第55話 悪影
(首都圏 ダイドー本社 大堂N1ビル 植松 俊樹、自室オフィス)
時刻は16時55分。5体消滅後。
バンッ!!
植松はモニターを睨みながら、怒り任せにデスクを叩いた。
「どうなってる‥‥一体どうなってるんだっ!?」
モニターは自動ドアが開放され、救助隊や警察の人間がぞろぞろと入ってくる様子を映し出していた。
「あの人間どもは何者なんだ!? なぜ人間ごときが被検体を‥‥」
植松はモニター越しで、5体の被検体が国府達や、八城、鮫島達に消滅させられたところを一部始終観察していた。歯をキリキリキリと軋らせた。
とその時、
ガチャッ‥‥‥ コツコツコツコツコツ‥‥
扉が開く音がした。誰かがオフィスに入ってきて近づいてくる足音。
植松はその足音がする方向に目を向けると背筋が凍るような感覚に陥った。
「忙しいところ悪いね。首尾はどうかな? 上々かね」
「さ、坂田、常務‥‥」
「いやぁ経過がどうも気になってしまってね。君と一緒にモニター観察でもしようかと思って寄ってみたんだよ」
坂田常務は不敵な笑みを浮かべていた。
——坂田 廉治郎——
60歳、身長175cm。ダイドーの常務取締役。頭髪は茶髪と白髪まじり。前髪はやや長めだが、かきあげる感じで横に流している。切れ長の目。珍しい柄のネクタイ、グレー色のオーダーメイドスーツには薄っすらとストライプ柄が入っている。タイトに着こなしている風貌が常務としての品格が際立って見える。
いつからダイドーの常務取締役の地位に着いていたのかは不明。恐らくバイオエコロジー部ができた頃だと思われる。以前の常務取締役の人間は失踪している。
坂田が常務になってから、バイオエコロジー部は急成長を遂げ、その功績もあって大堂社長からは最も慕われている。
成功の為なら手段を
大堂社長とは裏で太いパイプで繋がっている。他の役職者や社員と比べて、坂田の場合、大堂社長に対する忠誠心や尊敬心があるのかは謎である。どのような理想を持ってヒュドラ―計画に参加しているのかも謎。ダイドーを今後どうしていきたいのかも謎。とにかく謎多き人物である。この男に関して言えるのは、敵に回してはならない、刺激してはならない、反抗してはならない、そして‥‥深く知りすぎてはいけない、ということだ。
「あ、あの‥‥」
植松は小刻みに震えていた。
「ん? どうした」
坂田常務は優しく問いかけるようにそう訊いた。
「た、、大っ変申し訳ございません!! 計画が失敗しましたぁ‥‥」
植松は深々と頭を下げた。
「失敗? どういうことかな?」
坂田常務はまた優しく問いかける。
「信じ難い事態が起こりまして‥‥」
「信じ難い事態?」
「え‥‥えぇ」
「まずそのモニターを見せなさい」
坂田常務はそう言って、植松はモニターの前から避けた。
「はい‥‥」
「ん? 開錠されているじゃないか」
「こんなはずではなかったんです。第二波で《天開》が完了する予定でした。しかし‥‥」
「ん?」
坂田常務は話しを聞こうとしている。植松はその態度を見て、許しを乞えばまたチャンスをくれるかもしれない、そう思った。
「まさかですが、生き残った人間どもに被検体全て消滅させられました‥‥」
「消滅? 人間にやられたってことか?」
「‥‥‥はい。5体全てを、です」
「まさかそんなことがあり得るのかね?」
「い、いえ‥‥、ただ人間離れした動きをする小娘や、模造刀で馬被検体の首を刎ねた男、火炎放射器を作り出してそれで殺されたり‥‥、もうわけがわかりません」
「あれだけの人間を閉じ込めたんだ。ひとりやふたり抗う奴が出てきてもおかしくはないが、本当にやられてしまうとはな」
「こんなこと予想もできませんでした。大誤算です‥‥」
「なぁ植松」
「はい‥‥」
植松は俯きながら返事をした。
「神矢のやり方の方が正しかったんじゃないのか? 5体の一斉放出は間違いだった、ということだよな?」
「そんな筈はっ。私のやり方でいけば間違いなく被検体の急成長に——」
「現に失敗しているではないか。貴重な被検体が5体全て葬られ、おまけに第一波のサンプルデータもお釈迦になったというわけだよな」
「そ、それは‥‥‥」
植松は返す言葉が見当たらなかった。
「さらには面倒なことにダイドーも開錠させられた。警察や消防とか無駄に騒ぎ出すしな。メディアも黙っちゃいないだろう。今回のこの失敗はヒュドラ―計画に多大な不利益、損害をもたらすことになるが」
「申し訳ございませんっ!」
植松はまた深々と頭を下げた。坂田常務の顔を見ることが怖くなった。
「大堂社長になんて報告する気だ? このままだと顔向けできんよな」
坂田常務の声色が徐々に重たくなった。
「うぅ‥‥」
「まぁいい。計画執行責任者は君だ。君にも考えがあってのことだったのだろう?」
「はい」
植松は顔を上げた。坂田常務と目を合わせた。もう一度チャンスが欲しいというような真剣な眼差しを向けた。
「失敗することは悪い事ではない。だが損失が大きいとは思わないか?」
「はい、おっしゃる通りです‥‥」
「つまりはだ。本来は我々の被検体が人間に殺されるはずはあり得んことだった。しかし偶々頭のきれる奴や、戦闘にも長けているような奴が手を組み返り討ちにあったということだよな」
「はい。そういうことになります。奴らは固まって作戦会議のようなこともしておりましたから。段取りが良過ぎます」
「計画執行責任者として、神矢の被検体育成の方法や提案は聞いていたんだよな?」
「えぇ聞いておりました。しかし、神矢さんのやり方は生温いと判断し、5体の一斉放出での天開を行うことを選びました」
「神矢には相談したのか?」
「い、いいえ‥‥。直接社長に自分の考えをプレゼンし決行しました」
「それはなぜだ?」
「神矢さんの1体づつの育成は時間がかかりすぎると判断したからです。仕事はスピードが命です。より効率的なサンプルデータの回収を望みました」
「誰か君にサンプルデータの回収を
「いいえ、そんなことはありませんでしたが‥‥」
「なら君の判断ミスということか?」
「し、しかし大堂社長からはOKを———」
「言いわけするな。大堂社長のせいとでも言いたいのか?」
坂田常務の顔つきが険しくなる。植松のデスクの電球しか電気が灯っていなかったので、薄暗いオフィスだからこそより坂田常務の表情に威圧感を感じた。
「も、申し訳ございませんっ。そんなつもりでは‥‥」
「ならどう責任を取るつもりだ? 計画執行責任者としての答えを聞かせて欲しいな」
「責任‥‥ですか」
「そうだ。君の失敗は5体を消滅に追いやったこともそうだが、それ以前に神矢に相談しなかったこと、そして私にも相談無しに大堂社長に直接自分の意見を押し通したことだ。大堂社長は被検体の存在は知っていても性質までは詳しく知らないんだよ。不完全体であり天開することで完全体に近づけていくなんてこともね。部下を信用している大堂社長なら君のプレゼンは受け入れるだろう。君もそれを承知の上で直接大堂社長に直談判したのではないのか? 私や神矢に言えば、拒絶されると思ったから、とか?」
「い、いえ! 決してそんなことは‥‥」
植松は唾を飛ばしながらそう答えた。体中に汗が湧き出て、体が嫌な火照り方をしていると感じた。
「私は、大堂社長から君が直接そうプレゼンしてきたことをもちろん聞いていたよ。大堂社長が了承した後だったから私は何も言えなかった。ただそれで計画が成功するなら何も言わないさ。しかしとんだ期待外れだったよ」
坂田常務は大堂社長が了承したことを否定すると、大堂社長を否定したことになると思ったから止めなかった。
「‥‥‥‥‥」
「神矢は被検体について常に私に報告や相談をしてきたよ。従順な男だった。これだけは言っておこうかな。被検体の性質上、君のやり方よりも神矢のやり方の方が正しかったんだよ」
「そ、そんな‥‥」
植松は頭が真っ白になり暗澹たる気持ちになった。
「それで? どう落とし前を付けるつもりだ?」
植松は、坂田常務が『落とし前』というワードを出してきただけで恐怖しかなかった。自分では坂田常務を刺激せずむしろ従順に仕事をこなしてきたつもりだった。しかし、ヒュドラ―計画の執行を遂行していることがもはや刺激でしかなかった。気付くのが遅かった。植松の頭の中は、坂田常務から問われたことに対して的確な返答を心掛けることしか考えられなかった。
「‥‥‥‥‥」
「その返答次第ではもう一度やり直すチャンスをくれてやるよ」
「あ、あの」
「ん?」
坂田常務は口角を上げて優しくニコッと微笑みながら訊いた。
「もう一度新たな被検体を私に提供していただきたい。絶対的な育成スケジュールを組んで次こそ完全体に仕立て上げます。新薬への貢献、天開での社長への貢献に人事を尽くしたいです。もちろん坂田常務にも育成スケジュールの相談も徹底します」
植松は、恐怖からか突拍子もない返答をした。
「はぁ‥‥‥残念だよ。植松君」
坂田常務から漏れた言葉の裏には想像もつかないような意味が込められているように植松は感じた。
「え‥‥‥」
「もうお前に用は無い」
坂田常務の両目は冷酷非情な眼差しだった。
「坂田常務! 待ってください」
「おーい」
坂田常務は、扉の向こう側に目を向けて掌をパチパチと鳴らした。
ガチャッ‥‥‥
すると、白衣を纏ったふたりの男が入ってきた。
「お、お前らは!?」
植松は驚嘆した。
「残念でしたねぇ。せっかく坂田常務がチャンスをくれようとしたというのに、えへへへへへ」
「植松、お前の考えは甘いよ。被検体をそう簡単に作り出せると思うな」
ふたりの男は、バイオエコロジー部部長の坪井 甲太郎、ダイドーラボ室長の鵜飼 康友だった。
「俺をどうするつもりだ!?」
植松は後退りしながら言った。デスクに腰をぶつけペン立てが床に散らばった。
坪井と鵜飼は坂田常務に視線を向けた。
「やれ」
坂田常務はふたりに顎で指示した。
坪井は植松を背後から羽交い締めにした。
「お、おい! 何をする!! はなせ!!」
植松は腰を捻らせながら抵抗する。
「えへへへへへへ」
鵜飼は白衣の内ポケットから注射器を取り出した。透明な液体が入っている。
「な、なんだそれは! やめろぉ!!」
植松は呼吸が荒くなる。
「知らなくていいんですよ。すーぐ楽になりますからねぇ。えへへへへ」
鵜飼はゆっくり植松に近づいていった。
「や、やめろぉぉぉぉぉぉっ!!」
プツリ‥‥‥。
鵜飼は植松の首に注射器を打ち込んだ。得体も知れない無色透明の液体がゆっくりと注入されていく。
「あ、あぁ‥‥‥あ」
植松は苦痛の声を喉の奥から漏らす。
鵜飼は、注射を打ち終わったら速やかに離れた。
そして、坂田常務が近づいてきて植松の耳元でヒソヒソと話し出した。
「お前が失敗したことなど最初からわかっていた。お前しかモニターを見れていないとでも思ったか? あと馬の被検体を殺った男が持っていたのは模造刀なんかではない。本物の刀だよ」
「な‥‥なん、で、仕組んだのは‥‥常務、あんた‥‥か!?」
「ふっ。あとこれも教えといてやる。お前の大好きな神矢 行雄はもうこの世にはいない。あの世でまたうまくやることだな」
「な、なぜ‥‥」
植松は左目から涙が零れた。
「あいつは従順だった。裏切るまではな」
「裏ぎ‥‥る」
「そう。神矢は社内極秘情報を外部に漏らした。だから制裁を加えた。お前の今回の失敗も我々の期待を大きく裏切った。一緒だろ?」
「そ、そん‥‥な‥‥、自分は‥‥」
「もういい。これまでご苦労だったな。ゆっくり休みなさい」
坂田はさらに続けてごにょごにょと何かを話し続けた。植松の表情はさらに青冷めた。
「なっ! 坂田‥‥貴様ぁ‥‥、、、全て知って‥‥たのか、全てお前が‥‥‥。大堂社長に、、近づくなぁぁ!!」
「ふふふっ。お前も大堂社長への天開の一部となれ」
「あ‥‥、がはぁあぁぁぁぁぁっ!!」
植松は口から急に泡のようなものが溢れ、吐血した。目や耳からも血がツーっと流れ出た。
「坪井君、離れなさい」
坂田常務は言った。坪井はすぐさま植松から離れた。
「あがぁあぁぁぁぁぁぁあああ‥‥‥」
植松は倒れ、首を両手でぎゅっと抑えながらのたうち回り、仰向けのまま動かなくなり死亡した。
「君達、こいつを処分しておきなさい」
坂田常務は冷酷に指示を出した。
「はい、いつも通りですね」
「あの、ちなみに坂田常務の求めた植松の答えって何だったんです? どうしたら植松はこのように死なずに済んだんですか?」
坪井は恐る恐るそう訊いた。
「君は答えだけ求めるのか?」
「い、いえ。ただ気になったものですから‥‥」
「まぁいい。答えはひとつしかないでしょう」
「答えはひとつ‥‥?」
坪井も鵜飼も坂田常務に視線を向けた。
「あぁ。自分の体を新たな被検体の材料として使ってください‥‥だろ。それぐらい言えなかった植松にはがっかりしたがね。まぁもう終わったことだ。次の作業に取り掛かろうか」
「ありがとうございます。坂田常務がバックについてくださるからこそ、このヒュドラ―計画も成功へと導けることでしょうな」
坪井は言った。
「やることがひとつ増えたよ」
坂田常務はオフィスの窓に近づき、ブラインドに指で隙間を作って外の景色を眺めながらそう言った。日没近い細かな夕日が差し込む。
「はい‥‥」ふたりは黙り込む。
「我々が生みだした被検体を滅ぼした奴らにも制裁を与えなくてはな。あとこの計画を知った部外者も全てだ」
坂田常務は振り向きながらそう言った。
「おっしゃる通りです」と坪井。
「新たな被検体実験に移りましょう。えへへへへ」と鵜飼。
「奴らは許さない。私への宣戦布告と受け取ろう」
「今回あの被検体に使った5種類のキメラ細胞からは新薬開発に繋がるものは無かったですが、次の材料の目星をつけていきます」
坪井は顎に指を添えながらそう言った。
「あぁ。長居は無用だ。まずはここの後始末を頼むよ」
『了解です』
坂田常務は早々とオフィスから出て行った。
「奴らはぜってぇ逃がさねぇ」
坂田常務はそう呟き自室に戻っていった。
第56話へ続く・・・。
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