第61話 訪問者 【前編】
藤原がオフィスに着いた頃、10時半を回っていた。
あのパーキングの蕎麦屋美味いんだよなぁ、とさっき食したかしわ蕎麦の味の余韻に浸りながら、オフィスの鍵を開けて中に入った。
藤原はまずオフィスに着いたら真っ先に確認したいことがあった。
—―——昨日、20時頃の防犯カメラの録画映像。
入口に設置してある防犯カメラはフェイクではない。しっかりと24時間録画されているのだ。
(イクちゃんが言っていた女、この目で確認してやる)
そう思いながら、デスクトップのパソコンを起動させて防犯カメラアプリにログインしアクセスした。どれどれ~っと、日付と時間を調整する。
(‥‥‥あっ! この女か)
たしかに林崎が言っていた通りの女が訪問している。黒いワンピースにツバの広い黒い帽子。顔が帽子のツバで隠れて見えない。時刻は昨日の19時57分。林崎がドアを開けて対応している。林崎は警戒心丸出しの表情をしていた。何かを話しているようだが、音声までは聞き取ることができなかった。すると、急にその女は足早に立ち去っていった。
しかし全く誰かはわからなかったが、会ったら誰なのかわかるかもしれない、と思った。ただ、何時に来るのかがわからないのはストレスだった。
そして、次にやることはSoCoモバイル宮神店に顔を出すことだ。どうしても松江のことが心配だった。
(一旦お邪魔しても大丈夫かアポを入れておこう)
藤原はスマホをポケットから取り出し、松江の社用携帯に電話をかけた。
プルルルル、プルルルル、プルルルル、プルルルル、プルルルル‥‥‥
(あれ、忙しいのかな)
松江は電話に出なかった。
試しにショップの裏電にもかけてみた。すると、
『只今、営業時間外の為お繋ぎできません————』というガイダンスが流れた。
(あれ、今日ってお店定休日だっけ)
藤原は宮神店の営業時間を調べても、定休日ではなかった。
お昼時になり、昼食を買いに行くついでに宮神店に寄ってみた。すると駐車場には車が1台も停まっておらず、店内はロールカーテンが下ろされていた。入口の自動ドアには張り紙が貼られていたので、藤原は目を通した。そこには、
【弊社の都合により、当面の間は臨時休業とさせて頂きます。営業再開の目処は立ってはおらず、いつもご利用頂いておりますお客様には大変ご迷惑をおかけ致します。】
という内容が記載されていた。
(臨時休業‥‥か)
藤原は松江に会うことができず、少し残念に思ったが、確かにあんなことがあったんだ。営業できる状況でもないか、と思い車に戻った。
オフィスに戻ると林崎が出社していた。藤原は林崎から昨日訪問してきた女の話を聞いたり、国府の状態の話やダイドー事件の話もしながら昼食を食べた。
食べ終えた後、書類の整理や別のクライアントへの商談資料の作成に追われた。ダイドーでは残酷かつ悲惨な事件が発生したとしても、時間だけは待ってはくれない。例のチラシにも書いてある通りである。悲しみにふけりたい気持ちを押し殺しながらも、今日は今日のやるべき仕事があり明日へと繋げていかなければならない。ゼネラルマネージャーとしての威厳を保ち、会社の売上を上げていくことを考えていかなければならないのだ。事件に関しては警察に任せればいい。今やるべきことは気持ちの切り替えだ。藤原はパソコンを睨むようにしてキーボードを叩いた。
♢
16時を過ぎた頃だった。藤原に一本の着信があった。相馬からだった。
「はい藤原です」
藤原はすぐさま電話に出た。
「あぁ藤原さん昨日は電話どうも。今お電話よろしいでしょうか?」
相馬の声色から藤原はなにか嫌な予感がした。
「えぇ大丈夫ですよ」
「昨日署に一緒にお越しいただいた男性は松江俊介さんで間違いありませんよね?」
「え、あはい。間違いありませんが、松江さんがどうかされたんですか?」
「えぇ‥‥。その、大変申し上げにくいのですが、自宅で亡くなっていました」
「は?」
藤原は、聞き間違いか? と思った。相馬から今何を聞いたのすぐに理解できなかった。まるで胸の真ん中あたりが凍り付いたかのような感覚になった。
「どういうことですか!?」
「ご家族の方からさきほど通報がありまして。おそらく自殺です。クローゼットの中で首を吊っていました。死亡推定時刻は午前1時から5時の間ってところですね」
「そ、そんな、まさか‥‥」
藤原は声が震えた。事務仕事をしていた林崎も目を丸くして振り向きながら藤原に目を向けた。
「ご家族の方が言うには、夜中に松江さんから電話があったそうです。発言が意味深な感じだったため、心配して松江さんの住むアパートに訪問したら鍵が開いていたそうで、そしたらクローゼットの中で‥‥」
相馬は詳しく状況を説明してくれた。
となると、藤原は午前中松江に電話をした時にはすでに亡くなっていたということになると考えた。しかし、自殺なんて、とにわかに信じ難かった。
「そ、そんな。他殺の可能性は!?」
「自殺の線で間違いないかと。遺書のようなものがテーブルに置いてありました。藤原さんも松江さんの様子になにか気付いた点などはありませんでしたか?」
「私も昨夜の20時前に松江さんに電話を入れたんです。昨日相馬さんにも電話でお話した2体の遺体について、松江さんにも伝えました。彼は取り乱しながら自分を非難していまして、最後に『色々とありがとうございました』と言い残して、電話を切られてしまいました」
「なるほど。藤原さんの報告を得て、社員ふたりを死に追いやったのは自分の責任だと、自分も死んで償うべきだと考えた、そういうことですね」
「えぇおそらく。松江さんは責任感の強い人でしたから」
「うーん、まぁここだけの話、遺書にもそのような内容が書かれていましたよ。筆跡も松江さんのもので間違いはないようです」
「そ‥‥そうなんですか」
「あぁ。とりあえず現場検証と遺書について調べてみるのと、ご遺体の検視を行います」
「松江さんもダイドー事件の被害者です。ダイドーが開放されたのにまるで呪いのようにじわじわと‥‥」
藤原は眉間に皺を寄せながらそう言った。
「お気の毒です全く‥‥」
「あの、ちなみに病院へは今日行かれたんですか?」
「えぇ南と一緒に行きました。うちの奥原は生きていました。昨日手術したって看護師さんから聞きました。ただ、まだ意識が回復していなく会うことはできませんでした。他の被害者も身元が判明し名札が全ての病室に付けられていましたよ。藤原さんのボイスレコーダーの内容は始めは信じ難い話で戸惑いましたが、今となっては理解できます。現実に起こった紛れもない事実だと」
「えぇ。ちなみに他の病室に八城、鮫島という名前はありませんでしたか? あと阿古谷さん‥‥だったっけな」
「はい。確認しておきましたよ。401号室に阿古谷 唯さん。402号室に八城 伸さん。403号室に鮫島 龍仁さん。404号室にうちの奥原。405号室に国府 巧さんですね。ただ、個室に入られている彼らは重傷者とのことで、聞き込みはやめておきました。少し時間を置いてからにします」
「そうでしたか。確認していただきありがとうございます。」
「松江さんのことは非常に残念ですが、藤原さん、ひとつお話しておくことがあります」
「あ、はい」
「坂田 廉治郎‥‥という男についてです」
藤原は相馬の言葉を聞いて目を見開いた。
「たしか昨日おっしゃってましたよね。危険な人物だと」
「はい。ボイスレコーダーで神矢という男が言っていましたよね。もし本当にこのダイドー事件に坂田 廉治郎という男が絡んでいるのなら‥‥藤原さん、もうこのダイドー事件について関わらない方がいい‥‥」
相馬は声を低くしてそう言った。
「え、それはどういう‥‥」
藤原は困惑した。会話の空気が冷たく変わった気がした。たしかに他にもまだ調べたいことはたくさんあった。
「坂田 廉治郎という男は、闇のブローカーとも称されている危険人物。いわば裏社会の人間ですよ。なぜあの男が一般民間企業の役員に就いているのかわかりません。株主達も坂田に対して特になにも意見していないんです。むしろ尊敬しているくらいです。坂田がダイドーの役員に就任したってだけで株価が上昇したという噂もあるくらいで」
「ヤクザやマフィアみたいな人物‥‥ということですか?」
「また少し違うんですが、その類の人達ともおそらく裏で繋がっている可能性はあります。奴は直接手を下さない。必ず誰かを利用する。坂田の影が絡む事件は色々あるが、そのほとんどが別に真犯人がいて逮捕される。坂田は一度も刑務所に入ったことが無いんです。逮捕されたとしても不起訴や和解といった結果になって戻ってくる。そして邪魔した人間は消される‥‥」
相馬は早口になっていた。恐怖すら感じているかのような話しぶりだった。
「それは何故なんですか?」
藤原も唾を飲み込む。
「証拠が無いからですよ。いや、証拠を残さないと言った方が正しいかもしれません」
「その坂田 廉治郎の写真は持ってますか?」
「署にはあるんですが、あいにく極秘資料でして。ネットでも大堂 竜之介は出てくるが、坂田については参考になるようなものは一切出てきません。というか探らない方がいいです」
「なら最後に坂田の———」
「藤原さんっ!」
相馬は藤原の言葉を遮るようにして言った。
(!?)
「ダイドー事件のこと、あとは我々警察に任せてください」
相馬はまるで伸ばした糸をプツンと切るかのように話を終わらせようとした。
「わ、わかりました」
藤原はしぶしぶそう返答した。
「ですが藤原さん、あのボイスレコーダーの内容は証拠の一部として使えるかもしれません。提供してくれたこと本当に感謝します。ボイスレコーダーの内容はうちでしっかり調査します。まだまだ意味がわからない内容もありますからね。ヒュドラー計画とか、テンカイだとか、キメラ細胞とか」
「えぇ確かに」
「我々はこれから犯人達を追いダイドー事件の解決に尽力します。まず神矢 行雄は共同正犯容疑で逮捕します。坂田 廉治郎も共同正犯、殺人教唆はまず間違いないでしょう。証拠揃えて必ず逮捕してムショにぶち込みます。おそらく他にも協力者はいるはずです。全員逮捕してやります。このまま野放しにはできない」
相馬は迷いの無い真っすぐな口調でそう言い放った。
「あの、近々被害者の会というのが開かれるみたいですよ」
藤原は念のため例のチラシのことを知らせた。
「ん? 被害者の会? ですか」
「はい。今朝病院前で『ダイドー事件、被害者の会』という内容が書かれたチラシを配っている女性がいました」
「どんな女性でしたか?」
「普通の女性でしたよ。30代くらいで、肩くらいの黒髪でベージュの薄手のコートを着た女性でした。無言で渡されましたけど」
「他になにか書かれていることはありましたか?」
相馬も興味が湧いたというか、気になっている様子だった。
「主催元の法人名と、主催者の顔写真とプロフィールが載っています」
「そのチラシは今持っていますか?」
「写メならあります」
「なるほど。それショートメールに添付して送ってくれませんか?」
「えぇいいですよ。今送りますね」
そう言って、ショートメールアプリを開きチラシの写メを添付してすぐに送信した。
「助かります。あっ今届きました」
「よろしくお願いします」
「なにか捜査に役に立つかもしれませんからね。貴重な情報提供ありがとうございます」
「はい。相馬さんも気を付けてくださいね」
「えぇ。なにかありましたら連絡ください。では」
相馬はそう言って電話を切った。
藤原はそっとスマホをデスクに置いた。はぁっと大きな溜息が自然に漏れてしまった。
「藤原さん‥‥」
林崎は心配そうな表情で声をかけた。
「松江さんが自殺した」
「っ‥‥」
林崎は両手で口を押さえた。藤原の電話のやり取りを聞いておおよそ内容はわかっていたが、藤原にかける言葉が見つからなかった。
「ニュースになるよきっと」
藤原は俯きながらそう言った。
「警察からですか?」
「そう。白別中央署の相馬さんという方からだ。俺が情報提供したときに対応してくれた人だよ」
「他になにか言われたんですか?」
「ダイドー事件をもう追うなって。あとは警察に任せろって言われたよ」
「‥‥‥私もそんな気がします。松江さんの死といい、昨日の女といい、まだなにか起こるんじゃないかって。藤原さんはほんとよくやったと思います。あの神矢さんともぶつかり合って、情報を手に入れて警察に告発までした。これ以上首を突っ込むとまた予期せぬ事態に私達までもが巻き込まれるんじゃないかってそう思うんです」
林崎は顔色を変えてそう言った。
「それも女の勘ってやつ?」
藤原は真面目な顔つきでそう言った。
「はい、そうです」
「なるほどね。わかったよ。まだ調べてみたいことはあったけどやめるよ」
藤原はふっ切れたようにそう言った。
「ほんとそうしてください。藤原さんまでなにかに巻き込まれて命を落としたとかシャレになりませんからねっ!」
林崎は強めな口調でそう言った。
「そんな大袈裟な。まぁとりあえず昨日の女の人は対応するよ」
藤原は困った顔でそう言った。
「はい。変な人だったらすぐに追い返してくださいよー」
「はいはいわかりましたよー」
藤原はそう言って、腕時計に目をやると時刻は16時45分だった。結構長い間相馬と電話していたようだ。
気持ちを切り替えて仕事しようと決めたばかりでの相馬からの電話。藤原は一気に気持ちが沈んでしまった。そして、坂田 廉治郎の話。ダイドーがとてつもなく怖ろしい組織に思えてきた。社員や自分の身を守るためにも、相馬に言われた忠告は守るべきだと思った。林崎ともそう約束したわけだし。
「イクちゃん今日は早めに上がろうか」
「え」
「切りのいいところで今日は上がろう。夜は誰もオフィスに戻っても来ないしさ」
藤原はこういう気持ちが沈んだときは一旦スパッと仕事を終えて早めに帰るのもいいかもしれない、とそう思った。
「‥‥わかりました」
林崎は少しパソコンの操作をしてから、荷物をまとめて帰宅する準備を始めた。
「明日から土日だからゆっくり休んでね」
「何時に来るんでしょうねあの女。絶対うちと取引無いですって!」
「まぁまぁほら、俺ってたくさんクライアント抱えてるからさ。会ったら思い出すかもしれない」
「うーん、なんか雰囲気がちょっとお客様っていう感じがしなかったんですが、まぁわかりませんね」
「俺も対応終わったら上がるからさ」
藤原はにこっと微笑みながらそう言った。
「藤原さんも気を付けて帰ってくださいね。お先に失礼しまーす」
林崎は小さく礼をしてオフィスを出て行った。コツッコツッコツッとヒールの音が廊下に響いて次第に遠くなっていった。
オフィスは急にシーンと静寂さに包まれた。『花金』だからか。他のフロアの会社も早めに締めて飲みにでも出たのか、この建物自体ひとりでいるかのように静かだった。
オフィス内はひとりだと走り回れてしまうくらい広いし、案外ひとりでオフィスにいると商談トークの良いアイデアがひとつやふたつ思い浮かんだりもするものだ。藤原はそんなオフィスでのひとり時間も嫌いではなかった。
藤原にはダイドー事件とは別に調べたいことがあった。例のチラシの『NPO法人 慰心の会』についてだ。
検索エンジンにワードを入力して色々と調べていると、時刻はいつの間にか19時を回っていた。
(もうこんな時間か。夢中になって調べてたな。でも色々わかってきたぞ)
そう思いながら、両手を重ねて天井に向けて体を伸ばしていると、
—―—————コツッコツッコツッコツッコツッコツッコツッ、、、
と、遠くからヒールの音が聞こえてきた。
(‥‥‥ん? イクちゃん戻ってきたのかな。忘れ物か?)
コツッコツッコツッコツッコツッコツッコツッ、、、
ヒールの音は次第に大きくなってきて、オフィスに近づいてくるのがわかった。
コツッコツッコツッコツッコツッコツッコツッコツッコツッコツッコツ。
ヒールの音が止まった。扉の前だ。
そして、
—―——ピンポーン‥‥‥‥‥‥。
チャイムが鳴った。
藤原は、イクちゃんじゃない、と思い、防犯カメラのモニターに目を向けると、黒ずくめのあの女が扉の前に立っていた。
(来た。昨日の女だ)
藤原は受話器を取って応答した。
「はい」
「藤原さんいますか‥‥?」
力のない細い声だった。
「あの、どちらさまですか?」
藤原は対応することは決めてはいたが、念のため聞いてみた。
「藤原さんいますか‥‥?」
女は同じことを訊いてきた。(イクちゃんの言ってた通りだ)
藤原はたしかな薄気味悪さを感じた。
「藤原さんいますか‥‥?」
藤原は何を聞いても埒が明かないと思った。そう林崎からも話を聞いていたからだ。
「はい。私が藤原ですが」と答えると、
「良かった。大切なお話がございまして伺いました‥‥」
女はそう返答した。
藤原は、「今行きます」と答えて扉を開けた。
全身黒コーデの昨日の女と対面した。ヒールのせいか身長も170cmくらいでやや高めに見える。林崎の言う通り口の左下あたりに小さな
知らない女だった。藤原は営業ではないことはすぐにわかった。
「いらっしゃいませ。中へどうぞ」
藤原は掌をオフィス内に向けながら、いつものように紳士的に対応しようとした。
すると女は、にたっと笑みを浮かべた。
第62話へ続く・・・。
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