第41話 藤原の告発
時刻は15時50分。藤原と松江は白別中央警察署内の会議室にいた。
神矢との対談の後、松江に『真実が明らかになりました。急いで白別中央警察署に来て欲しい。詳しい話はそこで』という旨の電話をした。
松江も藤原の様子からただ事ではないことを察した。急いで白別中央警察署に車で向かい、署内の駐車場で待っていた藤原と合流した。バイパス道路を走行している時は法定速度は恐らく超えていただろう。
藤原は窓口で受付担当にここに来た事情を説明した。受付担当は別の警官にその旨を伝達していた時、警官は顔色を変えたようにも見えた。
「今そちらへいきますので」と藤原達の元へやってきて、そのまま小会議室へ案内されたのだ。
「担当の者が参りますので、それまでお掛けになってお待ちください」
と室内の電気をつけ扉を閉めた。
室内は茶色い折りたたみ式長テーブルが4つとホワイトボードが配置された殺風景な会議室だった。藤原と松江は並んでパイプ椅子に腰を下ろした。室内はとても静かで、ジリジリジリと蛍光灯の通電音が微かに響いていた。
「藤原さん、何かわかったんですか?」
松江は不安そうな面持ちで訊いた。
「えぇ。さきほどスーパーダイドーの総責任者に会って来たんですが、全てを打ち明けてくれました」
「あの場所取りの交渉の時にお会いした方ですか? 藤原さんの切り札だったっていう‥‥」
「はい。そうです。会話をこのボイスレコーダーに全て録音してきました。簡単に説明できるような内容ではありません。警察の方にこの内容を打ち明けるので、松江さんも一緒に聞いていて欲しいんです」
「はい。わかりました‥‥」
「内容はあまりにも現実離れし過ぎていますが全て事実です。受け入れ難い内容なので覚悟はしておいて欲しいです」
藤原はまるで幽霊でも見たかのような表情をしており顔色が曇っていた。松江はこんな様子の藤原を見たのは初めてだった。
(いったい、何があったと言うんだ?) 松江はそう思った。
16時を回ったところだった。ガチャッと扉が開いた。スーツを着た男と、制服の男の2人組が入ってきた。藤原、松江は立ち上がった。
「こんにちは。私、警部補の相馬です。こっちは南です」
「南です」
制服を着たその警察官は小さく頭を下げた。
「藤原です」
「松江です。よろしくお願いします」
――
49歳、身長は177cm。黒いスーツに身を包み、ジャケットのボタンは開けている。短く整えられた頭髪で、白髪まじりの前髪はやや上げている。少し垂れ目で、左眉の斜め上部に小さな切傷痕がある。鋭い視点からの捜査や勘の良さ、常識にとらわれない行動力は署内でも切り込み隊長として名高い。
――
35歳、身長は172cm。相馬の部下。鼻がやや高く、くりっとした大きな目ではっきりとした顔立ちである。奥原 一の同期でもある。
「どうぞ、お掛けください」
相馬はそう言って、藤原達の向かいに座った。南は相馬の斜め後ろに立った。
「では藤原さん、詳しく話をお聞かせ願えますか?」
相馬から話を進めた。
「早速ですが、あなた方警察はあのスーパーダイドーで今何が起こっているのかわかっていますか?」
相馬の左眉がかすかに上がった。
「‥‥‥ちょうど我々もそれについて不可解に思い始めていたところです。昨夜、ある家族の一報から、次々と‥‥。捜索願を出される方もおりましてね」
「どのような内容でしたか?」
藤原は見当はついていた。あえて相馬の口から内容を話させようとした。
「家族が帰って来ない。連絡が付かない。という旨の内容です。もう今日の朝までで150件超えてます。明らかに異常ともいえる数です」
「それに対して今警察はどう動いていますか?」
「今日から捜査を始めるため準備をすすめております。ところであなた方はダイドーとどう関係しているのか具体的に説明していただけますか?」
相馬は交互に藤原と松江に目を向けながらそう訊いた。
「はい。私は—―—―——」
藤原は自分が何者かを説明した後、以下のことを松江と共に事細かく説明した。
・松江 俊介との関係
・SoCoモバイルの販売イベントのこと
・ダイドーでのイベント開催の経緯
・神矢 行雄のこと
・SoCoモバイルスタッフのこと
・自分の部下や棚橋、海藤、宗宮と連絡が一切取れないこと
・昨日の夜に松江と2人でダイドーに行った時の不可解な点の数々
「なるほど。そういうことですか。連絡が取れないという点に関してなんですが、実は我々にも関係しておりましてね‥‥」
相馬の表情が少し曇ったように見えた。
「どういう意味ですか?」
「ダイドーにはオープンした日からセキュリティ強化の見回り巡回役として私服警官を5名ほど派遣していたんですが、その5名とは今も音信不通です」
「え、そうなんですか?」
「はい。必ず途中経過報告をすることになっているんですが、5人全員から一切連絡がありませんし、こちらから電話しても繋がらないんです。そして何より巡回終了時刻になっても5人全員署に戻って来ていません。こんなことは普通ありえません」
そして後ろに立っている南が口を開いた。
「その5名の中に奥原という警官がおるのですが私の同期です。彼は真面目な性格ゆえに報告業務も徹底していた男ですが、昨日の昼ぐらいから一切連絡が取れない。こんなことは今までありませんでした」
「藤原さんの言うスーパーダイドーのホームページに関しては拝見しておりました。だからこそ戻って来ないことや連絡がつかないのはおかしいですしね」
「私が今日の午前中にスーパーダイドーに行った時は、駐車場や入り口付近にたくさんの人がいました。警察の方もおられましたが、まともに私の話を聞いて頂けませんでした」
藤原は探りを入れるかのように話を進めた。
警察を動かすための決定的な切り札はまだ出さない。せっかく警察の人間に話を聞いてもらえる場に辿りつけたのに、いきなりボイスレコーダーに録音した神矢との現実離れした会話を聞かせても『そんなことがあるわけがないだろ。
藤原は今までも営業先で駆け引きを仕掛けて勝ってきた。これも警察組織との駆け引きなのだ。警察は物的証拠や決定的証拠がないと動き出さないということを念頭に置いての判断である。
ただ予想外だったのは、警察側も連絡が取れない内部の人間がいて不審に感じていたことだ。藤原にとってもかなり有利な状況である。
「あぁ、申し訳ありません。まだしっかりと明確な情報が回っていないからかもしれません。これから詳しく捜査をしていく予定ですが、公式ホームページの件や店内に出入りができなくなっている事、ガラスに付着していた血痕のようなものも含めこの不可解な事態に対する情報も少ないのも事実です。そこでなんですが、藤原さんは既に何か情報を掴んでいると解釈してよろしいでしょうか?」
相馬は顎の下で両手を組みながらそう訊いた。
「はい。それをあなた方警察に告発しにここに来ました」
藤原は相馬に目を真っすぐ向けながら言った。
「是非情報提供を求めたい」
「えぇ構いませんが、ひとつ条件があります」
「何でしょう?」
「‥‥‥内容が明らかに現実離れし過ぎています。悪戯やヤラセといった類ではなく、全て事実であるということを前提に情報提供したいのです」
「つまり、どんな内容でも信用しろ‥‥‥ということですね? そう前置きしておかないといけないほどの内容だと?」
相馬はじっと藤原の目を見ている。
「はい、その通りです。内容は全てこのボイスレコーダーの録音記録にあります。このボイスレコーダーはここのボタンを押して録音するだけのシンプルなものです。細工などは不可能です」
藤原は相馬の目の前にボイスレコーダーを出して置いた。藤原の真剣な顔つきを見て、相馬は「わかりました。信じます。聞かせてください」と了承して訊いた。
「はい。このボイスレコーダーはさきほど話に出した神矢 行雄から、今日の14時に白都支社に呼び出されて話をしてきた内容の録音記録です」
「今日の14時? じゃあここに来たのはその神矢 行雄という男との対談後ということですね?」
「はい、そうです。さっきまで神矢 行雄と会っていました。それでは流します‥‥」
藤原はそう言って、ボイスレコーダーの再生ボタンを押した。松江も唾をごくりと飲み込みボイスレコーダーに耳を傾けた。
【ボイスレコーダー再生】
『神矢さん、一体ダイドーに何が起こってるんですか?』
藤原の音声から始まっている。
相馬と南、松江は前かがみになりながら神矢と藤原の録音された会話に集中した。藤原はパイプ椅子の背もたれに寄り掛かりながら3人の聞いている様子に目を配る。
相馬と南は何度も顔を見合わせていたし、松江に関しては徐々に顔色が青ざめていた。音声を流してから何分経ったかわからなかった。20分かもしれないし、30分かもしれない。時間など気にしてはいられなかった。神矢と会話してきた藤原自身もこの録音記録は胸糞悪いものだった。
『‥‥‥、坂田 廉治郎には気を付けろ』
神矢の最後の言葉だ。相馬は眉間に皺をよせてしかめっ面になった。
(ガチャッ、バタン)
藤原が無視して神矢のオフィスを出た音だ。
(ピーン)
藤原がエレベーターに乗り込み1階にフロアに降りていった時の音だ。
(ボソボソボソボソボソ‥‥‥)
藤原はエレベーター内で何やら独り言を呟いている音声が混ざっていた。神矢のオフィスを出た時にはボイスレコーダーを切り忘れている。
バタンッ。車のドアを閉めた音の後に音声は切れた。
【録音音声終了】
会議室内は沈黙に包まれた。廊下を誰かが歩く足音や、蛍光灯の通電音、4人の呼吸音が際立った。それを遮るかのように相馬が口を開いた。
「藤原さん‥‥‥。これは事実、なんですね?」
相馬は険しい表情を崩すことはなかった。
「はい。全て事実です」
松江はそう言う藤原に目を向けた。
「相馬さん‥‥、これが事実となれば最悪な事態ですよ‥‥」
と南も顔が引きつっていた。その時、
「うぅわぁぁぁぁあああぁぁぁっ!」
松江は両手で頭を抱えて叫び出した。藤原も驚いたが、相馬も南も目を丸くした。
「私のせいだ。私がダイドーでイベントをやりたいなんて言い出さなければこんなことには‥‥」
藤原は穏やかな性格の松江が取り乱した姿を初めて目の当たりにした。
「松江さん! まだ全員殺されたと決まったわけではありません!」
藤原は松江の背中に手を当てながら言った。松江は崩した姿勢を正し、両手の拳をぎゅっと握り俯きながら黙り込んだ。
「相馬さん。これも見ていただきたいんです」
藤原はそう言って鞄から書類を1枚取り出し相馬の目の前に置いた。
「ん? 同意書‥‥ですか」
「はい。これはスーパーダイドーの一部店内スペースをイベントスペースとしてお借りするための貸借同意書です。神矢からFAXをいただき印鑑を押印し返送しました。しかし、ひとつ気掛かりな箇所がありまして」
相馬は同意書にまじまじと目を向けた。
「ここなんですが‥‥」
藤原は、同意書の内容の箇条書き部分最後の項目に指をさした。
≪—―—・万が一、事件や事故が発生し命に関わる事態が起きた場合、弊社では一切の責任を追い兼ねます。≫
という箇所だ。
「ほぉ。同意書ではあまりこういう内容はお見受けしませんね」
相馬もその箇所の藤原が感じた違和感に同感したようだった。
「恐らく、ダイドーは初めから人造人間の人体実験のために殺戮行為が起こることを予見していてこのような内容を同意書に盛り込んでいたと考えます」
「なるほど。そしてこの音声内容が事実ならとんでもない前代未聞の大事件です。うちの警官まで殺されている可能性もある」
(奥原‥‥‥)
南は唇を嚙んだ。同期で親しい仲である奥原の身が心配になった。
「藤原さん、このボイスレコーダー預かってもよろしいですか?」
と相馬は訊いた。
「はい。録音記録のコピーは持っていますので、これは証拠物として提出します」
「貴重な情報提供ありがとうございます。おい南」
相馬は立ち上がり南に顔を向けた。
「はい」
「大至急スーパーダイドー無差別殺人事件として特別捜査対策本部を立ち上げる! スーパーダイドー付近にいる警官らもいったん署に戻るように要請してくれ」
「はい!」
南は敬礼をして出て行った。
「私の名刺です。お渡ししておきます。お互いに連絡は取れるようにしておきたいのでおふたりの連絡先を教えていただきたい」
そう言って相馬は胸ポケットから名刺入れを出した。それを見て藤原と松江も即座に名刺を出してお互いに名刺交換をした。
「相馬さん、坂田 廉治郎という男をご存じなんですか?」
藤原は坂田の名が出た時の相馬の曇った表情を見逃していなかった。
「‥‥‥えぇ。知っています。ヤツは危険な男です」
「具体的にどう危険なんですか? 神矢も同じようなことを言っていた」
「今は守秘義務でお伝えは出来ませんが、時期が来たらお伝えすることになるかもしれません」
「‥‥‥わかりました。あ、松江さん立てますか?」
藤原は釈然としない気持ちではあったが、隣で落胆している松江の様子も気掛かりでそっと肩に手をかけた。
「あ‥‥はい。立てます。大丈夫です」
松江はゆっくりと立ち上がった。
「松江さん、気をしっかり持って。藤原さんの言う通りまだ殺されたと決まったわけじゃない」
相馬も松江を励まそうとした。
「そうですよね。私がしっかりしないと‥‥」
「えぇその通りです。いったんここは警察に任せて私らは帰りましょう。伝えるべきことは伝えましたから。では相馬さんよろしくお願いします」
藤原は頭を下げた。松江も小さく頭を下げて、よろしくお願いします、とぼそっと呟いた。相馬はドアを開けて「はい。ではまた」と返答した。
♢
時刻は16時35分。辺りが徐々暗くなり始めている。
藤原と松江は駐車場に出て車に向かった。
「藤原さん、さっきは取り乱してしまってすみませんでした」
「いえ、お気持ちはわかります。けど、今回の件は松江さんのせいじゃありませんよ。自分を責めないでください。現に場所を確保したのは私ですし」
「藤原さんに場所取りの依頼をしたのは私です。スーパーダイドーでイベントをしたいって言わなければこんなことには‥‥とやはり思ってしまいます」
「松江さんは自分の店舗の売り上げをつくるために仕事を全うしただけじゃありませんか。スーパーダイドーのグランドオープンにイベントを打つ。私が店長でも同じことを考えましたよ」
「藤原さん‥‥‥」
松江は顔を上げた。藤原はにこりと微笑みかけた。
「警察にこの事実を告発することができました。警察を味方につけたということです。やるべきことはやっています。私達はいったん警察からの連絡を待ちましょう。私はオフィスに戻ってこの事態を社長にも報告しないといけません」
「えぇ。私も店舗に戻って通常業務に戻ります」
「はい。何か動きがあれば連絡を取り合いましょう」
「わかりました」
「では」っと藤原は自分の車に乗り込もうとした時、
「藤原さん?」松江の声が聞こえた。藤原は松江の方を振り向いた。
「どうしました?」
「国府さんも‥‥、棚橋達もきっと生きてますよね?」
松江は涙ぐんだ声でそう訊いた。
「えぇ。きっと生きてます。彼らを信じましょう」
藤原も平常心を保っているように見せているだけで、内心はぐちゃぐちゃだった。国府達をどう救っていいのか解決の糸口が見えない。しかし、この告発で警察を動かすことができたのが今は心の救いだった。
「そうですね。すみません。変なこと訊いちゃって。色々ありがとうございました。ではまた」
松江はお辞儀をして自分の車に乗り込みエンジンをかけた。クラクションを鳴らして店舗に戻っていった。
藤原は自分の車の扉に寄り掛かった。感情を落ち着かせるためにタバコに火をつけた。
「ふぅ~‥‥」
(国府さん、棚橋さん達。生きててくれ。頼むから‥‥‥)
第42話へ続く・・・。
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