頭をわざと大袈裟にガクッとさせた。

「まぁそういうことだけど、いいじゃん。気晴らし気晴らし!」

 友里恵は国府の背中をとんとんと軽く叩いた。

「よし、行こう。何時に家出る?」

「うーん、そうだねー。11時前には出ようよ。お昼もどっか食べに行こ」

「オッケー」

 国府は友里恵が元気づけようとしてくれているとわかった。

 病院でも暗い顔していたし、朝ニュースを見ている時の顔や、朝食を食べている時の顔もきっと暗くどんよりとした表情をしていたに違いない。事件に巻き込まれ、多くの人が殺され、また自分の仕事仲間までも目の前で殺されたことは、国府の心に大きな打撃を与えた。簡単に立ち直るのは困難なくらいにショックを受けていた。

 だが、ずっとこのままってわけにもいかない。前を向いて一歩踏み出さないといけない。自分の中の止まった時計の秒針をまた動かさないといけない、と退院してからもずっとそう考えてはいた。

 ニュースで明らかになってくる事件の真相を耳にするだけで、込み上げてくる怒りやショックが、国府の前向きになろうとする気持ちとバチバチにぶつかり合っていた。だからどう一歩踏み出していいかもわからなかった。


 友里恵は国府の背中を押そうとしていた。底の無い真っ暗な泥沼に沈みかけている国府を、手を差し伸べて引きずり出そうと。

 前を向くべきは友里恵も一緒なのだ。友里恵自身もこの上ないほど心配したし恐かった。

 よく『時間が解決してくれる』なんていうが、友里恵は時間の経過が心の解決に繋がるとは思えなかった。それよりも行動を共にして、1日でも早く日常に戻ることが最優先だと考えた。

 国府との出会いたての頃は、よくふたりでいろんな所へデートに行ったし、たくさん美味しいものも食べた。そんなノスタルジーな気持ちに浸りながらも、国府にそう提案することで、ふたり同時に一歩前進したいと考えた。だって夫婦なんだから、と。


 

 10時50分には家を出た。友里恵の運転で水族館が入ったという新設された商業施設に向かった。助手席は国府。

 車で20分ほど走らせると大きな建物が見えてきた。その建物に近づくにつれ人通りが多くなってきて、カップルや家族連れ、外国人観光客らしき人達で右往左往していた。

「なんか混んできたね」

 友里恵は十字交差点の信号に引っかかり、きょろきょろして言った。目の前では車すれすれに人々が行き交う。

「あの建物か、ん?」

 国府は建物の上の方に目を向けると、『SERAPIAセラピア』と書かれていた。

「セラピアっていうんだって、この商業施設」

 友里恵は真っすぐ進行方向を見ながら言った。

「へぇ。どんな意味なんだろ」

「さぁ~。あ、巧。駐車場の入口ググって欲しい」

「あぁはいはい」

 国府は生返事をして、スマホで検索をし始めた。ついでにセラピアの意味も調べてみた。

 信号が青に変わり、友里恵は車を発進させた。

「あの信号を左に曲がったところに屋内駐車場入り口があるってよ」

「オッケーありがと」

 友里恵は少し前のめり気味でハンドルを握る。

「ちなみにセラピアってギリシャ語で『癒し』って意味らしいよ。今の俺らにぴったりな場所ってことだ。あのアルファベットの綴りは違うみたいだけどね」

「そうなんだー。じゃあ思いっきり癒してもらいましょ」

 友里恵はハンドルを切り左折すると、警備員がオレンジ色の誘導棒を振っているのが見えた。誘導に従い中に入り駐車スペースを探したが、どの階も満車で屋上まで上がって行きやっと停めることができた。

「はぁやっと着いたぁー」

 友里恵は車を降りてから、両手を空に向けて伸びをしながらそう言った。

「すごい混んでるね。みんな水族館目当て?」

「まぁ色々お店が入ったみたいだからねー。買い物の人も多いと思うよ」

 ふたりはセラピアの中へ入っていった。

 多くの客達で賑わっている中で、飲食店や雑貨屋などを見て歩きながら水族館の階へ向かった。


 『青の水族館』。真新しいぴかぴかの床や壁、天井。見渡した雰囲気は他のショッピングエリアとは打って変わって、このフロアだけが別世界のようだった。

 受付は客で列を成し、その入口の奥は薄暗く、青色の照明が水槽や水に反射してこちらまで届いている。まるで海の世界へいざなっているかのようだった。

 国府はチケットを2枚購入し、スタッフからパンフレットを受け取り友里恵に渡した。

「いやぁ水族館なんて久しぶりだな。青の水族館か。雰囲気良いね」

 国府は辺りをきょろきょろしながらそう言った。

「ね! 来てよかったしょ? マイナスイオンに包まれてるーみたいな!」

「うん。まさに癒しスポットだな」

「さすがセラピア!」

 テンション爆上がりなふたりは、パンフレットを開きながら中へと入っていった。


 青の水族館は、このフロア全てが水族館なのでかなり広い。この水族館の目玉はペンギンに会えることと、幻の魚と言われているイトウが見られることだ。

 またアマゾンエリアや深海魚エリア、熱帯魚エリアなどフロア分けされていて子供から大人まで楽しめるよう工夫されていた。


「ねぇ! みてみて! この魚の顔! おじいちゃんみたいだよー」

 友里恵は、オオカミウオを指をさしながら言った。

「うわぁほんとだ! なんだこの魚っ」

 国府も水槽に顔を近づけて目を大きくした。頭部から目のまわりまでシワシワで、大きな口。迫力のある顔した魚にふたりは釘付けになった。

「へぇ、オオカミウオっていうんだぁ。貝とか噛み砕くんだってー!」

 友里恵は水槽に付けられているプレートを読みながら言った。


 ふたりはカニ歩きしながら全てのフロアを回った。ふたりの好奇心をいちばん掻き立てたのはペンギンエリアだった。ちょうど餌やりの時間とかぶり、ペンギン達がくちばしを素早く動かして魚を丸呑みして食べている光景は、テレビとかで見るよりも迫力があった。


「はぁーこれで全部まわったねー。楽しかったー!」

 友里恵は終始ご満悦のようすだった。

「俺はアマゾンエリアがお気に入りかな」

「見たことない魚ばっかりだったね。アザラシもかわいかった!」

「立って寝てたよね。あれは笑ったわ」

「ほんとね。いっぱい写真撮ったから家族ラインのアルバムに入れておくね」

 友里恵はスマホで撮った写真を指でスワイプしながら言った。

「おっサンキュー。俺も数枚だけ撮ったから入れとくわ」

 国府は見るのに夢中で、あまりスマホで写真を撮っていなかった。

「なんかまた混んできたみたいだしそろそろ出よっかー。お腹も空いてきちゃった」

「そうだな」

 国府は腕時計に目を向けると、時刻は13時30分を回っていた。

「出口はあっちだよ」

「はいよー」

 国府は友里恵が指をさす方向に目を向けた次の瞬間、


 トスンッ‥‥‥


(ん?)

 国府は右脇腹あたりに違和感を感じた。なにか棒のようなものでつっつかれた感覚だった。右脇腹。羊に負わされた怪我の場所。すぐさま辺りを見渡したが怪しい人影は見当たらなかった。むしろ家族連れやカップルばかり。でも確かに‥‥。


「巧ー、なにボーっとしてるのー? 早くー」

 友里恵はきょとんとした顔で見ている。

「お、おう」

 国府は急いで友里恵の隣に駆け寄った。

「どうしたの?」

「いや別に。なんでもない」(気のせいか‥‥)と国府は思い、気にしないことにした。

「お昼なに食べるー?」

 ふたりはランチの話をしながら水族館を出た。


 ランチは友里恵のリクエストでパスタ屋に入った。

「ここのパスタ美味しい! 巧はほんとカルボナーラ好きだよね」

 友里恵はトマトソースのバジルパスタをフォークに絡める。

「俺はクリームソース派だからねー。チーズとよく合うんよ」

「ねぇねぇ、デザートもいっちゃう?」

 友里恵はにやにやした顔でそう言った。

「友里恵はほんと甘いもの好きだよな。食べれんのかよ?」

「デザートは別腹だもん」

 友里恵は口を少し尖らせた。

 ふたりはパスタを食べ終わり、友里恵はまたメニュー表を開き始めた。

「パフェ食べたい!」

「はいはい、好きなの食べな」

「巧もあったら食べるくせにー」

「もちろん食べるよ」

「でしょー」

 友里恵はデザートのページを凝視する。

「決まった?」

「このチョコレートパフェがいい!」

 友里恵は30cmはあるであろう大きなパフェの写真を指さして言った。

「でっか」

「ふたりで食べよ!」


 そして、ふたりでパフェをつつきながら食べてから、駐車場に向かった。

「駐車場どっちだっけ?」

「入ってきたときあの雑貨屋があったから、そこ右曲がったところのエレベーターじゃない?」

「あ、そっかそっか」

 ふたりはエレベーターに向かって歩き始めたとき、国府は大きく後ろを振り返った。(!?)

「どうしたの?」

 友里恵はまたきょとんとした顔で訊いた。

「あ、いや、なんでもない」

「なーにー、可愛いでもいた?」

 友里恵は冗談交じりにそう言った。

「ばか。ちげーよ」

「なにさ?」

「あ、いやぁ‥‥なんか今じっと誰かに見られていたような‥‥」

 国府は目を細めて言った。

「はぁ? 自意識過剰男子ですかぁ?」

 友里恵はクスッと笑いながらそう言った。

「な! んなわけっ」

「はぁ聞いて損した。いいから行くよ。帰ろ帰ろ」

 友里恵は小さな溜息をついてからスタスタと先に行こうとしたので、国府は気にしないことにした。

「おい、おいてくなって!」



 家に着いたのは15時30分だった。

 国府は友里恵とデートらしいデートをしたのは久しぶりだった。友里恵に腕を組まれながらショッピングモールを歩き、水族館という空間で癒され、ふたりで楽しく食事をして笑い合って。


————日常に戻れたんだ。


 大切な人が側にいて、平和に生活ができて、安心できる場所がある。なんて幸せなことなんだ。あの地獄のような経験から、普段身近にある日常というのは当たり前なんかじゃない。

 あの時もし死んでいたらこんな日常は二度と訪れることはない。死んだら無しかない。仮に天国という世界が存在したとしても、友里恵をおいてそんな世界には行きたくない。日常こそが幸せなのだ。生きていることが幸せなのだ。ここまで日常があることを恋しく思うことはなかった。日常を送れることに感謝しなくてはならない。国府は、心の中に温かな眩しい光のようなモノが差し込んだ気がした。

「友里恵、今日はありがとうな」

「え、なんで?」

 友里恵は首を傾げた。

「あ、いやぁ。一緒に出かけようって提案してくれてさ。なんか日常が戻ってきたって思えたんだ」

 国府は少し照れながらそう言った。

「ふふ。なら良かった。私もすごく楽しかった」

 友里恵はそう言って鞄をおろし、洗面所に向かっていった。



 日が暮れてきた。

「もう18時かぁ。ちょっと腹減ってきたなぁ」

 国府はそう言いながらソファに腰を下ろした時、テーブルの隅に置いてあった1枚の紙に目に止まり手に取った。


—―———『被害者の会』と書かれたチラシだ。


 国府はそのチラシをじっと眺めていた。

(そういえば、これ藤原さんからもらったんだっけ)

 すると後ろから、「行ってみたら?」

 と友里恵が声をかけてきた。

「え」

 国府は友里恵に顔を向ける。

「それ行ってみたら? 心に大きな傷を負った人はたくさんいるでしょ。巧だってまだ完璧に癒えたわけじゃないし、なにか良いきっかけがあるかもしれないよ。ほら、他のセラピーだって同じ境遇の人同士が集まって心内を打ち明けることで回復傾向に向かうなんてこともあるじゃない?」

 友里恵は隣に腰を下ろしてチラシを覗き込んだ。

「俺はもう大丈夫だけど、うーん」

 国府はどうしようか悩んだ。

「まぁ無理して行くこともないけどね。巧が決めることだしさ」

「まぁ考えてみるよ」

「うん。そろそろ晩ご飯の支度しようと思うんだけど、なにか食べたいのある?」

 友里恵がそう訊くと、


「ビーフシチューがいいな」

 国府は即答した。


「ふふ。はいよ。待ってて。すぐ作るから」



第65話へ続く・・・。 

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